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無謀! 瞬発力企画2 会場  作者: しいな ここみ
第二回目 『お金』
36/102

菱屋千里さまのお金

 入社五年目の春、総務から一通のメールが届いた。


「確定拠出年金制度の導入に伴う説明会のご案内」


 とりあえず出席のボタンを押した。面倒だったが、制度が変わるなら一応聞いておかないとまずいだろう。会社が毎月いくらか積み立ててくれて、その運用先を自分で選ぶ制度らしい。


***


 説明会の講師は、保険会社から来た四十代くらいの男性だった。よく日に焼けていて、歯が白い。胡散臭い顔だ、と思った。


「長期的に見ますと、株価というのは右肩上がりに成長していくものです」


 講師は最初にそう言い切った。スライドには過去数十年の株価チャートが映っていて、たしかにグラフは右上に向かっている。途中で何度か急落しているが、そのたびに持ち直して、最終的には前よりも高いところに到達していた。


「ですので、皆さんは安心して長期投資に取り組んでいただけます。ここで重要になるのが、ドルコスト平均法という考え方です」


 知らない言葉だった。周りを見ると、同期の田中が真剣にメモを取っている。あいつはこういうのに素直だ。


 講師がスライドを切り替えた。さっきとは別の折れ線グラフが映し出される。株価がぐっと下がって、しばらく低迷して、やがて元の値段に戻る。その過程でドルコスト平均法なら利益が出ます、という話だった。


「このように、価格が下がった局面でも毎月一定額を買い続けることで、平均取得単価が下がります。安いときにたくさん買うわけですから、結果として――」


 僕は手を挙げた。


「あの、逆のパターンはどうなるんですか。上がってから元の値段に戻った場合」


 講師がほんの一瞬、困った顔をした。


「ええ、その場合は……高値でも買い続けることになりますので、平均取得単価が上がり……元の値段に戻ると、まあ、効率は多少悪くなりますね」


 会議室がしんとした。


 ただ、講師はすぐに持ち直した。もう爽やかな笑顔を浮かべている。


「もっとも、先ほどご説明した通り、長期的には株価は上がり続けるとされています。一時的に上下することはあっても、十年、二十年という単位で見れば成長します。ですので、途中の上げ下げに一喜一憂せず、積み立てを続けるのが大事なんです」


 なるほど、と会議室のあちこちで小さく頷く声が聞こえた。上手いものだ。都合のいいグラフで説明して、突っ込まれたら「長期では上がるから大丈夫」に逃げる。それなら最初からドルコスト平均法の話なんかしなくていい。「長期で上がるから買いましょう」、それだけでいいはずだ。要するに、給料から天引きでうちの口座に積み立ててくださいね、という話を、もっともらしく包んでいるだけだ。


 申込書の「運用商品」の欄で、僕は迷わず「定期預金型」に丸をつけた。田中が隣で「積極投資型」に丸をつけているのが見えた。お人好しめ。


***


 翌月、部署の飲み会があった。


 居酒屋で一通り飲んだ後、三つ上の山本先輩に二次会に誘われた。入社してからずっと仕事を教わっている先輩だ。連れて行かれたのは、路地裏の小さなイタリアンだった。


 先輩はワインリストを開くなり、「バローロあるじゃん」と嬉しそうに言って、ボトルを一本頼んだ。八千円。一次会で飲んだ生ビールが何杯分だろう。


「いいんですか、こんなの」


「いいよいいよ、ここは俺が出すから。これは自分への投資だよ」


 自分への投資。よく聞く言葉だ。それもお金の使い方のひとつだろう。


「それ、元取れるんですか」


 先輩がグラスを置いて吹き出した。


「お前さあ、そういうとこだぞ」


 何がそういうとこなのかよくわからなかったが、ワインは美味かった。


***


 それからずいぶんと経った。確定拠出年金の運用報告書は毎年届いていたが、ここ数年は開けたことがない。


 ある日の昼休み、食堂で田中が向かいに座ってきた。


「なあ、確定拠出年金の通知来たろ。調子いいよな」


「……どうだろうな。見てないけど」


「見てない? 俺、四倍くらいになってたわ」


「いや、そんなに増えてないと思うけど。定期預金型だから」


「え、定期預金?」


 田中はカレーのスプーンを止めて、一瞬こちらを見た。気の毒そうな顔はしなかった。ただ純粋に驚いていた。その方がきつかった。


 その夜、帰宅して引き出しの奥から未開封の封筒を引っ張り出した。残高を見る。拠出金の累計とほぼ同じ金額が並んでいた。増えた分は、缶コーヒー数本分くらいのものだった。


 四倍。あの説明会で素直に丸をつけたやつが四倍。疑って定期預金を選んだ僕は缶コーヒー数本。差額であの八千円のバローロが何十本買えるだろう。


 あの講師の言う通り、長期的に株価は上がった。それは認める。でも、やっぱりドルコスト平均法の説明はいらなかったんじゃないか。――いや、もうそういう話ではない。


***


 週末、一人でイタリアンに入った。


 ワインリストを開くと、バローロがあった。あの夜の先輩の顔が浮かんだ。


 少しだけためらって、店員を呼んだ。


「これ、もらえますか」


 自分への投資だ。元が取れるかどうかは、知らない。

2,138文字


宵越しのカネなんて持たねーよ!٩( 'ω' )و←単にあったら使っちゃう


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― 新着の感想 ―
感想返信です。 ありがとうございます。 御田文人さま > プレゼンテクニックを使われると、その段階で萎えるんですよね(-_-;) そうなんです。でもあえて矛盾を指摘する勇気もなく、黙って聞くとい…
投資の話はねえ、理屈は理解できるんだけど……………。 セミナーでは、株式は溶けたらその分は0になるじゃん、とか、国債だってギリシャを見たら安全じゃないよね、とかその辺りは説明してくんないんだよね。まあ…
 実態は自転車。  転けたくないからみんなで支えているだけで、株価の持ち直しの正体はそれ。数字と理論の詭弁。  小さな借財は返済を求められるが、大きければより投資を受けられるとは名言ですよね。(苦笑)
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