第五章 帰還と祝福 後編
「ニーケー!! あぁ、何ということ! あぁ、わたくし、もう生きている間には会えないのかと思っていたわ!!」
アーロと馬で公爵家に向かっている途中、豪奢な紋がついた馬車の窓が開き、中に乗っていた女性に名前を呼ばれた。確かに呼ばれた名前は私の名前だが、全く持って見知らぬ女性である。
「公爵閣下の奥方。つまり、君の母君だ」
戸惑う私にむかって、アーロはそう説明してきた。
母君。
君の母君。
「・・・・・・え、私の母君?」
私は完全に思考が停止してしまった。
母君、母君?
孤児であると思っていた私の母君?
「こちらに来てちょうだい、ニーケー! あぁ、よく顔を見せて!!」
馬車の中の女性はそんな混乱のさなかにいる私を無視した。いや、私の小さな戸惑いの声など、聞こえなかったのかもしれない。
「ニーナ! 君は病み上がりなのだから、落ち着くんだ! 馬車から転げ落ちてしまう」
馬車の中から頑強そうな男性の声がそんな女性を窘めながら、その肩をさすっている。
「奥にいるのが公爵閣下。つまり、君の父君だ」
「・・・・・・え、私の父君?」
再び囁かれたアーロの言葉に更に間抜けな声が出る。
「わ、私に母君と父君? いえ、あの・・・・・・私は両親はいなくい孤児だと言われていて・・・・・・」
ニーナと呼ばれた女性とアーロは私を公爵家の娘だと思っているようだが、本当に私が公爵家の娘なのか、それは分からないのではないだろうか。ここまで喜ばれて、後から「やっぱり、偽物でした」なんて言いたくない。だからこそ、まずは否定から入ってみる。
「いえ、大半の人間は誕生するために、父親と母親が必要になるかと」
そんな気遣いに満ちた私の言葉に、アーロは表情も変えずにそう答えた。
間違ったことは言っていない。確かに、間違ったことは言っていないのだが、そうではないのだ。
「アーロ、ここからは私たちがニーケーと馬車に乗って、公爵家に帰りたいのだが」
「え」
「承知しました」
「え」
公爵閣下の言葉に、アーロが容赦なく頷いた。そして、私のお腹に巻かれた縄に手をかける。グイグイと引かれ、落馬しないように縛り付けられていたそれが、段々と緩み始めた。
「・・・・・・え」
まさか、今、初対面の自称両親たちと馬車の中という密室に入れられようとしている?
初対面なのに?
偽物の娘かもしれないのに?
嫌な汗が背中を伝う。
口を開き、それを辞退しようとした瞬間に、お腹の圧迫感がなくなる。
そして、背後から両脇に手が差し込まれ、犬猫のように抱き上げられた。
「どうぞ」
宙に浮いた身体が、犬猫そのもののように馬車へと差し出される。
「あぁ、悪いな、アーロ」
「・・・・・・・・・・・・え?」
馬車の中に放り込まれ、どれ位経ったのだろうか。
どうしたらいいのか、何を話したらいいのか分からずに、私は俯いて無言の姿勢を貫いていた。
だが、物音一つしない空間に耐えきれず、ついにそっと視線を上げた。そして、向かいの二人とばっちりと目が合う。どうやら、ずっと私の方を見ていたらしい。
左向かいには強靱な身体をもった男性の瞳は澄んだ青緑であり、髭まで焦げ茶色の髪をしている。
そして、右向かいの女性の髪は豊かな金髪であり、その瞳は私と揃いの緑だ。
──私の髪は焦げ茶色で緑の瞳をしている。つまり、この男性の髪の色とこの女性の瞳の色をちょうど合わせたような色だ。この三人を並べて親子だと言われれば、確かに知らない人間は納得するかもしれない。
しかし、中身は捨てられた孤児と敵国の公爵夫婦である。
「えっと・・・・・・」
私は恐る恐る口を開く。
「えぇ、どうしたの、ニーケー」
公爵夫人、ニーナが喰い気味に私に答える。
「喉が渇いたのかしら? それとも、お腹が空いた? 疲れたのなら、少し馬車を止めさせましょうか?」
その緑の瞳が宝石のように輝く。私と喋るのが楽しくて楽しくて仕方がない、という顔だ。よけいに心苦しくなっていく。
「いや、馬車を止めさせるのは不味い。早めに帰らなければ、クレセルテから追っ手が来る可能性もある。病み上がりのお前には悪いが・・・・・・」
「えぇ、えぇ、そうね。またクレセルテにあなたを攫われたら、私は耐えられないわ。今度こそ、私がクレセルテに乗り込んでいって辺境佰の首をかっ切ってやるわ!」
「落ち着きなさい」
ニーナが興奮して吼え、公爵閣下がそれを宥める。
彼女は体調を崩していると聞いていたのだが、ずいぶんと威勢がいい。・・・・・・いや、顔の頬は痩けており、彼女の体調は確かに思わしくなかったのだと分かる。だが、その頬は赤みが差しており、瞳がきらきらと輝いているので、とてもそういう風には見えない。
「君が戦に出ていると聞いてね。妻は倒れてベットから起きあがることもできなくなっていたのだ。しかし、アーロがようやく君を取り戻したのだと聞いて、どうしても迎えに行きたいと言ってきかなかったのだ」
公爵閣下、バルトが静かな、それでいてお腹に響くような威厳のある声で私にそう説明をしてきた。
なるほど、誘拐された娘が戦に出されていたと聞けば、血の気も引くだろう。
「えっと、ですが・・・・・・私が・・・・・・その、本物の娘さんだとは、限らないですよ?」
なぜ公爵夫婦もアーロも私を公爵家の令嬢だと、こんなにも信じているのだろうか。私の顔を見たのは今日が初めての筈である。私にはとくにこれと言った目立つ痣もなければ、特徴もない。そして、伯爵家に来る前までの記憶がないので、公爵家の物と分かるような装飾品を持っていた記憶もない。本当に何一つ持っていないのである。
「・・・・・・アーロさんたちは、なぜかそう確信しているようですけど、私は自分が孤児だと聞いていましたし、ルクサリカの記憶もないんです。
だから、私はあなたたちの娘さんと似ているだけの、ただのクレセルテの平民なのだと思いますよ」
確かに髪色や瞳が似てはいるかもしれないが、似ているだけで親子だと言われるのであれば、この世界の親子関係は大変なことになってしまう。この二人もアーロも娘の無事を祈るあまり、私を娘だと盲信しすぎてはいないだろうか。
私には血縁関係を証明できる物などない。
そして、血縁関係を証明できなければ、後々騙したなんて言って罰せられるのは私の方だ。
貴族、それも行方不明の娘を騙って公爵を騙した罪の罰がどうなるか、考えたくはない。
「いや、君は間違いなく、私たちの娘だとも」
しかし、公爵はハッキリと言い切った。
「ですが・・・・・・」
それでも、渋る私の手をニーナが飛びつくようにして握りしめてきた。そして、その手を持ち上げ両手で包み込む。
「そう、間違いなく、私たちの子供だわ。祝福を受けているのが分かるもの」
私をみる瞳は穏やかで愛情、というものが溢れているように見えた。
「・・・・・・その、祝福というのも、実はよく分からないんです。私には人に誇れるようなものなど、何もありません」
せっかく元気になった彼女の気持ちを再び落とすのは忍びないが、これからずっと騙すよりはまだマシだ。そう信じて、ただ正直に語る。
「いや、君は今、確かに祝福を感じているはずだ」
しかし、公爵は全く譲らない。
「君は確かに祝福の子なのだから」
祝福の子。
また、それである。
祝福の子とは一体何なのだろうか。
「ニーケー、あなたは食料や水を作り出す魔法が【得意】なのでしょう?」
ニーナが確信に満ちた声で私に問いかける。
それは問いかけではあるが、答えが分かり切った物をわざわざ問うているような違和感があった。
「・・・・・・いえ、私は食料や水を作り出す魔法が【得意】というか【それしかできない】んです」
そう、私にはそれにしかできない。魔法使いや魔女とは攻撃魔法ができる存在である。そうやって、戦に貢献してきたのが彼ら彼女らだ。だというのに、私には攻撃魔法というのが全くできない。できるのは食料や水を出すくらいだ。
だからこそ、ルーベンはいつだって私を使えないと罵る。
そんな私にできる攻撃的な魔法といえるものは、水を大量に出して相手を押し流す位のことである。それも、加減を間違えるとただ汚れを洗い流すだけの魔法になってしまう位だ。全くもって攻撃に向いていないのである。祝福どころか、逆に攻撃という物ができないように呪われているかのようだ。
「それよ!」
ニーナが更に瞳を輝かせ、ついには立ち上がった。揺れる馬車の中で立ち上がった彼女を、公爵が慌てて両手で支える。
「病み上がりに、無茶をするものじゃない! 打ち所が悪くて、また寝込むことになったら・・・・・・」
しかし、公爵の小言はニーナの耳には一切入っていないようだ。
「それこそが、祝福なの! それこそ、あなたが【豊穣の女神からの祝福】を受けた証よ! あなたが、産まれるずっと前からそう予言されていたのよ、ニーケー!」




