才女の婿さがし 2
「項慶、元気ないわね、どうしたの?」
勉強を終えて美珠は相手の顔を覗き込んだ。
美珠の知っている項慶は自信家であったはずが、ここ何週間か全くもって覇気がない。
はじめは仕事に疲れているのだろうかと思ったが、そうではない。
項慶は誰かの顔色ばかり窺っていた。
それは相馬だ。
一方、その相馬は項慶がくると用事を思い出したと言って出て行くことが多い。
どれだけ鈍感な人間でも二人に何かあったということは察することができるだろう。
「何にもないわ。心配かけてごめんなさいね」
そんな風にあしらわれてしまうと踏み込めなくなる。
美珠もまだ項慶のどこまで踏み込んでいいのか分からなかった。
彼女は常に強くあろうとしていた。
そんな彼女に年下の自分がずうずうしく踏み込んだらさらに心を閉ざしてしまいそうなきさえする。
ただ、項慶のことを相馬に訊いても自暴自棄な答えと僻みのような言葉が返ってくるだけだ。
「何かあったら、言って。力になりたいから」
「ありがとう」
そう力なく笑った項慶だったが、次の日、笑えない事態が起きた。
国家財政について扱う部署に配属になった項慶は一年目ながら、それ以上の仕事がふられていたのだが、項慶は仕事が間に合わせることができなかった。
正直受けた時に荷が重いと感じた部分もある。
けれどやりたい、やりがいのある仕事だと引き受けたのも自分。
そして待っていたのは先輩、同僚からのネチネチとした叱咤だった。
普段項慶の陰にかくれていた彼らはここぞとばかりに項慶をたたいた。
一年目ながらに期待された項慶は彼らの出世には邪魔でしかなかったのだ。
助けてくれる上司、先輩もいたけれど、悲しいことに性格が災いしてか、反省の弁も愚痴も話せる友人は城にはいない。
いや、むしろそういった友達は今までいなかった。
なんでも一人で戦ってきた。
王都に来て、侍女として姫の傍にいって初めてそんな相手ができた。
「婚約者」相馬だ。
侍女と上がった時は国はとんでもない事態に陥りつつあった。
姫の死亡説が流れていた時だったから、だからこそ、執事である相馬と緊密な連携をとる必要があり、自然と距離が縮まった。
そこから自分は彼との結婚を考えるようになった。
けれど結婚を申し込んでから事態は思うように進まなかった。
「何?」
部屋にいた相馬は扉をあけて眉を寄せた。
婚約者くらい非が自分にあったとわかっていたとしても庇って、励ましてくれていいのではないか。
大丈夫、自分がついてる、そう囁いてくれる人がいたっていいではないか。
なのにこんな顔を見せられなければならないほど自分は嫌われているのだろうか。
私はそれほど人から嫌われる人間なのか。
項慶はあふれる涙を抑えきれなかった。
「もういい! 結婚の話はなしにして」
「どうしたのさ、いきなり」
感情的な項慶にさすがに面喰ったように相馬は蒼ざめて、それからあたりをうかがい項慶の腕を引いて部屋の中に通した。
「何で泣いてるの? 何があったのさ」
眼鏡を外して涙を袖でぬぐう項慶に相馬は青いハンカチを手渡した。
「結婚の話はもういいから、お願いだから前のように私と話をして」
そう言われて相馬は唇を噛んで項慶の隣に腰かける。
「結婚はいいって、もうお互いの家にも伝わってるんだろ? そんなの今更破棄だなんて恥ずかしいよ、周りの目が」
周りの目、そういわれて項慶は首を振った。
「周りの目なんて、どうでもいい」
「よくないよ、これから宮廷で生きる人間としては」
失態の大小にかかわらず、何かしたこと、それが命取りになる。
今の項慶がまさにその状態。
そして婚約破棄ともなれば、また余計な噂が流れる。
おそらく人格まで疑われる。
官吏として上り詰めるのはほぼ不可能だ。
「それでも、貴方とこの状態で結婚できない」
「なんだよ、それ」
声を荒げて相馬は項慶を睨んだ。
生憎大人の余裕なんて持ち合わせてはいない。
「どこまで俺のこと振り回すんだよ。政略結婚もちかけて、まだ一月もたたないうちに結婚できないって、なんだよそれ、年下だからってなめんなよ!」
「違うわ!」
項慶は必死に首を振った。
「貴方とはちゃんと向き合えてた。言いたいことを言えた、言われて嫌なことでも受け止められた。そんな存在が私にとっては素敵なことに思えたから結婚を切り出したの。なのに、今そんな関係じゃないわ。こんなの結婚してもお互いが幸せになれない。私、そんなの嫌なの。私のことを愛してほしいの」
すすりあげながら本音をぶちまけてくる項慶の話を聞いて、そして相馬は最後の言葉がきたときに顔を持ち上げた。
「え? それ本当?」
ここで気障なことを言えないのが、国明との経験の違いなんだと素っ頓狂な声をあげてから相馬は反省した。
「ちょっと待って。何、え? 素敵って、項慶、俺のこと好意的に思ってるの?」
「好きでもない相手に私から結婚を持ち掛けたりしないわ」
もしかしたらこんな風にこじれてしまわなければ項慶ももっと恰好をつけて話をしていたのかもしれない。
思わせぶりなことばかり言って、相手に気持ちを言わせようとしたかもしれない。
けれど、今は向き合うべき時なのだと思った。
「あ、項慶俺のこと、好きなんだ」
途端、相馬は唇の端を持ち上げて大きくうなづいて、それから項慶の手を握った。
「それならそういってくれればいいのに、遠回しに言ってくるから本気で悩んでたんだ。俺って項慶にとって政略結婚の相手に選ばれただけなのかなって」
「それもないわけじゃあないけれど」
それは本音だ。
「でも、あなたのその何だか素直なところも好き」
「俺のこと好きだったのか。そっか」
珠利と結婚するのだと勝手に考えていたころ、それは必然なのだと思っていた。
姫は珠以と、だったら自分は珠利と、だ。
けれど好きだったのかと問われると、それは少し違う。
独占欲に近いものだったのだと思う。
次に好きになった優菜は男だった。
初めて存在をしった時、目も耳も不自由だった。
目が見えるようになっても、外見は女だったから、あの場合は仕方ないのかもしれないけれど。
そして項慶。
自分を好きだという。
自分のことを好きだと言ってくれるのはおそらく家族か美珠様くらいなもので、女の子として存在する相手としては初めてだった。
今なお涙をぬぐっていた項慶の手を取って、隣にくるように引っ張った。
女性として大柄な方の項慶、その瞳は輝いていて美しかった。
きっとほとんどの人間は眼鏡の奥にこんなきれいな瞳があることを知らないのだろう。
そして項慶が女らしい存在であることも知らないのだろう。
唇がふれあう。
項慶の唇がこんなに甘いことも誰もしらないのだろう。
これからは自分だけのものだ。
「好きだ」
結婚を持ち掛けられるまで彼女が結婚相手になることは考えたことはなかった。
恋人になることすら考えたことはなかった。
けれど持ち掛けられて彼女のことを考え続けた。
そしてまた短い道のりを二時間かけて歩く関係に戻りたかった。
「項慶、結婚してください」
「ええ、してください」
お互いにとって、こんなに釣り合う相手が自分にいるなんて不思議な感覚だった。
美珠は二人からの報告を大きな目をさらに大きくして聞いていた。
その様子は相馬にとっては物足りなかった。
せめて椅子から転げ落ちるということくらいはしてほしかった。
「結婚するの? 二人が!」
「うん、そうだよ。ま、今すぐじゃないけどね、お互い仕事に就いたばかりだし、俺もやっと十七だしね。婚約者として何年か仕事して、落ち着いたら結婚するんだ。優菜待ちの姫様よりきっと後になる」
相馬はそれから幸せそうに微笑む項慶の手をぎゅっと握った。
そんな二人に美珠は嬉しそうに目を細め、項慶ににじり寄る。
「相馬ちゃんは早とちりすることが多くて苦労するでしょうけど、悪い人ではないの。人の気持ちのことまで考えて一緒に泣いてくれる人なの」
「ええ、早とちりは身をもってわかったわ、そのせいで無用な時間を使ったわ。でも、それでも今はいいと思ってる。そうしなきゃきっと手に入らないものだってあっただろうし」
項慶もしっかり頷いてそれから相馬と目を合わせてそれから幸せそうに微笑んだ。
「きっと結婚するころには、私彼のこと、もっと好きになっているわ。だからそれでいいの」
「俺も、俺もだよ、項慶」
思いっきり目の前でのろけられて美珠は苦笑いしか浮かべられなかったが、けれど自分のために泣いて怒ってくれる乳兄弟が、自分が尊敬すらする女性と縁を結ぶことができて祝福せずにはいられなかった。