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無謀! 瞬発力企画2 会場  作者: しいな ここみ
第四回目 『オーボエファイター木村』
93/102

菱屋千里さまのオーボエファイター木村

 恒星の表面温度と色の関係について板書しながら、俺はいつものように少し熱くなっていた。


「――つまり、青い星のほうが温度が高い。赤い星は低い。ちょっと変な感じだけど、ガスコンロの炎を思い出せばわかる。火力を上げると青くなるよな」


 誰も顔を上げない。ノートの陰で漫画を読んでいるのが見える。後ろの席ではこそこそ何かを回し合っている。


 一人だけ、背筋を伸ばしてこちらを見ている生徒がいた。ノートも開いて、ペンも持っている。俺はその姿に少しだけ救われた気持ちになって、先を続ける。


 翌週、テストを返した。彼女の答案を見て、俺は落胆した。恒星の色と温度の関係を問う問題。見事な白紙。記号問題もことごとく外れている。聞いていたんじゃなかったのか。たぶん、ただ行儀よく座っていただけなのだ。


 家に帰ると、廊下で娘とすれ違った。


「……臭い」


 それだけ言って自分の部屋に消えていく。反論する気力もなく、着替えて夕食の席に着く。妻が作った肉じゃがをかきこみながら、今日あったことを話そうとして、やめる。別に話すようなこともない。


 夜十一時半、家の明かりがすべて消えたのを確認してから、庭に出る。


 望遠鏡とCCDカメラはいつものようにセットしてある。この町は田舎だが、天文ファンには都合がいい。中古で揃えた機材で、ここ数年、彗星捜索を続けている。成果はない。毎晩、撮影して、画像を確認して、何も見つからなくて、寝る。


 彗星には発見者の名前がつく。ハレー彗星、ヘール・ボップ彗星。何百年も残る名前。百武彗星を見つけた百武裕司は鹿児島のアマチュア天文家で、大型双眼鏡であの大彗星を見つけた。アマチュアでもやれる。


 大学で天文学をやりたかった。学部の四年間でそれは確信に変わったが、奨学金をこれ以上借りる覚悟が持てなかった。返済免除になるほどの成績でもない。教員免許は、保険として取っていた。その保険を使うことになった。


 でも、天文学に「Kimura」の名前を残すことはできる。ハレーやヘールやボップや百武と並んで。それは職員室の人事評価とも、生徒の授業アンケートとも違う。何百年経っても消えないものだ。


 その夜、いつもと同じように画像を撮り、いつもと同じようにコンピュータに取り込んだ。比較確認を始めたとき、これまでになかった光の点があった。しかも、ほんのわずかに移動している。レンズの傷じゃない。既知の天体データベースと照合した。該当なし。


 手が震えた。


 翌朝、慎重に文面を整えてIAU――国際天文学連合――に報告を送った。その日は一日中そわそわしていて、授業で二回同じことを言った。生徒は誰も気づかなかった。


***

 

 数日後、メールが届いた。報告した天体は新天体として確認された。心臓が跳ね上がる。ただし、文面はこう続いていた。


「――当該天体については、独立した複数の発見報告が寄せられており、撮影時刻の精査を経て命名を行います」


 共同発見者がいる。それ自体は珍しくない。問題は人数だ。通常、彗星につけられる名前は二人まで。三人以上は稀で、三番目以降は切られる可能性がある。俺は自分の画像のタイムスタンプを何度も確認した。


 名前が入らなければ、ただの追認しただけの観測者だ。記録には残らない。


 待つ日々が続いた。


***

 

 命名通知のメールを開いたのは、深夜の庭で、望遠鏡の横だった。


 **C/2026 X1 (Oboe-FIGHTER-Kimura)**


 三名。異例の認定。そして、三番目に「Kimura」。


 俺の名前がある。


 声にならない声が出た。しばらく画面を見つめていた。


 落ち着いてから、共同発見者を調べた。一番目のOboe――Henri Oboe。検索すると、フランス、ブルゴーニュ地方在住。元リヨン大学の天文学教員で、現在はワイナリーを経営している。家業を継いだのだろう。自宅に備え付けの望遠鏡で観測を続けているらしい。


 元プロか。道理で一番だったわけだ。


 二番目のFIGHTER。人の名前ではなかった。NASAの全天調査プロジェクト。正式名称はFull-sky Imaging Grid for Hazard Tracking, Early Recognition、略してFIGHTER。まあ、NASAなら先に見つけて当然だ。


 ただ、そこには国防総省の名前があった。天体捜索に国防総省? 少し引っかかったが、すぐに思い当たった。全天を常時撮影しているなら、彗星だけじゃない。軌道上の人工衛星も全部写る。俺だって撮影中に衛星が横切って台無しになったことがある。ああ、そういうことか。


 元プロの天文学者と、米軍がスポンサーのNASAの巨大プロジェクト。そこに並んで、田舎の公立中学の理科教師の名前がある。中古の望遠鏡で。


 これで変わるかもしれない、と思った。生徒が少しは天文に興味を持つかもしれない。娘が「お父さんすごいね」と言うかもしれない。妻も何か――。


 久しぶりに、わくわくしながら眠った。


***

 

 翌朝、スマホを開いてニュースサイトを見た。


『新彗星「オーボエファイター木村」、来月地球に最接近』


 オーボエ。ファイター。木村。


 コーヒーを吹き出した。


 声に出して読むと、完全に日曜朝の戦隊ヒーローだった。あるいはお笑いコンビ。ネットのコメント欄はすでに盛り上がっていた。「戦隊モノかよ」「オーボエで戦うのか」「木村はボケ担当?」。天文学の話は誰もしていない。


 学校に行くと、生徒たちが初めて俺に食いついた。


「オーボエファイター木村が来た!」


「先生、ファイターなん?」


「仲間にフルートもいたりする?」


 教頭が「本校の木村先生が歴史的発見を……」と朝礼で紹介した。先週まで俺の名前すら前任の田村先生と間違えていた人が。


 一人の生徒が言った。


「先生、彗星見たい!」


 一瞬、期待した。天文に興味を持ってくれたのか。


「……肉眼じゃ見えないよ。写真に撮らないと」


「なーんだ」


 それだけだった。


 数日でニュースは消えた。残ったのは「ファイター木村」というあだ名だけだった。授業中に小声で「ファイター木村w」と笑うのが聞こえる。授業を聞くようになった生徒はいない。妻は「よかったね」と言ってくれたが、娘には「学校でファイター木村の娘って言われるんだけど」と睨まれた。やめてよ、と。


 地元のテレビ局から取材の申し込みがあったらしいが、教育委員会が断ったと聞いた。ネット上での取り上げられ方を見て、学校への影響を懸念したらしい。正式な理由としては、教諭個人の私的活動は、学校教育活動とは関係がない、と。教頭はあれほど持ち上げていたのに、何も言わなかった。俺の「歴史的発見」は「ただの趣味」になった。


 ――何も変わらなかった。


 

 彗星が地球に最接近する夜、俺はいつものように庭に出た。


 空気が冷たい。機材の準備をしながら、ここ数週間のことを考える。名を残したかった。残った。ただし「オーボエファイター木村」として。世間は笑い、そして忘れた。


 望遠鏡を向ける。CCDで撮影して、画像処理をしなければ存在すらわからない光。だが、最接近の今夜なら。接眼レンズを覗く。


 ――淡い光芒が、そこにあった。かろうじて、だが確かに。


 C/2026 X1 (Oboe-FIGHTER-Kimura)。


 ブルゴーニュで元天文学者がワインを作りながら見上げた空と、NASAの自動望遠鏡が機械的に探索した空と、この庭から中古の望遠鏡で俺が覗いた空は、同じだ。


 見えない彗星だ。肉眼では、誰にも見えない。でも、ここにある。


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― 新着の感想 ―
これはまた、嬉しいやら悲しいやら寂しいやら情けないやら……………。 と言って、アマチュアがNASAには勝てないよなあ。 もし一番になってても木村オーボエファイターになっただけだし、どうしようもない(-…
お題の持っていきかたがすごい。 この彗星、地球落下軌道に乗ったりしないだろうか。 オーボエファイター木村が地球来襲とか、続編が出ないかなとか。
確かにお口に液体入ったらスプラッシュしちゃうやつ
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