雨の出来事 前
雨が降っていた。
だからあたしは、サッカー部の部室で雨がおさまるのを待っていた。酷い雨が降り続いて、とても傘だけでは防げそうにない。部活も途中で中断したまま、部員は帰ってしまって、残ってるのはあたしと山田だけだった。
山田は部員の中でもムードメーカーで、学校でも顔が広いお調子者タイプだ。あたしとは全く違う人種で、苦手なタイプ。あたしが友達につられてマネージャーしてなかったらきっと話すことさえなかっただろう。今も二人で部室にいることが、居づらくてあたしはずっと窓の外を眺めて雨が早く止むことを祈っていた。きっと山田も同じことを思ってるんだろうな。なんて、苦笑いを浮かべながら。
カメラのフラッシュのような稲光りが空を覆った。
叫びそうになって、一瞬身を縮こまらせるとすぐに土管が空から落ちてきたような、巨大な雷が響き渡った。あたしは必死で椅子からおりて頭を覆った。すぐ傍で山田の驚いた声が聞こえた気がしたが、あたしはそれどころじゃなかった。雷が鳴り収まらないうちに部室の明かりが消えた。停電だ。
それだけでもあたしは泣きそうになってたのに、すぐにまた雷の音が聞こえてあたしは必死になって何かに掴まろうと腕をのばした。必死すぎて、あたしは何に掴まったか考える余裕がなかった。
失敗した。後になればなるほど、部室なんかで雨が止むのを待つんじゃなかったと後悔した。あたしが泣きそうになりながら掴んだものは、山田の腕だった。あたしが必死になってしがみついていると、戸惑いながらあたしの名前を呼んであたしの肩を抱いた。その瞬間にまた、雷が鳴り響いたけど、あたしは光りさえ見えなかった。窓の外に映る雷の響きは部室を出ていく音で消された。
あたし、今、キスされた・・・?
「昨日すっごい雨だったね」
あたしを置いてさっさと帰っていったマネージャー仲間の亜由美があたしの隣の席に座りながら、大きく溜め息をはいた。
「あんたさ、傘あったんでしょ? あたしなんてずっと部室で雨止むの待ってたんだからね」
ここであたしもでっかい溜め息を吐いた。だって、昨日のこと夢? じゃないと思うんだよね。ってことは、あたし山田と・・・。
「なに、顔赤くしてんの? やらしー」
亜由美に声掛けられたところで、あたしの頭の中にあった山田の顔が消えた。でもあたしが想像した姿は、サッカーやってる背中とか、廊下ですれ違うときの横顔ぐらいだ。山田のことなんて全然分かんない。どうしてそんな奴にあたし、キスなんてされたんだろ。やっぱり夢なのかな。
それでも、あたしはまだ心のどこかで山田があたしにキスしたと・・・思っていた。今まであたしは誰かと付き合ったことなかったし、告白された経験もなかった。だから期待しているんだと思う。
「ねぇ、亜由美」
返事もせずに、亜由美は耳だけを傾けてきた。長い髪が垂れてきてそれをかき分けて、亜由美の耳に口を近付けた。
「山田って、あんたの彼氏と仲良かったけ?
亜由美の彼氏はサッカー部のキャプテンだ。それなりに顔が広く、話しやすいタイプだ。でも山田の派手なタイプとは違い、落ち着いた雰囲気を持ってる。
亜由美は少しなんで山田? みたいな顔をしながら唸った。
「・・・どうだろな? 同じクラスだから話すっぽいけど、タイプ違うじゃん。だから部活のときしか喋らないみたいよ」
そっか。あたしが呟くように言いながら視線を下げると、亜由美があたしの顔を覗き込んできた。
「なによ」
「山田のこと、気になんの?」
「いや、違うけど。ほら、一応マネやってるわけだし、選手のことは知っとかないと。ね?」
どうにか笑顔で言ってみたけど、自分でも言ってることがめちゃくちゃだと思う。それを亜由美が理解してくれたとは思えないけど、亜由美はにっこり笑って「そっか」と言った。
亜由美に話すのが嫌なわけじゃないけど、今まで色恋沙汰と無縁なあたしにとって昨日の出来事は大きかった。だから人に話すのが恥ずかしい。一番相談するには最適な人物に言えないということは、誰にも言えないってこと。それぐらいあたしの中ではでっかい、事件だった。
なのに、あたしの気持ちはすぐに冷めていった。
亜由美と話をした後、すぐに廊下で山田を見た。あたし期待してた。小説や漫画や、ドラマや映画にあるような夢のような出会い。そういうものに憧れて育ってきたから、この時もいっぱい期待してた。何かが起こるんじゃないかって。廊下をすれ違う瞬間、声をかけられるんじゃないかって。でも現実って全然違った。
目も、合わずに山田はあたしの横をすり抜けていった。振り返ってみても、山田の背中ぐらいしか見えない。その時に、昨日のことは夢だったんだって思わされた。ショックは思いのほか軽く、雷の音と共に昨日の出来事は、消えていった。
憂鬱な部活の時間はすぐにやってきた。
「あ、またため息!」
面白いものを発見したみたいにあたしを指差しながら、亜由美がいった。
「ちょっと、あたしに指向けてないでお茶作んなさいよ」
「わかってるって」
あたしが大きくため息つくと、また亜由美はあたしに指を向けようとした。それを阻止すると、やかんの湯が沸騰したすきま風みたいな音が響いた。
「あ、練習おわったみたい。いくよ、サキ」
窓を見れば、部員が運動場から戻ってくるのが見えた。吐く息の白さが目立つほど、寒い中での練習。その中に見える山田の姿を見ると急に気分が下がった。
「お疲れ様! お茶用意したんで、飲んで下さいね」
亜由美の明るい声に大きな返事が返ってきた。あたしと亜由美で部員一人一人にお茶を煎れていく。といってもそんなに人いないんだけど。同じ二年選手から順番に下の後輩にお茶を煎れるんだけど、座ってる順番から二年の一人の選手が最後になってしまった。しかも、山田だ。
行こうかどうしようか迷った。でも行かないのは流れ的に不自然だし、亜由美に頼むまですると周りがおかしく思うだろう。それにあたしは、もう何も期待してない。そう思ったらすぐに足は動いた。
数人の後輩に囲まれて話をする山田にコップを差し出した。山田は目の前に立ってるあたしを見上げて話を中断した。
「お疲れ様です」
あたしが笑顔で言うと山田も笑顔でコップを受け取った。こう見ると山田の顔は幼さが残ってる。というか、笑顔が高校生男児
じゃないよね。それでもやっぱり普通なのって、あたしの思い違いだったてことだな。
「あつっ。ふー、サキちゃんのクラスって青葉ってやついる?」
サキちゃん! そりゃあたしの名前はサキだけど全然しゃべったことのなかった人にいきなり、名前で呼ばれるなんて変な感じ。あたしは驚き過ぎて無言でうなずいた。
「やっぱり。青葉に渡しといてほしいもんがあるから、ここで待ててくんない?」
このときもやっぱりあたしは驚きで声が出せず、力一杯頷いた。
「じゃぁ、すぐ来るから」
山田は立ち上がると熱いお茶をいっきに飲み込んで、部室に入った。椅子に置かれたコップを拾い上げると、あたしはぎゅっと掌でそれを握りしめた。心が急に熱くなって、そうしたくなったから。
しばらくの休憩の後すぐに他の部員も部室に入って、着替えはじめた。あたしと亜由美はコップを洗ってヤカンを元に戻すと、亜由美はすぐに出てきた彼氏と帰り、あたしはもうしばらく山田を待っていた。コートを着てるのにやっぱり外で待つのは寒かった。でも吐く息の白さを見てるのは飽きないし、出てくる後輩たちに挨拶されながら少しだけ話をするので退屈ではなかった。
「ごめん、遅くなった」
内心ではやっと出てきたな。と思ってたけど、笑顔でいいよと返事をした。山田は暗くなる空を見上げながら、でっかい鞄の中から数枚のCDを取り出した。
「悪いんだけど、これ返しといてよ」
「うん、いいよ。へぇ、山田ってこんなの聞くんだ」
言ってからしまったと思った。あたしたいして話もしない相手を呼び捨てにしちゃった。上目遣いでどういう反応か見てみたけど普通だった。にっこり笑って、聞くよと言っただけだった。あたしは安心して、一緒に笑った。
「ロックが好きなんだと思ってた。バラードも聴くんだ」
「なんでそんな意外そうに言うわけ? ロックも好きだけど、バラードは癒しになるんだよ」
癒しなんて言葉、似合わなさそうなのによく言うよ。苦笑しながらCDを鞄に入れて、そのままマフラーを取り出した。真っ白の毛糸のマフラーにパステルカラーの水玉がついたマフラーだ。あたしがそれを巻き終わると、山田は歩きはじめた。何もいわなかったから、あたしはしばらくただぼうっと彼を見てたけど、すぐにあたしを振り向いてきた。
「帰るだろ?」
「送ってくれんの?」
山田は空を見上げた。それからズボンのポケットに手を突っ込むとまたあたしを見た。
「暗いし、送る」
少しだけ照れた顔が、あたしをまた期待させる。やっぱり昨日は何かあったんだって、期待させる。先を歩く山田の隣に並ぶと、真っ白の息を吐きながらしばらく目をつむって山田の足音を聞いた。全然話をしたことない人だけど、隣にいるのは居心地がよかった。
「やっぱ、冬は寒いー」
あたしがマフラーを握りしめて言うと、あたりまえじゃん、という顔で見られた。
「サキちゃんって、俺のこと嫌いなんだって思ってた」
俯いた山田を慌てて見た。何言い出すんだ、こいつは! みたいな感じで。
「なんで、そんなこと思ったの? っていうかいきなりすぎ」
「だって、サキちゃんだけ今まで俺にお茶煎れてくれてなかったじゃん」
「・・・あんたの好きと嫌いの基準はお茶煎れで決まるんだ」
げんなりと言うと、山田はまたパッと笑って「うそうそ」と笑い声を上げた。
「でも俺と目も合わせようとしなかったし、他の部員とは話するくせに俺だけ大した話したことなかったから、嫌われてると思ってた。違うんだよね?」
言われればそうかもしれない。あたしは見た目で人を判断するところがあるから、山田みたいな目立つタイプとは関わりたくないと思ってしまってた。だから他の部員とは話をするけど、山田とは話をしなかったんだろう。ちょっと悪いことしたな。
「違うけど、あたしだって山田に嫌われてると思ってた時あった」
それは丁度入部したての頃だった。お互い同じ一年で、何をしたらいいのかあたしはよく分からなかった。その時からあたしはすでに山田を苦手意識していたし、山田も同じことを思っていると感じていた。山田だって目を合わせようとしなかったし、亜由美や他のマネージャーとは話するくせにあたしとは、全然話しなかった。お互い、どこかで勘違いしたままだったんだ。
「俺、そんな態度とってたかな? ま、いいか。サキちゃん思ってたより話しやすいし」
「あ、それあたしも思った。山田ってあたしとはタイプ違うけど、話し合うよね」
お互い照れてしばらく足下を見つめた。街頭の灯りが目立ちはじめるとそろそろ、家に着く頃だ。白い息が一つになるとあたしは手を振り上げて山田を見送った。いい奴だと思った。それから、温かい気持ちにもなった。
一話にまとめられなかったので、次でおわれるようにがんばります。
お話の主人公はバラバラの、短編のようなものにしていくつもりです。最後までお付き合いしていただけると光栄です。