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「ユニヴェール様、アルビオレックス長官からお手紙です」

 吸血鬼が食堂で紅茶を飲みながら黒猫をからかっていると、パルティータが入ってきた。

「レオナール・ミュラ一派が暗黒都市に引っ越したお祝いのお誘いでしょうか」

 ユニヴェールは銀盆にのせられたそれを取り上げ、斜めに目を通し、

「──いや」

 含んだ目をメイドにやる。

「早く報告に来いとお怒りだな」

「まだ行っていなかったのですか?」

 驚きも非難もない乾燥した疑問符。

「当たり前だろう。暗黒都市の私の領地に奴らの村と礼拝堂を造って既成事実にしてから報告に行かねば、ねちねち文句を言われるではないか」

「既成事実にしたところで言われるとは思いますが……」

「だが造ってしまえば、それをくつがえすことはできん」

「あぁ、悪徳政治屋のやりくちですね」

 遠くを見るメイドの目に、月のないパーテルの夜が映った。夏の夜の静寂は、生命のうごめきに満ちている。暗がりに潜む小さな点は同時に過去から未来への線であり、そして世界を流れる奔流でもある。

「軽口を叩いていられるのも今のうちだぞ。手紙の続きには、お前を引き渡せとあるからな。陛下のものは陛下のもの。私のものも陛下のもの。何て横暴な思想だ」

「まぁ」

 驚きも困惑もない乾燥した感嘆符。

「ヴァチカンとの関係がどうたらというのが耳に入ったらしいな。地獄耳め。あの狐目白鳥男にこっそり監視されていたとしか思えん」

「向こうの方が給料いいんでしょうか」

「引き抜きの話ではない」

「冗談です」

 メイドとして採用する時にローマの貴族出身だと言った口が、あの時のように短く笑う。

「貴方が私を引き渡すわけがありません」

 灰色の小娘が、予言のような口調でこちらを見下ろしてきた。

 吸血鬼は横目でその視線を捕える。

「人間風情が魔物と契約をして、逃げられると思うなよ」

 押しやられた紅茶のカップに、花瓶の薔薇の紅い花弁が落ちた。冷たくなった液体からはもう、芳香は広がらない。

 そして──

「分かっています」

「──ルナール!」

 パルティータのからんとした返事と、化け物吸血鬼の罵声が重なった。

 飼い主への無礼に怒った忠臣猫が、全身全霊の力でユニヴェールの手に噛み付き報復を果たしたのだ。

 黒猫を手にくっつけたまま立ち上がり、ぶんぶん振り回す吸血鬼。

「ユニヴェール様」

「何だ!」

「死人は痛みを感じないのでは?」

 しばし天井を仰ぐ貴人。

 まだ猫をくっつけたまま手を打つ。

「……あぁそうだった」




◆  ◇  ◆



 

 それから数日後、暗黒都市へ報告に行った帰り、あの回廊の終点で、ユニヴェールは再び侍従長官に呼び止められた。

「ユニヴェール卿、貴方のところのメイドの件ですが、」

「パルティータ・インフィーネに関して、暗黒都市の指図は受けんよ」

 慇懃な口調を取り去って、ユニヴェールは振り返った。

 どうやら彼女のことはアルビオレックスの独断であるらしく、女王へレオーナル・ミュラの報告をした際には話題に出なかったのだ。

「芽は早めに摘むべきです」

「芽は咲かせなければつまらないだろう」

「そのために己が枯れることがあるかもしれませんよ」

「それはない。私だからな」

 淡々と断じた不滅の吸血鬼は、そこで話題をも断じた。

 一拍置いて、訊く。

「陛下は、お前も、あの男のことをあの男が吸血鬼になる前から知っていただろう?」

 応えはない。

「アヴァルは異端の村。それが領主からヴァチカンに報告されるのは当たり前として、では領主には誰が情報を渡したのだろうか」

「さぁ、誰でしょうね」

 アルビオレックスの穏やかな目が、奥で笑う。

「そこまでして欲しいような器かね、レオナール・ミュラは」

「──陛下のお考えですから」

 死人を魔物として甦らせることができるのは、神の特権ではない。神の怒り、女王の引き抜き、化け物吸血鬼の気まぐれ。

 闇に狙われた者がその底なし沼から逃れることは難しい。

 一介の雇われ騎士であったミュラもまた、生身の人間であった時からすでに首に縄をかけられていたのだ。暗黒都市は、彼の運命を神から奪い取ったのである。

 ……それとも、神が手を放したのか。

「ところでユニヴェール卿、彼らの居住区に礼拝堂を建てているそうですね」

「頼まれたものは造ってやらねばなるまい? 何を信じようと私は構わんさ」

 ユニヴェールは毒に満ちた冷貌で笑った。

「肝心なところだけおとなしく従っていれば何をしようと奴らの勝手だ」

「そういえば結局、彼らは暗黒都市に忠誠を誓っていませんでしたね」

「暗黒都市に忠誠を誓っている私に忠誠を誓っているんだから、似たようなものだろう」

「貴方は、」

 白鳥の微笑が硬化する。

「そうやって自分の手駒を増やしていつか我々に反旗を翻すつもりでは?」

「まさか」

「実際に貴方は陛下の母上を滅ぼしている」

「私が死ぬ前の話だ。それに私は、反逆するとしてもひとりでやるさ。面倒臭くてちまちま手駒なんか増やしていられるか」

 話を聞いているのかいないのか、アルビオレックスの双眸が紅蓮を灯す。

「もし本当に陛下に危害が及ぶことがあれば我々は──」

 ユニヴェールは薄い笑みで彼の言葉を遮った。

「滅ぼせるものなら、」

 他の誰にも聞こえぬよう、低く歌うように。

「滅ぼしてみろ」


 そしてきびすを返した吸血鬼は、立ち尽くす紅の魔物を背に靴音を響かせた。

 揺らぐ黒衣はやがて、濃密な城の瘴気に紛れゆく。

 赤い月の下、パーテルの森の奥。



THE END




用語:ブラン・ド・ノワール:現在では、黒ぶどうから作られる白いシャンパンのこと。けっこう貴重。シャンパンは17世紀に生まれたそうなので、この話ではその意味はありません。

出展:ベルナールのお言葉要約 ジョルジュ・タート「十字軍」より

冷笑主義シリーズを知っておられる方:「ジェノサイド」より前の話です。

執筆時BGM:

Audiomachine 「Lachrimae」

Two Steps From Hell「To Glory」「Heart of Courage」「Protectors of the Earth」「United We Stand,Divided We Fall」

City of the Fallen「Seraphim」

Clint Mansell 「Requiem for a Dream」

Veiger 「Revelations」

PAIN feat.Anette Olzon「Follow Me」

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