真紅の章 第三話 結婚前夜
「ねえ、見て、池に魚が泳いでるの」
ひょうたん型の池の中央に渡された橋を渡りながら美珠は声をあげた。
別に魚なんて珍しくもなんともないけれど、いつもと違う場所、それは気分を変えた。
日が暮れ池の魚はほとんど見えなかったが水面には月が浮かんでいる。
なれていない場所だけに幻想的な風景だった。
ただそんな自然の美しさとは裏腹に美珠の部屋では警備の騎士や珠利が睨みをきかしていた。
こんなところで何かしようとは優菜も全く思っていない。
でも会話を聞かれているというのも嫌で部屋の外へと誘ったのは優菜だった。
外にも騎士が何人か見張ってはいたが、至近距離で見ないように心もち気を配ってくれているようだった。
「今日、相馬ちゃんに助けてもらった」
「相馬ちゃんが? どうかしたの?」
「少し、いや、かなり仕事助けてもらった。ヒナの傍にいられるようにって」
「本当に? 相馬ちゃんが優菜を? だって、勘違いに気付いてから相馬ちゃん、優菜のこと敵対視してたから」
「ヒナの為にだったらきっと何でもできるんだよ」
「確かに、私の為に泣いてくれる人ね」
美珠が男に捨てられた時、一緒に怒って一緒に泣いてくれた
ひどい怪我をしていても、自分の為に働いてくれた。
自分を精一杯補佐してくれる大好きな乳兄弟だ。
「私は人に恵まれているのね」
「だと思う。あんな煩い姉貴分だっているくらいだし」
優菜は後ろにいる珠利へと小さく視線を送る。
珠利は優菜と目があうと剣に手をかけた。
「あら、珠利はかわいいわよ。ねえ?」
「ん?」
「私達、結婚するとしたら、いつになるのかな?」
優菜は直球できた質問に一度唾を飲み込んだ。
結婚式に行くということは美珠の思考回路はやっぱりそっちに行くことはわかっていた。
この前、そのことでもめたばっかりだ。
十六で、今からやっと社会にでる優菜には結婚はそんなに急にできるものではない。
紗伊那では貴族の地位でもないし、殆ど無名なただの少年だ。
北晋での権力者であった父ももう死んでいるし、使えるのは伝説の光騎士、光悦の孫というものぐらいだ。
だからこそ、地に足を固めてから、人に認めてもらいたい。
けれどこれを逃したら、美珠という恋人がいなくなりそうな予感だってする。
傍に知名度充分の男達が控えているからだ。
栄えある貴族の騎士団長達。
正直優菜よりも見栄えもいいし、地位もあるし、お金だってもっている。
優菜だってせめてあと五、六年もすれば紗伊那でそれなりの地位を築いているはずだ。
けれどそれは同じ年の美珠を待たせることになる。
たった一人の跡継ぎ姫の婚期が遅くなればなるほど、反対意見が多くなるに決まっている。
「すぐには出来ないけど、必ず」
それは美珠の待っている答えではない。
お互いわかっている。
けれどもどちらともなく手を繋いで二人はただ寄り添いあっていた。
*
祥子は机を叩きつけた。
これでは話が違う。
「兄上、私、何度も何度もお手紙を差し上げました。美珠姫様の婿にぜひとも、我が息子祥伽をと。そして考慮中というお返事もいただきました。その上、兄上の方から祥伽を紗伊那へとお招きになり、紗伊那秦奈連合軍での戦争。それは祥伽に跡目を継がせるためではなかったのですか! なのに今更白紙とは!」
「祥子様、お気をお静めくださいませ」
まったく役に立たない紗伊那と秦奈の外交部の男たちがオロオロと祥子をなだめようとしていた。
確かに紗伊那としては難しい立場にある。
祥子に黙っていたとはいえ、姫の遺体が見つかった時、祥伽を次期王に据えるべく動き始めていたのだ。
それほど国は逼迫していた。
けれど姫が戻ってきたからといって、それを白紙に戻すのは正直自分達としても都合のいい話。
知らぬ話と切り捨てようにも王の実妹である祥子はさすがに相手が悪かった。
だからこそ、王が今回は祥子の要請にこたえる形でやってきたのだ。
ただ祥子の怒りももっともだ。
「秦奈国の王族をそれではあまりに軽んじておられるだろうが! 教皇様に聞いたことがある。美珠姫の相手はただの農民だと。王族の結婚はままごとではないぞ! 重々承知しておろうが!あの姫はそんなことすらわからぬ姫なのかえ!」
祥子はもう兄であろうが騎士団長であろうが、手を付けられなくなっていた。
「こうなればよいわ、妾が直接姫と話をしよう。理想ばかり追いかけるあの教皇の考えばかりきいていれば国は滅びるぞ」
「お待ち下さい」
扉に手をかけようとした祥子の前に立ったのは国明だった。
王の左に控えていたはずの国明は祥子の前に立つと、行く手を塞いだ。
「美珠姫のお相手がいかに未熟なものであろうが、それを補佐する使命を我々は帯びております。紗伊那は今、変革の時、政略結婚などという昔からの因習に振り回されるわけにはいかぬのです」
「誰に口を聞いている。妾は王族ぞ、紗伊那の正統な。お前は騎士団長であろうが、お前の家が貴族の筆頭であろうが貴族は貴族じゃ、しゃしゃりでてこずともよいわ。それにお前の父親がその政略結婚を妾にさせたのであろうが! 国を広げるためだけに、妾をこの地にたった一人残したのであろうが!」
「我が父を責められるのはいたし方ありませんが、私は美珠様の友として、譲れません」
「大国ならば何をしても許されるというのか! 許さぬぞ、妾は絶対に」
怒りを撒き散らし喚いて国明を押しのけて退室した祥子であったが、それを引きさげて深夜長男と次男を呼び出した。
明日、結婚式と即位を迎えてただでさえ緊張していた長男は母の文句を聞く気にはなれなかったが、内容が内容だけに向かいあうしかなかった。
けれど弟の方は至って落ち着いていた。
「あいつは男のことになれなはぐらかしていたが、今の男は農民か」
「祥伽、おんし、何故そう落ち着いていられる。おんしを馬鹿にされているのじゃぞ!」
「確かに紗伊那からは祥伽を迎えたいという手紙は届いた。そして祥伽が行った。確かに紗伊那は一方的な気もするが、祥伽、お前はどうだ」
「そんな騒ぐな。もともと紗伊那に行ったのは王権が欲しいとかいうのではなくて、あいつが本当にいないのかを確かめにいくためだけだった」
「おんし!」
そんな母を見ようともせず、祥伽は席を立った。
「明日はこいつの晴れの舞台だ。母上も異国から来てやっと息子が王になるんだ。こんな気持でいるのはやめよう。終って一息ついたら、姫も交えて話をすればいい。あれは尻軽だが、悪い人間じゃない。俺は嫌いじゃない」
一番冷静にきこえる祥伽の言葉に祥子も明日のことを思い浮かべ少し涙ぐんだ。
二十年前この地に一人来て、穏やかな恋をして息子を二人生んだ。
見知らぬ異国がいまや故郷であり、その愛しい国を息子が明日から治めることになる。
ここまでとても長い道のりだった。
「そうじゃった。悪かったのう、祥侘、おんし明日は忘れられぬ日になるぞ、民もまっておる」
「明日からは国王。父上は派手な政策ばかりではなかったれど手堅く国を治めた。息子である私もそんな政治がしたい」
祥侘はそう母と弟に告げ、それから胸に手をあてて父に祈りを捧げた。
そんな息子を見て、祥子も祈りを両の手の平をあわせ、祥伽も瞳を閉じて亡き父を思い浮かべた。
祥伽にはこれから兄が父のように国を治め、結婚し、子供を作る、そう思うとどこか不思議な心地がした。




