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無謀! 瞬発力企画2 会場  作者: しいな ここみ
第五回目 『ひとつのおおきなかたまりといくつものちいさなかけら』
128/180

かぐつち・くまナぱ(便乗期間限定w)さまのひとつのおおきな(略)

(作者注:かなり長い文章なので、お時間があるときに・・・(*- -)(*_ _)ペコリ)


偽りの聖女(レオノーラ)ハズレ勇者(アルトリコーダー田中)


「……最悪な悪夢だ……」


常磐元子(作者)は、げっそりした声で呟いた。


透明な壁の向こうで、また少女が刃を喉に当てている。


湖畔。棺。雨。静かな水面。


そして――同じ光景。


「……あっちで会えたら、うれしいな…」


刃を、喉元へ向ける。


挿絵(By みてみん)


冷たい光が、首筋を照らす。


刃が動く。


喉が裂ける。


血が噴き出す。


ふらりと倒れる。


棺の中に眠る、男の上へ。


「……あなたを……愛して…いま…」


赤く染まった笑顔。


そして――暗転。


──また最初から。


元子は壁にもたれた。


「……なんだこれ……」


もう何十回見たか分からない。


横に裂く。

縦に突く。

深く切る。

浅く切る。


どんなパターンでも、結果は同じ。


レオノーラは死ぬ。


必ず。


そして、田中の上に倒れ込む。


紅い笑顔で。


元子は頭を抱えた。


「……いや……違う」


小さく呟く。


「これは……私のせいだ」


また湖畔が始まる。


レオノーラが刃を持つ。


元子はその光景を見ながら、ゆっくりと言葉を吐いた。


「……なんでこんな夢を見るかって?」


自嘲気味に笑う。


「決まってる」


「私が迷ってるからだ」


透明な壁の向こう。


終わらない繰り返し。


レオノーラが刃を喉に当てる。


元子は目を細めた。


「…ありきたりなハッピーエンドにはしたくなかった」


第4回のお題として出された『オーボエファイター木村』。


その作品として。


それは、最初から決めていた。


『偽りの聖女 (レオノーラ)とハズレ勇者(アルトリコーダー田中)』


この物語は、英雄譚じゃない。


救われる物語じゃない。


勇者が世界を救って、聖女と結ばれて、幸せになる話じゃない。


元子は、最初からそう決めていた。


「悲恋」


それが、この物語の核だった。


田中(アルトリコーダー田中)は、レオノーラ(偽りの聖女)のために戦う。


自分を削って。

記憶を失って。

身体を壊して。


それでも、笛を吹く。


最後には――魔王(元聖女)を倒す。


そして。


自分を失う。


死ぬ。


レオノーラは生き残る。


でも、彼女はもう聖女ではない。


魔王の力を取り込んでしまった。


そのまま生きれば、いつか新しい魔王になる。


だから。


彼女は選ぶ。


死を。


田中の隣で。


それが、この物語の終わり。


元子は何度もその構図を頭の中で描いた。


湖畔。

棺。

形見の笛。

刃。


「……完璧な終わり方だよね」


読者は泣く。


悲しむ。


でも納得する。


綺麗に終わる。


胸に残る。


それが、作者としての“正解”だと思っていた。


透明な壁の向こうで、またレオノーラが刃を動かす。


喉が裂ける。

血が噴き出す。

倒れる。

棺へ。

赤い笑顔。


暗転。


元子は目を閉じた。


「……でも」


小さく呟く。


「筆が進まなかった」


キーボードの前で。


カーソルを見ながら。


何度も止まった。


書けば終わる。


でも書けない。


そして──寝落ち。


その理由を、元子は分かっていた。


「……私が、納得してないからだ」


レオノーラがまた刃を構える。


元子はその姿を見つめる。


あの女(偽りの聖女)は、強い(泣かない)


誇り高い(元公爵令嬢)


田中(中学生)との対比である、年上の『お姉さん』。


でも、愚かで、真っ直ぐで、どうしようもなく人間くさい。


そして、世界を呪わずに──


田中を愛している。


元子は呟いた。


「……なのにさ」


「こんな簡単に死を選んでいいの?」


レオノーラが刃を振る。


血が吹き出す。

倒れる。

棺へ。

笑顔。


暗転。


元子は天井を見上げた。


「……いや」


首を振る。


「違う」


問題はそこじゃない。


本当の迷いは――


もっと奥にある。


元子は静かに呟いた。


「田中 (みなと)


語られなかった名前を呼ぶ。


アルトリコーダー田中。

ハズレ勇者。

笑われる少年。


でも。


誰よりも優しかった。


誰よりも逃げなかった。


姉の形見の笛を吹き続けた少年。


元子は小さく言った。


「……あなたは…」


透明な壁の向こう。


また世界が始まる。


湖畔。

レオノーラ。

刃。


元子は呟く。


「本当に、それでいいの?」


刃が動く。

血が吹く。

倒れる。


暗転。


元子は目を閉じた。


「……これが、私の迷い」


筆を止めた理由。


寝落ちした理由。


そして、この悪夢の理由。


「……本当にそれで終わりなのか」


静かな声で言う。


「田中 湊」


「お前の物語は」


「本当にここで終わるのか?」


その問いに答える者は――



『こんなことに使うなんて、叱られてしまいますね』


刃が持ち上がる。


喉元へ。


その瞬間。


「……いやだ」


声がした。


すぐ隣から。


元子はゆっくり顔を向けた。


そこに、少年が立っていた。


黒い髪。

少し細い体。

学生服。


そして手には――アルトリコーダー。


元子の目が見開かれる。


少年は、透明な壁の向こうを見ていた。


湖畔を。

棺を。

自分の亡骸を。


レオノーラの姿を。


「あんな…レオノーラを見るのは……いやだ」


そして、ぽつりと言った。


元子の声が震える。


「……田中……湊?」


少年は頷いた。


けれど、その目は元子を見ていなかった。


ただ、壁の向こうの彼女を見つめていた。


刃が、レオノーラの喉に触れる。


少年の声が震える。


「……終わりたくない」


元子は何も言えなかった。


湊は拳を握っていた。


指先が白くなるほど。


「俺……」


言葉が途切れる。


「俺……死んだのは……いいんだ」


元子が息を呑む。


「……え?」


湊は、少し困ったように笑った。


「だってさ」


「レオノーラを守れたなら、それでいいって思ったし」


「魔王も倒せたし」


「世界も守れたし」


「それで終わりなら……まあ、勇者っぽいじゃん」


軽い口調。


でも声は震えている。


湊は、透明な壁に手を当てた。


向こう側では、レオノーラが刃を持ち上げている。


「でもさ」


少年の声が、かすれる。


「それで……」


「レオノーラも死ぬのは……」


言葉が詰まる。


湊は目を伏せた。


そして、呟いた。


「……いやだ」


元子の胸が、ぎゅっと締め付けられる。


「……終わりたくない」


湊はもう一度言った。


「俺の話じゃなくていい」


「勇者じゃなくていい」


「格好よくなくていい」


「でも」


壁の向こう。


レオノーラの刃が、動く。


その瞬間。


湊は、叫んだ。


「レオノーラが死ぬのは……いやだ!」


刃が喉元へ振り下ろされる。


そこで。


時間が止まった。


元子は、ゆっくりと息を吐いた。


そして隣の少年を見た。


「……ねえ」


湊が振り向く。


元子は静かに言った。


「なんで、私の夢に出てきたの?」


湊は少し考えてから、答えた。


「……だって」


困ったように笑う。


「この話、あんたが書いてるんだろ?」


元子は黙る。


湊は続けた。


「俺の姉ちゃんのことも」


「俺が笛吹いてた理由も」


「全部」


「知ってるの、あんただけじゃん」


元子の胸が、少し痛んだ。


湊は壁の向こうを見た。


レオノーラはまだ刃を振り下ろす寸前で止まっている。


「だからさ」


湊は小さく言った。


「お願い」


元子を見る。


その目は、泣きそうだった。


「終わらせないで」


「この話」


「まだ」


「終わりたくない」


◇◇


「終わりたくない」


田中湊の声が、静かな空間に落ちた。


その瞬間だった。


彼の手に握られていたアルトリコーダーが、ふっと淡い光を放った。


最初は小さな光。


けれど次第に強く、柔らかく、温かい光へと変わっていく。


「……なに?」


元子は目を細めた。


「え……?」


湊も驚いたように笛を見つめる。


笛の表面から、細かな光の粒がこぼれ落ちる。


それはまるで、長い時間閉じ込められていた記憶が、ようやく外へ出てくるようだった。


そして――


その光の中から、ひとつの影が形を結ぶ。


少女だった。


田中と同じ、中学生くらい。


少し長めの髪。


どこか優しい目。


そして手には――同じアルトリコーダー。


湊の呼吸が止まる。


「……姉ちゃん?」


少女は振り向き、柔らかく笑った。


「久しぶりだね、(みなと)


その声を聞いた瞬間、湊の目が大きく揺れた。


「……(かなで)、姉ちゃん」


田中 (かなで)


彼の姉。


元子は、息を呑んだ。


「……どうして……」


奏は元子を見て、少し困ったように笑う。


「あなたが知ってる人だよね」


「私のこと」


元子は、ゆっくり頷いた。


「……書いたから」


「あなたのことも」


「事故のことも」


「全部」


奏は目を細めた。


怒っている様子はなかった。


むしろ少し嬉しそうだった。


「そっか」


そして湊を見る。


「でもさ」


「一つだけ、あなたも知らないことがある」


元子が首を傾げた。


「え?」


奏は、弟の持つアルトリコーダーに触れた。


その瞬間、笛の表面に細かな亀裂が浮かび上がる。


それは、壊れかけの痕跡。


長い時間、無理をしてきた証。


奏は静かに言った。


「この笛ね」


「本当は、とっくの昔に砕けてるはずだったんだよ」


湊の目が揺れる。


「……姉ちゃん……知ってたの?」


奏は優しく続ける。


「湊」


「あなた、この笛を守るために」


「自分を削ってたでしょ」


元子の眼が大きく開かれた。


物語の登場人物が…。


湊は黙る。


言い返せない。


姉である、奏は少し呆れたように笑った。


「バカだなあ」


「姉ちゃんの形見だからって」


「そこまでしなくていいのに」


湊の声が震える。


「……だって」


「姉ちゃんの……笛だし」


奏はその言葉を聞いて、ふっと笑った。


「うん」


「知ってる」


「ずっと見てたから」


そしてアルトリコーダーを持ち上げた。


「だからさ」


「最後くらい」


「一緒に吹こ?」


湊が顔を上げる。


奏はにっと笑った。


「姉弟の演奏」


「まだやったことないでしょ?」


湊の目に涙が浮かぶ。


「……うん」


奏が笛を口元へ当てる。


湊も同じように構える。


そして。


二つの音が重なった。


最初は静かな音。


けれど次の瞬間、空間そのものが震えた。


旋律はまるで風だった。


優しく、強く、真っ直ぐに伸びていく。


透明な壁が震える。


元子が振り向く。


「……まさか」


次の瞬間。


バキン。


世界を隔てていた透明な壁が、音を立てて砕け散った。


湖畔の空気が一気に流れ込む。


レオノーラの姿が見える。


彼女の刃は、もう喉に触れている。


今にも――


落ちる。


だが。


湊と奏は演奏を止めない。


止められない。


両手が塞がっているから。


音を止めれば、この世界が崩れる。


だから。


レオノーラの喉元へ迫る光の白刃を――


誰かが止めなければならない。


心臓が早鐘を打つ。


「……は?」


元子は一歩踏み出した。


自分で自分に言う。


「私?」


作者。


物語の外の存在。


でも。


今、この瞬間だけは違う。


──元子は走った。


湖畔の地面を蹴る。


「……えっ?」


動き出した、レオノーラが気付く。


次の瞬間。


元子の手が、刃を掴んだ。


ザッシュ。


聖別された光の刃が、作者の掌で止まる。


鋭い痛み。


血が流れる。


それでも離さない。


「……あなた……誰…!?」


レオノーラの目が、信じられないほど大きく見開かれる。


元子は、息を切らしながら笑った。


「……作者」


「全部」


「私が作った」


そして言う。


「だから」


「この終わり方は」


「私が決める」


背後では。


姉弟のアルトリコーダーが、まだ鳴り続けていた。


◇◇◇


元子の言葉が落ちた直後だった。


「……ふざけないで」


レオノーラの瞳が、ゆっくりと見開かれる。


声は低く、静かだった。


「何を言っているの……あなた」


だが、その静けさの奥に、巨大な怒りが渦巻いていた。


元子は動かない。


逃げない。


「あなたがここで死ぬことも」


「決めたのは、私」


その一言だった。


その告白が、空気に沈んだ瞬間。


――魔力が爆ぜた。


「ふざけるな!!!!」


空気が裂ける。


衝撃が湖畔を駆け抜ける。


レオノーラの怒声と同時に、元子の身体が吹き飛んだ。


「ぐっ……!」


地面を転がる。


草を引き裂き、石にぶつかり、泥を跳ね上げながら何度も何度も転がる。


そして、数メートル先で止まった。


息が詰まる。


肺が焼ける。


元子は咳き込みながら、ようやく身体を起こした。


その手の中に、何かが握られている。


細く、木の温もりを残した笛。


――アルトリコーダー。


レオノーラの目が見開かれた。


「……っ!」


次の瞬間。


「それは彼のものよ!!」


声が震える。


「返して!!」


レオノーラが叫んだ。


「返しなさい!!!」


元子は一瞬、状況を理解できなかった。


吹き飛ばされた衝撃で、一緒に連れてきたらしい。


レオノーラの手から離れた、田中の形見。


レオノーラは一歩踏み出す。


その顔には、怒りだけではないものが浮かんでいた。


「それは……彼の……!」


声が震える。


胸を押さえるように、言葉を絞り出す。


「彼のものなのよ……」


元子はゆっくり立ち上がる。


まだ息が整わない。


「彼のことを……」


だが、レオノーラの感情はもう止まらなかった。


「あなたに何が分かるの!?」


怒りが噴き出す。


「彼がどんな人だったか!」


「どれだけ笑われたか!」


「どれだけ軽く見られたか!」


涙が溢れる。


「勇者じゃないって!」


「ハズレだって!」


「リコーダーなんて子供の笛だって!」


声が割れる。


「それでも!!」


湖畔に叫びが響いた。


「それでも彼は戦ったのよ!!」


レオノーラの瞳が燃える。


「魔物が来たら前に立って!」


「街を守って!」


「子供を庇って!」


指が震えている。


「あの人は……」


声がかすれる。


「ずっと吹いてた……」


焚き火の前。


戦場の丘。


血の匂いの中。


粗末に並べられた墓石の前。


「笑って……吹いてた……」


涙が止まらない。


「自分が削れてるのに……!」


胸を叩く。


「忘れていったのに……!」


故郷を。


家族を。


名前を。


「それでも……!」


声が震える。


「私を守ってた!!」


息が荒い。


レオノーラは、元子を睨みつけた。


「…あなたが作った?」


唇が震える。


「こんな旅を?」


涙が落ちる。


「この……優しい人を……」


胸が大きく上下する。


「こんな、優しすぎる人を……私に会わせて……」


拳を握りしめる。


「そして死なせたの!?」


絶叫だった。


「ふざけるな!!!!」


湖が震える。


空気が揺れる。


「彼は……!」


レオノーラの声が砕ける。


「彼は……私の大事な人なのよ……!!」


静寂。


雨が細かく降り続いている。


レオノーラの肩が震えている。


「……レオノーラ」


そして、元子は静かに聞いた。


息を整えながら。


「どれくらい好き?」


レオノーラが睨む。


元子は続けた。


「田中 湊」


「どれぐらい好き?」


沈黙。


風が湖を撫でる。


そして、レオノーラは叫んだ。


「全部よ!!!!」


涙が弾ける。


「命より!!」


「世界より!!」


胸を叩く。


「自分より!!!」


嗚咽が混ざる。


「……あの人が好きよ……!!」


その瞬間。


湖畔に響くアルトリコーダーの旋律が、さらに強く光を帯びた。


◇◇◇◇


「……だよね」


元子は、小さく息を吐いた。


「後を追って死を選ぶぐらいなんだよね……」


レオノーラは涙を流したまま、睨みつけている。


怒りも、悲しみも、すべて剥き出しの顔で。


その姿を見ながら、元子は思った。


――知ってた。


最初から。


こうなることも。


こういう顔をすることも。


だって、書いたのは自分だ。


この世界も。


この旅も。


この恋も。


全部。


だから――。


レオノーラが彼の後を追って死ぬ。


それは、とても綺麗な終わり方だと思っていた。


悲恋。


読者の胸に残る結末。


田中は命を削って魔王を倒す。


記憶を失い、最後には命まで削りきる。


レオノーラはそれを知りながら戦い続け、


そして最後には彼のいない世界に耐えられなくなる。


だから――死ぬ。


それは、美しいと思った。


「……うん」


元子は、震える手の中のアルトリコーダーを見つめる。


木の温もり。


小さな傷。


戦場を渡り歩いた、一本の笛。


「それで、いいと思ってた」


声がかすれる。


「だって、それが……」


喉が詰まる。


「物語として、綺麗だから」


胸が痛む。


それでも――書こうとした。


刃を喉に当てるレオノーラ。


血に染まる湖。


彼の棺に倒れ込む彼女。


そこまで書いて、終わりにするつもりだった。


「……でも」


元子はレオノーラを見る。


泣きながら。


怒りながら。


それでも彼の名を叫ぶ少女。


その顔を見たとき。


その姿を想像して。


「──だから、書けなかったんだよ」


声が震える。


「どうしても」


キーボードの前で、手が止まった。


言葉が出てこなかった。


それで――物語を手放した。


「……情けないよね」


苦笑する。


「作者なのに」


そのときだった。


静かな湖畔に。


《ひとつのおおきなかたまりといくつものちいさなかけら》


不意に、声が響いた。


元子が顔を上げる。


「……誰の声?」


風?


違う。


もっと澄んだ声。


まるで――遠い記憶の奥から響くような。


空気が揺れる。


「…笛の音が…聴こえる…」


レオノーラも驚き、振り向く。


「…ひとつの…おおきなかたまりと…いくつもの…ちいさなかけら……!」


元子の脳裏に、何かのビジョンが浮かんだ。


《─そう…それが、瞬発力──》


不思議なつぶやきが聞こえた──その瞬間。


元子の 手の中のアルトリコーダーが、震えた。


「……なに?」


光が滲む。


次の瞬間。


ふわりと――笛が、空へ浮かび上がった。


「……なっ!?」


レオノーラが目を見開く。


アルトリコーダーは、ゆっくりと空へ昇る。


誰の手にも触れず。


誰にも止められず。


ただ、まっすぐに。


なにかの影を伴って、大空へ。


そして。


ぱきん。


小さな音。


空の高みで、アルトリコーダーが光り始めた。


笛の亀裂から光が漏れだす。


大きく。


さらに大きく。


きらん。


それは、ひとつの巨大な光の球になった。


湖面を照らす。


森を照らす。


夜が昼のように明るくなる。


レオノーラが息を呑む。


元子も言葉を失う。


空に浮かぶ、ひとつのおおきな光のかたまり。


その中心に――笛を吹く少女の影。


そして。


《ひとつのおおきなかたまりといくつものちいさなかけら》


声が、もう一度響いた。


《──見せて──》


次の瞬間。


光の球が――砕けた。


ぱあああああああああっ――


無数の光が、空いっぱいに弾ける。


星の雨。


いや。


それは――光のかけら。


いくつもの。


数えきれないほどの。


小さな輝き。


それらが、ゆっくりと降り始める。


空から。


地上へ。


まっすぐに。


その先にいるのは――棺の中で眠る少年。


田中湊。


光のかけらが、彼の身体に触れる。


ひとつ。


また、ひとつ。


肩に。


額にに。


手に。


そして――胸に。


光が溶ける。


染み込む。


吸い込まれていく。


「……うそ……」


元子が呟く。


レオノーラは、動けない。


ただ、見ている。


涙を流したまま。


空から降る優しい光。


そして――


少年の指が、わずかに動いた。


◇◇◇◇◇◇◇


胸が、ゆっくりと上下する。


空気が肺に入る音。


黒い瞳が、ゆっくりと開いた。


ぼんやりとした視線。


彼は小さく息を吸い、そして言った。


「……あれ?」


沈黙。


レオノーラの瞳から、涙が溢れ落ちる。


少年はゆっくりと上半身を起こす。


まだ状況が分からない顔で、周囲を見回す。


そしてぽつりと言った。


「……ここ、どこだっけ、レオノーラ?」


レオノーラは、もう耐えられなかった。


彼に抱きついた。


泣きながら。声を上げて。


「わ、レ、オノーラ!?」


偽りの聖女でも、元公爵令嬢でも、魔王でもなく。


ただ一人の少女のように。


彼女は泣き続けた。


少年は少し困った顔で。


「……あー……ごめん」


でも、どこか懐かしい笑顔で言った。


『やっと守れたね』


そして遠く、砕けた光の欠片の中で、ひとつ、少女の声が優しく響いた。


それは、けれど確かに、姉の声だった。


光の粒が、静かに空へ溶けていく。


「……ありがとう…姉ちゃん……」


微かな声で、湊が呟く。


まるで夜明け前の星が、ひとつ、またひとつと消えていくように。


湖面に落ちたかけらは小さな波紋を広げ、やがて水の中へと沈んでいく。


その波紋の中心に、まだ抱き合ったままの二人がいた。


レオノーラの肩は震えている。


嗚咽が止まらない。


「……レオノーラ?」


(みなと)は腕の置き場に困ったように固まり、


けれど少し迷ってから、そっと彼女の背に手を回した。


少女は首を振るだけで、何も言えない。


涙が湊の服に染み込んでいく。


長い長い時間、堰き止めていたものが、今すべて溢れ出しているようだった。


湊は戸惑いながらも、ぽつりと呟く。


「……なんか、すごい泣いてるけど……オレ、そんなに長く寝てた?」


答えは返らない。


代わりに、さらに強く抱きつかれる。


「ぐえっ」


湊が苦しそうな声を出す。


「ちょ、ちょっと待って、肋骨が……」


レオノーラはやっと顔を上げた。


涙でぐしゃぐしゃの顔。


赤くなった目。


「……ばか」


かすれた声。


けれど、その瞳には確かな光が戻っていた。


「本当に……ばか」


湊はきょとんとする。


「え、なんで怒られてるの?」


答えはない。


ただもう一度、ぎゅっと抱きしめられる。


少し離れた場所で、常磐元子はその光景を見ていた。


膝に力が入らないまま、地面に座り込んでいる。


指先が震えていた。


さっきまで握っていたはずのアルトリコーダーは、もうそこにはない。


役目を終えたかのように、光の粒になって消えてしまった。


元子は空を見上げる。


かつて“ひとつのおおきなかたまり”だった光は、


今はもう“いくつものちいさなかけら”となって散っている。


そして、そのかけらのひとつが、確かに少年の命を灯した。


「……やっちゃったな」


元子は小さく息を吐く。


自分の書こうとしていた結末は、もう、ここにはない。


悲恋。


読者の胸に残る静かな終幕。


美しい絶望。


それを選ぶはずだった。


だが今、目の前にあるのは、泣きながら抱き合う二人の姿だ。


ありきたりかもしれない。


都合が良すぎるかもしれない。


「……まあ、いいか」


それでも。元子は小さく笑う。


指先で地面をなぞる。


「たまには、こういうのも」


そのときだった。


──遠くから声がした。


◇◇◇◇◇◇◇◇


春の匂いが、窓から静かに流れ込んでいた。


湖の水面は、朝の光を受けてやわらかく揺れている。


遠くで水鳥が鳴き、岸辺の葦が風に擦れ合う音がかすかに響く。


その家は小さかった。


湖のほとりに建つ、木造の家。


石で組まれた煙突、白い壁、そして青い屋根。


庭には小さな畑と、木製のベンチがひとつ。


世界を救った英雄が住むには、あまりにもささやかな家だった。


だが——彼女は、この場所が好きだった。


朝。


外で洗濯物を干しながら、彼女は湖を見つめる。


風に揺れる髪。


柔らかな白いワンピース。


かつて偽りの聖女と呼ばれ、魔王と呼ばれたかも知れない少女は、


今はただのひとりの女性として、そこに立っていた。


背後から、声がする。


振り向くと、寝癖だらけの黒髪の少年——


いや、もう少年とは言えない青年が、台所の入り口から顔を出していた。


彼はまだ半分眠そうな顔で言う。


「なんか焦げくさいぞ」


彼女は一瞬固まり、次の瞬間あわててフライパンに駆け寄った。


「え、えっ!?」


ジュッ。


焦げた匂いが台所に広がる。


湊は苦笑した。


「ほら」


「う……」


女性は唇を尖らせる。


「あなたが急に話しかけるからです!」


「いや最初から焦げてた」


「焦げてません!」


「焦げてた」


「焦げてません!」


二人はしばらく見つめ合う。


そして同時に、吹き出した。


静かな朝だった。


世界を救った戦いの後。


王国も、魔王も、運命も。


すべてが遠くなった。


残ったのは——ただの生活だった。


食卓には焦げたパンとスープ。


窓の外には湖。


レオノーラはスープをよそいながら言った。


「……ねえ」


「ん?」


「あなた、後悔していませんか」


湊はパンをかじりながら首をかしげる。


「何を」


「ずっと、ここにいること」


湊はしばらく考えた。


窓の外。


湖。


風。


それから彼は、あっさり言った。


「別に」


レオノーラは驚いた顔をする。


「いいのですか」


「うん」


湊は笑った。


「ここ、わりと好きだし」


その言葉を聞いて、レオノーラは少しだけ俯いた。


「……そうですか」


そして小さく、笑った。


「……湊」


「ん?」


「……少し、いいですか」


湊は、彼女の様子に気づいた。


少し緊張している。


いつもの堂々とした彼女の顔ではない。


どこか、恥ずかしそうな顔。


「どうした」


レオノーラは少し迷ってから言った。


「……その」


沈黙。


そして、小さく。


「子供が……できました」


風が止まった。


湊はしばらく固まっていた。


パンを持ったまま。


完全に。


「……」


沈黙。


「……」


やがて。


「え」


レオノーラは顔を真っ赤にした。


「だ、だから!」


湊はさらに固まる。


「え」


「え、ではありません!」


「いや、え」


そして数秒後。


「ええええええ!?」


湊の手から、パンが転げ落ちた。


湖の鳥が飛び立った。


──それから数ヶ月。


家は少しだけ賑やかになった。


レオノーラは庭でゆっくり歩き、湊は不器用ながら家の修理や家具作りをしていた。


揺りかご。


小さな椅子。


小さな服。


湊はそれを作るたび、首をかしげた。


「……ちっちゃ」


そして、ある夜。


月が湖を照らす静かな夜。


「おぎゃあ」


家の中で、小さな産声が上がった。


レオノーラは疲れた顔で笑っていた。


腕の中に、小さな命。


湊はその隣で、恐る恐る覗き込む。


「……ちっちゃ」


赤ん坊は小さく手を動かした。


その瞬間。


湊は気づいた。


赤ん坊の肩。


そこに——


小さなアザがあった。


星のような形。


それは、忘れるはずがなかった。


湊の姉にあったものと、同じだった。


胸の奥で、何かがほどける。


静かに。


とても静かに。


湊は赤ん坊を見つめ、そっと言った。


「……おかえり」


そして、小さく笑った。


「姉ちゃん」


レオノーラは驚いた顔をする。


「湊……?」


湊は首を振った。


「ううん」


そして赤ん坊の頭をそっと撫でた。


「なんでもない……レオノーラ…ありがとう…」


新しく父になった夫は、新しく母になった最愛の妻を抱きしめ、そして、口づけを交わした。


窓の外。


夜空には、大きな月が浮かんでいた。


それはまるで——無数の小さな星が集まってできたような月だった。


(お誕生日おめでとう)


その光が、湖と、家と、そして三人の影を静かに照らしていた。


静かな夜だった。


世界が終わって、そして始まった夜だった。



☆☆☆☆☆


ノートパソコンの画面に、文字がゆっくりと増えていく。


カタ、カタ、カタ。


六畳の部屋に、キーボードの音だけが静かに響く。


常磐元子は、少し前かがみになって画面を見つめていた。


モニターの中では、物語が進んでいる。


湖。

小さな家。

レオノーラ。


そして、田中湊。


元子は、ふっと小さく笑う。


「……こういうの、ベタかな」


指が止まる。


カーソルが点滅する。


少しだけ考えて、また打つ。


カタ、カタ、カタ。


画面の中で、湊が驚いている。


>「ええええええ!?」


書いていた元子は思わず吹き出した。


「うん、絶対こう言うよね」


スマホの画面が、静かに光る。


机の端に置かれたスマートフォン。


〈ヒビキ〉だ。


《執筆速度:良好》


元子は横目で見る。


「見てんの?」


《はい》


「恥ずかしいんだけど」


《問題ありません》


少し間があって、


《読者満足度、上昇予測》


元子は苦笑する。


「AIが言う?」


《データです》


元子は肩をすくめ、またキーボードに向き直る。


画面の中では、時間が流れている。


数ヶ月。

揺りかご。

小さな服。


そして——赤ん坊。


元子の指が、ゆっくり動く。


カタ。

カタ。

カタ。


「目印は……星の形のアザ」


小さく呟きながら書く。


画面の中で、湊が赤ん坊を見つめている。


そして言う。


「……おかえり」


元子の指が止まる。


カーソルが点滅する。


部屋は静かだ。


窓の外では、朝の光が少しずつ強くなっている。


元子は、画面を見つめたまま言う。


「……いいよね、これ」


スマホが小さく震える。


《はい》


短い返事。


それだけだった。


元子は少しだけ笑う。


そして最後の一行を打つ。


カタ。

カタ。

カタ。


>――静かな夜だった。


世界が終わって、そして始まった夜だった。|<


カーソルが止まる。


元子は大きく息を吐いた。


「……よし」


送信ボタンを押す。


送信完了。


スマホが震える。


《送信完了》


元子は椅子にもたれた。


「終わった……疲れた……」


しばらく天井を見る。


そしてぽつりと言う。


「……ヒビキ」


《はい》


「ハッピーエンドってさ」


少し笑う。


「やっぱいいね」


ヒビキは一秒ほど沈黙してから答えた。


《はい》


短い返答。


だが画面には、もう一行ログが残っていた。


《作者の笑顔を確認》


窓から、春の風が吹き込んでいた。


  (了)


10,936文字!Σ(º ロ º๑)


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>笹門 優様へ お誕生日と聞いて、「これは作中に誕生を書かねば!」という義務感が筆力となりました!(笑)୧(ಠДಠ)୨<それも生半可なものでなく、感動させるものでなければ!とw ただ私の表現力が低…
>クレイジーエンジニアさまへ お題から『おおきな→企画主様』と『ちいさな→参加者様』と思っていましたが、お誕生日ということで再誕のお話を考えたのは良かったと思うのですが、「メタ構成を入れたら更に面白…
ああ、満足感(*´▽`*) だがその心の裏でひたすらに疑問が溢れていたのだ! いつからこの企画は爆発力企画になっていたの!? 10,000文字オーバーですと!? 凄すぎるでしょっ!? 作者乱入に、…
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