歌池 聡さまのオーボエファイター木村
『伝説のオーボエ・プレイヤー』
ワシが初めてそいつの音を聞いたのは、もう何十年前になるかのう……。
この街は、昔から若いジャズメンたちの吹き溜まりみたいなものでな。あちこちの店で、激しくセッションで競い合っていたものさ。
大物ミュージシャンを呼ぶような高級店は別だがな、ほとんどの店が飛び込みOK。曲の切れ目になると、腕に覚えのある若者が名乗り出てくるわけだ。
『オレにも吹かせてくれ、楽器はアルトサックスだ』──みたいにな。
だが、古株連中は新入りに合わせてやるほどお人好しじゃない。あえて難しい曲や珍しい曲を提案したり、難しいプレイを要求するのさ。『よし、〇〇という曲でどうだい? ただし5/4拍子で、な?』ってな具合だ。
そうやって、ほとんどの新参が鼻っ柱を折られて帰っていく中、たまにそれでもついてくるヤツや、古株の予想をはるかに超えてくるヤツが現れる。そういうヤツだけが生き残っていけるのさ。
その晩のセッションは盛り上がっていた。4人目の挑戦者がなかなかのもので、3曲ほどプレイして観客たちを熱狂させていた。
──そこに、ヤツが現れたのさ。
ほっそりとした楽器ケースを抱えた、ティーンエイジャーのような男がステージの真ん前に歩いてきた。
「お、なんだ兄ちゃん、演るのか? 楽器は何だ、ずいぶんケースが小さいが?」
「こいつは『オーボエ』さ」
一瞬沈黙が流れたあと、店内が爆笑に包まれた。
ジャズを演るのに、どの楽器を使っちゃいけないなんてルールはない。だが、自在にアドリブを組み立て、パワフルな音を出せる楽器となるとサックスやトランペットなど、ある程度限られてくる。
昔はクラリネットやフルート奏者も少しもいたが、最近はほとんど見なくなった。
それが、『オーボエ』だと?
そんなのはこれまで見たことも聞いたこともない。だいたい、オーボエっていうのは地味な割には演奏がやたらと難しいらしい。
そんな楽器でジャム・セッションに飛び入りするなんて、正気か!?
皆の困惑やバカにするような視線も気にせず、男はオーボエを組み立て、軽く音を出す。
ふくよかで繊細で、およそジャズには向いてなさそうな美しい音色だ。
ピアノの音でチューニングを確認した彼は、他のメンバーをぐるっと見回して頷いた。
「準備はいいかい、オーボエ・ボーイ。じゃ、軽ーく『Giant Steps』なんてなぁどうだい?」
こりゃまた、最大級のイヤガラセだ。この曲は転調に次ぐ転調の繰り返しで、かなりの難曲なのだ。
「それでいいよ。キーはそのままで」
そう言って、彼はカウントを刻んで、おもむろに吹き始めた。
美しい音色、そして圧倒的な技術に裏打ちされた独創的なソロ・フレーズ。
──それが『伝説』の始まりだったのさ。
彼は、『オーボエなんてジャズに向いているハズがない』という皆の思い込みを、木っ端みじんに打ち砕いた。
そしてごく短い期間で、この街の誰もが認めるトップ・プレイヤーのひとりとなり、特別な名前で呼ばれることになったのさ。
──極めて優れたジャズ・マンは、周りから愛称や異名で呼ばれることがある。『鳥』のように歌うチャーリー・パーカーとかな。
中には『公爵』エリントンや『伯爵』ベイシーのように、異名をそのまま芸名にするケースも多い。
異名で呼ばれるのって、すごく名誉なことなんだぜ?
だが、やがて彼がこの街を去ると、その名はまったく聞かれなくなってしまった。あれほどのプレイヤーが埋もれてしまったとは思えないんだがな。
──何、あいつが今でも第一線で活躍してる!? しかも本名で活動してるだと!?
せっかく俺たちが付けてやった『オーボエファイター木村』という異名を名乗らないなんて──あんたたち日本人ってのはずいぶん謙虚なんだな。
ん? 何だいその複雑そうな顔は。
──あ、そうだ。日本人なら他の日本人ジャズマンの消息も知ってるんじゃないか?
他にも何人か、異名をとるほどのすごいやつがいたんだぜ。
あんた、『タコヤキ加藤』や『ハラキリ柴田』がその後どうなったか、知らないか?




