奇縁の章 第一話 全五冊
美しいドレスに、美しい調べ、
目が眩むほど輝くシャンデリア、人々からの羨望の眼差し
それ以上に輝いているのは彼だった。
―私、この人を愛してる。
「ですって、なあに? これ」
美珠は口を尖らせて本を置いた。
最後の最後まで読む勇気の起こらなかった本を今、ついに読み終えた。
それは国王騎士団長と姫の本。
特筆すべきは貴族のボンボンと姫の恋は妙にお金がかかっていたというところだ。
贈り物は宝石がこれでもかと付いた特注品であるし、ドレスも美珠があまり好みではない華美なものだった。
それを嬉々として受けとっている姫が描かれていた。
どうしたらこんな風に想像力たくましく事実と反することがかけるのだろうか。
いや、まあ、恋に落ちたことは嘘ではないが。
一度伸びをしてから、隣に積み上げてあった四冊と併せ、全五冊、並べておいてみた。
「やっぱりこれね」
お気に入りは姫様と暗黒騎士の物語だ。
口下手な暗黒騎士がこれまたしとやかな姫様と恋に落ちる。
そのお互いのもどかしい心の様子が妙に感情移入させられた。
応援したくなった。
現実の暗黒騎士団長は今、自室で眠りについている。
夕方訪れた時には子分の制止も聞かず部屋でこっそりと体を鍛えていた。
が、食事の時間に訪れるとやはり本調子ではないのか彼が連れてきた少年たちと寝台で眠りについていた。
「まあ、それも悪きゃないけど、私はやっぱりこれだね。国王騎士団長と姫様の話。
あまりに真実と違って読んでて何回大爆笑して、何回鳥肌たったか」
「もう珠利ったら!」
あまり触れたくはないところであるが、ケラケラ笑う珠利に堪えきれず美珠も噴出す。
こうやって話に出来るほどもうあの恋は過去のものになったのかもしれない。
「楽しそうなお話に加わってもいいですか?」
温和な声に振り返ると仕事を終えた男が鎧を脱いで部屋に姿を見せていた。
少し茶色がかった癖毛をなでつけながら、茶色のシャツとゆるめのズボンで現われた男を美珠は満面の笑顔で出迎えた。
「ええ、ええ、どうぞ! 光東さん。お疲れ様でした」
「おや、それは姫様と騎士団長の恋のお話ってやつですね。初音から噂は聞いています。もの凄く売れているそうですね」
黒檀の棚からグラスを三つ取ると、二つに酒を注ぎ、美珠に目配せをして、水で薄めた酒を入れ手渡してくれた。
「国明の目も光ってませんし。いかがです? 実家から届いたいい酒なんですよ」
「もちろんいただきます。私だってお酒を飲めるようにしないとね」
グラスをお互いに掲げて口をつける。
木の香りが鼻を抜けた。
「なんだか、おいしい。これ」
「でしょ? 美珠様にもお酒の味を覚えていただきたくて」
穏やかな春の日のように微笑む光東は美珠の傍におかれていた光騎士団長と姫の恋の本を開いた。
「俺と姫様の恋は、基本俺が実家の仕事を継ぐかどうかで悩んでるって話でしたね。騎士団長と姫として結婚の約束をしたけど、俺の父親が突然倒れて商人を継ぐことになった俺と姫との結婚になり、色々な人が反対するっていう」
「ええ、そういう内容でした。社長さんも元気なのに、失礼な話です。嘘ばっかり」
美珠はわざとらしく口を尖らせてグラスに口をつける。
「でも、それでも俺たちは愛を貫いて結婚するんですよね。それも小姑として初音が存在して、姫に意地悪ばっかりするんです。しっかり家族構成を調べられてるのが恐ろしいですが、公人として存在するからには仕方ないことなのかもしれませんね」
小姑の初音を美珠は体験したことがある。
今では想像できないくらい意地悪な存在だったけれど、それも良い思い出。
今は大切な仲間だ。
扉が開いてまた新たな男が姿を見せた。
彼もまた仕事を終えたのか鎧を脱いでいたが、彼のもつ雰囲気はピリリとしていてどこか気の抜けないものだった。
「君も飲むかい? 聖斗」
「ああ」
それでも彼もまたここでくつろいでいるのだと美珠はわかるようになっていた。
美珠がここに帰って来てからというもの、居間にまた人が集まるようになった。
誰ともなしにいておけば誰かがきて、いつの間にか人で溢れている。
「優真は?」
「教皇様と一緒に寝ると言っておいてくれという伝言です」
聖斗は自らの手でさっさと酒を作ると静かにソファに腰掛けた。
「あの子がここに来てから、教皇様も王もそれはたいそう可愛がっておいでです。美珠様を思うように御育てになれなかった反動でしょう。仲むつまじく三人で過ごされておりますよ」
「本当の娘をここに置いてけぼりでね」
確かに聖斗の言うとおりだと思う。
父と母は今までしたくてもできなかった子育てを今優真でしようとしている。
二人で子育てをする。
そんな当たり前のことを二人はしてこなかった。
できなかったのだ。
そしてそれで優真の心が少しでも晴れてくれればと願う。
彼女の目の前で父親は嬲り殺されたのだ。
そして父親はこの国の、そして優菜の敵だった。
それはどこかで感じ取るようになっていた。
ひきつった笑いをすることがある。
それが辛い。
俯きがちの美珠の肩を抱いたのは珠利だった。
「愛しています。姫様」
男よりも男前な顔を作り上げて、そう美珠に囁いた。
「な、何?」
一同茫然としている中、珠利は膝を叩いてそれから美珠の頭を小突いた。
「何で国王騎士団長は毎夜毎夜、姫様の元を訪れて、口に真っ赤な薔薇咥えてこんなことばっかり言ってんの? ヒィ、アハハハ。超おなかいたい! こんな奴いたら、私、完全に引くわ。笑わせようとしてるとしか思えないじゃん」
珠利は空気も読まず腹を抱えて大声で笑う。
その後ろには笑われている張本人が立っていた。
「何だ、お前、何か楽しいことあったのか?」
ケタケタ笑う珠利をみて静かに国明は声を掛ける。
「うん。だってこれ読んだ? あんたものすごく気障な奴なんだよ? 度を越えててもうめちゃくちゃおかしいのなんのって」
「何だ? それ、何の本なんだ?」
「おっと知らないんだ。近頃都に流行るもの。美珠様もはまってんだよ」
「へえ」
手にとって漫画だということに気がついて、それから一度何の話なのかを確認した。
「これは?」
「姫様がどの騎士団長と恋に落ちるかで内容が違うんです。今手にもっておられるのは私と聖斗さんのお話です」
「聖斗と?」
美珠と静かに酒を飲む聖斗を見比べて首をかしげた。
「まあ、それも良く出来ていました。聖斗さんは武闘大会の優勝者ですから、この国一強い男との結婚なんです。まあ、そこもまた想像力たくましく書いてありましたけどね。聖斗さんが優勝したその根底には幼い姫との約束があったとかなんとか」
「その約束してたのは珠以なのにねぇ」
いちいちちゃちゃを入れて酒を肴にしている珠利に国明は冷たい視線を向けた。
「お前、明日国友と出かけるんだろ? 服は決まったのか?」
「っつゴホゴホ!」
「ええ? そうなの珠利?」
乗り出した美珠に珠利は毀れた酒を拭きながら顔を背ける。
「た、鍛錬するだけだよ! 特訓だよ、特訓、別にいつもの、むしろこの服でいいし」
「何言ってるのよ! 珠利! ほら、今から服を考えましょうよ。部屋で考えましょ?」
「持ってないし。美珠様と私は体型違うしね、美珠様の服なんてまず入らないし、適当に自分の服きてくよ!」
妙に早口に言い訳をして珠利は国明をにらみつけた。
「ってかさあ、そういう個人的なこと、何で知ってるわけ? 問い詰めた?」
「いいや、あいつがわざわざ断りにきた」
「も~う! なんなのさ」
皆でささやかなことを笑っていられるそれはとてもうれしいことだと美珠自身実感していた。
こんな日々がまた戻ってきたのだ。
「国友さんは真面目に珠利とお付き合いしてるのよ。ああいう方は裏切らないわ、絶対そう思うの」
別に他意なく言った言葉だったが言ってからそれはとても棘のある言葉だったことを思い出してそれ以上口を塞いで美珠は酒を啜った。
一方その棘が思いっきり刺さった男はあえてそのことに触れず美珠からもっとも遠い場所に腰を下ろす。
誰もが気まずい思いをすることがわかって美珠は自分の浅はかさを悔いたが、もともと悪いのは自分じゃない。
ころっと騙されたあの人の方なのだから。
「酒は飲んでも飲まれないでくださいね」
そのくせ棘でなく釘をさされて美珠は口をとがらせた。
*
「姫様、今日、ちょっと行きたいところあるんだけど」
朝議の前に現れた相馬は侍女に髪をたっぷりと時間をかけて梳いてもらっている美珠の真後ろに立って、確認するように自分の髪をいじくっていた。
「いいわよ。でも、珠利のお出かけを邪魔するのだけはやめてあげてよね」
その言葉を聞いて相馬は頬を膨らませ、困ったように頭を掻いた。
「ああ、ガサツ女がいないのか。困ったな、外に出られない」
外に出られないのは相馬ではない。
自分のことだ。
美珠は相馬へと振り返ると、相馬は口を尖がらせて鼻と上唇の間に鉛筆をはさみ器用に口を動かした。
「困ったな、あんまり日がないんだけどな。明日は姫様の予定が詰まってるし」
「何よ? 一体」
話を振ったくせに訊きたいのかという目を向け相馬は鉛筆を黒皮の手帳に挟んで閉じ、美珠をみつめた。
その瞳には冗談っぽいところがなにもない。
「何? 悪い話?」
「う~ん。そうじゃないんだけどさ、玲那がさ、この国を当分の間、去るらしい」
世界の歌姫と称される女の名前は美珠にとっては大嫌いな名前だった。
自分から幸せな時間を奪い、王の命を狙ったとんでもない悪党だ。
「確か彼女は思っていた人がいたんではなかったかしら? その方と一緒にいられるわけではないの?」
その悪党の恋の話を美珠は牢の中で一方的に聞かされた。
彼女は奴隷として買われた家の主の子を妊娠していたが、想っていたのは年下の主の息子だった。
要約すればそういうことだった。
辛い身の上だったことはわかったが、だからと言って彼女の行動は許せなかった。
「そこがいまいちわからなくて。相手は国王騎士杜国、国明の同期なんだけどさ」
「同期」
「そう。同期で同じ年」
初めからその女が素直にその男の元に走ればよかったのに。
同じ年の騎士であり、団長という職についている国明にまで、彼女はちょっかいをかけたのだ。
彼女の中では国明は好きな男の身代わりでしかなかった。
そんな気持ちで自分の幸せを崩した女にやはり親切にしてやる気は起らなかった。
「でも玲那の子供はその方の子供ではないのよね。その方の父親との子だって、そこは決着したの?」
「全然わからないんだ。ねえ、玲那にちゃんと話をしておきたくない? この国を出るのはどういう心境なのか。ってか国明とどうなったのかって」
「別に興味ないわ」
「うそ!! 本当に? 飛びつくと思ってたのに」
心底驚いた相馬の言葉に美珠は侍女が髪を結いあげるのを待ってから声を出した。
「まあ、団長としての国明さんとどうなったかは少しは気になるけれど、私玲那にそんなに興味がわかないの。だって自己中心的すぎるんだもの。彼女のその背景を知ってもね」
「おせっかいだけが取り柄なのに」
使えないとあからさまに顔に表した執事に美珠はあきれたような顔を向けた。
「ほんと失礼な人ね」
「わかったよ。わかった。じゃあ、ガサツ女もいないし、俺だけで調べてくる」
外にはいきたいけれど、なんだかあの女のことで自分の労力を使うのは嫌で、そしてあの女に直接国明とはどうなったんだと聞くことなんてさらに嫌で、美珠はぐっとこらえることにした。
相馬もそこまでくると姫の玲那嫌いを理解したらしく朝議を済ませると、何度も念を押して外へと出て行った。
珠利もいない、相馬もいない。
久しぶりの一人っきりの一日が始まった。