願いをかけて2
手を繋いだまま話をした。涙は枯れて、目から溢れていたのは溜め込んでいた気持ちだけだったみたいで、彼はぽつりぽつりと離れていた時間を取り戻すように話しはじめた。
「母親が出て行ってから、自分がどうしたいのかよく分からなくなってた。知ってると思うけど、妹だけは連れていったんだ。それって、俺は母親にとっては要らない存在だってことだったのかな。そう思うと・・・何もかもめちゃくちゃに壊してやりたくなるんだ。それで親父と衝突した」
その時の彼の気持ちや、様子が目に浮かんでくる。現場を知ってるわけじゃないが隣の家が騒がしくなった時期を、鮮明に思い出せる。ずっと心配していたのだから当然だ。
「外でも家でも喧嘩ばっかして、いつの間にか俺とおやじの関係は崩壊してた。家に帰っても、食事も別々で本当に必要以上のことは喋ってない」
「じゃあ・・・今回はどうしたの? ずっと話してなかったのにいきなり喧嘩になるなんて」
いつもとは事情が違うんだろうか。それとも、今みたいにただ気持ちが爆発しただけなのか。彼は口をモゴモゴさせると、すぐ引き締めた。
「俺・・・会いにいきたいんだ」
誰に? と答える前に彼が視線を向けた。
「手紙が来たんだ。母親からだった。ずっと俺をここに一人置いてきたことを後悔してるって、それから今すんでるところの地図が入ってて・・・一緒に暮らさないかって」
驚いて、繋いでいた手を緩めてしまった。それに気付いた彼が、隙間を埋めるようにぎゅっと握り返してくる。
「正直、迷ってる。母親のことを、許せなかったけどずっと会いたかった。親父は温かい人だったけど母さんが出ていってから・・・別人になったんだ。あんな人の傍にいるくらいなら母さんや、妹に会って一緒にいたいと思うんだ」
「でも、それじゃおじさんは・・・一人よ?」
あたしが言うと、彼は黙り込んでしまった。きっと何日も前に届いた手紙なんだろう。今日までずっと考えて、答えを出したんだ。こういう時って、あたしどの立場からモノを言えばいいんだろう。幼なじみだから、彼が望むようにしてあげたらいいのかな。それとも、女の子として・・・。
「とりあえず、会いにいくよ。親父に反対されて殴られたんだけどな」
口元を指でなぞりながら、力なく笑った。やっぱり迷いが残っている。でもあたし、曖昧な返事をしてしまった。自分でも、複雑な気持ちを抱えていたから。
家に帰ると彼の家は元通りになっていた。おじさんはあたしの父親と二人で飲みに出かけて部屋の中には母さんがいた。あたしと彼が席に着くと、あったかい飲み物を出して安心させるように笑った。
「聞いたわよ。尚也君、お母さんに会いたいんだってね・・・。おじさん、泣いてたわよ」
彼は耳を傾けていながら、頷きもせずにお茶だけ飲んだ。
「泣いたって・・・俺のことほったらかしにしてたんだ。嘘泣きだ」
「そんなことないわよ。きっと、寂しいのよ」
母はにっこり笑って、椅子に座った。彼はぶすっとした顔のまま、それを否定した。でも母は強かった。
「わかるのよ。同じ親だもの」
言ってからあたしの顔を見た。彼は何もいえなくなったのか、黙ったままその場を立ち去った。
それから何もしないで、あたしは家に戻って母も一緒にかえった。日付けが変わった頃になってようやく二人の父が帰ってきたが話のできる状態ではなかったのでおじさんはあたしの家に泊まった。
眠る前に、窓をのぞきながら彼のことを考えた。今、一人で何を思っているんだろう。そう思うと、眠れなかった。
隣の家からはそれ以来、騒がしい音や声を聞くことはなかった。そして誰も口からも、彼のことを聞くことはなかったし、あたしと彼もあれ以来話をしないままでいた。
それが続いていたある日、夜中に目が覚めたあたしに丁度携帯から電話がかかってきた。不謹慎な時間だったので、不機嫌なまま電話に出たが声の主が彼だと分かると、一気に目が覚めた。番号を教えあっていなかったので、本当に驚いた。
「なに? いきなり、どうかしたの?」
彼はしばらく黙り込むと、おずおずと言葉を探していた。
『今から、行くんだ。夜行バスに乗るんだけど・・・一緒に、来てくれないか?』
その誘いをどういう意味に受け取ればいいのか、あたしを頼りにしてくれてるのか、幼なじみとしてなのか、もっと深い意味としてとらえていいのか。あたしは言葉も出せずに、首を数回たてに振ると、うめき声のような返事をした。
『今すぐ、出て来れる?』
その返事にも数秒も待たせずに返事を返した。
こういう機会をずっと待っていたのかもしれない。あたしの願っていた事は、こういうチャンスだったのだ。あたしだけを頼ってくれる彼を見たかったんだと思う。