願いをかけて5
リビングの沈黙は、そう長くはなかった。あたしが立ち上がって部屋を出ていく前に、彼の耳元でじっくり話をするように告げたからだ。
二人の話し声が細々と聞こえてくるのを確認すると、用意された寝室に戻り布団に潜った。気になって眠れなくなるなんてことはなかった。二人が話をしてくれていることが心配しようとしていた心を打ち砕いたような気がした。
眠りにつく前に窓を見た。星が輝いていて、あたしは自然と手を組んでいた。どんな言葉を聞いても、どれだけ苦しい言葉を聞いても、彼がくじけずにいてくれることを祈っている。きっと、母親と二人きりになることさえ、彼には苦痛になっているはずなのだ。でも乗り越えてほしい。
翌朝、六時を回った頃に彼に起こされ不機嫌なまま起き上がり、朝食もとらずに家を出た。朝の散歩がしたいといっていたけど、何か話があるのだろう。おばさんの住むマンションから周りは少し歩くとコンビニがあり、スーパーも立ち並んでいる。住みやすいところだし、散歩するにも道に迷いそうになかった。
ゆっくりと歩く。あたしの歩調に合わせてくれているのもあるけど、時間を潰すためでもあるだろう。
寒いなぁ、とかいっている間にもあたしの心臓は大きく音をたてていた。
「どうだった? いっぱい話できたんじゃない?」
にっこり笑って言うと彼は小さく声を出して笑った。
「そうだね。結構いっぱい話したなぁ。ほとんど、再婚相手の話ばっかり聞かされたけどね」
「へぇ・・・」
あまりつっこめないなぁ。そう思っているのに気付いたのか彼はまた笑った。
「気にしなくていいよ。別にショックを受けてるわけじゃないし・・・。そうだな、新しい幸せに向かってるんだと思うとよかったんじゃないかなって思うよ。ただ・・・」
彼の声が小さくなっていく。次の言葉は聞かなくても予想がついていた。どこか瞳に寂しさが映って見えるから、いい言葉ではないだろう。
「たださ、俺って結局なんでここにきたんだろうって考えてるんだ。そりゃ、会いたいからだったけど、会ってどうしたかったんだろうな。・・・親父と生活してるのが、嫌になったわけじゃないんだけど、逃げようとしてたのかもしれないなぁ」
あたしはそっと彼の袖を引っ張った。なんだか、このまま歩いていると彼があたしのことに気付かずに離れていってしまう気がしたからだ。すこしだけ驚いた顔をしてあたしの方を見たが、すぐ優しく微笑むとあたしの手を取って歩き出した。
思わず声を上げてしまうところだったが、うれしくて顔が赤くなっていくのが分かった。うつむいて肩を並べると彼の歩調はあたしと同じリズムにかわった。
「逃げてもいいんだよ。でもね、逃げてから気付く真実ってものがあるじゃない。そこからは目をそらしちゃ駄目なんだよ。それが分かっていれば、きっと大丈夫」
俯いたままだったから、彼の表情がどうなっているのか分からない。だけど繋いだ手からは力強い思いが伝わってくる。
「帰ろうか。今日の夜のバスでさ・・・。気付けたかは分からないけど・・・たぶん俺は間違ってたんだよ。母親に会いにきても俺が何かかわらなくちゃ、親父ともうまくいかないんだろうね」
「そうかもね。せっかくだし、お土産買っていかない? 記念ってことで」
「そうだな」
繋いだ手に力を込めると、彼の大きな手にさらに包まれる。そのまま心ごと包まれていれたらいいんだけど。そうはいかない。あたしも彼も、ただの幼なじみと言う言葉に縛られている。きっとしばらくはそのまま、その位置からは逃れられない。
とりあえずマンションに戻り、玄関に入る前にあたしと彼は自然と手を離した。離した瞬間に急に何かが物足りなくなり、寂しくなった。これがあたしだけでなく彼が感じていることが分かった。あたしも彼も手が離れた瞬間に手のひらをぎゅっとして、拳を作ったからだ。
中に入るとおばさんも亜紀ちゃんも起きて、朝ご飯を食べていた。あたしと彼もそれに加わり、おばさんが作った朝食を食べた。それが終わると荷造りになる。だがその行動に移る前に、おばさんからあたしと彼に話があると言ってきた。
話といっても、すぐにすむことだ。再婚相手に一目だけ会ってほしいということだった。
あたしは席を外すつもりだが、彼はそうもいかない。朝食を頬張りながらしばらく難しい顔をして考えていた。時間はかからないし、彼がそうしている間にあたしはお土産でも買いにいこうと思っている。無駄な時間って訳ではない。
「いいよ。一目ぐらい会ってから帰るよ」
彼が言うとおばさんは飛びつく勢いで彼のもとによった。
次で願いをかけては最終話になります。でも最終回になってしまうかもしれません。まだ考え中ですが・・・