奇縁の章 第十一話 満たせないもの
優菜は朝の会議が終わった後、この国の権力者の面々の前に罪人のように差し出された。
縄で縛られていなかったのがせめてもの情けだろうか。
困ったように尋問するのは報告を受けた光騎士団長。
「どれだけ酒を飲んだんだ。すごい匂いがするんだけど。君は酒乱の気があるのかい?」
「いやあ、あんまり酒ものんだことないから。いまいちわかってなくて」
酒に酔い、トロンとした顔で優菜はへらへら笑っていた。
「優菜、前後不覚になるまで酒をのんだのか?」
「いやだから、自分の上限ってのを知らなくて」
そんな態度を咎めるような魔央の言葉に優菜は頭を掻いた。
すぐさま優菜の背中で庇われるように隠れていた桂が何かいいたそうに一歩踏み出したが、優菜はそれを背中で制しあっさりと頭をさげた。
「お騒がせしてすいません」
「それは我々にではなく酒で傷をつけた騎士にいってくれないか?」
光東の言葉に優菜はううんと唸ってまたフラフラ体を揺らしながら、また頭を掻いた。
「傷つけた記憶もないんですけど、どうしても謝らなきゃいけないですか?」
「それが社会の秩序ってもんだろ」
問題を起こしたくせにことの重要さが理解できない男に相当腹を立てている相馬の言葉にも優菜は何ら弁解せずため息をついただけだった。
「だったら、もう牢屋にでもぶちこんでおいてください。さあ、ほら、そしたら酒もさめるだろうから」
「君は自分が何をしたか!」
一向に反省の様子のない優菜を年上の人間として叱ろうとした光東を遮るように美珠はおもむろに優菜の首元へ顔を近づけた。
「すごい匂いね。これ北晋国のお酒? 優菜、着替えてきて。私、その匂いで酔っちゃいそうよ」
「美珠様、甘やかしちゃだめだ! 言わなきゃいけない時はガツンと」
機会を逸した光東にかわって、相馬がきつく姫に対しても言い含めようとしたのだが、美珠は静かに優菜の肩をたたいて後は任せろと言わんばかりに部屋から押し出した。
相馬はあっさりと閉まった扉を見て、どうしようもないやつだ、と優菜の批判を始める。
「あいつ、最近調子にのってんじゃないの? ほんと信じられない奴だな。なんで昼間っから酒のんでんだよ。大体、あいつ無冠なんだからこっちの国で問題おこすなよ、後々それがひびいて」
今も動き続ける相馬の口をひねって、美珠は部屋の隅っこで小さくなっている桂に目を向ける。
「ねえ桂、本当は何があったの?」
桂は何か言いたそうに口を開こうとしたが騎士団長たちを見ると唇をかんでしまう。
そんな桂の手をとって美珠は撫でた。
桂が素直にすべて語ってくれる人間ではないことはもう知っている。
けれどこのままにしておけないのだ。
「私はあなたの家族よ、優菜があなたを守ったように私もあなたを守りたい、どうしたの、何があったの?」
桂は美珠もまた自分を理解してくれていることがわかると感謝しつつ、ためらいがちに暗守に会いに来る女のことだけを伝えた。
彼女はこれまで何度も何度も国王側の騎士にそんな目にあわされているのだと。
彼女は暗守を思いやりここに足を運んでいるだけ。
ただそれだけなのに、と。
すると事実を知った光東、そして国王側の団長、国明も彼女に詫びると約束をしてくれた。
「本当にそれだけ? 桂は……大丈夫?」
「うん」
「そう、わかったわ」
話が落ち着くと、美珠は桂の手の甲を軽くたたいて背中をさすった。
「さて朝議も終わったし、優菜とのんびりしてこようかしら」
「美珠様、最初からあいつが酔ってやったわけじゃないってわかってたの?」
相馬は鬼の首を取りそこねつまらなさそうに髪の毛をひねっていたが、逆に鬼の首を取った美珠は小さくうなづいた。
「当たり前じゃない。見てわからなかった? 優菜、ものすごく怒ってたじゃない」
「ええ、キレてましたね。あの子が珍しく。絶対相手の騎士に謝るつもりはないという意思表示もしてましたし」
「え? どこが?」
兄弟子として優菜の本心を理解し、そのうえで同意した魔央の言葉に、相馬は珠利と顔を見合わせてまだ厳しい顔を続ける美珠へと目を向ける。
彼女の瞳も笑っているようで笑ってはいなかった。
だからこそ珠利は確認のために問いかけた。
「あの、優菜のことはわかんないけどさ、美珠様のことならわかるんだけど、で、美珠様はまだ何を怒ってるの?」
「桂を悲しませて、その上嘘までつかせて、優菜を激怒させた原因よ」
「私は!」
何もないのだと主張しようとする桂に美珠は強い目を向ける。
「そんなに悲しそうな顔をしてるのに、何もなかったっていうの?」
「あの人たち暗守さんのことも馬鹿にしたんだ。私のせいでそんな風にいわれちゃ申し訳ないよね……あの、じゃあ私、ちょっと用事を思い出したから」
それ以上何も語ることなく部屋を後にする桂に光東は何度も何度も詫びを伝えたが、美珠の気持ちはそれではすまなかった。
*
「ああ、その話ですか」
捕まったのは国王騎士国友だった。
非番の彼は年上の恋人、珠利の部屋に緊張しながらもやってきた時、その恋人の主に見つけられて声をかけられたのだ。
「確かにあれはひどいものだと思います。団長にご相談しなくてはと思ってはいたんですが、団長がどう思っておられるかというのがわからず。なかなかその勇気はでなくて。本当に申し訳ありません」
珠利と美珠は彼の前に並んで座って事情を説明するように要求した。
「反逆者竜桧の妹」
「桂よ!」
「ああ、はい。我々は彼女の名前を知りませんので彼女を呼び時には必然的にそうなってしまうのですが、それを悪意を込めて呼ぶ人間が多いのです」
「はあ? あんたなんでそんな奴らボコボコにしてやらないのさ!」
「無茶言わないでください珠利さん、騎士同士の喧嘩はご法度です!」
「だけどねえ! はあ、情けない」
桂に何があったのか、真相を知って呆れた顔をする珠利の隣で、美珠は指先で机を何度かたたいて、そして何か決意したように立ち上がった。
けれどその裾を慌てて国友がつかんだ。
「あの! ご無礼をお許しください! 美珠様にはぜひ聞いていただきたいお話が」
「ちょっと、あんた何してんの」
珠利が予測できない行動に出た国友を止めに入ったが、国友は聞かず、美珠の前にくると頭を下げた。
「珠利さんとの結婚をお許しください」
「あんた!」
珠利はとんでもないことを言い出した国友を引き離そうとして両肩をつかんだ。
そこには喜びは微塵も存在していなかった。
顔には迷惑だと書いてあった。
けれど国友もただの男ではない、結局力でせりかったのは国友だった。
「僕は美珠様の次でも国王様の次でも、何番でも構いません。でも、珠利さんの側にはいたいんです。一日、一度でもできる限り珠利さんと顔を合わせたい。できれば、一緒に暮らしたいんです。お願いです、お許しください。珠利さんの気を抜いたひと時を僕にください」
「それは私が許可することではないでしょう」
冷たい言い方だったのかもしれない。
けれどそれは美珠が何一つ命令することではないはずだ。
「これは珠利とあなたの問題なんでしょ? 私は珠利にはもちろん、幸せになってほしい。でも、私が珠利に国友さんと一緒にいなさい、結婚しなさい、なんて言えるわけないじゃない。二人でちゃんと話あって」
珠利はこの恋にはどこまでも引っ込み思案なのは知ってる。
「珠利、国友さんとちゃんと向き合って話合うこと、これは命令よ」
珠利は余計なことをした国友をどうシメてやろうかと考えていたようで、けれども美珠と視線が合うと、気まずそうに頭を掻いた。
「話しても、もう平行線なんだけど。命令とあらば仕方ない」
*
美珠が部屋を訪れた時、優菜は酒の匂いを落とすため風呂に入ったのか体から湯気を立ち上らせ、グラスの水を飲み干したところだった。
「お酒なんてかぶるもんじゃないね、なんか皮膚からも吸収しちゃってるっぽい、ちょっと酔っ払い気味」
冗談めかす優菜の胸に美珠はぽんと頭を置いた。
「桂、嫌な思いをしてたのね。ここにいるから大丈夫だと思ったのに」
「俺もそう思ってた」
静かに言葉を紡いだ優菜の表情をみようと顔を持ち上げて、穏やかな顔をしているのだとわかると、美珠は優菜の髪に触れた。
一滴の雫が美珠の指先を濡らす。
「それにしても優菜にしては考えなしに動いたのね、苦しい言い訳までして、お酒によって人格がおかしくなるのは私の十八番よ」
「なら、俺は俺らしく、もっと時間をかけてわからないようにネチネチ嫌がらせすればよかった。でも蹴り飛ばしてたんだよな。あの人たち。桂があいつらに嫌がらせされてんの見てさ、言われてること聞いて、頭がカアッてなった。騎士は基本いい人なんだと思ってたんだけどさ」
「いい人達なのよ。敵を目の前にすると団結して戦ってくれる。でも、そうね少し前までは騎士の行いが悪いって世論は反騎士に傾きそうになってたくらいだもの」
「その辺はちょっと団長たちに頑張ってもらわないといけないところなんだね」
穏やかに視線を上げて笑う優菜に美珠は微笑み、優菜の寝台に勢いよく転がる。
「優菜のそういうところ大好きよ。謀とかいうくせに実は正義の味方みたいなところ」
美珠を追うように優菜も寝転がり、そばにある美珠のほほに触れた。
美珠はそれを心地良さそうに受けて、笑みを浮かべる。
「今回はゆっくりしてられる?」
「明日の夜には帰る、でも少しくらいなら」
思い出したように優菜は寝転がったまま手を伸ばし、鞄のなかから今日来た本当の目的ともいうべき箱をだした。
青の包装紙と銀のリボンがかかった箱。
美珠への贈り物とは思えない配色だった。
「優菜、それ何?」
「相馬ちゃん、来週、誕生日なんだろ? だから用意してきたんだけど」
手に持っている箱を見て美珠は口をとがらせる。
「え? 何?」
「用意してきたんだ。これから一緒に買いに行こうとおもってたのに~」
美珠にしてみれば、折角のお出かけの口実にしようと思ってたのに抜かりなく用意されたんでは面白くない。
二人で買い物をしたかったのだ。
どうでもいいことを話ながら街をぶらぶらする、そんなことを楽しみにしていたのに。
優菜は自分が悪いことをした訳ではないことはわかっていたのだが、性格から機嫌を取る羽目になった。
そうでないと姫のとりまきたちにまで責められて、余計なことに時間をとられてしまうからだ。
贈り物を先に用意してきたのは正直時間を節約するため。
北晋で業者に頼んでおけば、仕事場に届けてもらえる。
無駄な労力を使わずに済むのだ。
今一番何がしたいか、そう聞かれれば美珠が許してくれる限り寝ることだ。
けれどそんなこと、遊びを期待した美珠の前できるわけもなく、のんびり過ごしたい、それが優菜の譲歩だった。
美珠の手を握って、ゴロゴロ転がって、ただ美珠の話がきいていられればいい。
そう思って白亜の宮にやってきたのだが、やっぱりそれより更なる譲歩が求められていた。
「じゃあ、ちょっと外出しようよ。ね、贈り物多い方がいいだろうし」
「もういいわ、別の日にだれかと買いに行くから」
「ヒナ、むくれてないで、」
「若人ども! 心配はないぞ」
突然先生の声が聞こえて優菜の心臓は飛び出そうになった。
二人きりの部屋だったはずなのに、どうして声がする。
いつやってきたのだ。
というより、どこにいる!
体を起こして視線を巡らせると先生は姿見の前に立っていた。
そしてそのワンコ先生の姿を見て優菜は目を疑った。
今、手に持っているはずの贈り物を先生が身に着けているように思えたからだ。
用意したのは帽子だった。
絶対自分では身に着けない羽根つきの帽子なのだが、外見から入る相馬なら喜んでつけそうなので購入してきたそれを、ワンコがかぶっているようにしか見えなかった。
羽根つき帽子をかぶる犬。
―なんかめっちゃかわいいけど、いつのまに? なんで? どうやって?
優菜は押し寄せてくる脱力感に崩れ落ちそうになった。
それから手に持っている包みに目を落とす。
どこにも開けられた形跡はないのだが、けれど犬があれをかぶってるとなると入っているのはなんだ。
優菜の疑問に気が付いた先生はニヤリと笑っている。
いや、さっさとこれに気付かせたかったのかもしれない。
「それは弟子に一歩踏み出す勇気を与えるものだ」
「え? 本当に」
何かすごいものなのか、だったら帽子など安いものだ、とふんだ優菜はためらいなく包みを破る勢いで開いてみた。
怒っていたはずの美珠も隣に顔を持ってきて覗き込んでいる。
まずは真っ赤なサテンの生地が目に入ってくる。
それだけ見ていても、何なのか理解できず、赤い布きれをつまみだしてみる。
ペロンと広がったものに優菜は絶叫しそうになった。
それは、女性ものの下着。
優菜だって姉のものは嫌というほど目にしてきた。
けれどここまで卑猥だったことはない。
胸の部分の生地はどこへ消えた、紐しかないじゃないか。
「何このスケスケ」
あきれるでもなく不思議そうな美珠の声が隣からきこえてくる。
きっと美珠はこれを使う場面、そして使用目的について理解できていないのだ。
そしてそれは自分にとってあまりにも刺激が強すぎて、持っていることすらはばかられてそれをぽいっと箱に戻した。
「照れるな、童貞」
「先生!」
顔を真っ赤にした弟子を鼻で笑い、先生は何度も何度も鏡の前で帽子を確認しやがてようようと部屋から出て行った。
やっと二人きりになれたと優菜がほっと美珠へと顔を向けると、美珠はずっとそうだったかのように口をとがらせていた。
一瞬先生のせいで逸らされはしたが、不穏な空気に包まれていたことを優菜もまた思いだす。
「そんなに怒んないでよ」
「最近の優菜、つまらない。ここにきてもここでのんびりしてるだけ、私ちっとも楽しくないわ!」
美珠には本当に悪いことをしていると思う。
確かに二人でどこか行ったかと問われると最近どこに行った覚えもない。
けれど北晋からここまで飛竜でも一日。
すでにここに来るだけで旅をしてきているようなものなのだ。
「わかってる。でも、もうちょっとだけ待って。仕事ある程度けりつけたら、嫌っていうほどいられるから」
その言葉を自分にも言い聞かせてきた美珠だったが、けれど今日は腹の虫が収まらなかった。
珠利と国友に二人でちゃんと話をするように言った。
そこには自分の気持ちも含まれていた。
色々話したいことがある。
国に関する重要なことや、ただの愚痴、噂話、けれど優菜は最近そういうものを聞いてくれることもなくなった。
美珠は今や完全に待つだけの身である。
けれど身近な初音や珠利の結婚の話を目の当たりにしてしまえば、自分だって話によりたくもなった。
皆、好きな人と結ばれてゆく。
幸せそうな顔ばかりしている。
なのに、自分はただ待つだけなのだ。
自分の結婚が国民から望まれているというのに。
以前は何ら不安も、苛立ちもなかった。
双子として一緒にあった二人が真実を知り、姫と隣国の軍師になってしまうとこうもうまくいかないものなのか。
遠距離というのはこころまで離れさせてしまうものなのか。
「いつまでたっても目途なんてつかないじゃない」
優菜自身、いつ終わるかなんてわからない。
山のような仕事一つ済ませても、どこからか一つ浮き出てきてその山は減ったようには見えなかった。
よくここまで放置して、北晋が崩れなかったと思う。
おそらくそのぎりぎりを保っていたのが藤堂秀司なのだろう。
今にしておもえばやはりすごい人間だった。
「ねえ、いつになったら私達結婚できるの?」
「いやだから、それは、今は具体的な日が出せないよ」
「そんなこと言われたら、私はじゃあ人にどう伝えればいいの? 聞かれたらどういえばいいのよ! 結婚を考えている人はいるんです。でもその人は今はできないみたいでって言えばいいの?」
「まだ待って、だって戦争してから二か月も経ってない。急かさないで欲しい」
「急かすつもりはないけれど、私には立場があるの!」
「わかってるよ」
美珠がやんごとなき立場で、彼女の結婚がこの国の将来に深くかかわるものだというのは優菜にだってちゃんとわかっている。
けれど今、この時が優菜にとって重要な日々であるのだ。
ここでうまく軌道を修正しなければ父の骨身を削って作り上げた国は傾いてしまうのだ。
「それに優真だってどうするつもりなの? 優真とも遊んであげてよ、あの子に時間を作ってあげて!」
「それもわかってる!」
お互いの口調が荒くなる。
優真を他人に預けていることには十分負い目を感じている。
けれどほとんど仕事で構っていられない優菜といるよりはここで人に囲まれている方がいい。
人の好意にすがっているのはわかっているが、今はそうするしかできなかった。
「わかってる、わかってるって、いつもそう! 優菜だけがわかってても私にはわからないわ!」
美珠は拗ねたように叫ぶと部屋の扉を荒く閉めて、出て行った。
「なんだよ、くそっ!」
その一方で、一人残された優菜は拳をきつく握って立ち尽くしていた。
これだけ一生懸命にやって、どうしてうまくいかないのだろう。
あとどれだけ頑張ったらすべて円滑にすすむのだろう。
これが自分のしたかったことなのか、望んだことなのか。
ヒナの、美珠のそばにいてこんなにみじめな気持になるとは思いもしなかった。