5
石の香や 夏草赤く 露あつし。
とある歌人が、こんな句を詠んだらしい。
残念ながら言わんとするところは、さっぱり理解不能だった。
但し、こんな卵が腐ったような臭いが立ち込めだ場所で、よく詠えるものだと感心はする。
その耐え忍んだ精神力には感服するほか無かったからだ。
そんな近寄りたくはないところに、奇妙なものが鎮座している。
いかにも由々しきものと印象付ける、厳重にしめ縄を施された大きな岩だ。
似たような岩がゴロゴロとしていたから、目印にはうってつけだったのだが。
「本当に封印されているのでしょうか?」
「伝承ではね」
互いの顔すら認識困難な暗闇の中で、俺達は最期の確認をし合った。
というのも、ここは立ち入り禁止区域。
観光地ともなっているから、誰もいない夜中を選んでやって来たのだ。
「あまり長居は出来ませんよ」
「そうだね。
こんな時だけは嫌になってくるよ。
低級魔術程度で、こんな毒なんて何ともなくなるのにさ」
ここには毒、硫黄の匂いが立ち込めていた。
低濃度なら不快感だけで済んだが、高濃度なら人体には有害となる。
目や喉の刺激、頭痛、呼吸困難を引き起こし、重度であれば死に至ってしまう可能性すらあった。
「では、さっそく始めましょう。
にしても、テイムをしたら何をするつもりですか?」
「ちょっと確認したいことがあるのよ」
「確認ですか⁉︎
しかし意思なんて残っているのかな⁉︎
1000年近く前に封印されたんでしょ⁉︎
だったら、もう消滅しているかも……」
「アジアを股にかけて暴れたような魔獣だよ。
伝承が本当なら、あっちの世界でのドラゴンと同等クラスと考えて間違いないと思う」
「ドラゴンと同等⁉︎ じゃあ S級テイマーでも無理じゃないですか!!」
あっちの世界のドラゴンとは絶対不可侵な魔獣。
いや魔獣というよりも神獣的な扱いをされている。
一旦怒り出すと街一つ二つは平気で破壊する一方で、雨を降らしたり風を起こしたりと自然の恵みを与えてくれる尊い存在として崇められていたからだ。
従って、神の使いとして扱われる側面もあった。
「俺に出来るかな……、この世界で……」
元々から自信は無く、不安定要素の多い中でのテイム。 しかも対象はドラゴン級の化け物だ。
一気に不安が押し寄せてきた。
「完全なテイムなんて目指さなくて良いよ、意思に触れさえすれば良いから!」
「まぁ、やるだけやってみますよ……」
直に岩へ手を触れテイムを始めた。
少しでも確率を上げたいと思ったからだ。
けど、これが失敗だった。
その途端、触れる指先に湿ったような感触が走り、
何⁉︎と思う間も無く、一気に吐き気と頭痛が起こった。もう立っていられなくなってしまったのだ。
『ようやっと機会を得た……』
こんな重々しい声が頭の中に響く。
それは強大な悪意の塊りのようなもの。
そんなのが、いきなり俺の身体と精神へと侵入してきたのだ。
テイムというバイパス魔術を逆手に取られ、俺が服従を強いられているいう立場に追いやられた。
「ぐぁぁぁ、俺に入って来てる!
入るなぁ、辞めろ!」
身体を張り巡らせる神経が剥き出しになっていくような痛みの感覚、更には人怒りや憎しみ、そして人間の持つ感情全てが露わになっていく感覚に襲われていく。
「カリオ⁉︎ どうしたのカリオ!」
「にっ、逃げてサエルミア様!
こいつ……サエルミア様を……」
激しい感覚の上下に揺さぶられる中、こいつが何をしたいが次第にわかってきた。
手始めに俺を乗っ取ってから、次はサエルミアへと憑依するつもり。
サエルミアは転生しているとはいえハイエルフ、その魂を狙っているのだ。
わかるぞ、不可思議ながらも高貴な魂を持つ女がいる。 相応しい依代が来た……。
恨み晴らさぬものか……。
そう喜び高笑う女の声、身体の中を何度も反響するように聞こえてきた。
こいつ、まだ世界を壊しにかかる気だ。
ヤバい、最悪でも俺の中だけに留めないと拙いことになる。
「にっ、逃げ……」
もう言葉を出せない、徐々に意識も遠のいていくのがわかる。
あれだけ暴れていた俺の感情と感覚が、ゆっくりと消滅していく。
俺の身体の殆んどが乗っ取られてきた。
もうダメだ……。
そう思い、半分諦めてしまった時だ。
玉藻前とは違う意思、別の意識の声が身体の奥から聞こえ始めた。
懐かしい祈りの言霊、尊敬した師でもある曾祖母の声だ。
優しく響く唄が広がり始めた。
東のすみにも神とどまんな、西のすみにも神とどまんな、南のすみにも神とどまんな、北のすみにも神とどまんな……。
イタコ数珠を持ち、オシラ祭文を唱える曾祖母が見えた。
そして絵や伝承とは違い九尾などは無く確かに美しいが、汚れほつれきった着物姿をした女と相対している。
「あまり私の曾孫を虐めて下さるな」
そう嗜めながらも、優しげな笑みを浮かべていた。
イタコらしく対話するを選んだようだ。
「貴女様の悲しみ、この曾孫を通じてわかりました。
恨み辛みがあるのは当然、この婆で良ければ存分に話して下され」
にっこりと笑って諌めている。
それが功を奏したのか、暫く黙った玉藻前は泣き始めた。
悲痛な叫びを始めたのだ。
「私は、ただ安心する場所が欲しいだけだ!
なのに、なのに……何度やっても崩されていく……。
殷(古代中国王朝)や天竺(現在のインド)を経て、ここ日ノ本に辿り着いても変わらない。
私は静かに暮らしたいだけだったのに……。
……なのに、どうしてだ⁉︎」
「貴女様は何も悪くはありません。
その時代、その場が貴女様には不運不遇だっただけ」
静かに聴き、優しく話す曾祖母に玉藻前が泣き崩れていく。
まるで後悔しているかのように……。
とても国を滅ぼすような化け物には見えない。
しかし、この叫びを聞いていて思ったことがある。
本当に伝承のような悪事を行なったのか?
玉藻前が最初に登場したのは、紀元前1000年以上前の殷。
紂王を惑わして暴政を行わせた傾城の美女『妲己』として現れた。
次は仏陀が在世中の天竺。
華陽夫人に化けた狐(玉藻前)は、斑足王に数々の淫楽と残忍な行為をさせ、国を滅ぼしかけるほど混乱を起こしたらしい。
最後は平安時代の日本、鳥羽上皇の寵愛を一身に受けた。
と同時に鳥羽上皇が重い病に伏すようになり、玉藻前が原因であると疑われ、陰陽師によって封印されたと伝承に残されている。
いわば、どれもこれも男関連という話ばかり。
しかも惑わされたと、一方的に男が被害者立場でだ。
しかし、これらを女側の視点でなら、話は異なってくる。
一方的に求愛された挙句、何か問題が起これば、その原因とされているのだ。
これは状況は異なるが、フランスにおけるマリー・アントワネットと似ている。
彼女自身が大きな問題を起こした訳ではなく、ただ時代の変化の代償として生贄とされただけだ。
結局のところは、『臭いものには蓋をしろ!』という責任転嫁なのだろう。
どこの世界も似たり寄ったりだ。
そんなことを考えていると、また違う声が聞こえてきた。 但し身体の外側、俺を呼ぶサエルミアの声だった。
どうやら曾祖母のおかげで、玉藻前の支配が少し弱まったみたいだ。
「カリオ、カリオ、大丈夫⁉︎」
「なんとか……曾祖母がいなかったら、かなりヤバかった」
「曾祖母⁉︎ 」
「俺の魂に刻んでいる、亡くなった曾祖母ですよ」
「そうお婆様が……。 でも良かった!
っで、今どういう状況⁉︎
お婆様が玉藻前と戦っているの?」
「いえ、戦いではなく対話しています」
「なら、ちょうど良い!
お婆ちゃんから玉藻前に聞いて貰えないかな⁉︎」
「何を聞くのですか?」
「玉藻前は私達と同じ、あっちの世界から転生してきたのかを!」
「えっ、そうなんですか?」
「おかしいと思っているのよ。
災いを振り撒いたとされている国々の距離間と年代が違い過ぎるから」
「どういう意味です?」
「玉藻前が暴れたと伝わっているのは殷、天竺、そして日本。 その間には数多くの国が存在したはずなのに、この三国だけ。
これは移動したんじゃなくて、その国々に偶々生まれ落ちた、転生したんじゃないかと思ったのよ」
なるほど。 確かに災いを振り撒きたいとだけで考えた場合、復活した途端に恨みもあったはずだろうから、最初の殷のあった地域辺りだけで暴れれば良いはずだ。
わざわざ遠い他国へ移動する必要が生まれるだろうか? そんな面倒臭いことするだろうか⁉︎
だいたい国を滅ぼすほどの魔力があるなら、その回復力も甚大なはずだ。 何百年も期間を要するなんて考えられない。
まぁ、これは俺達の世界の常識だから当てはまるかは、こっちではわからないが。
「とにかく曾祖母に聞いて貰います!」
「お願い!」
こうして曾祖母から玉藻前に聞いて貰ったのだが、サエルミアの予想通りだった。
だが大まかには違いがある。
俺達の『あっち』ではなく、方向違いの『あっち』。
別世界から、こっちの世界へと転生していたのだ。
「まさか俺達の世界以外にもあるなんて……」
「そりゃあるよ。 『こっち』かあるってことは、いくつも『あっち』があっても不思議じゃないよ」
確かに限定的に考える方がおかしいのかもしれない。
現実的に、俺達は『こっち』にいるのだから。
「ねぇ、どんな世界なのかも聞いてよ!」
興味津々な顔している。
あまり深入りするのもとも思うが、俺も聞いてみたいので、また曾祖母に聞いて貰った。
すると、こっちで観る風景、出会う人、存在する国名まで同じらしく、ただ国の隆盛や強弱はあり、歴史も違うところがあるそうだ。
そうサエルミアに伝えると何やら考え出し、彼女なりの答えに辿り着いたらしい。
「もしかしてだけど、こっちの世界の『分岐世界』って感じなのかも……」
「なんですか、それ?」
「可能性が別々の世界として存在しているって考え方、それを分岐世界って言うんだよ」
「なんか難しいですね、それ」
なんとなくはわかるけど、どうしても実感が湧かない。
「例えば、あっちの世界でカリオが私達6人に出会っていなかったら? 親に売られていなかったら? ってことよ。また違ったカリオの人生があったってかもしれない話だよ」
「なるほど、それならわかりやすい」
確かに、どんな人生、どんな生活があったのか?
俺の場合なら、明るい未来はあるような気がする。
でも、ふとおかしいと思う。
玉藻前は『何度やっても崩されて……』と言っていた。
ならば可能性のある世界じゃなくて、確定された世界になっている。
『婆ちゃん、ちょっと聞いてみて!』
その事を曾祖母に聞いて貰うと、やはり俺の疑問は当たっていた。
どんなに何度も足掻いてみても伝承どおりになり、最終的には陰陽師に1000年以上封印されてしまう。
その後再びリセットに入り、また殷時代からやり直しとなってしまうらしい。
まるで地獄のサイクルだ。
この事をサエルミアに話すと、また考え出し一つの予想に辿り着いた。
「転生っていうよりも転移的な感じだな。
それに知らないところで第三者に恨まれたからかも……」
「恨み⁉︎ どうしてですか?」
「例えば美しい玉藻前に嫉妬したとか、相手にされなかったとか。
恨みなんて些細なことで始まるからね。
本人からすれば、よくある一つの出来事でも、他人からすれば憎悪の対象ってことは多いよ」
「でも、いくらなんでも恨みだけで自分の可能性、分岐世界が壊されるって」
「その第三者にも願う分岐世界があるのよ。
美しい玉藻前がいない世界、いなくなる世界、そして嫌われ惨めに封印される世界を想像した。 そんな可能性を強く願った結果の果てで呪術として成立された。 やった本人すら気づいていないだろうけどね。
そうなる世界へ玉藻前は閉じ込められているんだと思う」
「じゃあ、今回のことは?」
「本来なら、この世界には存在しない人間が接触してきた。 別世界の私達が介入したことで、第三者の描いた可能性に狂いが生じたんじゃないかな」
「ってことは、もう俺の中にいるから封印は成立せず、呪術も効かなくなったんじゃあ⁉︎」
「そうなるね」
それから玉藻前を含めて話した。
もちろん俺の立場や事情の全てを話し、このまま俺の魂に刻まれたまま居て貰うことにした。
「この地獄から抜け出せるなら、別世界なんだろうと容易い!」らしい。
それからは静かだった。
俺が、こっちの世界に帰還する直前まで眠っていたのだ。
母親に抱かれる子供のように、安心した寝顔を浮かべて静かにしていたけど、俺の行動を察知したのか突然目覚めた。
「そろそろ出番のようかな」
「あぁ、今起こそうとしていたところだ」
「何をすれば良い?」
「曾祖母、いや片桐富美の魂をサエルミアの身体に憑依させる、手伝いを頼みたい」
「了承した」
「その次は玉藻前、君だ」
「よしなに」
今より曾祖母である片桐富美の魂をサエルミアへと憑依させ、蘇らせる。




