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地つなぐ者  作者: 駿河晴星
第二章 出立

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第二章 出立(二)

 船は北東を目指していた。


 潮流にうまく乗ったため、漕ぐ手を休めても船は進んでいた。兵たちは里人お手製の握り飯を笹の葉から取り出し、かぶりついていた。波の音に紛れ、カブの漬物をかじる音が船上に響いた。


 乗り合わせた兵たちはみな若かった。気心が知れた仲なのだろう。大きな声で笑い合っている。ワカタケも絶えず楽しそうな声をあげていた。癇癖の強い弟しか知らなかったイサセリは驚きながらも安堵を覚えた。


 彼らの様子をしばし眺めた後、イサセリは立てた膝にこめかみを押し当てた。風に揺られ、小波が無数に立っていた。陽光が波の輪郭を白く浮かび上がらせ、水面は絹衣のように煌めいていた。


 大きく船が揺れる。イサセリは胸あたりの上衣を掴んだ。腹の底が掻き回されるような吐き気があった。少しだけ顔を上げると、左側にはアワ島の緑豊かな山々が、右側にはアワジ島の切り立った岩壁が続く海岸線がうっすらと見えた。もし横になることができれば、どれほど楽になることか。陸地が恋しかった。


 陸路で行ければよかったのだが、サヌキとアワジを結ぶ狭戸では頻繁に渦潮が発生する。渦に巻き込まれたが最後、船は木っ端微塵となり、乗船者は海神わたつみの世界へと呑み込まれると伝えられている。熟練の海人たちでも避ける海域だった。


 陸路で行っても荒海が待ち受けている。それならば、最初から荷運びが楽な海路を選択すべきである。理解はしている。しているが、揺れない大地を踏みたいという思いは、時とともに増すばかりだった。


 イサセリは目を閉じ、揺れる感覚から逃れようとした。すると、昔、ネホコに言われた言葉が頭をよぎった。


――海人にはなれねえな。


 ネホコとは、くにとの交易を生業にしている海人の男である。約三年おきにイサセリがいた里を訪れては、外つ国産の鉄器やガラス製品、布などを運んできて、それらを土器やサヌキ名産のカンカン石、米などと交換していった。


 ネホコの船団はいつも、二ヶ月にわたる長期滞在をしていた。優秀な巫女であるモモソヒメの占いが目的だったと思われる。イサセリはその間に、ネホコからさまざまなことを教わった。潮や風を味方につける航海の仕方、星を使った方角の確かめ方、紐の効率的な結び方、外つ国の習慣や言葉。中には、下世話な噂話もあった。


 知識に渇いていたイサセリは、ネホコから得た教えを、雨水を蓄える森のように心に留めていった。いつか使えることを信じて。しかし生来病気がちなイサセリは、数日ネホコを追いかけまわせば、同じ日数分だけ寝込んだ。そんなイサセリを見るたびにネホコは「おまえさんは海人にはなれねえな」と呆れ混じりに笑っていた。


 船酔いに負けている今のイサセリを見たら、ネホコはきっとまた笑うだろう。「ほれ、みたことか」と、波形の黥面げいめんをくしゃりと歪めて、目尻の皺を深めるだろう。


 イサセリは自嘲気味に笑った。ネホコと最後に会ったのは成人前だった。あの頃より背は伸びたし、体も丈夫になった。それでも、ワカタケや同世代の男子たちと比べると、やはり頼りなさが目立った。ここから鍛えていかなければならない。次にネホコと会った時、笑われないように。「でかくなったな」と、鱗形の入れ墨が刻まれたあの大きな手で撫でてもらえるように。


「イサセリ様」


 回想に耽っていたイサセリは、自分の名を呼ぶ高い声に、わずかに遅れて反応した。


 前を向くと、右前方の兵がこちらを見ていた。長く伸ばした黒髪は、みずらに結わず、後頭部の高い位置で一つに括られている。まだ成人も迎えていない少年兵である。この船の中で一番若いのではないだろうか。


「イサセリ様、お辛そうですが、水だけでも飲んでください。海上では思いの外、水分が失われますので」


 少年兵はそう言って、竹筒を差し出してくる。


「大丈夫だ」

「しかし、飲まれませんと」

「いや、違う。私のものがある」


 イサセリは帯にぶら下げた三つの竹筒のうち、一つの紐を解いた。まだ半分も減っていない。水は貴重で節約すべきだが、確かに飲んでいなさすぎた。この気持ち悪さは、容赦なく照りつける日の光のせいでもあるかもしれない。


 竹筒を傾けると、生温い水が唇を湿らし、喉を潤す。一口、二口と飲んでいくうちに、胸のあたりがすっと爽快になった。


「すこし楽になった。感謝する」


 少年兵は照れくさそうに頭をかいた。


「そなたの名は?」

「カチツキと申します」


 彼は元気よく答えた。


「カチツキか。覚えた。カチツキは私に付いてきてくれる者か」

「はい。ここにいる分隊はみな、イサセリ様に御供いたします」


 兵たちは気まずそうに振り返り、軽く頭を下げた。しかし、彼らの視線はすぐにワカタケへと移った。イサセリの後ろにいる二人も同じにちがいない。兵たちにとってワカタケこそが主君であり仲間なのだ。仲間が嫌っている人間とは仲良くなれない。暗にそう言われている気がした。


 船上が一瞬にして静まりかえった。幼いカチツキは空気が変わったことを感じとりながらも、自分の何がいけなかったのかわかっていない様子だった。しかしワカタケが不機嫌になったことだけは察したのか、肩をすぼめていた。


 これはよくないと思ったイサセリは、弟に声をかけた。


「ワカタケ」


 無視である。


「ワカタケ。こちらを向きなさい」


 モモソヒメを真似た威厳のある声を出すと、ワカタケは瞬時に振り向いた。


「カチツキは私を気遣ってくれただけだ。そう怒ってやるな」

「怒ってなどいない」

「怒っているではないか」


 ワカタケは眉間に深い皺を刻んでいた。これで怒っていないとは、よく言えたものだ。


「私を気に入らないのは構わないが、それを周りにぶつけるな」

「ぶつけてなどいない」


 言を聞く気配のない弟に、イサセリは深いため息をついた。どうしたものかと思いながら体勢を変えると、麻袋を蹴った。ああ、そういえば。イサセリは不意に、モモソヒメから預かった桃核の存在を思い出した。話しかけたついでに渡してしまおうと、麻袋から巾着を取り出す。露草色の組紐を解き、桃核を一つ手に取ってワカタケに差し出した。


「なんだそれは」

「桃核だ」

「だからなんだ」

「姉上からいただいた。ワカタケにも一つ渡すよう言いつかった」

「あんたはっ!」


 カッと目を見開いたワカタケが立ちあがろうとしたものだから船が大きく揺れ、乗船者はみな「うわっ」と悲鳴を上げた。周囲の船から「なんだ?」という声が聞こえてくる。


「あぶないだろう」


 注意するイサセリの手から、ワカタケは桃核をひったくった。


「なぜもっと早く渡さない」

「おまえが私を避けていたからな」

「モモソヒメ様に、礼も告げぬ無礼ものだと思われたではないか」


 それはないだろう、とイサセリは思った。弟たちの性格を把握しているモモソヒメが、そんなことで怒るはずがない。しかし、これだけ自分を軽視してくる相手に慰めを与える気にはなれなかった。


「自業自得だ」


 イサセリが言い捨てると、ワカタケは青筋を浮かべ、再び食って掛かってきた。兄弟喧嘩は、兵たちが再び櫂を漕ぎ始めても、一向に収まる気配を見せなかった。

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