奇縁の章 第十二話 自責の念
朝、奴隷であった女は暗守の繕いものを持って白亜の宮の前にいた。
昨日訪れた際に、暗守の側にいる元奴隷の子供たちの繕いものをしてあげることになったのだが、それが無事届けられるかどうか。
今日は緑の鎧の人間たちで、それは国王のそばに控える騎士たちだ。
ということは、また面倒な尋問がはじまる。
けれど負けてはいられなかった。
通してほしいというと、また、どこの使いだ、お前は奴隷だ、そんな言葉が飛び交う。
そして彼らにここを通す意思がないのだと理解させられる。
それでも届け物があるのだと食い下がると、今日もまた誰かが助けてくれた。
「警備をしてくださっていることは感謝しますが、彼女はあなた方にとってそんなに怪しいと思われる人間なのですか」
そんな強い口調に振り返る。
女はその少女を知らなかった。
年のころは同じくらいだが、その女はこの国で認められる容姿をしていた。
白い肌に黒い艶やかな髪、それだけで彼女が人から蔑まれることはない。
一方、騎士たちは思わぬ人間の出現に黙り込んでいた。
「彼女は何度も自分の素性を説明しているではありませんか。不審に思われるのなら暗黒騎士団長に確認に行けばよいではありませんか。
一体、彼女の何を見て怪しいと延々尋問しているのです? 私には普通の女性にしかみえませんが?」
「いえ、しかし、奴隷であるはずの女が自由に街を歩くことがおかしいのです」
「それは教皇が奴隷制に反対し、私もその志と同じくしているからです。彼女は奴隷でもなんでもありません。暗守さんの友としてここにきているのです。彼女も何度もそう伝えているではありませんか、どうしてその言葉に耳を傾けないのです。
昨日、国王騎士団長から話はでませんでしたか? 昨日、団長は伝えておくと約束してくれたはずですが? 口だけなんでしょうか?」
騎士たちはその話をそういえば昨日きいたような気がしていた。
ただ奴隷解放などあまりにも理想論すぎて、自分たちには直接結びつかなかったが、今まさに、目の前で一国の姫が不快感をあらわにしていた。
「このことは国王騎士団長に伝えねばなりませんね。私のお願い、ひいては教皇の言葉がきいてもらえないのですから」
「お待ちください!」
団長と姫は今どういう仲なのか、部下たちはわからなかった。
もしかしたらものすごく仲が悪いのであれば火に油を注ぐようなもの。
国王騎士すべての心象が悪くなるだけだった。
「申し訳ありません」
彼らにできるのは謝罪のみ。
「私に、ですか?」
それは下手に出た国王騎士の神経を逆なでした。
もともと貴族の子弟が多いこの騎士団の人間達に、わざわざ下層階級の人間に謝罪を要求しているのだ。
彼らには貴族としての誇りがある。
それでも、騎士として、彼らはそれ以上抗うことはなく女へと頭を下げた。
無事に通ることのできた女は暗守の洗濯物を畳みながら、顔を持ち上げた。
先ほどの少女は一体なんだったのだろう。
「あの」
「なんだ?」
目が見えない暗守はそれでも反射的に女へと顔を向けていた。
「さっき、同じくらいの年の女の子に会ったんです。桂さんとはまた違う方。騎士たちを黙らせることができて、なんだか力を持っているあの人は?」
「それはきっと、この国の姫様、美珠様だ」
そう穏やかな顔を見せられた時、女は暗守の中にいるのは自分でもなく、桂でもなく、その美珠という姫なのだと悟った。
「今日はヒナが庇ってくれたみたいだね、あの人のこと」
夕食を取りながら桂は暗守が誇らしげに語ってくれた話の確認をしてみた。
きっと本人はそんな表情に気付きもしなかったのだろうが。
「それは当たり前のことだもの」
「どうしたの? ヒナ」
浮かない顔をしている美珠にスプーンでトウモロコシを掬っていた優真が心配そうに覗き込む。
「優菜と喧嘩してしまったの、ううん、私が八つ当たりしただけ。本当は違うの、あんなこといいたかったんじゃないの。優菜が頑張ってることだって知ってる。疲れてるんだろうな、てことくらいわかってる、でも、話をしてるうちにそんなこと忘れちゃって、どんどんわがままを言ってしまって、飛び出しちゃって……謝ろうと思ったの、でももう優菜帰っちゃってた」
「あんたたち双子なんだろ? 考えてることおんなじなんだろ? 大丈夫だよ」
「うん、そうだよ」
桂と優真は顔を見合わせ、口々に慰めてくれたのだが、疲れ果てた優菜をさらに苦しめた自分という存在をどうしても許せなかった。
きっと優菜に対し、そんなことをする人間がいれば真っ先に怒鳴りつけにいったのに、彼を苦しめているのは自分ではないか。
とにかく手紙を書いて謝ろうと思い、紙の前に座っていると美珠の元に来客があった。
相手は律儀に騎士の装束に身を包み、扉を開けてそこに立っていた。
「少しよろしいですか。朝、あなたが我が騎士団の者たちに謝罪を要求したと」
「ええ、それが?」
自責の念しかいま持ち合わせていない美珠は手を止めて正面の蒼いマントの騎士へと視線を送る。
この人もまた自分を責めてくるのだろうか、と。
「あなたが正論ですが。極論でもあります」
国王騎士団長は兜を手にもったまま顔をこわばらせていた。
彼は美珠に迎合する気はないようだった。
「その言い方では彼らは本心で謝ったわけではないということですね。
では彼らの謝罪は口先だけだったということですね」
「思い付きで仕事をなさっては困ります。人には感情というものがあります。育ってきた環境というものもあるのです」
美珠は顔に不快だと書いたまま顔を持ち上げ、国明を睨んだ。
彼が言っていることに対しては自分が悪いとはどうしても思えなかった。
桂や名も知らぬ元は奴隷だった少女が何か悪いことをしたわけでは決してないのだ。
「私の今日の行いが思い付きですか、あなたはそう思うのですか」
「そうではありませんか。あなたは先日まで奴隷という階級をしらなかった」
「確かに、それは否めません。でもあなたは何か忘れていませんか? 私は王の子であると同時に教皇の子でもあります。私には教皇の仕事を引き継ぐ必要があります、教会は奴隷制を否定しているのですよ。そしてあなたは国王側の騎士とはいえ、それを支えてくれないといけないのですから」
きつい口調で言い切るとすると国明とにらみ合っていたが、やがて国明が脱力したように息を吐いた。
「ああ、あなたに口で負けるなんて。彼にずいぶん感化されたみたいですね。拗ねるのが関の山かと思ってたのに」
そういってポンと兜を一度浮かせると、口の端を持ち上げる。
それは公務ではなく、仲間としての顔だった。
「私がなんでも拗ねていればこの国はいずれ崩壊しますよ」
「大丈夫です。あなたが拗ねれば相馬が貴方を罵倒して仕事に引き戻しますから」
「それもそうね、相馬ちゃんにも、貴方にも馬鹿姫仕事しろ、馬鹿姫ちゃんとやれ、って言われるものね」
美珠も表情を緩めると国明を見上げた。
優しい顔がそこにある。
「苦情が出てきたのは事実ですが、部下は叱りつけておきました。全員の前で」
「ありがとう、あなたも大変ですね。こんなわがままな私の話を聞かなきゃいけないんだから」
自嘲気味にしかわらえなかった。
優菜への仕打ちと自分への嫌悪感で涙がでそうになったがこの男の前でだけはなくわけにいかなかった。
「貴方のわがままは自分がかなえたいんですよ。どこまで無茶できるのか、実験でもあります」
「そんなこと言って甘やかさないで。私、本当に自分が嫌いになるくらい嫌な人間よ。何度も何度も自分を嫌いになる」
「何がありました? 誰に何をいわれました?」
「それは貴方に関係のないことよ」
そう今の恋人とのことは彼にはまったく関係のない話だ。
この人にだけは甘えてはいけないのだ。
それだけは理解して、美珠は冷たく言葉を返した。
「それよりも桂のこと」
話を本題に戻すと、国明の表情は公人に戻り切らず心配そうな表情であったが、口調はもう戻っていた。
「それはあなたが動くことではありません。我々団長五名はそろって命令をだしました。彼女の先日の北晋国における戦争での功績、姫との関係を説明し、理解を求めましたから」
「命令なんてしたくないけれど、でもそれがきっかけで皆が桂をわかってくれるしかないものね」
「ええ、我々が彼女を理解したように」
自分と優菜が気をもまなくても、動いてくれる人たちがいる。
皆が桂を守ろうとしてくれている。
それがとてもありがたくて今度は素直な言葉をだせた。
「ありがとう、珠以」
そう名前を呼んだ途端、彼は昔恋人であった時のようななんとも言われぬ眼差しをしたので美珠はあわてて顔をそらした。
そんな彼の表情に不本意ながら胸がときめいた。
体力の限界、気力の限界、兎に角すべてにおいて限界を感じながら優菜は家についた。
ただ何かおかしい、今朝閉めたはずの鍵が開いてる。
おそるおそるノブを回すと、楽しげな声と光、そして暖かな空気が体を包んでくれる。
顔が自然に緩まる。
そこにいたのは美珠と優真で、ふたりとも赤いおそろいのエプロンをして何か作っていたようだった。
「あ、お帰り優菜」
「お帰り」
「ただいま、来てたのか。言ってくれたら早く帰ったのに」
その奥にはおそらく長距離を移動したのであろう桂とフレイが暖を取っていた。
顔を見てるだけで嬉しくて疲れていた体が自然に動いた。
「夕飯作ってみたの、ね、一緒にたべよう?」
机の上には不格好な焦げたハンバーグ。
きっと料理に不慣れな美珠と優菜、二人で作ったのだろう。
けれどおいしそうで優菜は一目散に机に駆け寄った。
「優菜、この間はごめんね。あんなこと言うつもりじゃなかったの。本当にごめんなさい。私が悪かったの、許してください」
美珠の謝罪の間、優真、桂、フレイは優菜がどういう反応をするのかをうかがっていた。
許してやれと顔が言っている。
そして優菜の答えは決まっている。
「俺こそごめん、忙しいを理由に自分のことでいっぱいでさ、そうだ、次休みの時はおじいちゃんの家にいこう。喜ぶだろうしさ」
その提案に美珠だけではなく優真もことのほか喜んでいるのを見て、優菜も俄然やる気がでた。
その夜、同じ布団に入りながら優菜と美珠は見つめあっていた。
優真も桂もいる部屋で何をしようとも思わない。
ただ一緒にいられることが幸せだった。
でも、まあ、口づけくらいいいかなと顔を寄せると何かが顔の上に落ちてくる。
何だとつまみあげると卑猥なあの赤い下着だった。
「ぎゃ!」
「人の前で何をムラムラしている! この恥知らずが!」
どこにいるのかと優菜が警戒し美珠から視線を外し、四方に目をやってから美珠へともう一度目を向けると先ほどまでそこにあったかわいい美珠の顔が黒い犬に代わっていた。
「うわあああ!」
「うるさい! この馬鹿弟子が!」
*
「あの二人がそんなつらい目にあいながらここへ来てくれていたとは。もっと早く気が付いて、こなくていいと言ってやればよかった」
暗守は視線を落とし、色々なことを思案しているようだった。
美珠は彼にお茶を入れながら、軽く首を振る。
「そうじゃありませんよ。きっと二人とも暗守さんに会いたいんじゃありませんか?」
「いいえ、二人とも私に恩を感じてくれているだけで」
「たった一人になった桂に手紙を書いてくださったのも暗守さんですし、奴隷だったあの子を救い出したのも暗守さん。確かに恩であるかもしれませんけれど、でも、そうでないとも言い切れませんね」
「からかわないでください!」
ちょっと照れた風の暗守に美珠は砂糖入りのお茶を手渡すと隣に腰かけ、しばし彼の茶のみ友達になることにした。
けれど彼が積極的に話かけることもなく、ただ穏やかで静かな時間だけが流れていった。
*
女は気持ち悪いぐらいすんなり門衛と話がついて正直驚いていた。
いつものいじわるが来ないのだ。
けれど足を踏み出したらいじわるされそうで、どうしたものかと考えていた。
「どうしたの? また入れてもらえないの?」
その声はいつもの声だ。
「あ、いえ」
そういって振り返っても、彼女は門衛を怒鳴ってやろうという顔をしていた。
「お通りください、桂殿、さあ、あなたも」
そんな中声を上げたのは若い国王騎士。
桂が時々見かける珠利の恋人の若い騎士だ。
彼は笑顔さえ浮かべて二人を中へ通してくれた。
「何? 姫になんか言われた?」
桂が確認すると彼は首を振り、団長の命と個人の意思なのだと答えた。
門を通りながら女は白亜の宮へと視線を巡らせる。
「姫様はそんなに素敵な方?」
「素敵?」
桂はううんとうなって、散々考えた挙句手をたたいた。
「素敵って感じではないかも。でもきっと暗守さんにはそうみえるんだよ、暗守さんは純情だしね。恋は盲目って感じかな」
「そう、やっぱりあの人は姫様を」
「でも、姫の方は同じ年の彼氏がいるから、頑張れば叶うかもね」
「じゃあ、頑張ってみる」
頑張ってみるというには淡々としていて、気合いが足りないようにも思えたが、そんな風に思えるようになった彼女の気持ちを桂は応援したかった。