奇縁の章 第三話 全部捨てて
「あの、珠利さん」
上目遣いで国王騎士の国友はちんまりと椅子に浅く座っていた。
まったく緊張の糸をほどくことのできないこの空間で、ピクリとも動けないでもいた。
「なに? あんた、のんびりしなよ。別に仕事でもないんだし」
「そうなんですけど、でもやっぱりここでは。だってここは王、教皇のおわす白亜の宮ですし、俺みたいな新人騎士がくつろいでいい場所ではないような」
「あんたねえ」
何度おんなじことをいうのだろうか。
珠利は正直うんざりしていた。
彼がとても気のいい男で素直で一本気のある人間であることは認めているし、そこに惚れたと言っても過言ではないが、妙に頑固なところがある。
「そろそろ慣れたらいいじゃない。別にきちゃいけないわけでもないんだしさ」
「いや、そうなんですけど、やっぱりここはどうも」
珠利が観念して彼の気持ちを受け入れるようになってひと月経った。
四つも年下の男が初めての恋人になったのだ。
ちゃんと国王、美珠、相馬には恥ずかしながらも国友とそういう関係なのだと連絡を入れて、彼をここに通してもらえるようにはなった。
が、肝心なのは彼なのだ。
「あのさあ、ここが嫌で慣れないっていうのなら無理だよ。あんた私がどれだけ美珠様に尽くす気でいるかわかってんでしょ?」
「そ、それはもちろん」
「私はここから出ていくつもりもないし」
「あの! あのそれなんですけど、珠利さん、一緒に暮らしませんか?」
珠利の思考は完全に止まった。
どれだけの時間が経ったのか。
珠利の中では数千年経った気さえがする。
「いや~、それはないね」
おろした髪を撫でつけながらやっと何とか言葉をつむぐことはできた。
相手にはそんな答えもお見通しの提案だったのだろう。
すぐさま言葉が返ってくる。
「どうしてですか!」
「だってここにいるほうが何かと便利だし」
「じゃあ、珠利さんは結婚とか考えてないんですか?」
あんまりにも悲しそうな声だった。
珠利の声もどんどん小さくなってゆく。
「結婚? そ、それは考えたことないかも。だって付き合ってまだひと月だし、あんた私よりも年下だし、新人騎士だし」
「俺は絶対に珠利さん以外の女性を好きになることなんてないんです」
「いや、そんなのわかんないしね。かわいい女の子がいたら」
きっと好きになるにきまってる。
こんなにごつくて揚げ足ばっかりとる女すぐに嫌いになる。
「また、それだ! 珠利さんは十分かわいいのに。なんでそんなことばっかり言うんですか!」
こいつ頭がおかしいのか、と思うことが珠利にはある。
あまりにも盲目すぎるだろう。
自分と国友が男女反対であったらなんだかすんなりゆく話ではあるような気もするが、正直立場が違う。
自分は姫の護衛として任じられた人間であり、自分にとっての尽くす対象は美珠でしかない。
そして国友はまだ新人の騎士。
彼の人生はまだまだ始まったばかりなのだ。
今すぐあせって結婚する必要はどこにもない。
「珠利さんにとっての一番は美珠様だってことはちゃんと理解しています。でも、珠利さんがちょっと息を抜いた時に俺がそばにいたいんです!」
「まあ、それは便利でありがたいけどね。結婚ってなったら次は子供ってなっちゃうだろうし、一人産んだら兄妹をってなって、そんなことしたら私護衛できないし。わかる? 私は姫様の傍に行くためだけに強くなった。あんたんとこの団長と志は一緒なの」
「え……? 珠利さん、子供いらないんですか?」
静かな問いかけだった。
「まったく考えてない。子供のことは」
いらない、とは言えなかった。
それでも軍人であった時はいらない、と思ってきたのだ。
彼と知り合って好きになって、そんなことを考えてしまうことだってある。
自分も彼も孤児だった。
家族には憧れて生きてきた。
国友だって望んでいるに違いない。
けれどやっと夢の仕事についた今、妊娠し、だれか別の人間に仕事を明け渡すなんてこと絶対にしたくない。
たとえそれがどれだけの人間に祝福されることであってもだ。
ここでお互いの道があわなければやっぱり付き合ってゆくことについて考えなくてはならないのだろう。
「考えてきます」
国友は静かに立ち上がって部屋から出て行った。
残された珠利は自分が突っぱねたくせに捨てられたような気分になった。
*
「何か、あったか?」
珠利が居間に座っていると声をかけたのは聖斗だった。
兄かもしれない、妹かもしれない。
そんな気持ちを抱えたまま、二人は顔を合わせているのだが、ただそれ以外にも二人には通ずるところがある。
それは主人への忠誠心についてだ。
「あの」
「ん?」
聖斗は歯切れの悪い珠利へと首をかしげた。
「今まで結婚しようと思ったことはないですか?」
「あの新人騎士とのことか?」
答えてもらえない上に言い当てられて珠利は目を閉じた。
逃げ出したくてたまらなかった。
「ああ、今口にしたこと全部さらっと忘れて下さい」
「忘れてやることは可能だが、それでいいのか。お前が結婚したいのか?」
「いいえ、向こう。ってか私は結婚したいのかな。もうそれすらわかんない。わかんないってのもおかしな話ですね。前まではそんな気サラサラなかったんですけどねぇ」
聖斗はそんな珠利のために立ち上がりお茶を入れると前において、自分の分を手に持って正面に腰かけた。
「私、お茶とかあんまりわかりませんけど、ありがたく頂戴します」
一口すするように飲んで珠利は長い茶色の髪を指でもてあそんだ。
「私は美珠様を守るためだけに強くなるって思っていきてきたのに。ねえ、聖斗さんは教皇様を守る仕事以上に人を好きになったことがありますか?」
「ある」
「どうしたんですか? その時」
「全部捨ててつれ去ってやろうかと思った。その相手にもすべて捨てさせて二人で生きていこうかと」
「そしたら?」
珠利は乗り出したが、聖斗は自嘲的に笑った。
「向こうに拒否された」
「ひえ! こんないい男捨てる女がいるんですね!」
珠利はのけぞって、それからうつむいた。
「あいつもいい男なんです。私にはもったいないくらい。なんで私なのかな。四つも年上で、おまけに軍人あがりのこんな生意気女を」
「そこまで卑下することもない。お前は自分の心に忠実なだけだ」
「あの、聖斗さん、それは兄として妹を庇ってくれてます? 過保護です」
「そうかもしれないな」
珠利はそんな心の兄に軽く笑みを向けて立ち上がった。
「ま、でも自分の一生の問題だし、ちょっと私なりに考えてみることにします。こんなの人生で一回だろうし」
「後悔のないようにな」
「はい」