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【哲学】「できないことは、できない」──自責と思いやりのあいだで

掲載日:2025/10/13

ずっと誰にも言えなかったことを、ここに残したいと思います。

精神疾患で苦しんでいる人には、少し刺激的な内容かもしれません。

それでも、同じように苦しんできた誰かに届くことを願って書きます。



■「羨ましい」と思ってしまう苦しみ


人が羨ましかった。

病名がついた人を見ると、その人が苦しんでいるのに、

なぜか自分の中に嫉妬が生まれるのが怖かった。


「どうして自分は違うんだろう」

「なんで私は、何も言えずに我慢してるんだろう」


そう思いながら、私はずっと自分を責めてきた。

他人を羨むことすら“罪”だと感じるくらいに。



■「全部、自分のせい」と思っていた頃


私が苦しいのは、誰のせいでもなく、自分のせい。

そう信じていた。


誰かを責めたくても責められなかった。

親のせいにもできなかった。

だから、全部自分の中で完結させて、

「生まれた自分が悪かった」という答えに辿り着いた。


それでも、死ねなかった。

だから、病院へ行った。



■「病名をもらう」という選択


鬱、適応障害、躁鬱、解離性障害。

いくつもの診断を経て、ようやく私は “病気” という名前をもらった。


それは、恥ではなく、救いだった。

薬を飲み、時間をかけて、少しずつ呼吸が戻ってきた。


「病気」という言葉が、自分の責任をすべて背負っていた肩から

少しだけ下りていった。



■「自責」は優しさの裏返し


私はずっと、“自分を責める”ことで生きてきた。

でも、それは「他人に迷惑をかけてはいけない」という

他人の声を自分の中に取り込んでいたからかもしれない。


つまり、自責思考は他人軸なんだと思う。


できないことは、できない。

それでも「やらなきゃ」と思ってしまうのは、

他人の期待や社会の基準に縛られているから。



■性善説と性悪説の間にいる私たちへ


最近、私は“性善説”と“性悪説”について考える。

•性善説 → 自分を責める(優しすぎる人)

•性悪説 → 他人を責める(守るための人)


どちらも必要な存在だと思う。

でも、真面目でまっすぐな人ほど性善説に傾き、

自分を責めすぎてしまう。


私はいま、少し性悪説寄りの場所にいる。

他人を責めることを覚えたというより、

「全部自分のせいにしない」ことを覚えた。


それは、悪ではなく “回復” の一歩だと感じている。



■最後に


自責できる人は、優しい人です。

その優しさはきっと、誰かの痛みを理解する力になる。


でも、どうか、限界まで責めないでください。

責めるより、許す方がずっと強い。


できないことは、できない。

その言葉を、もう少し優しく受け止めていけたら。



もし今、あなたが「自分を責めてばかり」で苦しいなら、

その責める力はきっと“他人を思いやる力”でもあります。

いつかその優しさを、自分に向けられますように。


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