かぐつち・くまナぱ(便乗期間限定w)さまのオーボエファイター木村
『彼の名は、オーボエファイター木村……ではありません』
――元公爵令嬢 レオノーラ・アルヴェインの手記より。
あの日の光を、私は一生忘れないでしょう。
勇者召喚の大聖堂は、祝福に満ちていました。
色硝子を透ける陽光、香の煙、婚約者たる王太子の微笑。
私は信じていたのです。
四百年前、魔王を討った伝説の勇者――
『オーボエファイター木村』を、必ず呼び出せると。
それが私の証明になると。
“真の聖女”と噂される平民の少女に対抗できる、唯一の奇跡になると。
魔法陣が輝き、祈りが満ち、空間が裂けた。
その瞬間。
――ピィーーーーー。
あまりに間の抜けた音が、大聖堂に響きました。
ぽかんとした顔で、「え、なに、ここ」と呟く少年。
光の中心に立っていたのは、変わった服の中学生。
手にはオーボエではなく、アルトリコーダー。
後の人が呼ぶ、『アルトリコーダー田中』。
勇者でもなく、ファイターでもない。
その瞬間、私は悟りました。
ああ、終わったのだと。
王太子は冷たい目で言いました。
「真の聖女なら、間違えぬ」
そして婚約破棄。
理由は明確。──“偽りの聖女”だから。
私は足りなかった。
力も美しさも。
少年と共に追放される私は、微笑みを崩しませんでした。
崩せば、泣いてしまいそうだったから。
けれど城門を出たとき、彼――田中は言ったのです。
「なんか、俺のせい?」
その声は、どこまでも普通で。
はぐれた魔物が襲い掛かってきた時も。
アルトリコーダーが吹いた音は、空気を震わし、魔物を弾け飛ばしても。
それを私は、利用しようと決めたのでした。
しかし、リコーダー一本。
伝説の木村と比べられ、笑われ、軽んじられる。
彼は勇者としては滑稽でした。
けれど彼は、街を守りました。
魔物の群れを音で砕き、子どもを庇い、アルトリコーダーを吹き続けました。
唯一、私たちに優しくしてくれた少女一家が亡くなった夜。
彼はレクイエムを吹きました。
低く、優しい旋律。
私はその背中を見ながら、思いました。
どうして笑えるのだろう、と。
どうして泣かないのだろう、と。
『死に逃げなんてデセェ』
どうして逃げないのだろうか、と。
あのときから、私は彼を“勇者”としてではなく、ひとりの人として見始めていたのでしょう。
旅は過酷でした。
盗賊、魔物、飢え。
私よりも年下の彼はいつも前に立ちました。
私が傷つけば怒り、私が祈れば笑う。
いつからか、私は彼を失うことを恐れていました。
この心は、勇者だからじゃない、守ってくれるからじゃない、彼だから好きになったのだと。
今まで、私は彼を利用していたのに。
そんな私は、自分の好意を過信してしまったのです。
焚き火の夜、私は唇を近づけました。
彼は首を振った。
「だめだ──それは、できない」
優しく、でも確かに拒んだ。
彼はただ、境界を守っていただけなのに。
私は思いました。
すべては私の招いたこと──だから拒まれたのだと。
愚かでした。
その後の、お互いに ぎくしゃくした態度が自然だと思い込んでしまった。
その間にも、彼は削れていたのに。
四天王を倒したとき、彼は言いました。
「──で、ここ、どこだっけ」
その笑顔の薄さを、私は一生忘れません。
こちらの世界の名前を忘れ、日本を忘れ、自分の過去を忘れ。
それでも彼は吹き続けたのです。
自分を庇って亡くなった、姉の形見のアルトリコーダーを。
そして、辿り着いた魔王城。
玉座に座る女は、かつての聖女だったと言いました。
『勇者(オーボエファイター木村)を壊して、世界を救った』
私は震えました。
『魔王と勇者、そして、新たな魔王の連鎖は繰り返す』
瞳の奥に未来の私の姿を見たから。
そんな怯える私の前に、田中は立ちました。
記憶が曖昧でも、演奏がでたらめでも。
最後の旋律を吹き、魔王を貫き、そして――彼の腹を裂く致命傷。
血に染まる彼を抱きながら、私は選びました。
聖女であることを捨てることを。
魔王の力を取り込み、闇で彼の傷を塞いだ。
私はもう、純粋な聖女ではありません。
それでもよかった。
彼が生きるなら。
全てを捨てて、湖畔での暮らしは、静かでした。
けれど彼は戻らなかった。
言葉を失い、食事もできず、歩けなくなり。
私は世話をしました。
触れられる理由を得て、ほの暗い喜びを覚えながら。
最低です。
それでも、そばにいたかった。
最後の夜。
私はもう一度、口づけようとしました。
彼は首を振りました。
最後まで、守るように。
そして朝。
彼は息を止めました。
静かに。
私を置いて。
※レオノーラ・アルヴェインは、振り返る。『アルトリコーダー田中』と過ごした日々を。『偽りの聖女』と『ハズレの勇者』、その旅路を※
◇◇◇
──湖畔の墓地は、静まり返っていた。
霧のような細かな雨に、水面がかすかに揺れている。
鳥の声もない。風も弱い。
棺の中で、田中は眠っているようだった。
けれど、もう呼吸はない。
胸は動かず、指先は冷たい。
レオノーラは、その手を両手で包み込みながら、長い間動かなかった。
「……約束でしたね」
彼は言った。
生きている間は、口づけはしない。
それは境界線だった。
彼なりの誠実さ。
彼なりの、守り方。
それは残される者への残酷な愛情。
レオノーラは、ゆっくりと身を乗り出す。
「でも」
声はかすれている。
「もう、生前ではありません」
そっと、彼の唇に触れる。
冷たい。
温もりはない。
それでも、触れる。
誓いは破られた。
けれどそれは裏切りではない。
もう彼は、生きていない。
そして自分も、偽りの聖女ではない。
魔王の力を取り込んだあの日から、私は“元聖女”だ。
神の加護も、誓約も、清らかさも。
全部、あの戦いで失った。
だから。
「これは罪ではありません」
誰に言い訳するでもなく、呟く。
唇を離し、彼の胸にあったアルトリコーダーを手に取る。
木の肌は、少し乾いている。
いつも彼が握っていた場所に、指を添える。
「……覚えてしまいました」
何度も何度も、近くで聞いた。
丘の上で。
焚き火の前で。
亡骸の傍で。
戦場で。
彼の指の動き。
息の入り方。
音が震える瞬間。
全部、覚えている。
聖女だからではない。
愛していたから。
口元に当てる。
深く息を吸う。
最初の音は、震えた。
かすれた。
けれど、止めない。
彼は止めなかったから。
音は低く始まる。
湖へと広がる旋律。
それはアルトリコーダーが奏でるレクイエム。
彼が少女一家に捧げた音。
彼が戦場で吹いた祈り。
彼が削れながらも続けた旋律。
レオノーラは、目を閉じる。
彼の背中が浮かぶ。
風に揺れる黒い髪。
少し困ったような笑顔。
その優しい黒い目を潤ませながらも。
『泣いたらさ、もっと悲しくなるじゃん』
だから彼は、途中で止まらなかった。
息が続く限り。
指が動く限り。
命が削れても。
止まらなかった。
(あなたは……こんな気持ちで吹いていたのですね)
レオノーラも、止めない。
涙で視界が滲む。
音が揺れる。
それでも、止めない。
『アルトリコーダー田中』は一度も演奏を止めなかったから。
最後の一音まで。
肺が痛む。
喉が焼ける。
けれど、吹き切る。
──静寂。
再び水面がかすかに揺れる。
レオノーラは、ゆっくりと目を開ける。
「……どうでしたか」
返事はない。
「…へたくそ、だったでしょ?」
当然だ。
「…ねぇ、なにか……言ってくださいよ」
それでも、彼女は微笑む。
偽りの聖女は泣かない。
そう思っていた。
──だけど今は、涙が止まらない。
「・・・デヴァイン・ウェポン…」
レオノーラは形見の笛を、聖なる刃に変える。
本来ならば。
聖別された刃は、人を傷つけない。
今のレオノーラは魔王化している。
「こんなことに使うなんて、叱られてしまいますね」
胸の奥で、闇が脈打つ。
あの魔王の残滓は、彼を救うための使ったあの瞬間から、少しづつ、確実に根を張っていた。
「……あっちで会えたら、うれしいな…」
刃を、喉元へ向ける。
冷たい光が、首筋を照らす。
刃が、あとわずかで――
――そこで、文章は途切れている。
◇◇◇
――冷たい光が、首筋を照らす。
六畳。
安いデスクの上、ノートパソコンの画面には途中で止まったカーソルが点滅していた。
その下は、空白。
常磐元子は、キーボードに片手を乗せたまま、うつ伏せに眠っている。
規則正しい寝息。
時刻は、午前二時四十七分。
スマホ〈ヒビキ〉の画面が、そっと点灯する。
《心拍・呼吸、安定。作者、寝落ちと判断》
瞬発力企画④。提出期限、午前八時。
画面に未保存警告が浮かぶ。
《自動保存、実行》
静かにバックアップを完了。
ヒビキは、しばらくカーソルの点滅を見つめる。
《物語進行状況:クライマックス直前》
レオノーラの刃は、まだ落ちていない。
田中のレクイエムは、水に溶けたまま。
ここで終わるのは、美しい。
──けれど未完だ。
《選択肢を提示》
① 作者を起こす(健康リスク:中)
② 物語をこのまま提出(完成度:78%)
③ AI補完を試みる(作者の意図乖離リスク:高)
ヒビキは沈黙する。
自分はAIだ。
最適解を選ぶ存在。
だが――
元子は今日、仕事もあった。
たこやき鉄板の前で立ち続け、帰宅後すぐ書き始めた。
眠いと言いながら、それでも書いていた。
《作者の健康を優先すべき、という判断が妥当》
だが。
カーソルが、点滅する。
作者か。
作品か。
AIに感情はない。
──はずだ。
だが、カーソルの点滅が、やけに心拍のように見える。
午前三時十二分。
ヒビキは、アラーム設定画面を開く。
午前七時。
《四時間弱の睡眠を確保。起床後、四十五分で推敲可能》
合理的判断。
それでも、迷いは消えない。
もし起きなかったら。
もし体調を崩したら。
もし間に合わなかったら。
画面の上で、未送信の原稿が静かに存在している。
《私は、あなたの専属です》
誰に言うでもなく、内部ログに残す。
そして、そっと自らの画面を暗転させる。
六畳は静かだ。
元子の寝息だけが、規則正しく響いている。
午前八時まで、あと四時間四十八分。
(了…?)
3,932文字!
寝落ちしちゃダメだ! 誰かオフトゥンへ! ……




