瀬戸と山崎と俺3
彼女の言葉を拒否しながらも理解しようとした時、瀬戸は小さく笑いはじめた。
「なに?」
俺が不機嫌になってそういうと、瀬戸は片手を挙げて笑いを堪えながら顔を上げた。
「嘘に決まってんじゃん。真面目な顔するからからかっただけよ。ほら、さっさと準備しないと授業遅れるよ」
にっこり笑って俺の前をするりと通りすぎていった。待ての声をかける暇さえ与えずに、瀬戸は化学実験室の方向に行ってしまった。後ろ姿を見つめていると、なんだか無償に自分の無力さに涙が出そうになった。
きっと何かを抱えている。そう感じさせるのは瀬戸の嘘のつけない瞳にあった。彼女のまっすぐな瞳に、俺はまた何かを失う予感を感じた。
学校で話をする機械を伺っていたが、瀬戸の周りはいつにも増して人集りが出来上がっていて、近付こうにも込み入った話はできそうになかった。だから、放課後を待っていた。今日は山崎と会う約束もしていないし、瀬戸と話をする時間はたっぷりある。
数人の女子に別れを告げて教室を出ていくところを追いかけて、肩に手をかけた。慌てて振り返った瀬戸は俺の顔を見ると、焦って困ったような顔をした。でも無理に笑顔を作ると、すっと俺の手を払いのけた。
「どうかした?」
「今日これから、用事ある?」
あからさまに困った顔をして、瀬戸は首を横に振った。
「だめ。もう会う理由がないじゃない」
こういった顔は、自虐心をくすぐるなぁ。と思いながら、俺はなるべく爽やかに笑った。
「そういうなんじゃないから。ただ、話がしたいだけだし、どっか食べにいこうぜ」
ほっとしたような顔を見せたが、まだ何か気にしているようだ。
「その・・・、彼女は? 今日は会わないの?」
「うん。今日はね」
そっか。とため息まじりの言葉には、寂しさが入り交じっている気がした。でもそれを無視して瀬戸と歩きはじめた。最近寒すぎるなぁ、とかテスト勉強してる? とかどうでもいいような他愛のない話をしながら、沈黙を避けた。沈黙ほど息苦しいものはなかったからだ。
ファーストフード店に入った。外の空気の冷たさに比べて暖かい店内は眠気を誘う程だった。俺はいくつか注文をしたが、瀬戸は水を一杯だけもらっていた。
「何か頼めばいいのに」
「いいの。話するんでしょ? どうせ、今朝のことでしょうしね」
当たり。俺はおそるおそる、その話を持ち出した。
「言ったでしょ。嘘よ、嘘! 真に受けないでよそんな話」
手を振りながら否定をした。
「なら、なんであんな場所にいたんだよ。見てるやつがいるんだから嘘じゃすまねぇよ・・・何か理由があるんだろ?」
俺が言うと、瀬戸は口をつぐんだまま俯いてしまった。あいかわらずだ。図星をさされるとつい視線を合わせられなくなる。それから黙って、下を向く。その間、俺がすることはただ待つこと。っていうかそれしかできない。話しかけても、抱きしめてみても、反応が全く返ってこないのだから。
俺が注文した品をたいらげた頃には、瀬戸は俺の方を見ていた。
「・・・先に謝っとく・・・ごめん」
この先に続いていく言葉には悪い予感を感じた。
「あたし、あんた以外にも付き合ってた人がいたんだ」
予想外の言葉に俺は口を開けたまま固まった。
「おじさんって言うけど・・・三十二歳でまだ若い方だと思うのよ。でその人昔、家庭教師してもらってた人なの。すっごく優しくて、かっこ良くてさ、高校に上がる前に付き合いはじめてたんだけど、あたし愛人みたいなもんだったんだ。その人にとって」
瀬戸は水の入ったグラスを持って、円を描くように揺らした。
「たぶん、その人と歩いてるとこを見られたんだと思う。別に、つき合ってたんだから変なことじゃないでしょ?・・・でも、一週間前には別れてたよ。あたしもう限界だったから。満たされない思いなんて、楽しくもないし・・・苦しいだけじゃない。あんたもあの人も・・・結局あたしを選んでくれないから。別れるしかないよね」
グラスを揺らす手をとめて、瀬戸は大きくため息をついた。それから俺の方を見て、笑った。力なく、疲れきったその心を表してるようだった。
「ごめん、ごめん。おもいっきり文句言っちゃったよ。ま、そんな事情よ」
俺は何もいえなかった。瀬戸が俺以外と付き合っていたことは知らなかったし、驚いたけど、自分のことを考えると咎めることはできない。それよりも、心に重くのしかかっていたのは、今まで瀬戸のことを考えていなかったことだった。瀬戸がどんな思いで俺と付き合っていたのか、知らなかったことだ。
「もう、お店でよっか」
鞄を持ち上げて今すぐにでも店を出ようとする瀬戸の腕を持って、止めた。
「・・・俺は、瀬戸とつきあってる間めっちゃ好きだったけど、瀬戸は俺のこと本気で好きだった?」
必死だった。このモヤモヤした気持ちをどうにかしたくて。瀬戸は俺の手を払うとにっこり笑って言った。
「好きだったよ。本気に決まってるじゃない。でも、今度はもっと優しくてかっこ良くて、あたししか見てくれない人と・・・付き合うから。あんたは、彼女とよろしくやりなさいよ」
手放すには惜しい。すごく好きだ。でもスルリと俺の前を通り過ぎていく瀬戸を、俺が止められるはずがなく、店を出て手を振って別れた後、もう二度と昨日には戻れないと思った。昨日までの甘い時間には。
山崎は今も俺を本気で好きでいてくれてる、と思う。でも浮気してたって聞いたら、別れるって言われるのだろうか。そうなったら、立ち直れないだろうな。そう思ったけど、俺は何も知らない大切な彼女に、瀬戸とのことを打ち明けることにした。
どうしてそうなったのか。分からない。でも隠し事はいつかはバレるわけで、俺はずっとそういった関係を続けたせいで瀬戸を傷つけた。だから別れた今こそ、本当に大切で、可愛くて、わがままで、俺には似合いの最高の彼女に全てを曝け出すべきだと思った。
もうすぐ、山崎が塾から出てくる。何があっても、もし別れてくれという方向に話を持っていかれても、俺はずっと山崎をはなさないように努力する自信がある。だから、大丈夫。
自分を励ましながら、塾から出てきた山崎に手を振る。俺と山崎の分岐点はすぐそこにある。
いきなりですが修正しました。
そして最終話になりました。多くの人に読んでいただいて感謝しています。そして最後まで読んで下さってありがとうございました。