奇縁の章 第四話 未練
「美珠様、こんなところでどうかなさいましたか?」
酒場から戻って木の下にぼんやりと腰をかけていたら、声をかけてきたのは二年目の魔法騎士、魔希だった。
彼はあどけなく、けれどどこか色気漂うきれいな二重の瞳を美珠へと向けていた。
「あ、いいえ、ごめんなさい、ちょっと」
「何かありましたか?」
魔希は是非とも話して欲しいという雰囲気でもなかったが、思案顔の姫一人にしておくのもと思ったのか隣に腰を下ろす。
美珠はそれでも暫くだまっていた。
すると魔希は手持ち無沙汰を解消するかのように小さな小さな桃色の打ち上げ花火を手元に魔法で作り美珠の掌に持ってきた。
掌の上で始まった小さな花火大会に美珠は顔を緩めそれからやはり視線を落とした。
「ちょっと自己嫌悪に陥ってたの」
「美珠様、頑張りすぎて精神的にお疲れなんじゃないかって魔央も俺も心配してるんですよ」
「そうね、張り切りすぎてこの前、お母様について行ったときには大失態だった。絶対みなさんを失望させてしまったわよね」
「あれは不幸が重なったんですよ、それにあの場を収めるのは美珠様でなくても、団長でもよかったんです。なのに喧嘩なんてして、俺があの場にいたらとっちめてやるのに」
媚びているわけではない。
彼はそういう人間だ。
「教皇になるのだったら人に寛容でなくてはいけないわよね」
「どうかなさいましたか? 差し支えなければ」
「今日国明さんの同期の方が、国明さんと玲那を許してほしいって頭を下げられたの」
「はあ」
いまいち魔希はぴんとこないようで、もう少し言葉を求めていた。
「でも私は許せなかった。私から国明さんを奪って、そのうえその国明さんまで裏切って毒を盛ろうとしたあの女は」
「甘さと寛容は違うと思います。……美珠様はまだ未練がおありですか?」
魔希の率直な言葉に美珠は暫く考えていた。
「あるのだと思う。だってあの人を好きだった気持ちはすごく強いものだった。でも今は優菜との関係を壊すのは嫌。こんなの我侭よね」
「まあ、全ての元凶はあの騎士団長です。俺、あの時、同じこと魔央にされたら殺しにいくって思いました。それくらい美珠様が心に負われたものは大きかったとは思います。それは俺はわかってますよ」
「魔希君は優しいね」
魔希はやさしくなんてないですよ、と照れたように笑ってから一つ思いついたように人差し指を立てた。
「では、美珠様も王のようにされてはいかがです。両手にいい男を侍らせてね」
「それもいいわね。王のそういう特権を継ぐのもね」
くすくすとお互い笑い合って、おもむろに魔希は尋ねた。
「優菜というのは、あの何考えてるか分からないあの漆黒の魔法使いの弟子になったなに考えてるかわからないあの男ですよね」
「そう、可愛い顔して、底なし沼みたいなことがあるの」
美珠は声に出して笑ってからそして今なお続く幻想の花火に触れた。
「あの人がそれでも好きよ、あの人も好きでいてくれる。あの人の隣にいるのはすごく自分が自分でいられる心地の良い場所なの。こういったらどう思われるだろうとか、そういうのがなくて、ありのままの自分でいられる。優菜が好き。その気持に嘘はない。でも、まだ国明さんが誰か一人を愛してゆくのを祝福するには複雑な気持。でもあの人だって貴族のお坊ちゃまだもの、いつかそれなりの相手を選ばなくちゃいけない、でも正直見たくないわ」
誰かに話せて、そして浮気者、馬鹿者となじられることはなかったがどこかですっきりした。
こんなこと相馬や珠利に話したら、結局国明に戻るように何か工作されるかもしれない。
二人は最高の友で仲間であるが、二人は国明にとっても大切な仲間であるからだ。
「聞いてくれてありがとう。こんなところにいい相談相手がいたねのね」
「光栄です。美珠様」
魔希は最後に一つ桃色のバラのような花火を散らせて、掌の花火大会を終わらせた。
「お部屋までお送りします」
「大丈夫、すぐそこですから。今日は魔央さんのところにお泊り?」
聞いた途端、魔希は顔を真っ赤にして、小さく頷いた。
「あ、うう、はい。そうなんです」
「そう、魔希君は一途なのね、羨ましい」
*
「父上、お呼びですか?」
自宅へ久方ぶりに帰ってきた息子をたいそう愛するその父は抱きつきたいその気持ちを必死に押しとどめていた。
昔のように頬を突いたら怒るだろうか、そんなことを思いながらそっと寄って人差し指を伸ばすとその指をつかまれ、反対へと向けられる。
「痛いじゃないか、珠以」
「気持の悪いことをしようとなさったでしょう。もう俺は二十二です。そういうこといい加減にやめてもらえませんか? 貴方がそういうことばっかりするから、俺は正直恥ずかしい思いを沢山してきているんです」
「そんな照れ隠しは必要ないさ、さあおいで、ほらほら」
国明は顔をくしゃくしゃにして、そして俯いた。
それは父親にしてみれば照れているようにしか見えなかった。
いつまでたっても可愛い息子だ。
手を握ろうと近寄った麓珠から国明は三歩下がった。
「で? 用件は何ですか?」
「まあ、座りなさい」
銀糸で刺繍されたソファへ麓珠が視線を送ると長身の自慢の息子は素直に腰掛けたが、隣に腰掛けると、別のソファへと移動してしまう。
「追いかけっこがしたいのか?」
小さなころから追いかけっこの大好きな子だ。
いつまで経っても子供だな。
そんなことを思いながら追いかけると突き飛ばされた。
「父上、いい加減にしてください。帰りますよ。こっちは仕事があるんです」
「珠以がつめた~い」
拗ねてプイと顔を背けると息子はいつもご機嫌を取りにくる。
「父上、そんな子供のようなことをなさらず、さっさと話をお願いします」
一方、国明にしてみればこのやっかいな父に時間を取られるくらいなら、仕事を片付けている方がはるかにましで、一刻も早くとせっつくのだが、父親はじらしてじらして本題に入るのだ。
今日もまた
「誰のせいで我が一族が危険にさらされたと思ってるんだ? 女にだまされて、母様や弟まで危険な道を進ませておいて」
「申し訳ありませんでした」
国明にとってもそれは本当に申し訳ないことだった。
自分が不本意ながらも妻にしようとした女のせいで、一族郎党、皆処刑されるところだったのだから頭をさげても許されることではないだろう。
「おまけに、美珠様との縁談までだめにして」
一瞬にして覇気のなくなった国明をみていれば麓珠は父として、この失恋がどれほどこの子に大きな衝撃を与えたかが分かる。
本来ならば協力して何がなんでもと思うところなのだが、
「しかしなあ、よりにもよって私の剣の師匠である光悦様の孫で、今回は我々一族、その少年に助けられてしまったのだからな。私としては動きようがない。いくらなんでも命の恩人を裏切るというのは許されることではないだろう。もっと鼻水たらしたどこかの馬鹿貴族の息子であるならば消してやったのに」
「やめてください。そういうの、まるで、俺がそんな感じみたいじゃないですか」
「な、何を言ってる! お前はこの国で最も優秀な男だ。お前の右にでる者は」
「いや、結構沢山いると思います」
麓珠は謙虚な息子が愛しくて仕方なかった。
「で、どうなんだ。姫様を奪え返せそうか」
「さあ、そこは何とも。あの姫様ですので」
「諦めるのか?」
「影ながら見守るつもりです」
この息子はどうしてこうも引っ込み思案なのだろう。
喝をいれてやらなければいけない、そう思い麓珠は息子の正面に仁王立ちした。
「お前は自分の立場が分かっているか?」
「ええ。一応は」
「いいや、お前はわかってはいまい!」
麓珠はきつく突き詰めて、それから隣に積みあがった書簡を見せた。
「これはお前宛の女性たちからの恋文だ。さすが我息子、私の若い頃を凌ぐ量だ」
「突き返してくださればいいのに」
「明後日貴族達の舞踏会があるのは分かっているな」
興味ないと息子の顔には書かれていた。
けれどそこで興味を持ってもらわなくては困るのだ。
「そこで妻候補を見つけてくることだ」
「は?」
国明は眉間に強烈な皺を刻んで、睨み挙げてきた。
反抗期の時そんな怖い顔昔よくしていたものだ。
その顔を見るたび、将来に対して悲観したことを覚えている。
「分かったな。貴族の長男として、妻候補を見つけてこい。出来なければお前は修道院に入れる。騎士団長もおしまいだ」
「そんな無茶な」
「なあに、お前のその容姿さえあればどんな女でも手に入る」
親友である国王がかつて騎士団長達と美珠姫を引き合わせた時もこんな感じだったのかもしれないな。
麓珠はほくそえみながら、項垂れる息子に見下ろしていた。
*
「はあ? 修道院? それまたぶっ飛んだ話だねえ」
相馬はその夜遅く戻ってきた国明の部屋で異国の雑誌をめくりながら楽しそうに声をあげた。
親子の関係、初恋の相手、多くのことを理解してくれているこの六つ下の幼馴染はなかなかとんちんかんなことをはじき出すこともあるけれど、国明の話し相手としてはいい相手だった。
「ってか、国明が修道院? あのもっさい茶色いマント着て、どんぐりの先っちょみたいな帽子かぶって、掃除でもするわけ? 完全に俗世を捨てることになるね」
「俺は騎士として職を全うしたい。けれどあのウザイオヤジのことだ言い出したらきかないからな」
「うう~ん。確かにあの愛情表現、俺だったら嫌だな。仕事をバリバリこなされる文官の最高責任者が家族の前ではデレデレを通り越してべったべっただもんな。でも心配なさってるんじゃないの? だってさ、ぐずぐずしてたらほかの男に取られるかもしれないじゃん。さっさと美珠様に謝ってより戻したら?」
もうすでにほかの男に取られているじゃないか。
でかかった言葉をなんとか飲み込み、軽く言葉を返す。
「そう簡単にいうなよ」
「何? だったら好きでもない女と結婚して、幸せな家庭築いちゃう? ってかもうそれやったもんね。楽しかった? そんな暮らし」
半ば嫌味であろう言葉を聞き流して無理やり持たされた恋文に視線を送る。
ただの紙屑の集まりでしかなかった。
「きっとあの人ならこういうのも全部目を通すんだろうな」
「だろうね。一つ一つ『素敵』とかいいながらさ。ま、舞踏会は美珠様も強制参加だからさ、そこでくさいセリフ吐くようなよその男に取られないようにしなよ。あ、そうだ、国明」
「ん?」
「玲那とは完全に手がきれてるんだよね?」
「何の連絡も取ってない」
「そう、ならいいんだ。玲那また世界中飛び回るんだってね。俺はてっきり国明の同期と結婚するんだと思ってた」
「俺もそう思ってた」
「難しいね、女性ってのは、ってか美珠様もなんだよ、俺のいない間に恋人作ってさ。俺のお眼鏡にかなってないし」
外出着を脱いで白いシャツだけになると国明も寝台に倒れこんだ。
「それでも、話ができる、それだけでも嬉しいんだ」
以前のようにとまではいかなくても、口を尖らせたり、拗ねてみせたり、笑っていたりそんな顔が見られる。
それは幸せなことなのだと国明は知った。
「どんなに困らされてもいいから、我がまま言ってほしい」
すると相馬も隣に転がって一緒に天井を見上げた。
「それ同感、かなえてやるぞって気にさせられる。執事冥利に尽きるね」