地湧金蓮さまのオーボエファイター木村
205○年。
「日本オーボエ協会」会長は定例会議の席上で、協会の解散を宣言した。
ざわざわ……ざわざわ……。
会場はざわつくものの、異をとなえるものはいない。
数年前、国際連合はかぎりある化石燃料資源を守るため、特殊な用途をのぞき、再生可能エネルギー(太陽光、風力、潮力、バイオマスなど)の全面転用を宣言した。
それから一年。深刻な電力不足におちいった各国は、バイオマス原料として有望な植物、ミスカンサス、さとうきび、てんさい、とうもろこしを栽培する畑は、すべて国家によって買い上げ、厳密に管理栽培することになった。そのなかに、ダンチク(Arundo donax L.)も含まれていた。
南仏、特にプロヴァンス地方では、クラリネットやサックス、オーボエなどの木管楽器のリード(吹き口)の材料として、高品質のダンチクが生産されていた。しかし、それらの畑はみな接収され、バイオマス品種栽培に転用された。そして、楽器用のダンチクの日本への輸入は止まり、日本オーボエ協会会長が解散宣言するに至ったのである。
「会長!」
ツーブロックの髪をグロスかワックスでなでつけた青年が、叫んだ。
「なにか打つ手はないんですか? われわれは。だまって諦めるしかないんですか?」
会長は、すべて白髪になってしまった頭を振りながら、あいまいな笑みをうかべる。
「だって、しょうがないだろう。木村君。世界中がこれだけのエネルギー危機にさらされているんだ。一部の楽器が演奏できなくなっても、コンサートができなくなるわけではないし」
「でも。なにか手はあるのではないですか?」
「私にできることは試したさ。竹、パルプ、合成樹脂。でもどんな原料を使っても、オーボエ独特の豊かな低音はでない。唯一無二なんだよ、ダンチクは」
「でも……。オーケストラのコンサート、最初の音合わせは、オーボエに合わせるじゃないですか。あれは、オーボエが一番大事な楽器だってことじゃないんですか?」
「ちがうよ」
会長は鼻から息をもらしながら笑う。
「音合わせなんかはどの楽器でもできる。オーボエが一番調整がむずかしいから、みんなに合わせてもらってたにすぎんのだ」
会長は、へたへたと演壇の後ろにあった椅子にすわりこむ。
木村は、会場の跳ね上げ式の座面の椅子を立ち、腕を組みながら速足で会場を出ていく。
「いや、だめだ。あきらめたらそこで試合終了だ。きっとなにか、方法があるはずだ」
木村は、音楽事典を開いて、オーボエに似た、ダンチクをダブルリードに使う木管楽器を探す。
アルメニアのドゥドゥク、トルコのメイ、イランのパーラーバーン、中国の管子。ヨーロッパ、アメリカなどと比べ、こういった国ではまだバイオマス原料栽培にかんする規制が厳しくないのでは? と木村は考えた。
木村はまずアルメニアにいって、楽器用のダンチクの畑をさがす。なぜアルメニアを一番にしたかっていうと、警備がゆるそうな気がしたからだ。
しかし、ダンチクの畑は、すでに柵で取り囲まれ、細い鉄線がはりめぐらされている。
手を伸ばして、背の高いダンチクの先のほうをたわめ、手に持ったカッターで切り取ろうと試みる。
とたんに、遠赤外線センサーかなにかにひっかかったのか、ビービーという警戒音とともに、警備隊が現れてマシンガンをつきつけ、包囲された。
「ゆっくり手をあげろ」隊長らしき人物が下手な英語で話しかける。
手に持っていたカッターとダンチクの先端は、没収された。
隊長の手はしわだらけで、しわの間に土でも入っているかのように黒ずんでいる。
「お前は日本人か」
「そうだ」
「なぜ、こんなものを取りに来た」
「オーボエという楽器があって。それの吹き口にするために、どうしてもダンチクがほしかった。ほかの材料では音がちがうんだ」
「日本にはダンチクは生えてないのか」
「ある。しかしバイオマス植物に認定されていて、厳重に管理されている。とても近づけない」
「そうか。お前の気持ちはわからなくもない。だが、命は大事にしろ。これは返してやる。大事に使え」
隊長は、パスポートにダンチクの先端をはさんで、こっそりかえしてくれた。
そのあと、次に警戒がゆるそうな、トルコに飛んだ。
空港の入国審査で、いかにも軍人とおぼしき管理官が、木村の顔とパスポートと、旧式なパソコンの画面をためつすがめつしたあと、
「お前は、キムラショウゴか」
と問う。
「そうです」
「おまえは、『オーボエファイターKIMURA』として国際手配されている。顔写真も出回っている。入国させることはできない。日本に帰ってくれ」
そのまま次の飛行機を予約させられ、強制的に帰国させられた。
もはや海外でダンチクを探すことはできない。日本の中でなにかないかと探す。日本の篳篥は「ヨシ」Phragmites australisという植物を「蘆舌」に使っていることを知り、鵜殿のヨシ原(大阪府高槻市)に探しに行った。
鵜殿のヨシ原は、宇治川・桂川・木津川が合流する地点から5キロほど下った淀川右岸にある、広大な葦原である。だが、そこのヨシは木村が探し求めているダンチクとはちがい、一回り背も低く、繊維もやわらかい。とっても同じ音がでるかわからない。迷いながらさすらう木村のまえに、地元の古老とおぼしき老人があらわれた。
「あんさん、オーボエファイター木村さんでっか」
「そうです。すでに手配書が回っているんですね。私を逮捕されますか」
「いや、そこまではせえへんけど。ここのヨシ原は、長年、外来の帰化植物とか、淀川の水質悪化とかと闘いながら、日本の雅楽協会が、大切に保持してきたもんです。ちょっと、ダンチクが輸入できんからゆうて、我々が長年大事に育ててきたものを横から奪うんは、違うんやないですか」
「そうかもしれません。僕も、もう何だかわからなくなってきました。僕がいままでこだわってきた、オーボエのあたたかく豊かな音。それももう夢か、妄想のように思えてきました」
「そうですか。あんさんの気持ちもわからないでもないですが」
「おじいさん。僕はもうどうしたらいいでしょう?」
「そうですなあ。私も難しいことはわかりませんけど。とりあえず家にかえって、あったかいおうどんでも食べて、寝たらどうですか。朝になったら、またなにか考えが浮かびますやろ」
「そうですね。そうしてみます。ありがとうございました」
木村は老人の前を辞して、その日のうちに新幹線で自宅に帰った。
自分の部屋の机の一番上のひきだしに、アルメニアから持って帰ったダンチクの先端を乾燥させたものが入ってる。木村はそれを取り出し、カッターで四つに割り、削り始める。
削りながら、いろんなことが頭にうかぶ。白髪の協会長の力のない微笑み。会場のはねあげ式の椅子の紅いビロードの色。アルメニアの警備隊につきつけられたマシンガンの土っぽいような鉄っぽいような匂い。鵜殿のヨシ原に生えてる葛の花。
そんなことをつらつら考えていると、突然眼から、涙がぽたり、と、もう七分どおり削りあげたダンチクの上に落ちた。塩分をふんだんに含んだ水をすいこんだダンチクのリードは、だめになってしまった。
【終】




