十 聞きたかった音、聴きたくなかった声
結局あれは私の勘違いだったようだ。
それからというもの、あのような電話はかかってこなかった。
いろいろな事がありすぎて、ちょっと過敏になっていたのかもしれない。
すこしその「いろいろ」が落ち着いて、ふと思い出した。あのこと・・・。
私が病院にいくことになった前日のことを・・・・。
私はあの日見たことを「いろいろ」よって忘れることができていたが、
ふと、こう落ち着くと思い出してしまう。
あの後彼らはどうなったのだろう・・・。
「はぁーーー。」
深いため息をつく。どうせなら思い出したくなかった。
・・・。それでも私は学校に行く準備をする。
まだ、走るときに聞こえる風の音も聞いていないし、学校も楽しくなってきたところだ。
できるだけ避けよう。
そういえば最近、亜貴斗とは会っていない。
多分すれ違っても気づいていないだけだろうが。
むこうから話しかけることはほとんどないし・・・。
私は学校の大きなかばんを肩にかける。
「父さん。行ってくるね!」
「は~い。行ってらっしゃい。」
スーツ姿の父さんに見送られ早歩きで向かう。
「ここの世界は空でドラゴンと、海でまた別の世界につながっている・・・。
ドラゴンとここで言う海であるシーマリズによってまた別の世界がつながってる。
それで、私たちは自然。ドラグルスは魔法、それから・・・。」
「ええと、じゃあここのページ桜夢さん。・・・は耳が聞こえないのだったわね。」
思わず異世界のことに夢中になっていた。授業も聞かないと・・・。
「せんせー!桜夢さんは~この間の欠席のときに耳が聞こえるようになったんですよ~?
聞いてないんですか~??」
また田名部だ。くそ。いつも邪魔ばかりしやがって・・・ってこの前のは勘違いだったんだ。
「じゃあ、桜夢さん?98ページの7行目から10行目のこの文、読んでくれるかしら。」
「は、はい。」
私はあわてて、教科書に書いていた落書き・・・というか世界についてのまとめを消し、
黙々と音読し始めた。
学校終了のチャイムが廊下に響き渡る。
我が校舎は廊下がとてつもなく広いので音がとにかく響く、響く!
私はチャイムがなり始めるとともに教室を出た。
今日こそ部活に出るんだ!
部室に向かおうと廊下を走り出すと、ある二人が同時に私の視界に飛び込んできた。
まあよくあるパターンだ。
二人と言ったら彼らしかいないだろう。
私がドラゴンの巣になる前日に見た亜貴斗くんと、凜禰だ。
本当のところ、彼ら二人だけが見えたわけでもないし、
彼らが一緒にいたわけでもないのだが、私の目はその二人しか捉えることができなかったのだ。
私は思わず振り向く。
すると、亜貴斗くんと目が合ってしまった。やばい!
「あ!おい!美智霞?ちょっちょっと待てよ!」
その場から逃げ出してしまった私は部室に逃げ込む。
いくらなんでも男子だから部室には入ってこないだろうから。
私は着替えを終えて暫くした後に、ドアを少し開けて隙間から外をのぞく。
しかしそこには誰もおらず私はほっと胸をなでおろした。
「だ、誰もいない??」
安心してようやく、ドアを開けてみたところ目の前には、
普通そこにいたら変人扱いされる性別の方が!
「亜貴斗くん?」
いまだに彼は息切れしていて膝に手をつき、私を見上げる。
「みっみみ、聞こえるようになったんだって?教えてくれてもいいじゃんか
小学校から仲良いんだからさ」
彼は爽やかに、にこやかに笑う。
その笑顔を見ると思わず今までの嫌なごちゃごちゃした気持ちが吹き飛んでしまいそう。
私は少し困った顔をしてさびしげに答える。
と言うより尋ねるの方が正しいが。
「仲良い?」
「え?違った?」
きょとんとした声ときょとんとした顔で私を見つめる。
違わないと良いんだけれど、どちらにせよ
私はあのことが忘れられないから。凛禰・・・。
あの事さえなければ・・・。
いや、無くてもきっと『仲がいい』だけで私は満足できないだろう。
私はうつむき黙りこむ。彼にこんな顔見せられない。
しかし今となっては、なんだかこんな事もどうでも良くなってきた。
・・・どうせこいつはあの子のこと好きなんだし、
今言ってるのだって所詮くどき文句とかその程度のこと。
私の顔が歪んでいく。心も・・・。
好きになってもしょうがない。
「んじゃ、部活頑張れよ!」
しょうがないのに・・・。
さっきまでの歪んだ顔も心も彼の顔を見るだけでほぐれていく。
顔が赤らむ。涙だけは抑えないと・・・。
嫌な奴・・・でも、・・・好き・・・。
「うん・・。ありがとう。頑張る。」
私はちからなさげに小さく微笑み手を振る。
それを見てほっとしたように笑い亜貴斗くんは走り去っていった。
私はそれを最後まで見送る。まるで最後の別れというかのように。
「バイバイ・・・。」
亜貴斗クンの笑顔を思い出し再び小さく微笑む。
結局本当に付き合ってるのかとかそういうことは聞けなかったけど、
心の中にへばりついていた、わだかまりは少し解けた気がする。
なんだか心が軽い。
「・・・・・。よしっ!」
私は気持ちを切り替えてランニング用のシューズに履き替える。
靴紐が解けないようにきつく結び、一人ウォーミングアップを始める。
一人で体操するのは少々恥ずかしいが、怪我しないためだし、もう慣れた。
私は校舎の周りを20周ペースを決めて走ることにした。
わくわくする。まだ自分が知らないもの。聞いたことの無いもの。
呼吸を整え、体を前に倒す。
『ピピピッ』
時間を測るための腕時計が鳴った。
「はっはっはっ」
規則正しい呼吸音が私の耳に入ってくる。
風。風は・・・。
『ヒュ~』
一瞬あっけにとられた。『なんだ・・・。』と。
私が退院した日に聞いた音となんら変わりは無かった。風の音は。
しかし私が聞いたのは風の音だけじゃなかった。
自分の呼吸音。風の音。私の足音。野球の掛け声。髪が風に揺られる音。
ほかの人の足音。さらには車の音さえ。
私の耳に入ってくるすべての音が、互いに協調し合い、
すばらしいハーモニーを作っている気がした。
風の音はどこで聞いても同じかもしれない。
しかし、確かにこの音たちと一緒に聞いた風の音は格別だった。
私は気持ちよくなって、リズムに合わせるように走り出した。
顔が笑っているのが分かる
幸せだ。なぜ皆こんなに身近にある幸せに気づかないんだろう。
不思議だ。
私はそのまま時間も忘れ、20周を超えて走り続けた。