奇縁の章 第八話 目を惹く宝石
「まあ、そんなことがあったんですか」
教皇は絵描きにぼったくられた娘を責めることもなく、ただ優しく微笑んだ。
「教皇様、もう少し叱って下さい、美珠様は分かってないんです」
「珠利、いいではないですか。そういう縁だったのかもしれません。美珠はその方を信じたんでしょ?」
「嘘はないと思ったんです」
「どうみても嘘だよ」
白亜の宮の貴人用の台所はいまだかつてないほど人であふれていた。
優真とお菓子作りの約束をした教皇、そして妻の珍しい姿を見に来た夫である国王、そしてたった一人の娘とその警護達。
そしてそこでは娘の外出の報告会が行われていた。
「人を信じることこそ、美珠様のお人柄ですからね。ああ、教皇様、そこに卵を入れるようです」
お菓子の本を片手に魔央が指示をだす。
教皇は卵に手を伸ばしそれからボウルの縁に叩きつけると何とも不慣れな手つきで卵を割った。
当然そこにはいくつもの卵の殻がの欠片が入ってしまっていた。
「ああ、どうしましょう。初めからやりなおしかしら」
「殻を取ったら大丈夫だよ」
狼狽える教皇の傍らで優真がとりなすように小さな指を突っ込む、が入り込んだ卵の殻は中々取れず、教皇と優真、二人で苦戦するその向かい側で娘は何とか卵を無難に割ってかき混ぜていた。
「あら、美珠の方が私よりも料理上手なのね。私こういうことをしたのが殆どなくて。今にして思えばやっておくべきだったかしら。でも昔、あの人にサンドイッチを作ったわ。あれが十三の時だからもう二十年も前」
「お母様がお父様にサンドイッチを?」
目を向けると父は自慢げに頷いた。
美珠は十三の母とそれよりも一回り上の父がどういう風に出会ってどういう風に過ごしていたのかは知らない。
その時、二人は愛し合っていたのだろうか。
母は愛する父のために、でも不慣れながらに頑張ったのだろうか。
教皇という重責を担う母にもそんな少女時代があったことはどこか可愛らしくて美珠は微笑んでいた。
「あ、それ優真が貰ったの、だめだよ! 取っちゃ」
一方で、優真は机の上に無防備におかれた桃色の金剛石を気にしている男へと怒鳴りつけた。
不自然なほど大きな桃色の涙の形をした金剛石を見ていた男はわかってると頷いてから、そして声をかけた。
「ちょっと手に持ってみてもいい?」
「ちょっとだけだよ」
優真から許可がでると光東は篭手を外して手で触れ、そして太陽に向けてその光などを確認して、静かに置いた。
「あの、陛下、父を呼んでもよろしいですか?」
*
「いらっしゃいませ」
東和商会に足を踏み入れて美珠姫の商品が並ぶ一角へと足を運んでみる。
そこは今日も女の子で溢れていた。
本や美珠姫がお気に入りというお茶、普段使う白粉、そういうものが並んでおり、どれもが飛ぶように売れていた。
優菜が商品の確認をしているとそばで補充をしていた少女が立ち上り、目が合ったために優菜が頭を下げてみると向うも頭を下げてくれた。
「こんにちは」
「お客様、北晋国の飴を仕入れておいたのですが」
「あ、それ嬉しいです! ちゃんと今回はお金だして買いますよ」
覚えてもらえていたこと、そして美珠へのお土産ができたことに満足して優菜は少女とへと微笑みそれからもう一つ尋ねた。
「あの、犬用の櫛ってどこにありますか? うちの先生、っと飼い犬の抜け毛が激しくて」
優菜の目をむけるほうに初音が目を遣ると店の前に黒犬がいて、入りたそうにこっちを見ていた。
初音はその犬に目を遣ると、ちゃんと賢く飼い主の言うことを聞いて待っている犬を褒め、優菜を陳列している棚へと連れて行った。
そこには木の櫛から細工物までそろっていたのだが
「うわ、こんなに種類、あるんですね。あ、これ安い」
鉄の櫛を手にしようとしていた優菜の傍で声がする。
「その柘植の櫛にしてくれ。もしくは鼈甲がいい」
「そんな贅沢な」
呟き返すと初音が遠慮がちに、けれどもはっきりと声をかけてきた。
「お客様、申し訳ありませんがわんちゃんはお店には」
「ああ! いつの間に!」
「小娘め! この仕打ち覚えておくぞ」
いつの間にか隣に来ていたワンコ先生を抱き上げて慌てて外へとだす間、呪いを呟く先生の口を押さえ、それから店先でまるでしつけているみたいに前にしゃがんで先生を説き伏せなければならなかった。
「先生が櫛欲しいんでしょ? 分かった! お小遣いで良いの買うから」
頼むぞ、と甘えた目で見られると優菜は中身はおいておいて、その外見のかわいさにやられてまた決意を新たに店に舞い戻った。
「すいません」
「いいえ、可愛いわんちゃん」
「性格さえよければね、いいんですけど」
ワンコ先生の意向と自分の小遣いとに折り合いをつけていると、そばで商品選びを手伝ってくれていた初音が楽しそうに優菜に声をかけてきた。
「そういえば、妹さん、あの本どうおっしゃってました?」
「魔法騎士は全然違うって拗ねてました。お気に入りは暗黒騎士の話みたいですね。国王騎士に至っては読んだのかな?」
「確かに、暗黒騎士のお話はよくできていましたものね」
手ごろな価格の普通の木の櫛を手に持つと「馬鹿か柘植だといってるだろう」という怒鳴り声が聞こえてくる。
隣にいた初音は何事かと周りを見回したが人の多い店、誰が声を発したかは分からないようだったが、優菜はその声の怒りにおびえあきらめて柘植の櫛を握った。
「じゃあ、これで」
若いのに良い品を買う客に初音はふかぶかと頭を下げて丁寧に包んでいると、一人の伝令が店に入ってきて、店の人間に尊大に社長を至急王宮に来させるようにと告げた。
「何かあったのかな」
「なんでしょう」
そんなやり取りをみていた優菜と王宮という言葉を聞いてウズウズしだした初音が心のうちでいろいろ妄想をして間もなく、東和商会の社長が肉の付いた体を揺すりながら髪を整えすぐに馬車に飛び乗って去って行った。
「あ、行っちゃった。私も行きたかったのに」
*
東和商会の社長は息子からの火急の呼び出しに丸っこい体を揺すりながら遣ってきた。
何か異常事態かと思いきや通されたのは台所で、そこには貴人達が集まっていた。
「な、何かございましたでしょうか」
丸っこい体を折り曲げて国王に平伏したが、王はすぐに彼を起こしてそして光東へ説明を促すようにと目を向けた。
「呼び立て悪かったよ。これ、鑑定してみて」
無造作に机に置かれたものを見た瞬間、彼の手は震えた。
「こ、これはとんでもないものでは!」
「先入観捨てるためにいっときますけど、それは美珠様が街にお忍びでいって金貨一枚でふっかけられたものですからね」
珠利の言葉に東和商会の社長は軽く頷いてポケットから手袋とルーペを取り出して日の光の下へと持ってゆく。
けれど刻一刻と体が前のめりになり、まるで宝石に吸い寄せられているようだった。
「硝子玉なら硝子玉っていってあげて、それが本人のためだから」
珠利の声に男は首を振ってそれから丁寧に机に置いた。
「いえ、いえ。これは本物ですよ。わたくしも噂だけは聞いておりましたが、実際目にするのは初めてです」
そういわれた途端、美珠と優真の目が輝いた。
今まで責められ続けてほらねと言わんばかりに。
「ものすごい代物ですよ。美珠様、これを金貨一枚で購入されたんですか?」
「ええ、相手の方がそう申し出てくださったんです。絵と宝石の代金として」
「なんと。これはわが国の国宝級の代物ですぞ」
途端にその桃色の美しいものは人の目を惹いた。
そんな彼らの前に卵で手をねちょねちょにした優真が立ちふさがった。
「これは優真のだからね。だめだよ」
「え? 国宝、そんなすごいもの手に入れたの?」
東和商会帰りの優菜は目の前で大好物の飴の味を真剣に選ぶ美珠へと向けた。
けれど美珠はもう飴に必死。
「うん、そうなの。優真ったらよろこんじゃって。でも本当に良かったのかしら。そんなものを頂いちゃって」
「相手も価値をわかってなかったのかな?」
「ねえ、優菜」
苺味を選んだヒナは包みを開けて棒を摘むと、何ともいえぬ可愛い笑顔を向けた。
それは何かの誘いだと思った優菜は心をときめかせながら美珠の腰かける寝台につつと寄ってゆく。
すると美珠もすんなり優菜を迎えて、そして優菜の腕をとると自分の体をその中へと入れた。
あまりにかわいらしい仕草に優菜は胸を高鳴らせ少し力を込めてみる。
北晋にいた時より若干柔らかさを感じた。
心地よい女性としての丸み、失恋と北晋での過酷な体験が落ち着き、ちょっとお肉がついたのかなと優菜は口にだせない推測をしてみた。
けれどそんなことを思ってしまったのが悪かったのか、
「ねえ、ねえ、どういうわけだか突き止めたいと思わない?」
「え?……別に」
彼女の関心が完全に別のところへ行っているとわかって優菜は少し頭を垂れた。
優菜としては少しくらいのお互いの進展を望んでいた。
ただでさえ遠距離、おまけに男前の昔の男が傍にいたんじゃ気になる時がある。
「呪われた、とかそういうものでもないんだろ?」
優菜が興味ないねと言わんばかりにあしらうと、美珠は飴を何度か舐めてやがてまた棒を掴んで口から出した。
「それがね、呪われているみたいなの。だから優真に持たせるなんていやなのよ」
「呪いってどんな」
優菜の背筋がすぅっと寒くなってしまう。
「持ち主がどんどん不審な死を遂げているらしいのよ。それで結局はどこに行ってたのかわからなかったみたいだけど、今優真の手元にあるのよ」
「それはどうにかしないと!」
迷信的なものはほとんど信じていないけれど、可愛い家族の手にあるというのは気持ちの良いことではない。
「でも、問題があって」
*
「いや、これ優真の!」
優真は綺麗な宝石を手放そうとはしなかった。
「優真になにかあったら心配になるでしょ?」
「大丈夫だよ」
「優真、俺、優真に何かあったらって思ったら凄く心配になるんだ。な、これは返そう。その代わりキラキラ買ってやるから」
「兎に角、これは私のなの」
優真はそれを握り締めて結局、拗ねて布団にもぐってしまった。