七宝さまのひとつのおおきな(略)
あけみの家は、雨が降る度に雨漏りするような、食べさしの焼き魚みたいな屋根のぼろっちい建物でした。
壁紙は剥がれ、畳は湿気で黒ずみ、ところどころカビの臭いがしていました。それでもあけみにとっては、ここだけが息のできる場所でした。
トイレの奥に、貯水タンクと壊れて開かなくなった窓のヘリに跨るようにして、それはそれは大きな蜘蛛が巣を張っていました。
体はあけみの親指よりも大きく、黒褐色の腹部はつやつやと光っています。毎日帰宅すると、その蜘蛛をじっと見つめるのがあけみの日課でした。
本来、蜘蛛などというのは気持ちの悪い存在で、あけみのような年頃の女の子であれば吐き気を催してもおかしくないはずですが、彼女は違ったのです。
その蜘蛛はいつも同じ姿勢で、じっと動かず、腹の下に大きな白い卵の塊を抱えていました。
誰かが近づこうものなら、長い脚をゆっくり広げて威嚇する。その姿が、あけみにはひどく愛おしく思えたのです。
「今日もがんばってるね」
あけみが小さな声で呟きます。
「私もいつか、守れるようになりたいな⋯⋯」
学校では毎日、決まった3人に囲まれていました。
ゆいか。まりん。みすず。
彼女たちの言葉は刃物のようにあけみの胸に突き刺さり、笑い声は毒となります。
机に落書きをされ、教科書を隠され、階段で突き飛ばされても、先生は見て見ぬふりで、助けようともしませんでした。
それでもあけみは耐えていました。
家に帰ればあの蜘蛛がいる。あんなにがんばっている蜘蛛がいる。あの蜘蛛と同じように、私もがんばるんだ。そう言い聞かせながら。
しかし3人は、そんなあけみを面白く思っていませんでした。
「うわ、家もこんななんだね」
引き戸を開けた瞬間、そう言ってゆいかが嗤いました。
「汚いあんたにお似合いじゃん」
まりんが靴のまま上がり込んで、畳を更に汚します。
「⋯⋯帰って」
あけみが震えながら言いました。
「はぁ? アンタなに様なわけ?」
みすずがあけみの胸ぐらをつかみ、壁に押し付けます。
共働きで夜遅くまで帰ってこない両親を思い浮かべながら、静かに涙を流します。
その日から始まった新しい暴力は、今までとは違いました。
ここは学校のトイレでも、体育館裏でもありません。あけみの最後の砦だった場所で、殴られ、蹴られ、髪を引っ張られたのです。
それでもあけみは声を上げませんでした。
あの蜘蛛は、まだあそこにいる。大切な子どもたちの入った卵を抱えたまま、じっと耐えている。
「私も⋯⋯耐えなきゃ」
唇が切れて痛む中、あけみはそう思いました。
「いつか私にも守るべきものができる。そのために、今は耐えるんだ」
数日後のことです。
いつものように3人が家にやって来て、今度は遊び半分で家の中を物色し始めました。
「キモ。あたしらもう中学生なのに、こんな小学生みたいなぬいぐるみ持ってんだ」
あけみの大事にしているクマのぬいぐるみを雑に掴んで、みすずが言いました。
「不味いジュース飲んだらおしっこしたくなっちゃった」
そう言ってまりんはトイレに入りました。
次の瞬間、まりんの悲鳴が聞こえ、2人が駆けつけます。
「あれ⋯⋯蜘蛛! キモい!」
まりんの指さす方を見る2人。
「でっか⋯⋯」
「うわ、超キモ⋯⋯⋯⋯あっ」
ゆいかが目を輝かせました。
「ねぇあけみ、こいつ食ったらさ、あんたのこと認めてあげるよ」
「いいね、それ」
みすずが笑います。
「無理だよそんなの⋯⋯」
震えながらもなんとか声を絞り出すあけみ。
「は? うちらに認められたくないわけ?」
「あんたも仲間みたいなもんでしょ、キモいんだし」
「食べろよ」
味方のいない中、3人に囲まれます。
「みーちゃん、台所に菜箸あったよね。あれで食わせよう」
「じゃ、ゆいぴはそいつ押さえといてよ」
ゆいかがあけみの両腕を後ろからがっちりとホールドし、まりんは顎を掴み、無理やり口を開かせました。
「おまたせ」
みすずが蜘蛛を卵の塊ごと持ち上げ、あけみの口へ運びます。
「やめて⋯⋯お願い⋯⋯!」
あけみの声は涙と恐怖で揺れています。
「ブッサイクな顔と声。キモいんだよ、おまえ」
みすずは笑いながら、蜘蛛をあけみの口へ押し込みました。
「ううっ⋯⋯やあ⋯⋯め⋯⋯」
「ほら、ちゃんと噛みなさいよ」
まりんが力を入れますが、なかなか口が閉じません。あけみが全力で抵抗しているのです。
「みすずも手伝ってよ」
「おけ」
2人のパワーに押されながら、あけみは命がけで口を開きました。が、ついに歯が触れてしまいました。
その瞬間、「ぷちん」という感覚が歯に伝わりました。それから次々に「ぷちん」「ぷちん」と卵が割れ、舌の上を無数の脚が歩き始めました。
「ニョガーーーーーッ!!!!」
あけみはみすずの顔に覆い被さるようにして、口の中の蜘蛛の子たちを吐き掛けました。
「ぎゃあ〜〜〜〜〜~!!!!!!!」
みすずの聞いた事のない声量の絶叫に怯む2人。
「んにゅー!」
独特な掛け声で後ろのゆいかに肘を食らわせ
「おりゃあ!」
スタンダードな掛け声でまりんの顔面をぶん殴ると、あけみは蜘蛛の子たちを1匹残らず吸い込んでトイレを出ました。
「ボアアっ!」
トイレ前の床に口の中の大蜘蛛と蜘蛛の子たちを一斉に吐き出すあけみ。
「良かった、みんな生きてる!」
床に落ちていた瞬間接着剤を手に取り、トイレのドアを完全にくっつけてしまいました。
「こらブス! 開けなさいよ!」
「なにしたのよあけみ!」
「こんな臭いとこに閉じ込めるなんて!」
そう、窓も壊れているのでここはたった今“開かずの間”になったのです。
「確か学校の工具セットに釘が⋯⋯」
そこらじゅうに落ちている木材を片っ端からトイレの戸に打ち付けていくあけみ。彼女たちが二度と出てこられないようにするのです。
それからというもの、3人の叫び声が響く日々が続きましたが、あけみが家族や近所の人たちに事情を話し、理解を得ることが出来たのでノープロブレムとなりました。
2ヶ月半ほど経った頃でしょうか。最後まで生き残っていたみすずの声がようやく消えました。あけみは泣いて喜びました。
「あんなに弱かった私が⋯⋯みんなのことを守れたんだ」
この日、やっとあけみ家族の野グソ野ション生活が終わりましたとさ。めでたしめでたし。
〜後日談〜
トイレの中には骨だけになった2人の遺体と、ガリガリに痩せたみすずの遺体が転がっており、みすずの胃の中からは便が見つかりましたとさ。めでたしめでたしPart.2
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とても良かったです(๑•̀ㅂ•́)و✧
あけみ、家族、近所のひとたち、たぶんいじめっ子らの家族も含めて、誰も『善人』がいなくて、唯一蜘蛛さんだけが無垢なのが良かったです。
ちなみに私の実家にはトイレが3箇所あるので困りません(๑•̀ㅂ•́)و✧




