愛ゆえに暴走! ―大正高校ロボ研の場合―
学園ロボコメディです。
高校の頃に書いたものを短編用に改稿したものです。
本来は重いテーマを、ライトに感じに書いてあります。
夕子の考察。
テーマ【砂原喜一について】
大正高校ロボット工学研究部『ロボ研』の部長/眼鏡着用/容姿頭脳ともにハイレベル、将来有望な二年生/世間には硬派・勤勉で通しているが、実体は今どき珍しい軟派/……。
砂原は女生徒を連れ、ロボ研の部室に入ってきた。長髪がお好みらしい。一昨日は栗色、昨日はアッシュ、今日はおめでたいほどの金褐色だ。
夕子は、大正高校の真裏に位置する雑居ビルの女子トイレにいた。ここの開き窓から、ロボ研の室内は丸見えなのだ。胸焼けするようなイチャイチャ写真を隠し撮りする。
デジカメの充電が3から2に減るまで撮影すると、夕子は飛ぶように校舎に戻った。OA室で学校のパソコンを借りて先ほどの写真データを出力すると、四階建ての部室棟に急いだ。
旧校舎である築三〇年の部室棟は、雨漏りの染みがあちこちの天井に確認できて、歩くたびに板張りの床がピシピシと気味のわるい音をたてる。
夕子はちょうど、階段を下りてくる砂原にぶつかった。
「――砂原先輩」
すれ違って五段のぼってから、上から声をかけた。砂原は階段途中で振り向く。二人の視線が斜めに交錯する。
「初めまして。わたし、新入生の清瑞夕子といいます」
「キヨミズさん? ……ああ、君のことは、先生からよく聞いてるよ。試験のテスト結果が満点に近かったって。噂の天才少女だろ?」
頭脳明晰な者同士の親近感が働くのか、砂原は警戒を解いて柔和にほほえんだ。
確かに、夕子は入学式でも新入生代表として壇上に立った。校長室にあいさつに行ったときも、教師たちに成績を絶賛された。
「ええ。それでロボット工学に興味があって、ぜひ入部したいと思って……」
「ああ、そうなんだ。もちろん歓迎するよ」
砂原はとたんに、甘いマスクに切り替わる。さまになった動作で、右手を差し出した。
「こちらこそよろしくね。実は今、うちのロボ研は部員が俺しかいなくてね。部活存続に困っていたところ。助かるよ」
「じゃあ砂原先輩。さっそくですが、お近づきの印にこれ受け取ってください……」
夕子は、たっぷりしたマチのトートバッグから例のものをごそごそと取り出した。それは三枚の写真だった。砂原が握手のために差し出した右手に、それを握らせる。
三枚にはそれぞれ別の女が頬を紅くして、無抵抗で迫られていた。いやよいやよもなんとやら。
「おモテになって良いですね、先輩。羨ましい」
「……残念だけど、どうやら清瑞さんは俺のタイプじゃないみたいね……」
彼は目を限りなく細め、手入れの行き届いた茶色の髪をかきあげた。
次の瞬間、夕子の厚ぼったい黒髪は背中ごと、踊り場の壁に押しつけられていた。砂原は態度を急変させ、ヤクザのごとく顔を近づけ、ドスのきいた声でうなる。
「なにが目的なんだよテメェ。そればらまいたらボコるぞコラ」
「その開き直り具合、手っ取り早くて助かりますう」
夕子は狼少年のように、テヘッと舌を出した。
* * *
夕子はロボ研の部室に通された。壁に並んだ本棚のほかには、長机にデスクトップパソコンが二台置いてあるだけの、簡素な部屋だった。見たところ作品を飾っていないし、ロボ研らしいところがない。
砂原はブレザーの上に白衣をはおって、肘当てつきの安楽椅子にどっかりと座り、テーブル向かいの夕子を見つめた。「で?」
夕子は神妙な面持ちで、告げた。
「杉作が、どこかに行ってしまったんです」
砂原は一瞬、静止した。自分で淹れたお茶の湯飲みを、もてあそぶように回している。
「すぎさくって……何?」
「わたしが造ったロボットです」
「いいじゃん、ロボットの一体や二体なくしたって。また同じようなもんを造れば?」
砂原は尊大に足を組み、上履きのつま先をぶらぶらさせた。これが彼の本性のようだ。
「杉作をもう一度造るなんて無理なんです。だってあれは、奇跡ですから!」
「ははぁ。奇跡?」
「はい。わたしははっきり言って、頭がよくありません」
「なにをおっしゃいますやら。オタクは一年の首席だろ? まあ俺も学年では首席だけど」
「いいえ、本当です。わたしはついこの前まで、県内最低レベルの中学にいたんです。荒れ果てた学校生活でした。窓ガラスは夜な夜な割れるし、バイクごと突っ込んできて校庭中をブイブイ暴走するし……田舎だからお金もなく、特にすることもなく、近所の畑荒しをして、どちらの不良ブループがより多く大根を盗んだかで、勝敗を競っていたほどでした。まともに授業を受けた思い出がありません」
「真面目に話しているところ悪いが、ものすごく面白い学校だな」
砂原の好奇の視線を避けるように、夕子はぶんぶんとかぶりを振る。
「それでどうやって、うちの試験にパスしたんだ?」
「実はわたし、試験の時の記憶がさっぱりないんです。追い詰められると、自分でも信じられないような馬鹿力を発揮してしまうんですよ。そう、杉作を造ったときも同じでした……。どうやってあんな奇跡を生み出すことができたのか。自分でも不思議でなりません」
夕子は膝の上で、震えてしまう両手をこすりあわせた。
「杉作は欠陥だらけの問題作なんです。もうわたしの手には負えません! 杉作は、自分の意志で家出してしまったんです」
「……まさか、そのロボットには感情があるのか?」
夕子はこくんと頷く。時は21世紀。いまだ地球では、鉄腕アトムのように感情のあるロボットは開発されていない。心を持つ機械は、人間の存在価値を揺るがしかねない倫理的な問題をはらんでいる。ロボットが感情を持ち、自らの意思で勝手に歩き始めることは、きわめて危険な状況である。
「ええ。きっと自分の、ロボットとしての欠点に気付いていたのでしょう。彼は頭がいいですから。このままでは自分が解体されてしまうと、わかっていたんです」
「それで彼は逃げたのか? ……くわしい事情を聞かせて欲しい。いったい、なにがあった?」
腕まくりした白衣で身を乗り出し、砂原は慎重に目を光らせた。
湯飲みを両手で包みながら、夕子は打ち明け話をはじめた。
あれは忘れもしない中学時代。
まだ夕子が野暮ったい紺色セーラー服を身にまとい、天然パーマの髪をお下げに編んでいた頃のこと。入学してから今日まで、あまずっぱい片想いと失恋を何度も経験したが、最後くらいは咲かせたい、恋の花。
ちょうど、高校受験の直前、二月十四日。
バレンタイン・デー。それはチョコレートを売るために製菓業界が一丸となって広告を出し、まんまと世間に浸透させたイベントだと分かっている。しかし恋に恋する十五歳の女子中学生にとっては、そんなことはどうでもいい。
神様が与えてくださった最大最高のチャンスだと意気込み、板チョコをわざわざ千切りにして湯銭にかけて溶かし、ハートの型に流し込んだ。
意中の佐藤真とは、微妙な関係にある友達だ。
いわゆる、友達以上恋人未満という、嬉し恥ずかし胸キュンな少女マンガの伝統的関係!
ここで喉の渇きを覚えた夕子は、茶を一口すすった。
「――待て、清瑞」
砂原は渋面で、夕子の話を中断させた。組んだ足をぶらぶらさせながら、睨んでくる。
「ジャリ時代の恋の思い出を語れなんて、誰が頼んだ? そのロボットをどうやって造ったかを早く語れ」
「えー、ぜんぶ大事なところですよ!」
「どこがだ。飛ばせ、巻け! さっさと本題に入れ!」
ばんばんと砂原は机をリズミカルに叩く。緑茶の水面が小刻みに揺れた。
「ああもう、先輩には情緒ってものがないんですか?」
「ない」
きっぱり否定され、きいい、と歯噛みしてから、夕子はおとなしく本題に入った。
「要するにですね、佐藤くんに告白しようと思って校門で待ち伏せしてたら、佐藤くんはかわいい彼女と帰っていったんです」
「昔からよくある、つまらん話だな。なんのオリジナリティもない」
砂原は、ずずーと音をたてて茶を飲み干し、電器ポットから茶漉しに再び湯をそそぐ。
「人の恋バナになんてこと言うんですかぁ!」
「それでどうした。まさか、その男を見返すために、恋人代わりのイケメンロボットを自分で造ったとか言うんじゃあるまいな……」
「先輩、すごい! 天才ですか? よくわかりましたね」
「造ったのかよ!」
砂原はかくんとあごを落とし、両目を剥いた。
最初は誰かに恋人のふりをしてもらおうと思ったが、あいにく、そんな都合のいい男子は身の回りにいない。失恋した悔しさで高熱を出し、頭が別次元にトリップして極度のトランス状態で、夕子は杉作を造った。おかげで製造過程をまったく覚えていない……
そして迎えた週末。唯一の勝負服である小花柄のワンピースと、その上にダウンジャケットを羽織り、夕子は準備万端で傍らに立つ自作ロボット杉作に目配せした。
「いいこと、杉作? あんたは、わたしの恋人のふりをするのよ」
「ご主人様の恋人になれるなんて、身に余る光栄です。僕は命を懸けてでも、あなたをお守りします!」
憧れの女教師とデートしている児童のような上気した頬で、杉作は言った。
「人間と対等に扱ってくれるなんて、本当にユーコさんは素晴らしい方です」
「だから演技だって言ってるでしょ。わかってる?」
まあいいか、と夕子は杉作の興奮ぶりを無視して歩いた。どうせ今日のためだけに造った使い捨てロボットである。どう勘違いしていようと、役に立ちさえすればいいのだ。
「よし、行くわよ」
「はい」
杉作を従えて、いざ出陣した。
佐藤を見つけるのは容易だった。『ツブヤキッター』という、若者を中心に流行っているつぶやき式のソーシャルネットワーキングサービスで、『今なにをしているか』を誰もが気軽にネット上に書き込んでいるからだ。携帯電話で佐藤のつぶやきを確認した夕子はタクシーに飛び乗り、大正駅前にいる佐藤真に、偶然を装って出くわすことができた。
「ゆうちゃん、その子だれ?」
「あたしの、……か、か、彼氏よ!」
彼氏という言葉を口から発するだけで、顔の表面が湯たんぽみたいにカッカする。念には念を。夕子は傍らの杉作の腕をつかみ、甘えるように引き寄せた。ロボットとはとても思えない、人間の皮膚と変わらない温かい腕だった。
慢心の思いで微笑みかけると、佐藤はみるみる目を輝かせていった。
「へえー、かっこいい子じゃん。おめでと! よかったね。ゆうちゃん」
友人の幸せを祝福して、満面の笑みを浮かべた。佐藤は今時めずらしいくらいに表裏のない性格だ。人の陰口も叩かない。
夕子は心から祝われて、自分が機械になったようにコクコクと頷いた。
「う…………うん。よかった、よかった……」
「じゃあ、俺もこれからデートだから」
爽やかに夕子たちに手を振って、佐藤は改札口へと去っていった。
かっこいい彼氏を見せつけたところで、夕子をなんとも思っていない佐藤真には、まったく響かない――。ロボットまで造って、わざわざそのことを確認した夕子は、傷心のあまり電柱のように立ち尽くした。
夕子はぼんやりと杉作の横顔を見つめた。彼は駅前の雑多な町並みを見渡している。高校一年生くらいの外見。我ながら信じられない高度な造形技術だ。どんな俳優も適わないほど、きりっとした眉に引き締まった唇。それは少女にとってみればかっこよく、年上の女性にとってみれば猫っかわいがりしたくなってしまうほどの愛らしさだ。解体するのは惜しい。彼はノーベル賞レベルの作品だ。でも……
夕子は微笑みを浮かべて、告げた。
「杉作、ありがとね。もうあんたの役目は終わったの。だから、あんたを解体する」
杉作は透き通った瞳で、真っ直ぐに振り向いてきた。聞こえなかったのか、にっこりしている。
「聞いてる? ちょうど今、中学の工学クラブの卒業制作で、ロボット犬を作ろうと思ってたのよ。あんたの身体の材料をそれに回したいから、悪いね」
杉作は駅のロータリーで巡回するバスやタクシーを呆然と眺めながら、うつむき加減でつぶやいた。
「……犬ですか? ユーコさんの恋人である僕が、犬になれと……?」
「あのね、杉作。だからあんたは恋人じゃないって言って……」
「犬になるくらいなら、いっそのことこの身体が使い物にならないように……!」
感極まった表情で、杉作は自動車やバスの横行が激しい道路へとまっしぐらに飛び出していった。キキー、と黒いワゴン車が急ブレーキをかけて杉作から三十センチくらい前で止まった。大丈夫ですかあ、という運転手の心配そうな声が聞こえる。夕子の脳内が真っ白に変色した。
その時、杉作の中身がばらばらになって出てこなくて助かったのは、まさに奇跡の所以だった。その時初めて夕子は、自分の造ったロボットが、人間顔負けの立派すぎる『感情』があることに、直面したのだ。
『探さないでください。旅に出ます。――杉作』
夕子もびっくりするほど達筆のメモを残して、次の日、杉作は失踪してしまった。
戸籍も住民票も持たない杉作の捜索願を出すわけにもいかず、夕子は途方に暮れた。探す手段がない。杉作がもし暴れて民間人に被害を出してしまったら、と思うと、夜も眠れない日々が続いた。
そこで夕子は、ロボットに詳しい頼れる人材に協力を要請しようと考えた。しかし大人は信用できない。子どもの夕子の話を信じるとも、到底思えなかった。それに、仮に信じて捜索を手伝ってくれたとしても――杉作の身柄を確保したら、さっさと自分の手柄にして学会に発表するのではないか、という危惧もあった。
杉作は、世界中の権威ある工学博士が喉から手を出して熱望するほどの出来栄え。まさに奇跡の産物なのだ。
そこで夕子は、自分と年の近い若者であり、まだ社会的地位や権力のない高校生の砂原喜一に目をつけた。砂原は、今年度のロボットコンテスト高校生部門で優勝し、将来有望と謳われる天才工学少年である。
もともと大正高校は夕子の第一志望であり、すでに願書は提出してある。夕子はろくに睡眠も取らずに血を吐く思いで猛勉強し、試験当日、見事に38度の発熱。朦朧とした意識で這うように試験会場へ向かった。テスト中の記憶がまったくないのだが、例の火事場の馬鹿力を発揮し、突破してしまったのである。
無事に入学。晴れて大正高校に通うことになった。
ちなみに、事前に砂原の身辺調査をして、彼の弱みを握っておいたのは、杉作の手柄を横取りされないためである。
* * *
長い長い説明を聞き終えて、砂原はうなった。
「つまり杉作は、人間の支配から逃れ、自分の意思で一人歩きをしているのか」
それがどんなにまずい状況なのか、夕子にもわかっているつもりだ。ロボットの感情が爆発すれば、暴走し、無関係な市民まで巻き込まれる危険性がある。まあ、さすがに戦闘能力までは搭載していないだろうけど……。
「お願い、先輩。杉作を見つけ出して、解体するのに協力してください!」
「なぜもっと早く解体しなかったんだ? そのロボットがふらふらと外に出て行ったなら、 誰かに拾われて、悪用される危険性がある」
「……ごめんなさい。わたしが甘かったんです。感情のある、しかもわたしを好きでいてくれるあの子を……解体なんて、と思うと、どうしても……」
夕子は膝に置いた手をぎゅっと握り締めた。
砂原は優しく笑って、清瑞、と名を呼んだ。
「そういう事情なら、手の込んだ脅しなんてしなくても、喜んで協力したのに」
「砂原先輩……ありがとうございます!」
しかし結果から言えば、杉作を見つける手がかりはゼロに等しかった。杉作には発信機もついておらず、GPS機能もない。こんなことになるのならつけておけばよかったと後悔しても、時すでに遅し。ネット上にも、それらしい情報は見つけられなかった。砂原は部室で深いため息をつき、憂いに満ちた瞳で尋ねた。
「杉作の写真とかないの?」
夕子は弱々しくかぶりを振る。
「じゃあ特徴は?」
「……体重は五十八キロ、身長は170センチ。もちろん人型です」
「すごいな。その身長でそんなに軽量なのか」
夕子はただ手をこまねいて待っているなんてできなかった。その日から数日間、砂原に付き合ってもらい、校内の生徒に聞き込み調査をした。しかし目ぼしい情報はなにも得られずに、時間だけがいたずらに過ぎていった。
「ねえ先輩。駒米先生なんて怪しくないですか?」
と、校内の地下食堂で遅めの夕食のカツカレーを掬いながら、夕子がつぶやいた。カツカレーは、日頃からカレ活(彼氏を作る活動)に励む彼女の、願掛けメニューである。
「なんで?」
砂原もあさりのパスタをフォークにからめていた。
大正高校は全日制と定時制が両方あるため、食堂が夜九時まで営業しているのだ。すでに定時制の授業は始まっているので、薄暗い地下食堂には、食器を片付けるパートの女性をはじめ、ちらほらとしか人はいなかった。
「あの人の授業、なんとなく危ういものを感じません?」
「いや、別に……」
砂原は慌てて言葉を止めた。見計らったようなタイミングで、駒米が食堂の自動ドアをくぐった。
「砂原くん」駒米は人当たりのいい笑みを浮かべて、近づいてきた。砂原は立ち上がって一礼し、おべっかを述べはじめた。駒米は、四十代半ばの講師である。科学の授業を受け持つが、本人の専門分野はロボット工学だ。
「そちらのお嬢さんは?」
と、夕子に目をやる。砂原はわかりやすい性格で、目上の者には愛想よく、にこにことしていた。
「はい。こちらは清瑞夕子さん。ロボ研に入部した一年生です」
「そうか。砂原くんの後輩になるとは君も運がいい。彼は優秀だからね、部活動もやりがいがあるだろう。ははは」
「俺も、かわいい後輩ができて嬉しい限りです。ははは」
爽やかに笑いあう二人に、夕子も合わせて腰を上げ、仕方なく笑みを作った。駒米は生活習慣病やメタボリックと非常に仲良しの人間だった。キングサイズのスラックスからは狸のように、飛び出さんばかりの勢いで腹が膨らんでいる。季節問わず汗が噴き出すため、授業中もハンカチで額をぬぐっている。すでに寂しくなりはじめた頭皮には、蛍光灯を反射する脂が乗っている。
駒込は砂原に近づいて、内緒話をするように声をひそめた。とはいえ地声が大きいので、夕子にも内容は丸聞こえだった。
「……実は、折り入って君に相談があってね。僕、誰かに狙われているみたいなんだよ。『殺しにくる』って脅迫状まで来たんだ。その日付が今日なんだよ。それで今夜、僕のアパートに一緒に泊り込んでくれないかなあ? 普通なら高校生にはこんなこと頼まないんだけど、君は一人暮らしでしっかりしているし、どうかなぁ。まさか殺しにはこないと思うけど、それがストーカーだったら早いところ捕まえたいし」
唐突な話に、砂原は面食らって一瞬黙った。しかし駒米の表情を見る限り、嘘をついているとは思えない。本当に困っているようだ。
「警察には連絡したんですか?」
「それがさ。女子供ならともかく、こんな独身オヤジへの脅迫文なんて相手にされないんだ。冷たい世の中だよ。こりゃ参った。もちろん謝礼は出すからさ、頼むよ」
「そうですか……わかりました」
「え? ちょっと先輩」
砂原は夕子を無視し、駒込の話を真剣に聞き入っている。じゃあ今夜うちに来てね、と言い残して駒米が去って行った後、全く信じられないと言い、夕子は砂原を非難した。
「そんなことしてる場合じゃないですよおおっ!」
「仕方ないだろ。こうやって人付き合いをよくすることで、未来の研究者としての基盤を作るものなんだよ。君は帰って杉作の連絡待ちでもしていろ」
「でも、かよわいわたしを差し置いて、あんな先生の部屋に泊まるなんて」
砂原はまるで意に介さず、夕子の冷たい視線をかわした。いきおいよく生パスタの麺を吸い込む。
「俺はどんな汚い部屋にでも泊まれるね。極寒の地でテントを張ることも厭わない。自分の地位を築くためなら何でもする」
「汚い……」
仕方なく夕子は、一人で家に帰ることにした。
パソコンの電源を入れ、ネットに接続する。杉作から連絡が来ていないか気になるからだ。夕子はネズミ型のマウスを操作し、メールソフトを立ち上げた。迷惑メールが十通以上届いている。憂鬱な気分で件名だけ眺めていると、ベッドに寝かせていた携帯電話が振動した。
『公衆電話』の表示。もしかして――
「もしもし! 杉作なの?」
心の中で悲鳴をあげ、痛いくらいに電話を耳に押し当てた。
『はい。ユーコさん。……突然姿を消してすみません。でも僕には、どうしてもやらなければならないことがあるのです。あなたのためにも。用事を終わらせたら、必ずあなたのもとへ戻ってきます。探さないでください』
「杉作いまどこ……」
電話は切れて、ツーツーと不通音が鳴った。
電車やバスに乗るお金がないのだから、そう遠くへは行っていないはずだ。近隣に設置されている公衆電話は多くない。駅前と病院と市民センターなど、幾つかに絞れる。
夕子はパーカにスウェットという部屋着のまま素足をスニーカーに突っ込み、玄関を飛び出した。
✳ ✳ ✳
駒込は所帯もなければ友人も多くはないが、ロボット工学の技能だけは確かだった。特に造形技術の分野に長けている。砂原は一年ほど前、研究を手伝いに駒込の自宅まで赴いたことがある。そのときは目からビームが出る装置が備え付けられた猫耳少女ロボットの開発をした。駒込は一人暮らしだが、今でもその猫耳ロボット(メイド服標準着用)とともに暮らしている。彼の技術や作品を盗もうと企む連中がいたとしても、不思議ではない。
砂原喜一は憂鬱だった。なぜ美女ではなく、独身男の部屋に泊まるはめになるのか。
さっさと仕事を片付けて、杉作の探索に集中したいものだ。
いったん帰宅して私服に着替えた砂原は、気乗りしない表情を浮かべて、アパートの周辺まで来ていた。
すぐには駒込の家には入らずに、ストーカーの影を探して周辺調査する。アパート近くの小さい児童公園のベンチに浅く腰かけ、缶コーヒーをちびちび飲みながら、不穏な影がないか目を光らせた。その時だ。前方の住宅路を学ランの少年が通りかかった。黒髪黒目、糸で吊られたように背筋がピンと張った少年で、夜の町をうろつくような雰囲気はない。少年はまっすぐに駒込の住むアパートへと向かい、駒込の扉の前で立ち止まった。
その時、少年が振り返り、後をつけてきた砂原を見た。
「あなたも、駒込先生に呼ばれたのですか?」
「……君も?」
「ええ。僕は明治高校の一年生です。先生には以前からお世話になっているので、ぜひストーカー退治に協力したいと思いまして」
明治高校は、砂原や夕子が通う大正高校の隣接市にある公立高校である。大正高校と双璧をなす有名な進学校で、よく進学率や偏差値を比較される、いわゆるライバル校だ。言われてみれば、彼の学ランは明治高校の制服である。
「そうか。俺は大正高校二年、砂原喜一。よろしく」
「キーチさんですね。僕は、ジュウハチ・ゴウです」
「いい名前だね」
砂原はにこやかに述べた。どんな奇天烈な名前でも、まず褒める。モテる男に備わったスキルである。
近くでよく見ると、ゴウという少年は、美化された歴史上の肖像画のように丹精な顔つきだった。きりりとした形のいい眉に、血色の良い唇。人懐っこい印象の、二重まぶたの生き生きとした瞳。短い黒髪は清潔感が溢れている。赤ん坊や子犬をかわいいと思うように、 ちょっとかわいいと思ってしまった。
砂原とゴウは並んで玄関のチャイムを鳴らした。待ちかねたように駒込が出てくると、彼は酒くさい息を二人に吹きかけた。
「いやあ~君たちが来てくれて、今夜はよく眠れるぞ。じゃあ、あとは任せた」
言うなり、彼は居間に戻るとソファにばったりと倒れて、激しいいびきをかいて寝始めた。
(将来のためだ……)
砂原は自分に言い聞かせて耐えた。
そんな中、和室のふすまが厳かに開き、例の愛玩ロボットが登場した。顔は瓜のように小さく、目はぐりぐりと大きい。女子中学生のような外見の人型ロボットである。名前はファニーちゃん。頭には、パーティグッズ売り場で調達した猫耳を装着している。くすんだ色の赤髪はふたつに結ったお下げ。そのロボットは口を開いた。
「いらっしゃいませ、お客さま。ただいま、お茶をお入れしま……」
ファニーちゃんのつたない音声が言い終わらぬうちに、ゴウはぬるりと動いた。無言でそのロボットの背中に回り込み、風を切り裂くようなチョップを叩き混んだ。ズシャっ! とファニーちゃんの背中に亀裂が入り、中身が火花と共にばちばちっと小さく爆発した。さすがに砂原は声を上げて諌めた。
「なにをしている! それは、駒込先生の大切な……」
「大変です、駒込先生。ファニーちゃんが壊れました!」
少年は自分でやっておきながら、白々しく叫ぶと、ソファの駒込に跨って胸倉を掴み、激しく揺さぶった。大口をあけて眠りこけていた駒込は、ようやく目を見開いて、飛び上がるように起きた。
「なっ! ファニーちゃん!」
駒込は、敷居をまたいで倒れている猫耳少女ロボットの肩を抱きかかえた。背中から赤白青のコードが千切れてはみ出ている、無残な姿だ。
「センセイ……ごめんなさい……ファニーはもう、死んじゃいま……」
ファニーちゃんはピンク色のリップを塗ったような特殊仕様の唇を、緩慢に動かした。
「ファニーちゃん、死ぬなあっ!」
「センセイと、イッショ……ニ、スゴセ……テ、ファニーハ、トッテモタノシカッタ……デ」
彼女は駒込の腕の中で、ゆっくりと目を閉じた。
「あああ、ファニーちゃん!」
駒込は、中にシリコンゴムをたっぷり仕込んだファニーちゃんの豊満な胸にすがりついた。砂原はその場から奔走したくなる気持ちを抑制し、教師に尋ねた。
「先生……ロボットがシステムダウンする直前に、そんなお別れイベントプログラムなんて入れましたっけ?」
「ああ……これは、完成したあとに付け加えたのさ。滅多にシステムダウンすることはないから、僕もいま初めて聞いた……」
鼻をすすって男泣きしている駒込。台詞を全て自分で書いておきながら、この男は……。
「それよりどうしてファニーがこんな目に? 誰がやった?」
砂原はどう答えたらいいのか分からずに、言葉に詰まった。その時だった。
「変態野郎……」
囁き声が響いてきた。砂原と駒込が顔を上げると、ゴウは無理やりファニーの体を引きずって和室の中央に踏み込むと、その頭部を殴りつけた。たった一発で、ファニーの頭は胴体から切り離され、首だけが床の間に吹っ飛んでいった。人間業ではない。
ゴウは靴下で畳を踏みしめて駒込に振り返り、宣戦布告した。
「僕はあなたを許さない」
「……ゴウくん……お前がストーカーだったのか?」
駒込は震える指でつきさし、愕然とした。ゴウは首肯する。
「そうだ。自作自演だ。ストーカーのふりをして、この家に入り込む隙を狙っていた。お前をこの手で殺すために」
「な、な、なんでぼくを殺すんだっ!」
畳に座り込み、ひいひいと怯えて震えている駒込と、彼を見下ろして威嚇している少年。
「愛する人のためだ」
少年は顔に似合わぬ言葉を返答した。
砂原は驚愕した。対峙する二人の間に挟まれ、砂原は身動き出来なくなっていた。
ゴウの目つきは尋常ではない。
砂原は、駒込がいくら気色の悪いメイドルック猫耳少女マニアだろうと、人として生徒として命を危険に晒されている彼を守らなければいけない、と思った。
「やめろ!」
実は気が弱いので足を震わせながらも砂原は和室に入ると、いきり立つゴウの背中から腕を回した。しかし次の瞬間には、予想外の強い力で後ろに投げ飛ばされて、ふすまに背中を打ちつけていた。見た目では全く分からないが、ゴウは外見に似合わぬ腕力の持ち主らしい。慢性的に運動不足の砂原に、止められるものではないのだ。
砂原は押し入れの襖に体を預けたままでいた。痛みでしばらく動けそうもない。その間にも、ゴウの魔の手は、口から泡を吹いて卒倒しかけている駒込の、首と顎が区別できない部分にまで迫ってきていた。
砂原は震える手で後ろポケットから携帯電話を抜いた。もう警察を呼ぶしかない。そのとき、そこから陽気な着信メロディが流れてくる。発信者を確認する前に砂原は通話口に叫んだ。
「今忙しいんだ掛け直せ!」
『先輩、せんぱーい! 杉作から電話が来て、それが公衆電話からだったので、近所の公衆電話を回ってるんですけど、やっぱり杉作どこにもいなくって……!』
砂原は、電話越しにわめいてくる声に顔をしかめた。
「それどころじゃないんだよ。あ、そうだ清瑞。君、交番でお廻りさん拾って、ここまで来てくれ! 駒込先生の家だ。大正駅東口の、エステサロン【キューティ】の左隣にあるアパート!」
『え? 警察ですか?』
「こっちはやばい状況なんだ。早くしろ!」
『わかりました……そこなら五分で着きます。あの、その後、杉作探してくれますよね?』
「探すから、早く!」
電話を切ると、砂原はため息を吐き出した。余力はほとんど残っていない。
「覚悟しろ……」
ゴウは怒りに燃える瞳で、床の間の掛け軸に背中を預けた駒込に詰め寄っていった。脇には、首と分離したファニーちゃんの胴体が横たわっている。駒込は悲鳴を上げた。
「助けてええ、砂原くんっ!」
「いやあの、俺の腕力ではかないそうにありません。下手に手を出して怪我したくないし、警察が着くまでお待ちください」
「君ずいぶんと悠長だねえ! 君の単位を全部落としてもいいんだよ?」
「今はそんなこと関係ないでしょう!」
砂原は思わず反抗してしまう。それはゴウにも伝染したようで、彼は自分の頬をだるそうに肩で撫でた。
「駒込……お前は汚い。何もかもが汚いんだ……」
「ゴ、ゴウくん。落ち着いてくれ。話せばわかる。きっとわかる。僕が君に、なにをしたっていうんだ……?」
「別に僕は、お前になにもされていない。だが、ぼくの愛する人は、お前に傷つけられた」
少年の頬は悔しさで歪んでいた。ありえない話ではない、と砂原は直感していた。愛情がどこか屈折している駒込ならば、あるいは。
「駒込先生、あなたは一体、何をやらかしたんですか!」
全国津々浦々の女性の味方、砂原喜一。女がらみとあっては黙っていられない。砂原はキッと駒込を睨み、立ち上がってジュウハチ・ゴウの隣に並んだ。駒込は声を荒げた。
「な、なにもしてないよ。それはひどい言いがかりだよ! 信じて、砂原くん!」
「信用できませんね……」
砂原が悩みながらも答える。ゴウが豪語した。
「ほらみろ。この人も、お前なんて殺されて当然だって!」
「いや、そこまで言ってないけど」
その時だった。
ピポピポピポーン、と小学生が鳴らしているようなチャイムの音がした。
砂原は急いでチェーンを外して鍵を開ける。部屋に飛び込んできたのは夕子だった。
「せんぱああい、交番のお廻りさんがパトロール中だったので、119番通報しました! いったい、なにがあったんです…か…」
ゴウが駒込を絞首して殺そうとしている場面を目撃した彼女は、鞄を足元に落とした。
頬に手を当て叫ぶ。
「杉作!」
砂原がとっさにゴウを見やると、彼は目を逸らして、オホンとわざとらしく咳払いをした。
「なにを言ってるんですか? 僕はジュウハチ・ゴウです」
「あんたこそなに言ってるのよ。なにが十八号なの? それってあんたに名前つける前に、わたしが呼んでた仮名じゃないの!」
砂原はわけがわからないまま、痛めた肩を押さえながら引き戸の傍に立ち尽くしていた。
製造者とアンドロイド……夕子とジュウハチ・ゴウ改め杉作の二人を、唖然と見つめる。
頭の中は真っ白だった。そのとき、最悪のタイミングで警察が登場した。
「失礼しまー……」
警官が入ろうとしてくるのを、夕子は寸前で扉を押さえつけて鍵とチェーンを掛けた。ちょっとなにしてるんですか入れてくださいー、と大声で叫んでいる。この状況、窮地である。杉作があっさりと、殺人未遂やストーカーの容疑で捕まってしまうからだ。捕まるのはまずい。杉作の異常なまでの熱い感情は世界中の好奇の目に晒され、開発者である夕子もただではすまない。ロボット工学博士たちが夕子の頭脳を探って、日本の片田舎に押し寄せてくるに違いない。
「とにかく、この男を僕は許さない。邪魔しないでください! ユーコさん!」
反抗的になっても敬語を欠かさない杉作が叫ぶ。
砂原は呆然としていた。
工学者の端くれとして、砂原は彼に魅入られた。すらりと伸びた背。丹精な顔。完璧な日本語の発音と抑揚、言いよどむ言葉の間、対人間へのコミュニケーション、表情をつくる皮膚筋肉の動き方、そして人間離れした体力と気力。復讐のためにわざわざ長い時間をかけて相手を罠に陥れる、いまどき人間でさえもやらないようなことをやってのける思考回路。
杉作は一人の人間の男子高校生としての名前、ジュウハチ・ゴウだと名乗った。駒込も彼を生徒として受け入れていた。つまり……
「清瑞!」
砂原は大声で後輩の名を呼んだ。
「お前、お前はもしかして、天才か?」
「先輩……残念ながら、天才なのはわたしじゃないです。杉作こそが、天才です」
彼女は悄然と杉作を見つめていた。腕の中で泣いているだけだった赤ん坊が、ある日、動き回ること反抗することを覚えてしまい、戸惑う母親のような心地だろうか。疲労した目尻で、夕子は警官が後ろにいるドアを全身で押さえていた。
「だいたい、杉作! 『ジュウハチ・ゴウ』ってなんなのよ」
「日本人としての僕の姓名です。人間の名前と身分証を持たないと、いろいろ不便ですから。住民登録したんです。ちゃんと学校で学生証も発行しましたよ。ほら」
杉作は胸ポケットから、身分を証明する自分の学生証を取り出してチラリと見せた。顔写真入りで、名前の欄には『十鉢 剛』と書いてある。
「まさか……そんな不正を……ロボットが住民登録なんて絶対不可能でしょ。どうやって、そんなこと!」
夕子は開いた口がふさがらないようだった。杉作はそんな主人に、ふっと笑ってみせた。
「それは僕を造った、あなたの頭に聞いてみたらいかがですか?」
夕子は失望したように言葉を飲み込んだ。杉作は主人である夕子の頭脳など、軽々と飛び越えている。
「とにかく、駒込先生を放しなさい。早く!」
夕子は叫んだ。しかし応じる杉作ではない。真っ青を通り越して、どこか白んでいる駒込の頬を睨みやり、杉作はその人間よりもずっと滑らかな手をぽきぽきと鳴らした。
「ひいっ」
うわずった声を上げ、駒込は極限まで緊張し、横に倒れてしまう。すかさず馬乗りになり、杉作は駒込の首に手を伸ばした。ひいいい、と悲鳴を上げて、まだ首を絞められていないのに、駒込は目を閉じてぐったりした。動かなくなる。
「なんだ、もう死んだか……手ごたえのないやつだ」
どう見ても気絶だったが、杉作がそう思っているなら、ひとまずは安心だ。もう用はないとばかりに、杉作はひょいと、駒込の身体から退いた。
砂原が目を奪われていたのは、その無駄のない一連の運動だった。
「せんぱあ~い……」
泣きそうになっている夕子の声を背に受け、砂原はおもむろに立ち上がった。
「清瑞……あのな……」
真剣な眼差しで、振り返る。彼は瞳をめらめらさせて大真面目に懇願した。
「頼む、清瑞! お前の頭脳を俺に分けてくれ!」
「………はい?」
夕子は首を傾げた。
「つまり、杉作を製造するプログラムの全工程を俺に教えろ。俺が同じようなものを造って、まるで俺が造ったように見せかけて世間に公表する! そうすれば俺はこの若さで、ロボット工学者の前衛として名立たり、金も名誉も名声も美女も思いのままだ!」
「そんなこと今は置いといて、早く杉作を止めてくださいよ!」
「まあ待て。ただでとは言わないさ。二人だけの秘密として、俺がわからないことを君がこっそり教えてくれればいいんだ。俺のサポートってことで永久に助手やってくれ。そうすればバレないで済む。つまり俺が雇うから、君はずっと職には困らない。どうだ?」
「だーかーらー、製作過程をまったく覚えてないって言ったじゃないですか!」
「たとえ覚えてなくたって、製作者としての責任はすべて君にあるよ清瑞。君はいったい、なんだってあんな凶暴なロボットを造ったんだ? 殺傷兵器だぞ、あれは」
「わたしだって、そんなもの造るつもりは……」
「頭を使うんだ。杉作がここまで憎しみを募らせた原因はなんだ?」
「そんなのわかりませんよ……」
「愛する人を傷つけられたとか、言っていたぞ」
「愛する人って……?」
「お前じゃないのか」
「わ、わたし?」
愛されることに慣れていないのか、夕子はまともに動揺した。不安げに、杉作に目をやる。
「あいつを止められるのは君だけだ。清瑞」
夕子はごくりと生唾を飲み込んだ。そして杉作に向かって、一歩を踏み出した。
ドアの後ろでは警官が騒ぎを察し、ドンドンとドアを蹴破る勢いで叩いていた。
✳ ✳ ✳
夕子は真っ直ぐに杉作を見つめていた。
駒込になにかされたかどうか、必死に記憶の糸を辿る。しかし思い当たる節はない。
「ユーコさん、駒込が嫌いですよね」
杉作は影の差した顔で、朗々と話し始めた。
夕子は去年、学校見学もかねて大正高校の文化祭にやってきた。そこで駒米の特別公開授業を受けた。ロボットの造形という内容なのに、彼は、いかに美しい女体を造形するかの話しかしないのだ。ふと気付くと大教室の聴衆は、次期駒込タイプの理系男子ばかり……。
杉作は犯人を当てる探偵のように堂々と、夕子を指差した。
「あなたは途中で退室できずに、女性一人でじっと耐えた! そうですね?」
「た……確かにそうだけど、でも杉作! わたしはそんなこと些細なことだと思ってる! 別に直接セクハラされたわけでもないし、先生の授業は大学院レベルよ。とても勉強になった」
「たくましいよな、清瑞って……」ぼそりと、砂原。
「あれ? でもなんであんた、そんなこと知ってるの……?」
「ユーコさん。僕は……あなたのことが好きです」
人間よりもはるかに情熱的に誠実に、ロボットは主人に告げた。
突然の愛の告白に夕子は身を硬くした。気を落ち着けるために、彼女はゆっくりと息を吐き出す。気丈に彼女は答えた。
「うん、知ってる。だってロボットは、製造者の人間に絶対服従するようにプログラムされてるから。……だからわたしの命令を聞きなさい、杉作」
説得は無駄かもしれない、と夕子は心のどこかで思った。
杉作は、単に忠誠心で奇異な行動に走っているわけではない。一人の感情ある生物として、夕子が好きだと言ったのだ。
杉作の悩みは突き詰めれば、なぜ自分が人間でなくロボットなのか? という根本的な疑問である。ロボットが意思を持ち、感情を持てば工学者といえども無力な人間にはもう手がつけられないのだ。
「嫌です……僕はあなたに認めて欲しいんです。ロボットではなく、一人の男だと言うことを」
杉作の切ない瞳に飲み込まれないように、夕子は歯をグッと食いしばった。
「認められるわけないでしょ! あんたは人間じゃないんだから――」
「清瑞、黙れ!」
砂原の叫びに、夕子ははっと口を押さえた。思わず、感情にまかせてひどい言葉を使ってしまうところだった。
「君も工学者の卵ならわかるだろ? そいつと喧嘩しても意味がない」
夕子はドクドクと鳴る心臓を鎮めようと両腕で抑えた。
杉作の感情を高ぶらせないようにしなくては。杉作が切れたら、どんな取り返しのつかない事態が待っているか。
「僕はずっと不安でした。あなたに必要とされていない気がして……。だから僕はパスワードを解読し、あなたのパソコンの文書ファイル『夕子の日記帳』にアクセスしました」
夕子は固まった。一瞬で膝を崩し、ほうける。砂原はそんな助手を哀れそうに眺めた。
「そして僕は、あなたの本音を見てしまった……。僕の存在が手に負えずに、解体しようと考えているということ…僕は、僕は胸が痛かった!」
「読んだの?」
夕子は壮絶な眼差しで、杉作に尋ねた。少年はこくりと頷く。
「日記は何重も暗号式にして、三年かけないと解読できない鍵をかけてるファイルなのよ!」
「こいつの頭脳なら一発でアクセスできるんだろうな……」
砂原のつぶやきに、夕子は涙目で両耳を塞いだ。
「プライバシーの侵害よおお! こっちの方がよっぽどセクハラだわ! 先輩、なんとか言ってやって!」
夕子は砂原の肩を揺さぶった。彼は視線を細め、夕子を慰めるように頭にぽんと手を置いた。
「まあ、これは警察に訴えようがないな。可哀想に、清瑞。全てはこんなモノを造った、君の責任だよ」
「ぜんぜん心が晴れませんっ!」
夕子は薄情な砂原の手を、ヤケになって振り払った。
「はっきり言って僕は自分に自信があります! 近付く悪者を薙ぎ倒し、どんな事故や災害からもあなたを守れる強さがあります。そこらの男など敵わないルックスに、この頭の回転の早さ。完璧です! ユーコさん、僕はあなたの恋人として、なんの不足もありません。いったい僕のなにが、そんなに気に入らないんですか!」
悲痛に、純粋無垢なロボット少年の杉作が魂の問いを投げかける。
夕子は悲劇役者のように耳を押さえて声を上げた。
「あんたの存在自体がイヤ!」
杉作は端正な顔を凍らせた。
ひくひくと頬が痙攣を起こしかけている。
「まずいな。暴走したら手がつけられない」
砂原は危機を感じて、夕子に向き直った。
「水汲んでこい。ホースで」
「え?」
まだ立ち直れていない夕子は呆然としていた。
「仕方ないだろう。あいつをショートさせて機能を一時停止させる」
「ど、どうやってですか?」
「そうだな……まず大量の水をかぶせて、一時的にでも奴の動きを封じるんだ。それから、ハンマーで奴の胴体を叩き割る」
何度か根気よく武器を振り下ろせば、割れないこともないだろう、と砂原は説明した。
「内側から出てきたコードを引っ張って、配列上スパークを起こす組み合わせを引き合わせれば、いくらこいつでも敵わない。活動停止するだろう。ただこれは失敗すると、人間であるこちらの腕がどうにかなってしまう可能性もあるわけだが……まあ、なんとかするさ」
砂原は額から一筋の汗をたらりと垂らしていた。夕子が不安な目を向けると、彼は穏やかに微笑み、なんでもないようにシャツの袖で汗を拭った。
「それってすごく……砂原先輩が危険なんじゃないですか?」
「心配いらないよ。俺を誰だと思ってる?」
「複数の彼女たちを陰で裏切り続ける、女の敵」
「将来有望な天才工学高校生、だよ」
真顔で訂正する砂原。
夕子は押入れを勝手に物色してホースを探し当て、台所から水道の蛇口をホースで引っ張って、勢いよく水を放射させた。立ちすくんだままの杉作の背中めがけて水しぶきがあがる。熱に浮かされたような瞳で杉作は振り向いてきた。
ホースを向けている夕子と目が合うと、彼は親に捨てられた少年のような寂しげな細目をした。夕子は顔を背けることなく見つめた。
「ごめんね、杉作……」
これは何も杉作のせいではない。彼は何も悪くないのだ。全ては夕子の、かっこいい恋人の身代わりがほしいという勝手な都合で作り出したロボットなのだから。そしてさらに、人間の勝手な都合で要らなくなったり邪魔になったりしたら、こうして廃棄する……まるで使い捨てのホッカイロのように。謝って済む問題ではないのだ。
「ごめんなさい」
それでも夕子は頭を下げた。
夕子とて杉作が憎らしいわけではない。むしろ、その反対だ。
でもこの人間世界で、感情を持ったロボットとして生きていくのはあまりにも酷だった。夕子は生半可ながらも生身の人間であり、ロボットである杉作の期待には答えられないのだから――
夕子の目の前で、果敢に砂原が杉作に踊りかかった。意外なほどあっさりと、杉作は押し倒されて動かなくなってしまった。夕子は慌てて二人に近寄った。
説明した手順を踏み、床にうつ伏せに沈む杉作にハンマーを振り被った砂原の腕は、振り下ろされる寸前で停止していた。夕子だ。震える手で砂原の右手を押さえ付け、とめていた。彼女は揺れる瞳をうつむかせたまま懇願した。
「やめて、先輩。これ以上、杉作を傷つけないで……」
砂原は無言でハンマーを床に置いた。夕子に水を向けられたことで、杉作の中の気力を支えている中枢が気絶してしまったのだろう、と砂原は語った。
「清瑞、悪いが感情に浸っている暇はない。こいつをロボ研に運ぶぞ。今夜、すぐに解体作業を行う。君は来なくていいから」
「え?」
夕子が顔を上げると、砂原は口元を優しく綻ばせていた。
「でも……先輩」
砂原はソファに放置されていた駒込のキングサイズのカーディガンを拝借し、杉作の背中をすっぽりと覆い隠すように羽織らせた。それから杉作を背中におぶった。
「いいから。それより、君はこの場の処理をしておけよ」
ふと気付くと駒込は昏倒したままだし、ファニーちゃんは半壊している。閉められてしまった玄関口の向こう側では、この騒ぎを聞き付けた大家らしき人間がやってきて、警察から部屋の鍵を開けるようにと協力を要請されている会話が聞こえてきていた。
「頼んだぞ」
二階のベランダから砂原は杉作とともに姿を消した。
残された夕子は耐えてきた涙が、じわりとにじみ出すのをとめられずにいた。掌で額を押さえ、ずるずるとその場にうずくまっていった。
鼻をすすりながら、夕子は心の中で杉作に別れを告げた。
✳ ✳ ✳
事情聴取を受けたため、夕子が警察署から解放された時には白々と夜が明けていた。ちなみに、部屋を尋ねたら駒込が倒れていたために慌てて救急車ではなく警察を呼んでしまったのだと、なんとか弁解した。迎えに来た父親には駒込との関係を怪しまれ、さらに壊れた ファニーちゃんも怪しまれ、夕子は一日で散々な目に遭った。
翌日。夕子は午後の授業から出席したものの、机に突っ伏して寝ているうちに放課後を迎えた。
身体が半分眠っているようなどんよりした目で、夕子は大正高校にあるロボ研の部室までの短い道のりをとぼとぼと歩いた。狭い部屋の扉を開けば、きっとそこには、まるで何事もなかったかのような顔をした砂原がいるのだろう。彼はそういう気の使い方がうまい。
なんだかんだ言って、砂原は杉作に力を尽してくれたのだ。夕子は感謝とお詫びを込めて、学校を少し抜け出してコンビニに寄り、苺のミルフィーユを買った。
気を落ち着けて部室のドアをノックし、開ける。
すると、夕子は視界を何かの異物に遮られた。
それは硬くて温かい、夕子のよく知っているものだった。
「ユーコさん!」
「す、杉作!」
夕子に感極まった表情で抱きついてきたのは他の何者でもない、杉作その人だった。硬直した夕子は次第に汗を滴らせていった。
「先輩……?」
パソコンに向かい、こちらには背中を向けている砂原の白衣に向かい、夕子が絶望的な声をかける。
「一体どういうことですかぁ!」
「あ、このオーブントースター欲しいなぁ。今度の日曜にのぞいてみるか」
砂原は大型家電店のチラシを広げて、遠い目をしていた。
「先輩、現実から目をそらさないで!」
「……俺だってな、少しは良心っていうものがあるんだよ」
チラシを机に投げ出して、砂原は椅子をくるりと回転させると、不機嫌な相貌を見せた。
「解体作業の準備が整ったとき、そいつ純真なウル目で俺を見て、その表情だけで、この世の不条理を訴えかけてくるんだよ。あれは犯罪だ。解体なんてできねえよ!」
「なんで砂原先輩ってそう、中途半端に優しいの?」
「褒められてるのか貶されてるのか、よくわからないが……それに、俺はまだ杉作の構造を解析していない。解体すれば、二度と同じモノは作り出せないからな。少なくとも俺の研究にたっぷり役立ってもらうまでは、解体なぞもったいないことはしない」
「やっぱりそっちの都合じゃないですか!」
一瞬でもこの先輩を優しいと思った自分がアホだったと、夕子は歯噛みした。
「改造はしたから安心しとけ。そいつの感情が高まって誰かに危害を加えそうになったら、自動的に意識失うようにしたから。今後は、殺人未遂事件までは起こさないだろう」
「……じゃあわたし、一生この子の面倒みなきゃいけないの……?」
涙目で夕子は、同じく感極まっている杉作の背中に手を回した。そして、はらはらと涙を流したのだった。
杉作には感情がある。本人が自分の役目を終えたと思ってそれを享受するまでは、解体するわけにはいかないだろう。
「ユーコさん! 僕がユーコさんにぴったりの恋人を見つけてみせます。僕が作られた理由は、あなたの恋人の代わりですから。僕の望みは、ユーコさんが本当に幸せになるために、あなたに人間の恋人ができることです。そのためなら、どんな努力も惜しみません!」
はきはきと言いながら杉作は真新しい大正高校のブレザーを取り出して、誇らしげに肩に当てた。どんな手を使ったのか、明治高校から大正高校に転校するそうである。明日から一年生として通うそうである。すべては夕子の傍にいるために。
「……こいつもそう言ってることだし、まあ、よかったじゃないか」
苺のミルフィーユにフォークを突き刺しながら、砂原はにやりと笑う。
夕子は落胆し、テーブルにずるずると落ちていった。気持ちは嬉しいが、とても迷惑だ。夕子は杉作に言ってやりたかった。
あんたがそばにいる限り、彼氏できないよ。
ロボットものといえば美少女が多いので、恋人代わりの美少年(?)を書いてみました。
でも美少女ロボットのほうが欲しいです。