【聖女考案】「私、殿下亡き後はレオンハルト様と結婚してイチャイチャいたしますわ」「うわぁあぁん、俺を謀ったなアンネリーゼ……!」【ショック療法】
「――フハハハッ! 見ろアンネリーゼ! 城下に見える民たちが豊作だぞ!」
皇城の尖塔に上がり、賑わう城下町とその奥に広がる農地を眺めながら。
ツェーザル皇太子殿下は、今日も元気そうに高笑いを響き渡らせました。
けれどその婚約者である私は、とてもそれどころではありませんでした。
「ええ。ところで殿下。先日お越しいただいた聖女様の件ですが」
「俺は改心などしないぞ、アンネリーゼ! ククッ、これで今年も国庫が潤うはずだ……!」
渾身の悪いお顔をされ、大仰な身振りで力説されている殿下は、まだ私と同じく、十七の若い御身です。
「理由をつけてさり気なく納税させ、その税で公共事業を整えているだけとも意識させず、ボケるまで平和に過ごさせて、安心して消費させてやる……! タンスに死蔵金など許すと思うなよ……!」
殿下が最近やけに好まれている、喪服のような黒いジャケットに、黒いパンツとロングブーツ。大袈裟なほど鮮やかな赤のマント。
私はその背を見ていられず、しかし目を離すこともできずに、殿下の柔らかな薄茶色の髪が風に揺れるのを眺めました。
「……ですが、殿下もご存知のとおり、今の殿下は、民たちのあいだで、悪役皇太子と呼ばれておりますわ。聖女様もそのことを気にかけられていると」
「ハハハ、まあな! 実際にそうなのだから仕方あるまい! この壮大な循環の中で、ちまちまと税を掠め取ることこそ、我が皇家の儲け! そして、あのようにイチャイチャとデートなどをしている、けしからん奴らの未来こそが我が国の力だ!」
殿下の指先が、ビシッと勢いよく眼下の一点を示しました。私が窓辺に近づいて地上を覗き込むと、殿下の従兄弟である金髪のレオンハルト様と、先日この世界にお越しになった黒髪の聖女様が、仲睦まじそうに皇城の外苑を歩いておられました。
「……ええ、そうでございますわね」
皇弟の子であり、いずれは公爵となる身でありながら騎士としての訓練も積まれているレオンハルト様と、異界から時空さえも超えてこられたという、お可愛らしい聖女様。
お二人は、和やかに笑い合いながら、見えなくなっていかれました。
「……どうした? つまらなさそうだな、アンネリーゼ。それならもう夕刻からのつまらん作法の勉強など放り出して、今日は街に遊びにでも行くか? 俺のような悪役皇太子なら、気分転換もサマになるだろう?」
殿下は私を覗き込むように見つめて、ニヤリと微笑まれました。
「……私は……」
それ以上の言葉を探せず、私は殿下の胸元に飾られた、赤いルビーで作られた薔薇のブローチを見つめました。私の瞳と同じ色のそのブローチは、今の私にとって酷く腹立たしい物でした。
伸ばされた殿下の手が、私の頬に触れました。指先が、優しく私の顎を掬い上げます。
「では俺の命令ならどうだ? アンネリーゼ、俺のこの世の絶望に付き合ってくれ」
「……畏まりました」
殿下の紫色の双眸に映る私は、まだなんとか微笑むことができたようでした。
「ツェーザル殿下! 何をなさっておられるのですか!」
勝手に皇城を抜け出して劇場の中に入り、突然予告もなく押しかけてしまった私たちに、支配人たちが急いで皇族とその関係者用の席を整えている間。
静かな専用ロビーの扉が開き、レオンハルト様が真っ直ぐにこちらにやって来られました。後方には聖女様のお姿もございます。
おそらく皇城から街案内をして、その流れで観劇という予定を組まれていたのでしょう。
「おおレオンハルト様! よくぞ俺を見つけたな! 貴様こそなにをしているのだ? 聖女とデートか?」
どこから見ても目立つ黒装束に赤い装飾の殿下は、わざとらしく声を張り上げました。
しかしレオンハルト様は顔を顰めて殿下を見つめました。
「違います。聖女様の気分転換になればと思ってのことです。俺のことはどうでもよろしいのです。それよりも殿下。なぜこのような場所にいるのです」
「アンネリーゼとデートだからだな!」
「……殿下がアンネリーゼ様を深く想っていらっしゃることは、よくわかっております」
「えっ、いや、そのようなことはあるが、それは未来の皇妃だからであって、俺が特別にアンネリーゼを想っているかというと、ええと」
レオンハルト様の言葉に、殿下は紫色の瞳を彷徨わせてしまわれました。私は、レオンハルト様から目を逸らしました。
「ですが、殿下。せっかく聖女様がお越しくださったのです。もうすぐに、殿下のご病気の治療方法も判明するはずです」
殿下は一瞬だけ息を呑まれました。皇城からずっと繋がれていた私の手にも、ほんの少しだけ殿下が手の力を強くされたことが伝わりました。
「……レオンハルト様」
私は思わずレオンハルト様を咎めるように見つめました。
けれど、次の瞬間、殿下はいつも通りのあまり上手くない高笑いを始められました。
「……フッ、ハハハ! レオンハルトよ。俺は死ぬまで! 悪役を! 止めない! それが俺の美学だからだ」
私はその言葉に泣きたくなって、目を伏せました。
「五代続けて有能な嫡男による皇位継承で安定してきた我が国で! その末裔たる俺が、優秀な皇太子として薄幸の死を遂げれば! ……後から皇位に就くレオンハルトが無駄に苦労をするだろう?」
そうなのです。だからこそ、殿下は皇族だけが稀に罹る奇病を若くして発症したことに、ひどく絶望され——そして、お似合いにもならない悪役皇太子として振る舞い始めてしまわれたのです。
「だから俺はウザい皇太子として死ぬ! それが皇太子としての仕事だ! クハハハッ……ッゲホッゲホッ」
「殿下っ!」
私は慌ててツェーザル殿下をお支えしようと抱きつきました。
「す、すまん、唾が気道に入った……」
私だけでなく、レオンハルト様と聖女様も、無言で殿下を見つめました。
「……いや、本当にすまん……アンネリーゼ……ごめんなさい、気をつけます」
ツェーザル殿下はしょんぼりと肩を落とされてしまいました。
それでも私は縋りついた殿下から離れることができず、場所もわきまえず胸元に額を押しつけました。
そうした今は正常に動かれている脈に安心して——そしていつ止まってしまわれるかわからないことに、怖くて泣きたくて堪らなくなりました。
その後の劇の記憶は、ほとんどございません。
本来であれば、殿下と観る劇が、楽しくないはずもありませんでした。
それでも私は、時折不甲斐なく俯いてしまっては、気遣うべき殿下に、逆に気遣われてしまってばかりでした。
……私には、殿下のご病気が、いつ私から殿下を奪い去ってしまうか、もう気が気でないのです。
それに、こんなにも優しい殿下に向けられる民たちの声が、「あれが『悪役皇太子』か」となっていくことも、到底受け入れられることではありませんでした。
観劇のあと、目尻の色を整えるべく小部屋に入った私に、聖女様が密かに近づいてきて、祈るように告げられました。
「……アンネリーゼ様。どうか……殿下のために、ご決断を」
「わかっておりますわ」
もう全ては言わせずに、私は頷きました。
私にはもはや、聖女様のお告げに縋り、覚悟を決めることしかできないのです。
……たとえ、殿下に嫌われることになっても。
「——ツェーザル殿下」
その晩。
ええ、夜です。既に眠る準備を整えていらっしゃる殿下の元へ、私は身勝手で無礼な訪問を強行しました。
「なっ、なんだ、アンネリーゼ? こんな夜分に……」
白いガウンに、昼間と同じ赤いブローチ——殿下の心臓の表面にできた魔力鉱石の肥大を、ほんの僅かに抑制する器具——を付けている殿下は、慌てたように、手にされていたぬいぐるみを、素早くシーツの中に隠されました。
けれど私にはわかります。
あれは幼少期の、婚約して間もない頃に、私が贈ったテディベアのリーゼちゃんでした。紫の毛色が、私の髪色と同じなのです。
「殿下にお話がございます」
「……聞こうか」
まだ晩餐用の正装を崩していない私の様子に、殿下はどこか不安そうな表情をされてしまわれました。
やはり、悪役皇太子らしい服装を纏われた、日中のご様子とは違います。今の殿下は、きっと私がよく知る昔の殿下のままなのでしょう。
私はベッドの上に座る殿下の前に跪き、しっかりと殿下のお顔を見つめました。
そして、できる限りはっきりと告げました。
「——殿下。私は、殿下亡き後は、レオンハルト様に慰められて、いずれレオンハルト様とイチャイチャしますよ」
「……え?」
「レオンハルト様は殿下ほどでなくとも人格者ですもの。きっと上手く私の傷心も慰め、時間をかけて私の心を惹きつけてくださいますわ」
「アンネリーゼ?」
「そうして、いずれは殿下のもとにあった私の心を――」
「え、やだ」
ツェーザル殿下が、大きく目を見開かれました。
けれど私は、聞こえないふりを致しました。
「なんでしょうか? 私は、殿下亡き後も、皇后になるべく生を受けた女として生きていくことになりますわ。そして、レオンハルト様と心を通わせて」
「え、いや、それは」
「イチャイチャイチャイチャと、朝も昼も夜も仲睦まじく」
「いっ……いやだあぁあ――――っ!」
突然殿下が泣き叫ばれました。私も泣きそうになりながら、昔の泣き虫だった頃のように泣かれる殿下のお姿から、目を逸らさないことに決めました。
「俺がっ、しっ、死んだあとに! あ、アンネリーゼと、アイツが無限にイチャイチャするなんて……そんなの……いやだ……っ………!」
「殿下……キスもしますわ。何回も」
「うああぁあぁん!?」
殿下が泣きながら頭を抱えてしまわれました。
それでも私は、痛む心を抑えて続けました。
「もちろん殿下のことは時折思い出して、殿下に教わったデートコースをレオンハルト様と回りますわ」
「なん、っな、なんでっ、そんな、こと……っ! アンネリーゼッ……ぃやだぁぁ……っ!」
殿下はとうとうテディベアをシーツから引っ張り出し、わんわん泣きながら抱き締めてしまわれました。
……そろそろ効果の有無もわかるでしょうか。
「——聖女様」
「夜分遅くに失礼いたします!」
私の合図で、廊下で待機していただいていた聖女様が速やかに入室され、そのまま泣きじゃくる殿下に聖なる力を使い、魔力の測定を始められました。
「あ……! ……下がっています……! アンネリーゼ様、っ、殿下の心臓部にある魔力鉱石のエネルギー数値、あきらかに低下しています!」
「えっ、なんで……?」
殿下が呆然と目を丸くされます。
私も一瞬、叶った奇跡に動揺して、聖女様と殿下の顔を交互に見つめました。
「ツェーザル殿下っ、その調子でもっと泣いてください!」
しかし聖女様の力強いお言葉に、ハッとして口撃を続けます。
「殿下。私、殿下のお墓には、レオンハルト様と二人で夫婦として参りますわね」
「ひっ? 嫌すぎるっ……いやだぁぁあっ!」
「子供が生まれたら、殿下の名前をいただくと思いますわ。そうして私の中で、ツェーザルという名前は、殿下ではなく、私とレオンハルト様の子の名前に」
「うわぁあぁん、いやだぁぁあぁ————————!」
ぼろぼろと大粒の涙を溢れさせる殿下に、私も耐えきれず殿下の御手を握りました。
「殿下が私にアンネリーゼは可愛いなと言ってくださった回数よりも、いつかはレオンハルト様からの言葉のほうが多くなって、私も殿下のお声を忘れてしまうかも」
「ぜったいやだぁぁ——————! あんねりーぜは、おれのことわすれるなぁあぁぁ——っ!」
私は思わず懸命に頷きました。もちろん忘れることなどできるはずもございません。
「流石です、アンネリーゼ様! 素晴らしい成果です!」
「……本当にこれで良かったんですのね……ありがとうございます、聖女様」
聖女様の御声に、私は殿下の御手を握ったまま、心から感謝の言葉を告げました。
「いいえ、当然のことをしたまでですわ」
しかし当然ながら、殿下は納得いかないご様子で、恨めしそうに私たちを交互に見つめられました。
「なっ、なんでふだりじでっ、ぞんなひどいごとをぉ……っ」
「聖女様のお告げです」
「おつげ」
殿下は困惑したご様子で泣き止まれました。
「はい。殿下のご病気は、泣けば泣くほど心臓の宝石硬化病の症状が改善する、という可能性があると……その……ええと、神託のようなものを、受けたことがございまして」
聖女様は、言葉を濁しつつお答えされました。
正確には、聖女様は『ゼンセ』という概念をお持ちになり、そこで私たちの未来の別の世界線をいくつかご覧になったのだと、私にお話しくださいました。
「な、治るのか、この奇病……? え、それでアンネリーゼは、こんなに酷いことを……?」
「厳密には臨床的寛解となりそうですが……申し訳ございません、ツェーザル殿下」
そうお答えされた聖女様は、元々『ゼンセ』で見たものが現実で有効かは確信がないとのことでした。
ですので、事前に殿下や殿下の御両親である皇帝陛下と皇后陛下にお話を通した場合、過度な期待を打ち砕いてしまう可能性とその末路を、酷く恐れられておりました。
ですから私が、万が一のときは夜中に殿下の寝室に押しかけて、ただ殿下を泣かせただけの不敬な婚約者となることも覚悟するしかなかったのです。
「ですが殿下。殿下がもしも本当に亡くなられてしまったら、私はそうせざるを得なくなりますわ。レオンハルト様に縋らねば……私一人では、絶対に殿下の喪失には耐えきれません」
「……そうか……」
「今晩の無礼をお怒りになられても、どうか私から殿下の婚約者の座を奪わないでください。……数値が下がって本当に嬉しく思います、殿下」
「アンネリーゼ……もちろんだ。俺はいつも君の存在に助けられている」
殿下は鷹揚に頷かれながら、こっそりとテディベアをシーツの中に隠されました。
そして、私の手を取ると、そっと引き寄せて、しっかりと抱き締めてくださいました。
「ありがとう、アンネリーゼ。俺は、金輪際レオンハルトに君を譲ろうなんて考えない」
私は嬉しくなって、何度も頷きながら告白しました。
「はい。これからは、定期的に殿下を泣かせるべく、私は悪女になりますわ」
「え」
殿下はバッと顔を上げて、私の身体を少し離してしまわれました。
けれど大好きな紫色の瞳の下に、泣いたあとの赤みを見てしまえば、何一つ殿下に対して不満を抱こうとは思えませんでした。
「だって、皇太子を泣かせる婚約者なんて、酷い悪女ではありませんか」
「そ、そのわりに目が楽しそうだなアンネリーゼ……?」
「楽しいですわ。私もようやく悪役皇太子たる殿下の高みへと、近づくことができますもの」
私は勇気を出して殿下の頬を両手で包み、できる限り顔を寄せました。
「そして、殿下のお役に立てて、そのおかげで殿下と長く生きていけるなんて……私にとって、こんなに幸せなことはございません」
目を閉じて、ほんの少しだけ、殿下の唇に触れられたと思います。
「どうか殿下亡き後のアンネリーゼは、レオンハルト様とイチャイチャするということを、殿下は一生悲しんでくださいませ」
「……っ? いや……っうう……嘘だ、ぐすっ……は、謀ったな、アンネリーゼ……! 聖女と、共謀して、俺を泣かせるなど……!」
ちなみに後日、無理を言って聖女様に教えていただいたのですが、聖女様の『ゼンセ』では、記憶の始まりからすぐにツェーザル殿下が薨去してしまうそうです。
そして遺された私は、レオンハルト様と政略的に婚約するも、ツェーザル殿下を忘れられず、周囲にツェーザル殿下と同じ水準を求めて厳しく当たる『悪女』になってしまったとのことでした。
そして、その一年後に、ツェーザル殿下と同じ症状の方が、号泣により症状が緩和することを発見されたそうです。
「……それで、聖女との女子会とやらは楽しかったのか、アンネリーゼ」
「はい、殿下。とても楽しい一時でしたわ」
私は微笑んで頷きました。
聖女様は、なにやら『ゼンセ』も今も、私のことを『一番のオシ』として慕ってくださっているそうで、その異世界の言葉の意味はよくわかりませんが、私も聖女様とは姉妹ができたかのように親しくしております。
「とくに、レオンハルト様が次にどんな謎デートを聖女様に仕掛けられるかと、次に私が殿下をどう泣かせるかについては、非常に盛り上がりましたわ。近いうちに披露させていただきますね」
「予告の時点で怖くて泣けるぞ、アンネリーゼ。助けてくれ」
そう言って笑ってくださった今のツェーザル殿下は、以前のように柔らかな白と明るい青の服をお召しになっておりました。
それでも時折動揺して高笑いをされることから、『悪役皇太子』という愛称はまだまだ廃れることはないようです。
ですが、以前よりもしっかりと大人びられた姿では、それも貫禄のように感じると思うのは、私の贔屓目でしょうか。
「では、私はさっそく殿下にお伝えすることがございます。——殿下。私は殿下とイチャイチャしたいですわ」
「……な、何度俺を謀るんだアンネリーゼ……! うん、うぅ……!」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




