暗黒の章 第十二話 貴方の気持ち
円形の闘技場の真ん中に向かい合って立たされた子供たち。
そこには人々の好奇の中に取り残され剣を持ち立ちすくむ兄と弟がいた。
闘技場の主催者からは人々を煽るように兄弟だということがしつこいほど何度も伝えられていた。
暗守はその宣伝文句と影に気が付いた瞬間、どうすればいいのかを考えた。
二人を救うためには何をすればよいのか。
彼らを救い出そうと舞台への道を塞ぐ鉄柵を銅剣で叩いたが、もろい剣が折れただけだった。
その間にも二人は人々の殺せ殺せという無情な叫びを受け続けていた。
どちらかを殺さなければ終わりはこない。
戦えずにそこにいれば腹をすかせた獅子が放たれ、観客の愉しみとしてだけのためにどちらも殺されてしまうのだ。
彼らには何の選択肢もない。
暗守は必死に彼らの元へと行く道を探した。
ーここで何かを変える
そう思いながらも何も変えられなかった。
そしてこんな自分を慕う懸命に生きるこの小さい命すら守れないのか。
何一つ守れずにここで死ぬのを待つだけなのか。
必死に彼らのもとへと行こうと鉄柵に体当たりしていると、どちらかの影が剣を構えた。
「よせ! お前たちが戦う必要はないんだ!」
暗守の声は群集の声にかき消された。
「すぐ行く! 私がお前たちを」
助けてやる!
そう叫ぶ前に突然どちらかが倒れ、もう片方は動きもしなかった。
「ここを開けろ! 誰か助けてやれ」
鉄の扉を叩いて叫んだが、そんな願いは聞いてももらえない。
歓声に包まれているだけだ。
長く長く感じる時間の中、体重をかけ鉄柵に何度も何度も体当たりした結果やがて楔が緩み扉が開いた。
駆けつけると怪我をしているのはどうやら兄で、その兄の腹からは血が広がってゆき、立ち尽くしたままの弟の方は死んだようにピクリとも動かなかった。
すぐさま兄へと処置を行おうとしたがこの目ではどういう状況なのか詳細には把握できず、その上楽しみを奪った群衆からは野次がとんでくる。
次々に物が投げ込まれ、それで怪我をしないように弟の方を腕の中に庇って思った。
この国はここまで腐っていたのか。
こんな非道なことがまかり通るのか。
教皇や騎士が守り作り上げる国はこういうものなのか。
子供にこんな思いをさせるために戦い続けたわけではない。
「こんなこと許されるはずがない」
どこかの鉄扉を開く音が聞こえた。
「何だ」
耳をすませる。
助けではなさそうだった。
人々の怒声の中に潜む獣の息遣い。
それは一つでもなくいくつか。
闘技場の支配人にとってはそろそろ暗守を始末しようとした矢先の好奇だったのだ。
奴隷の子供を庇う奴隷男がどこまで獅子相手に戦えるのか。
今度はそういう見世物がはじまったのだ。
「お前はお兄ちゃんの傷口を抑えるんだ」
「おじちゃん」
「絶対にお前たちを助けてやるから」
うぬぼれではない。
使命だった。
「暗黒騎士の名にかけて」
「騎士?」
武器はないが、鍛えた体はある。
何のために鍛えたのか、それは紗伊那の民を守るためだ。
まずかかってきた獅子を一発殴りつける。
次は右からの気配だった。
飛びかかった獅子に子供の持っていた折れた銅剣を食らわせると、そばで子供が叫んだ。
「おじちゃん、左も!」
間に合わない!
そう思った時、何かが頬をかすめ、獅子の眉間に突き刺さった。
獅子はそのまま動かなくなった。
「このようなこと、教皇様は絶対に許されない」
抑揚のない声、その声の主はかつての仲間だった人間だ。
ちょっと前に最初で最後の大喧嘩をした騎士だ。
「聖斗、お前か」
「お前は教会の騎士として職務を果たした」
「偉そうに」
教皇以外には口の聞き方を知らないのかと思う事がある年下男だ。
けれどこの男もまた教皇の志を忠実に実践する男だった。
「お前どうしてここに」
「暗守さん」
女の声だった。
その声に体が、いや魂が震える。
「まさか、こんなところまで」
「暗守さん」
見慣れた影が目の前にあった。
目が見えなくとも、影をみるだけで誰だかわかる。
その可愛い声がまた自分の名を呼んでいる。
その影から伸びた手に引き寄せられて、何かを押し付けられた。
重みでそれがなんなのかすぐに理解した。
「ちゃんと貴方の気持、もってきましたよ。この斧は教会の前に忘れてありました。よっぽどいそいでらしたんですか?」
捨てた、という位の気持ちでおいてきた。
けれどそれを彼女は運んできてくれたというのか。
「帰りましょう。ね?」
頷くこともできずにいると傷を負った少年がかすかに動いた。
そうだ、彼らを助けてやらなくてはならない。
自分の子分たちなのだから。
「ええ、帰りましょう」
美珠から今わたされた最高の相棒、斧を握り立ち上がる。
鎧はなくとも戦意はわきあがってくる。
この斧とともにどんな苦難とも戦い続けてきたのだから。
*
「気に入らないな」
「な、何をおっしゃいますか」
長い足を組んで会場を見ていた貴族の言葉に支配人である男はひやりとした。
この国で王家に次ぐ地位をもつ格式ある家のご子息が初めてやってきたと思ったら、こんな事態。
折角盛り上がるように兄弟の戦いを催したというのに、ここで失敗するわけには行かず支配人は手際の悪さに焦りながらも、自分だけはキビキビと動こうとしていた。
「い、今すぐに片付けます」
「ああ、今すぐにどうにかして欲しい」
その貴族はさもつまらなさそうに肘おきにもたれかかり、そして隣の少女に向かって声をかけた。
「あの方の御代になるまで待つ必要もない。今消せばいい」
少女の方は少女の方で品のよさ気な桃色のドレスを身につけていたが、顔は至って不機嫌だった。
「それは、私の言葉の返事と受け取ってよろしいですか?」
「あの方の心を苦しめるものがあれば取り除く。それは俺の使命でもある」
冷え冷えする切れ長の瞳は一体どこを見ているのか全くわからなかった。
「ヒナがいなくなるとそんな顔するんですね。人のよさ気な顔の裏で一体何考えてるんだか。いつか俺まで消されそうだ」
「さあ、な。どうだろう。君があの方を裏切らなければそんなことは起こらないと思うがな。それに俺の持ってる黒さなんて、君の持ってるものに比べたら可愛いものだろう」
席につくときは恋人同士だと語っていたはずの男女の間に冷たい空気が流れる。
その彼らの視線の先では獅子八頭と仲間達が戦っていた。
「ってか、何で俺がこんな格好。ええ、ええ、まあ分かってましたよ。ヒナがここでじっと見てる人間でないことくらいね」
国明が自分の家の名を出し、恋人とのお忍び旅行だから内密にと特別席での観戦を取り付けたまでは良かったが、決まらないのは恋人役だった。
美珠は暗守を捜しに行くと譲らなかったし、そうなると珠利は護衛になると譲らなかった。
残されたのは男ばっかりで、必然的に女としても充分通用する優菜にその役が回ってきた。
優菜は旅について先に思い巡らせ、貴族の旅行であるから恋人役が必要だろうと珠利にでも着せるつもりで大きめの美珠のドレスを数点、出発するときに鞄に詰め込んだが、まさかそれを自分が着ることになるとは思わず、拗ねていた。
「だからって、何で俺たちが恋人役なんだか。一番ありえないと思うんですけど」
「あの人はそういうの気がついてないんだろう。他のやつらは絶対に楽しんでる」
「でしょうね。でも、こういうところ、気に入らないのは同感ですね。貴族っていうのはこういうのみて、何がたのしいんでしょうかね」
「我が家にはそういう趣味は昔からなかったと聞いている。だが、黙認してきたのは事実だ」
支配人の男はこの二人の言っていることが自分達の利になることではないと感じ始めるとどうするかを考えた。
ここに来たのはお忍びだと言っていた。
いいカモが来たと喜んでいたのに、これはまずい。
どうにかこいつらを消すことができれば、まだ自分達は仕事を続けられる。
けれど振り返ると貴族のぼんぼんの瞳は自分をとらえていた。
それも強烈な悪意のこめられた瞳で。
支配人は今にも失禁しそうな股間を抑え精一杯叫んだ。
「言っておきますが、わたしんとこは何も違法なことをしてるってわけじゃない。あんたらは何もできやしない」
「ですって。どうします? 貴族の坊っちゃん、貴族全部敵に回しても姫様の味方しますか?」
女に見える方は挑戦的な瞳を男へと向けていた。
「それでもいいが、ほら、もう終る」
突然空が翳ったかと思うと、獅子を何か鋭い爪を持った赤い何かが掴み、宙に浮かせた。
「ああ、王都との連絡間に合ったんだ。 ってかなんで! ありえない、この国の人はなんでこうもホイホイ」
優菜は楽しそうに空を見上げ、それから地上を移動するたくさんの影に呼吸を止めて目を見張った。
相棒の真紅の飛竜から舞い降りた女は飛び降り暗守へと一目散に走った。
「暗守さん! 大丈夫ですか!」
暗守はその姿に一瞬兄を思い浮かべたが、それは妹のほうだと気がつくと何度も頷いた。
「桂、君まできてくれたのか。ああ、私は大丈夫だ、それより、この子をどこかいい医者のいる街に」
「医者ではないが手を貸そう」
その声の主だって知っている。
どうしてこんなところまでやってきたのだ。
「魔央、お前まで」
それと同時に沢山の足音が聞こえた。
聞きなれた竜の足音だった。
「教皇の忠臣である暗黒騎士団長が何者かの襲撃を受け、ここに監禁されているという密告があった。騎士団長を監禁するなど、教皇、そしてともに国を統治なさる国王陛下への反逆行為。加担したものは厳しく処罰する」
そんな声を張り上げるのはいつも王都で留守番させられる団長。
純白の温厚な男だ。
彼までここにきたのなら王都は空っぽではないのか。
ただの騎士団長、それすら辞めたはずの自分の為に彼らは何をしているのだろう。
「お前たち、揃ってここにいては」
そうしかりつけようとしたその鼻に嗅ぎなれた香りが入ってきた。
視界に白い衣が入ってくる。
慌てて顔を持ちあげると輪郭はぼやけて見えなかったが、その存在は強烈に理解できた。
「貴方は一人ではありませんよ。どうしてそれが分からなかったのです?」
「教皇様」
許してほしいと頭を垂れることしかできなかった。
「顔をあげなさい。皆、貴方を想い、ここまで迎えにきたのです」
顔をあげ教皇を見ようとすると彼女は暗守の手を引き背中を押した。
目の前にいるのは黒い一団だった。
自分が率いた暗黒騎士団だった。
「お前たちまで」
どうして自分の為に皆ここまでしてくれるのだろう。
「どうして」
こみ上げたものを押し込めようと俯くといつの間にか傍で佇んでいた少女は暗守の手を取り嬉しそうに声をあげた。
「そんなの決まってるじゃないですか。皆暗守さんが好きなんですよ。一人でどんなことを想われているのか、すごく心配したんです。帰りましょう」
たった一人のこんなろくに戦えない自分をどうしてここまで思ってくれたのか。
彼らに感謝の気持ちしか湧き起こらなかった。
そして自分のためにも、彼らの期待に応えるためにも、また戦える体に戻りたいそう強く思った。
この国のために、そして知り合うことのできた子供たちのためにも戦わなければならないのだ。
「ええ。私も帰りたい、帰りましょう」
*
「奴隷じゃなかったんですね。貴方は」
「ああ、そうだ。こんななりはしているが」
「へえ」
束の間ともに過ごした女は別に笑いもしなかったし怒りもしなかった。
「よければ王都にこないか? 教会の仕事なら紹介してやれると思う」
「そこだったら、もう、一緒にいる人が、好きになってずっと一緒にいたいって思った人が死ぬことはありませんか?」
「死はいつか人に訪れる。けれど君が思っているよりも穏やかな時間を送ることができるはずだ」
今までどんな暮らしを送ってきたのか、少女もまたたくさん涙を落として一つ頷いた。
「へえ、あの闘技場潰れたの?」
相馬の言葉に暗守は頷いた。
「騎士団長を監禁した。その上、教皇、国王ともに闘技場に関しては廃止の方向にという強い声明を出された。噂好きの貴族たちが、あえて自らの家を名乗りもうそんなところに足を運ぶわけはないだろう。確実に規模は縮小される、ただこれはまだ氷山の一角だ。あそこにいた奴隷達の中には別の闘技場に移された人間もいる」
「いたちごっこにならなきゃいいけど」
「ね、先生、これでいいの?」
「ああ、それでいい。コトコトにこんでくれたまえ。おい、そっちのお前たちは綺麗に洗えたか?」
暗守の部屋の隅っこではワンコ先生がわざわざ魔法で造ったおどろおどろしい悪魔の口をしたかまどで子供が暗守の薬草を作っていた。
優真だけではなく暗守が引き取った元奴隷の少年二人。
彼らもまた教会の庇護の元で暮らすことになった。
「はい、先生」
少年二人もまた生き生きと笑ってワンコ先生の言うことをきいていた。
誰でもなく親分のため、二人はひどい匂いのする草を一生懸命洗っていた。
「うむ、じゃあ、それをその鍋に入れてよおく煮てくれよ。その後は皆でおやつの時間だ」
おやつという言葉に俄然やる気を出した子供たちを暗守の部屋にいた教皇と美珠は優しく見守っていた。
「とても凄い匂いがしますけど、暗守さんちゃんと飲んで下さいね。ワンコ先生の作るものはきっと癖があっても間違いはないはずですから」
「ええ、また職務に復帰できるように」
教皇もそんな暗守の誓いをきいて顔を緩めた。
「期待していますよ。では仕事にもどります」
仕事の最中に顔を見せた教皇は暗守やワンコ先生に視線を向けて、それから美珠へと微笑んで出て行った。
美珠はその背中を追いかけた。
「あ、あの、お母様、あのこの前はごめんなさい」
「何のことかしら」
聖斗との仲を疑ったこと。
母親がとぼけているのか、本当にぴんとこないのかはわからなかった。
「とにかくごめんなさい。それに、あと、私絶対、お母様みたいに強い人になるわ。また失敗するかもしれない。けれど絶対にくじけない、進むのをやめたりしないわ」
「私は強くなんてないわ。でも、そうね、私には王がいて、貴方がいて、騎士がいて民がいる。だから保っていられるの。貴方だってもうその気持わかっているのでしょう? それがわかっているのなら、貴方はきっと私よりもすばらしい教皇になれるわ」
買いかぶりすぎ。
美珠はそう思ったけれど、母にそう言ってもらえたことが嬉しくて目じりをさげた。
「また、連れて行って下さいね。お母様みたいになりたいから」
教皇はうれしそうに笑って部屋の外で待っていた聖斗に警護されながら仕事へと戻っていった。