願いをかけて1
幼なじみという位置づけをしたまま、時間だけが流れた。
確かに、昔は幼なじみと言っても驚かれるようなことはなかった。だけど今は全部変わってしまって、あたしと彼との関係はなんだったのか今でもよく分からない。ただ、家が隣で父親同士が親友なだけだ。それを幼なじみというのなら、あたしと彼はその言葉に縛り付けられたまま、今まで生きてきたということだ。
中学一年の時はまだ家で遊ぶぐらいの仲だった。他愛のない話をして、ゲームや映画をしたり、とにかく一緒にいることが多かったし、部活の終わる時間も同じだったから一緒に帰ることも多かった。変わってしまったのは、彼の母親が妹を連れて家を出ていってからだろう。
今でもその時のことを思い出す。あの日を境に、彼はあたしの知っている彼ではなくなった。
父親と喧嘩する声が頻繁に聞こえるようになったかと思ったら、彼は夜の街に出かけるようになった。学校では静かな優等生を装っていたが、外じゃ喧嘩をするぐらい荒れてることを知っていた。それからすぐに、あたしと言葉を交わすことはなくなった。
何もできないまま、あたしと彼は別々の高校に進学して、顔すら合わすことがなくなった。それでも隣の家のおじさんと冷戦状態なことはよく聞くし、彼が今どんな状況かは友人をとおして知っていた。でも窓から見る彼の姿を目で追うたびに、こうなってしまった時間を巻き戻してほしいと何度も願う。
幼なじみという言葉を背負ったまま、何も始まらないのに、何かを起こしたいと思っている。
そう願ったからだろうか、星の降るような空にあたしが彼には迷惑になるような願いをかけてしまったから、何かが動き始めたんだろうか。
始まりは、何年ぶりかに聞いた隣の家の大喧嘩だった。食器の割れる音や、物の崩れる音によって地響きを感じるほどの大喧嘩だった。友人であるあたしの父親が隣の家に駆け込み、あたしもつられて駆け込んだ。
家の中は荒れていた。それから掴み掛かって喧嘩をしている二人は奥の方の部屋で父に押さえ込まれながら、まだ大声で言い合っていた。
あたしがその場にそっと足を踏み入れると、彼と目が合った。衣服は破れ、唇は真っ赤な血の色が浮き出て、目は驚いて大きく見開いていた。何か声をかけるべきなのか、そのまま何もいわずに出ていくべきだったのか。考えを巡らせているうちに、彼があたしの手を取って家を出た。おじさんが彼の名前を呼んでいたけど、聞こえないようにするために素早く走り出した。
一瞬何がおこったのか、よく分からなかった。外は真っ暗で、夏が過ぎて肌寒い秋だったから身を震わせながら街頭の明かりをいっぱい吸い込んだ適当な公園までくると、ベンチに腰掛けたまま手を繋いでいた。懐かしい場所だった。
小さい頃は母親につれられてよくここで遊んでいた。泥だらけの手でお互いの服を汚しあって、おもちゃを取り合って泣き出すこともあった。中学校のときは他愛のない話でここにきたり、テスト勉強に息詰まったときなんかに二人でここにきた。
もう二度と、二人一緒になんて来れないと思っていた。でも繋いだ手から伝わってくる温もりは本物だ。
あたし以上に薄着な彼を横目に見ながら、ため息をついた。顔をうつむかせたまま、何も話そうとしない。こういう時の彼は泣きたくても、泣けない気持ちを持ってる時だ。だからあたしも何もいわずに、待った。
しばらくして風が吹いた。冷たい風で、あたしは身を縮こませると繋いでいた手がぎゅっと握られた。
「ごめん。いきなりこんなとこに連れ出して・・・」
声はか細いが、久しぶりに聞いた声に心臓が波打った。
「いいよ・・・。でもちょっと寒いかな。あ、口切れてるんじゃない、大丈夫?」
顔をのぞくように見ると、彼が顔を上げた。疲れきった顔だ。あたしが知ってる顔は、もっと明るくて元気があって、こんな目じゃなかった。力ない笑顔を向けられると、あたしは何もいえなくなった。
「・・・話するの久しぶりだな。っていうか無視してたの俺だよな。いろいろありすぎて・・・もう、どうしたらいいのかわかんねぇ」
叫びのような、声。掠れ掠れになって、声がなくなったかと思うと嗚咽が聞こえる。涙は出てない。空っぽになるまで泣き尽くしてきたんだろうか。そう思いながらあたしは知らないうちに、彼の肩に手を伸ばして抱き寄せていた。
一瞬呼吸が止まったような音が聞こえたけど、すぐに手を伸ばしてあたしの背中に手を回してくる彼を優しく包み込んだ。寒い夜だったけど、彼が泣き止むまでずっとそうしていた。