第二章 出立(四)
冷たい潮風でイサセリは目を覚ました。波の音がする。隣からはワカタケの寝息が聞こえ、彼の奥には兵二人の影がうっすらと見えた。
夜更けである。わずかに膨らんでいた三日月はすでに沈み、星々が深縹色の空に瞬いていた。海上の濃霧が嘘のように晴れ渡っている。
イサセリは身を起こし、炉に目を向けた。川縁で拾った丸石で囲いを作った簡易なものだ。寝る前に燃え盛っていた炎はすっかり消えていた。寒いはずだ。敷いていた莚を体に巻き付けてから、イサセリは炉端をまさぐった。手に当たった枝を一本手に取り、炉をかき回す。まさか消えてしまったか。一瞬不安になったが杞憂だった。厚い灰を除けると、熾火の透けるような静かな赤が闇に浮かび上がった。
燃料となる枝を入れ、息を吹きかけると、火はあっという間に再生した。ほっと息を吐く。舞い上がっては消えていく火の粉を目で追いながら、イサセリは昨日のことを思い返した。
潮の流れに沿って懸命に櫂を動かしつづけていたイサセリたちは、日が暮れる前に浜へと辿り着いた。ひと気のない浜辺だった。大王たちの船団とは完全にはぐれてしまった。それでも、生きて砂浜を踏みしめた瞬間、イサセリの頬に涙が伝った。兵士たちは声を上げて泣いた。ワカタケは、泣かなかった。
みな満身創痍だったが、すぐに休むことはできなかった。背の高い兵タキツは飲み水を求めて川を探し、背の低い兵マシキは火おこしの材料を集めて加工した。そしてイサセリとワカタケは、浜に隣接する森林に穴を掘り、カチツキを埋葬した。
童頭の少年が、なぜこんなにもあっけなく命を落とさねばならないのか。掘り返したばかりの湿ったやわらかい土をカチツキの体に被せるたび、イサセリの中で怒りと悲しみをないまぜにした感情が沸き起こった。
私が神託を受けなければ――。今更そんなことを考えてしまう自分に腹が立った。カチツキの無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶ。「イサセリ様」と呼ぶあの高い声が、まだ耳の奥で響いている。
イサセリは震える手で土を掴むと、少年の安らかな顔をそっと覆い隠した。たった数日しか共に過ごせなかったことが、悲しくてならなかった。
カチツキのすべてが茶色い土で覆われた時、ワカタケが呟いた。
「すまない……」
彼は土に額を押しつけ肩を震わせていた。頭の横に置かれた拳は、血が出そうなほど固く握られていた。すまない。すまない。ワカタケは繰り返した。声が震え、嗚咽が漏れ出してからもずっと、ワカタケは、すまない、と言い続けていた。
焚き火の爆ぜる音がして、イサセリは意識を今に戻した。体は疲労で限界だった。普段使わない筋肉が悲鳴を上げていた。それにも関わらず、再び横になる気にはなれなかった。
揺らめく火の向こうに、カチツキたちの影が見えたような気がした。
「ん」
ワカタケが寝返りを打った。すぐに寝息が再開する。
イサセリは影と向き合った。
「すまなかった」
火かき棒代わりにした枝を強く握った。節目が手の腹に食い込んだ。この痛みが今は欲しかった。
「巻き込んですまなかった。……受け身だったのだ。流されるまま旅立ってしまった。本当に嫌なら逃げればよかったのだ。逃げないと私自身が選択していたのに、わかっていなかった。わかっていなかったから、自信もなく、決断もできず、人任せで……」
モモソヒメは、選択が己を作ると言った。それは、選択に伴う責任こそが人を成長させるということだ。未熟な者が責任を持ち、自らの頭で考え続けることで成熟していくということだ。
「私は決して人の上に立てる器ではないけれど、選択したことから二度と目を背けたりはしない。私に関わったすべての人に責任を持つ。もう……もう、あなたたちのような犠牲者を出さないことを誓う。だから――」
突風が吹く。砂塵を巻き込んだ火柱が立つ。それは、亡き者たちの魂を天の原へと招く神の路のようだった。イサセリは一つの火の粉も見逃すまいと目を凝らし、静かに、しかし強い決意を込めて言葉を置いた。
「見ていてくれ」




