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第七章 婚約と平穏



 貴族になるというのは、産まれ持った血筋以外のものも必要らしい。血筋だけあれば、どんな人間でも貴族になれると思っていたので少し驚いた。しかし、よく考えれば、私はクレセルテの伯爵家位しか知らない。そして、そこが貴族の普通なのだと、思ってしまっていたのだろう。つまり、無意識にルーベンが基準となっていたのである。

 戦を仕掛けたり、喧嘩をフッカケるのは大好きでも、戦に行って責任までは取りたくない。そういう貴族は極々一部なのかもしれない。


 伯爵家でメイド以下の下働き扱い。そうやって、育てられていた私にとっては、未知の学びばかりである。

 淑女なのだから、あれはしてはいけない、これはしてはいけないと教えてくれるマナー教師に、今日もずいぶんと口うるさいことを言われてしまった。この眼鏡の淑女に「私は幼い頃、馬小屋で寝起きしていました」と教えたら、ひっくり返ってしまうのではないかと、密かに思っている。


「えぇ、えぇ、それでは、これで本日のエチケット講座を終了いたします」

「ありがとうございました、先生」

 その言葉に席から立ち上がる。先生の方を向いたまま、片足を斜め後ろ内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる。そして、ドレスの裾をそっと指先で持ち上げて、頭を下げた。貴族令嬢の嗜み、カーテシーだ。

 ルクサリカにある公爵家に連れてこられてずいぶん経つが、生活にも慣れ、カーテシーもようやく形になってきた。最初はぎこちなさ過ぎて、転けそうだったが、最近はニーナにも褒められる位である。


「足の引き方が甘い。完璧なカーテシーとは言えません」

 しかし、教師にバッサリと切られてしまった。

 どうやら、だいぶ思い上がっていたようだ。全然形になってなかったらしい。

 ズン、と落ち込む。


「少し休憩を挟んだら、歴史の授業を始めましょう」

「・・・・・・はい」

 全く持って容赦なしである。

 教師はそんな私から視線を逸らし、鞄から分厚い本を取りだして読み始めた。私もそれに習って静かに席に着く。


 教養と社交知識と経験。

 これらは貴族社会に属する者には必要不可欠なものだ。社交をしなければ世情を把握することはできない。パーティーを開いても人が全く来てくれなかったなど、恥である。それはその家が舐められていることに他ならないのだから。

 だから、私はもっともっと色々なことを学ばなくてはいけない。だが、まずはこの教師から、社交界デビューできると太鼓判を押して貰わなくてはならない。話はそれからだろう。


「・・・・・・あぁ、ニーケー様」

「はい?」

 この生真面目な淑女が、休憩時間に話を振ってくるなど珍しい。休憩時間は、いつも小難しい本を読んで勉強しているのに。

 教師は眼鏡をズラし、座ったまま私の方へと身体を向けてきた。


「社交界デビューについてのお話がまだでしたね」

「え、社交界・・・・・・?」

「えぇ、社交界です。そろそろ、あなたも他の貴族の方々に顔を見せる次期でしょう」

「え、社交界デビュー・・・・・・?」

「ちょうど、二ヶ月後、王宮で王太子殿下の成人を祝うパーティがあるので、そちらにいたしましょう」

 教師は淡々と言葉を吐いていく。それは教科書に書いてある決まりきったことを、そのまま読み上げているかのようだった。



「二ヶ月後!!??」

 私は驚愕のあまり思わず、大きな声を出してしまった。



「大声を出したり、大きく口を開けるのは、淑女ではありません。扇子で口元を隠しなさい」

「いや、え、先生・・・・・・あの・・・・・・それは・・・・・・あまりにも急すぎるといいますか!」

「お母様とはお話が進んでいましたので、ドレスの件については問題ありません。ご両親も出席されますし、これほど大がかりなパーティーであれば、一度でご挨拶ができるはずです」

「あぁ・・・・・・」



 両親がいるし、一度で挨拶ができる。

 確かに、それは大きい。

 色々なパーティーに顔を出して【公爵令嬢】として挨拶をしなければならない。という制約がある私にはありがたいとも言える。だが、王宮でのパーティー。初めての社交界が王宮でのパーティーはあまりにも大きすぎる。しかも、これまで、自分は平民だと信じてやまなかった私が、王宮でパーティー。本当に信じられない。



「それに、このパーティならば、婚約者のアーロ様ともご一緒できますよ」



 婚約者のアーロ様。

 婚約者の、アーロ様?


「は!!???」

「・・・・・・大声を出したり、大きく口を開けるのは、淑女ではありません。これは二度目ですよ、ニーケー様」

「え、いや、え? 婚約者? 婚約者?」

「えぇ、婚約者のことだって、きちんと紹介しなければならないのですから、このパーティーをデビューに選ぶことは最適解でしょう。アーロ様もお忙しい方ですが、流石に王宮のパーティーには出席なさるはずです」

「こんや、は?」

「今夜ではありません。二ヶ月後です」

 教師は眼鏡を片手でグイッと持ち上げると、視線を持っていた本へと落とした。これで報告すべきことは全て報告し終わった、といった様子である。


 少なくとも私にとっては急な社交界デビュー決定と、婚約にめまいがした。


「・・・・・・こ、婚約?」

 そこで私はようやく思い出した。



『私と結婚してくれ』

『・・・・・・ん?』

『私と結婚してくれ』

『・・・・・・い、命ばかりは助けてください?』


 そうだ。

 私たちが初めてあったとき、私はアーロに結婚を申し込まれたのだ。

 そして、頭が混乱していた私は、求婚してきた彼に命乞いをした。


『この話の続きは君の父君に会ってからにするとしよう』

 そうやって混乱している私を見かねて、アーロはそう言って話を終えたのである。



「・・・・・・」

 額を押さえる。

 そうだ、結婚は申し込まれていた。確かに、申し込まれていたのだ。あれから、クレセンテからの今までにない猛攻が始まり、公爵もアーロも戦のせいで屋敷には顔を見せなくなったので、すっかりと忘れてしまっていた。

「・・・・・・婚約者?」

 元々、敵国のルーベンと婚約していた私が、今度は公爵家の騎士団長と婚約?

「・・・・・・え、婚約ぅ?」


 まさか、アーロもあの命乞いが「結婚します」という返事には聞こえてはいないだろう。

 婚約は教師の勘違いではないだろうか?



「ニーケー様、一人でブツブツ喋らない。はしたないですよ」

「・・・・・・はい」

 私は再び口を噤んだ。


 ・・・・・・本当に婚約してるのだろうか?

 本当に?

 全く聞いたことがないんだけど。



**



「あー・・・・・・えぇ、この国では有名な話になっているみたいね」

 ニーナが私の疑問を肯定した。そして、少し、困ったように微笑む。

「あなたを連れ戻したら結婚を申し込みたい、とアーロはバルトに許可を取っていたの。何度拒否されても、何度も何度も頼みに来てね。ついにバルトも折れたのよ。だから、彼はあなたに結婚を申し込み権利を持っているわ。

 ただ、その話がどこからか漏れて「さらわれた公爵家の令嬢は公爵家の騎士団長の婚約者で、彼女を取り戻すために戦をしている」という話になってしまったみたいなの。ほら、そういう、美談って世間は大好きでしょ? それが、真実だって信じる人間も多いのよ。

 もちろん、あなたの気持ちが大切なんだから、断ってもいいからね」

 苦笑しながらそう言うと、ニーナは紅茶に一つ、二つと砂糖を入れて、溶かしていく。


 アーロが私に結婚を申し込む許可を求めていた?

 彼はその功績から騎士の称号を得ている。

 しかし、それでは足りずに、公爵になりたいと思っているのだろうか。


「・・・・・・これは秘密なんだけどね。アーロは元々クレセルテの住人だったの。だけど、ほら、彼も緑の瞳でしょ? それで親から捨てられたらしくてね。その上、緑の瞳に対する迫害も酷かったらしくて、まだ小さい頃に村も追い出されて、空腹で彷徨って倒れていたところを、あなたに助けられたんだって言っていたわ」

「・・・・・・あのアーロさんが?」

「あのアーロがよ」


 あの立派な騎士団長のアーロが親から捨てられたなんて、想像ができない。それに、迫害されていた、なんて。

 だが、確かにクレセルテは青い瞳の人間ばかりで溢れ、その他の色には厳しい。ルクサリカ側に近い村であれば、緑の瞳に憎悪を抱く人間もいるだろう。私にも覚えがある。彼らは緑を決して許さなかった。


「・・・・・・」


 緑、緑の瞳の子供。

 行き倒れ。


「すみません・・・・・・」

「ん?」

 砂糖を溶かし終わり、続いてミルクを注ぎはじめたニーナが穏やかな声を出す。

「そういう方は・・・・・・わりと何人もいたので、ちょっと、記憶が・・・・・・」

 私に記憶力があれば「あの村の近くで助けたあの子ですね!」なんて、すぐに思い出せるのだろう。だが、さっぱりだ。そういう行き倒れの人間は数え切れないほどに見てきた。

 私にはあげられる金銭は無かったけれど、魔法がある。

 そう、食料であれば、いくらでも差し出すことができたのだ。

 だからこそ、そういう行為をしない理由など無かった。


 そして、そう言う人間は大体青い瞳をしていなかったのである。いや、青い瞳の人間もいた。いたのだが、その大半は違う色をしていた。統計を取っていたわけではないので、はっきりとは言えないけれど。


 その中の緑の瞳の人間。

 そんな瞳の人間も、もちろんいた。

 だが、それこそ、一人二人ではない。

 それに、あれほど立派になったアーロとは、似ても似つかないほど痩せこけていたはずだ。もしかすると、形相も違ったかもしれない。

 自分の記憶の中にいる痩せこけた人々とは、どうしても結びつけられない。


「ニーケー」

「はい?」

 俯いてうんうん唸っていた私は、その優しい声に顔を上げる。


 ニーナは私が帰ってきてからは、食欲戻ってきたらしい。痩けていた頬もなだらかになり、段々と食事の量も増えてきた。寝込むことも減り、最近では、ちょっとしたお茶会を屋敷のバルコニーや庭で行えるようにもなった。もう少し体力が付いたら、少し遠出をしてピクニックにでも行こうかと話している位だ。



「あなたが、見知らぬ誰かにさえ、当然のように優しいことができる。そんな子で嬉しいわ」

 覗いたニーナの瞳は愛情をたっぷりと詰め込んだ色をしていた。

「それに、アーロもとても強くて優しい人よ」

「・・・・・・はい、アーロさんは優しいです。私は敵国にいた上に、騎士団の補給をしていたのに、それでも諦めずに、どうやって私を助けるかをずっとずっと考えてくれた人ですから。

 だから、もちろん、それは知っていて・・・・・・でも、私は元々敵国の貴族と婚約もしていたので・・・・・・」

 もごもごと口ごもる私にニーナが首を傾げる。


「その貴族が好きなの?」

「いえ、それはないです。絶対にそれはないです。本当にそれはないです」

「三回言ったわね」

「えぇ、本当に、全くもってないことなので、三回言わせて頂きました」

「四回言ったわね。それにしても、良かったわ。自分の身が可愛くて、あなたに戦に行かせるような腰抜けが好きだとかいいだしたら、どうしようかと思っていたの」

「はは・・・・・・」

 ルーベンが好きなのか聞かれたので、思わず全力で拒否してしまった。だが、それだけは本当に勘弁してほしい。ルーベンもあそこまで私を粗雑に扱っているくせに、なぜか「お前は僕が当然好きだろ」みたいな態度をしていた。もちろん、好きなわけはないのだが、なぜかそう確信していて何回否定しても全く話にならなかったのである。正直、私とルーベンの婚約が結ばれたのは、ルーベンのあの「絶対に私に好かれているはず」という妙な自信のせいでもあると私は疑っていた。


「ねぇ、ニーケー」

 ニーナの笑みが深くなる。

 少し風が出てきたようだ。私は乱れる前髪を手で押さえ、ニーナの言葉を待った。

「私とバルト、そしてニーケーとアーロ。私たち、きっといい家族になれるんじゃないかしら」


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