昔のカレンダーが捨てられない
昔のカレンダーが捨てられない。
手帳は10月〜12月の売りはじめの時期に可愛いものが目にとまり、まんまと購買意欲をそそられて3ヶ月くらい使う。そのあと開かなくなる。
手帳はカバンの底に眠り。ひどいときには2冊眠っている。重い! とカバンから出され、本棚にひっそりと納められる。
(ここは自分の場所だろうか?)
と、手帳たちの声が聞こえてくるようだ。
カレンダーは壁にかけてあるから、忘れない。
毎日見るし、家族も見てくれる。
大事な予定が入ると、急いでカレンダーにメモをとる。ボールペンが見当たらず、マジックや色鉛筆で書く。
メモ帳にメモをとっても、そのメモを無くしてしまう。カレンダーは便利だ。壁にかかっているから、無くさない。逃げださない。どこへもいかない。
学生のころ、実家のカレンダーを見て……黒のマジックで大きく書かれた予定を恥ずかしく思ったものだったが、今となってはよくわかる。目につくところに予定があるのは、安心するのだ。
大掃除。押入れのなかの古いカレンダーを、まとめて処分しようと思う。カレンダーの可愛い小鳥の写真をもうひとめ見ようと、めくる。
すると、もうダメだ。すっかり忘れていた日のことが、たくさん書いてある。思い出せない日もある。思い出せる日もある。思い出せない日のことすら、書かれた文字が嬉しい。
カレンダーが果たした仕事は、手帳が果たしたかった仕事のはずだ。
手帳は小さいから、本棚という行き場がある。けれどカレンダーは、押入れにもう一度しまわれなおして、次の大掃除の日まで日の目を見ることがない。大掃除のたびにビニール紐を用意する。しかし、括れない。困っている。
昔のカレンダーが捨てられない。