美術室から・・・3
彼女の噂は絶え間なく、どこでも聞くようになった。彼女がその噂を耳にしたことがあるのかは、分からない。けど信じられないことばかりを吹聴しているやつはきっと、彼女のことを何も知らないやつなんだろうと思うと、変に笑えた。
その気持ちが俺のどういう所からきてるものか、全然分かんない。けどこの学校で、俺が一番彼女の近くにいることは確かだった。
無口で根暗な印象があるけど、本当は全然逆だってことも。不潔そうなイメージも、全然違う。彼女はよく笑うし、冗談もいうし、きれい好きだ。いろいろ、不振なところはあるけど、俺は確かに彼女の存在を気にしはじめ、興味を惹かれ、いつかこのままだと好きになってしまいそうな気がした。それでも、いいかもしれない。
お互いの絵が完成したのは文化祭前日だった。
真剣になって描いた絵を見せるのは気が引けたので、完成するまでは見せあわないことを決めていた。
「いっせーのーで!」
彼女のかけ声で木の額に入れた絵を見せあった。俺は自分の描いた彼女の絵を見て、どんな反応をするのか興味津々だったが、彼女の書いた俺の絵を見て驚いた。
鏡を見ているようだ。細部まで細かく観察されてるし、自分の顔がこんな風に明るい色をしているとは思わなかった。俺が感心して見ていると彼女の方は、驚いたまま固まっていた。
「うそぉ。私って、こんな顔だったの?」
顔をくしゃっとさせて笑いはじめると、俺は自分の描いた絵を覗くようにしてみた。
彼女の特徴をつかんでいるのは、大きな目と丸い鼻。それから髪型ぐらいで上手くかけているとはいえない。
「うん。結構いい顔してんじゃん」
そう言ってまた、笑い出してけどすぐに顔を曇らせた。
「・・・そんなに変だった?」
不安になってそう訪ねると、彼女はうつむいて額で顔を隠してしまった。俺は額を机の上におくと、彼女の傍に寄った。
彼女は俺が近付いたのに反応して、ビクッと体を振るわせるとすぐに俺から遠ざかった。それを追いかけるようにまた、近付くと立ち止まった。
「どうかした?」
彼女は顔を隠したまま、首を振った。
「なら、顔あげてよ」
そういって、無理矢理額を取り上げようとすると、力強く拒否された。それでもどうにか顔を隠している額が邪魔で、力一杯引っ張りあうと、彼女も力を入れてそれを拒否した。しばらくの間、お互いのうなり声だけが聞こえて、顔を真っ赤にしていると急に力が消えて、俺は思いっきり後ろに倒れてしまった。
「いってぇ」
「ばーか。そんな真剣に迫らないでよ」
頭の上からかぶってしまった額を床に置くと、彼女の笑っている顔が見えた。暴言を吐いているのにすっきりした顔だった。
「なんだ。泣いてるのかと思ったのに」
つまんなそうに言ってみると、彼女は一瞬さっき見せたような曇った表情を作った。
「別に・・・そんなことないわよ」
そのあとすぐに笑うから、いつもどうってことないんだと思ってしまう。だけど、今日は様子が違う。笑う顔もいつもとは違って、曇ったまま。俺の目が変わってしまったのか、彼女の笑顔を素直に受け止めれない。
「本当に、なんかあったんじゃないの?」
「なんもないって。あ、早く先生とこもってかないと、明日に間に合わないよ」
急に話題を変えるところが、しらじらしい。
「そんなのいいから、答えろよ。俺、今日でここ来ないんだし」
俺の横に転がったままの絵を拾い上げようとする、彼女の手がとまった。数秒間停止したかと思うとすぐに動き出して、俺を遠ざけるように歩き出した。俺はあわててその腕を持った。
「は、はやく持ってかないと・・・先生口うるさいから、色々言われちゃうよ」
「もしかして、俺がここに来ないから・・・そんな態度とるの?」
うぬぼれた質問だと思った。彼女は間もいれずに首を振って否定した。それを見て俺は肩をがっくりと落とした。
「じゃぁ、どうしたの?」
しばらく沈黙があった。
「私のこと、嫌いなんでしょ?」
俺は答えなかった。今はそんな気持ちを抱いているか、よく分からないから。
「私って最近すっごい噂の的にされてるよね? いっぱい耳にするし、そんな根も葉もない噂のおかげであたし、いろんな人に酷いことされてるの知ってる? イジメなんてどうってことないと思ってるよ。でも、もういいじゃない。あたしをこんなに苦しめることないんじゃないの?」
「なに、言ってんの?」
彼女は涙をためた目で、俺を見た。鋭く光る瞳の色は赤。怒りを表す色がそこにあった。
「噂話、全部あんたが作ったことだってみんな言ってたわ! あたしのこと、そんなふうに吹聴してるなんて知らなかった・・・」
叫ぶように言って、悲しいぐらい小声になってつぶやくと、彼女の目からは涙が流れてた。そして気の緩んだ俺の腕を振り切って、走って美術室を出ていってしまった。
しばらく、俺は彼女に振払われた掌を見つめるとすぐに彼女を追いかけた。拳をぎゅっと握って、廊下に見える彼女の背中を捕まえようと手を伸ばした。
後ろ姿は見なれたものだ。簡単に見つけられるし、捕まえるのも簡単だ。
「もう、はなしてよ!」
「話聞けって! 俺そんな変な噂流してねぇよ。確かに、俺だってあんたの噂話よく耳にするけど、全部嘘なんだろうって信じてないし・・・」
彼女の動きが止まって、静かになった彼女から手を離した。
「それって、信じてもいいよね? 私だって、いつも美術室にきて真剣に絵を描いてる人がそんなことしないって分かってる。あたしの顔をみて、そう思った」
よかった。と俺が胸を撫で下ろすと、彼女は振り向いて俺の顔を正面から見た。鋭い視線はまだ俺に向けられている。
「この先も、ずっとあたしの噂信じないでいてくれる? 真実はもっと違うんだって信じてくれる?」
懇願するように揺れる瞳見つめられて、俺は知らないうちに首を縦に振っていた。彼女はいつも見せる笑顔を作ると俺の襟をつかんだ。そのままぐっと引き寄せると、彼女にまとわりついた絵の具の匂いがした。
そしてそのまま、触れるだけのキスをすると彼女はまた笑って「約束よ」と以前と同じ言葉で走って行ってしまった。
俺は呆然と彼女の後ろ姿を見ながら、唇に手を当てた。熱のこもってきた唇は、鏡で見れば赤くなっているんだろう。体中が全部。
気持ちに気付いたときは既に遅かった。彼女に気持ちを伝えることもできずに、文化祭は始まり、文化祭が終わっても、彼女の姿を見ることはなかった。
彼女の姿は、街から消えていた。