暗黒の章 第十一話 願い
「食べるか?」
二人は渡された焼き菓子をポカンと見ていた。
「何これ、おじさん」
弟の方がこれが何か皆目見当付かない、そんな感じで暗守に問いかけてくる。
きくにまだ十と八だというから自分と二十ほど違うことになる。
おじさんと呼ばれるのも仕方のないことか、屈んで二人と目を合わせた。
「それは胡桃入りの焼き菓子だ。おじさん甘いものはすきじゃないから、二人にあげようと思って」
二人は顔を見合わせて暗守の大きな掌からそれをとると、お互い顔を見合わせて、口にいれて目を見張った。
「おいしい、おいしいね、兄ちゃん」
「うん、おいしい」
「また持ってきてやるからな」
ここではそれなりに実力をつければ派閥のように何人かの子分を従える奴がいた。
ここでしか威力をもたないどうしようもない集団だ。
子分なんて欲しいとも思わない。
きっと彼らは部下であった騎士のように忠誠心などないだろうから。
派閥も子分も要らないが、この身寄りのないものを放っておくことはできなかった。
他人が見たらとてつもなく小さな派閥なのだろう。
「おじさん、ありがとう」
「ありがとう」
その笑顔はどんなものなのだろうか。
暗守は彼らの笑顔をみてみたかったが、それはこの不自由な目ではかなわない話だった。
「ねえ、おじさんは剣を使うの?」
少年達と出会って三日、尋ねてきたのは兄のほうだった。
「いいや、おじさんは斧が得意だ」
「じゃあ、何で斧を使わないの?」
尋ね返したのは弟のほう。
悪意のない質問に少しためらったが、彼らの無垢な瞳にはちゃんと答えなくてはいけないそう思った。
「斧はおじさんの誇りだったんだ。斧と仲間さえいればどんな敵でも倒せるそう思っていきてきた。でも、それはもうできなくなってしまった」
「どうして?」
「体がもうついていかない。いや、心ももうついていかないんだ」
きっと分からなかったのだろう。
二人はふーんとだけ言って暗守の手を握った。
この二人にとって自分は同胞であり、たった一人の頼れる大人なのだろう。
「おじさんの髪の毛、かっこいいね。それ染めた?」
「いいや。これはもともとだ」
かっこいいなどとそんな言葉を掛けられるとも思っていなくて少し気恥ずかしくなった。
けれどこの髪を姫は褒めてくれていた。
いつも見上げて目を細めてくれた。
離れていても、何をしても思い出すのは姫のことばかりだった。
一度たりとも自分へと向いたことのない気持ちであったが、彼女を心の中で思うことをあきらめるのはもう不可能に思えた。
心の中くらいなら許されるだろう。
暗守は自分へと向けられていたまぶしい愛する姫の笑顔を思い出していた。
「おじさん、どうしたの?」
「いいや、少し思い出していただけだ。さてと、稽古するか」
「うん」
たとえ自分がここで死んだとしても、彼らが生き残れるように、
そして願うならば美珠の御世まで彼らが生き残り自由が得られるように、と暗守はそれだけをただ祈っていた。
「おめでとうございます」
少女はそう言って出迎えた。
勝利を重ねまた格が上がった。
優勝まであと数戦。
今、まさにこの闘技場で最も強い剣闘士は自分だった。
うぬぼれではない。
それはこの国を守る栄光の騎士団長なのだから当然でしかない。
優勝すれば願いを聞いてもらえる。
ただそれがすんなりといくわけではない。
盛り上げて盛り上げて、人々に期待をさせて、その挙句どんな手を使ってでも殺されるのだろう。
そのほうが観衆も盛り上がるからだ。
だとしたらもう時間がない。
自分の体だっていつまでもつかわからない。
暗守はお湯を運ぶ少女を引き留めて一つ確認をしてみた。
「君は優勝者を見たことがあるか?」
「え? あ、いいえ」
少女は首を振った。
けれど彼女はそのからくりに気が付いてはいないようだった。
「でもこれだったら暗守さんは優勝なさるんじゃありませんか? 何を願うんです?」
「そうだな。願うとしたら、この闘技場の閉鎖と奴隷の解放」
しばらくの沈黙だった。
そして次に聞こえたのは乾いた笑い声だった。
「そんなのはかないませんよ。きっと聞いてもらえたとして、あなたが奴隷でなくなることくらいではないですか? 平民がそんなこと聞いてくれるわけがない。この世はあの人達がいいようにできてるんです」
「そうかもしれない。でも中には奴隷制に反対する人間だっている」
「教皇とかいう人ですか? 本当にそうなんでしょうか? だってあの人は王の奥さんなんでしょ? 私達の先祖を蹂躙した国王とともにいた教皇の子孫が奴隷制を反対するなんておかしな話だわ」
彼女の言うことも一理ある。
ただ教皇は国王の妻であっても、独立した存在なのだ。
教皇は教皇として、確固たる信念を持って奴隷制を根絶しようとしている。
そのことを何度もその後、彼女に伝えたが、彼女はまるで暗守が理想に取りつかれた人間のようにあしらい、興味なさそうに入浴の支度を整えてゆく。
「聞いてくれ! 教皇様は芯の強いお方だ。あの方は心の底から奴隷制を」
「さ。お支度できました」
「信じてほしい。教皇様も姫様も現状を良しとしておられない。それだけは」
「はいはい」
彼女にとって今どうでもいいことでも、でもいつかそれを信じてくれたらありがたい。
暗守は王都へと気持ちを送りながら眠りについた。
そしてこの世はなんと非情なことか、
次の日、暗守が生きてほしいと願い続けた少年達は敵として闘技場の中央に立っていた。