その4「超解像度」
■ プロローグ:超解像度とは
デジタル技術が進化する中で、人々の日常に浸透しつつあるさまざまな技術。その中でも、ここ数年で急速に普及した技術のひとつが「超解像度」と呼ばれるものである。この技術は、一見ぼやけた低解像度の画像を、まるで最初から高精細であったかのように再構築するものだ。
超解像度とは、AIを活用した画像処理技術の一種である。具体的には、元の画像に存在しない細部をAIが補完し、解像度を人工的に引き上げるプロセスを指す。従来の画像補正技術では、既存のデータを元にぼやけた部分をわずかに修正する程度にとどまっていた。しかし、超解像度では、ニューラルネットワークが学習した膨大な画像データをもとに、元画像には存在しないディテールやテクスチャを生成することが可能だ。
この技術が一般に注目されたのは、AIが進化し、画像認識技術が実用化されたここ10年ほどの間である。最初は研究者やデザイナーといった専門家のためのツールとして登場したが、その後、スマートフォンやPC向けのアプリケーションとして一般ユーザーにも開放された。今日では、誰でも簡単に自宅で低解像度の写真を高解像度に変換することができる。
たとえば、思い出の古い写真や、ネット上で見つけた小さな画像を拡大してプリントする際、この技術が役立つ。アナログで撮影された古い写真はぼやけたものが多いが、超解像度加工を行えば、まるで現代のデバイスで撮影したと見まがうばかりに綺麗に変換できる。
一方で、この技術には議論もある。AIが生成した画像は、元画像に忠実ではない場合があるからだ。超解像度によって生成されるディテールは、AIの「推測」に基づいているため、実際には存在しない細部が付け加えられることがある。これが写真や映像の真実性を損なう可能性を孕んでいるとして、一部では批判の声も上がっている。
とはいえ、この技術がもたらす利便性は大きい。たとえば、低解像度の監視カメラ映像を高解像度化することで、犯罪捜査の精度が向上するケースがある。また、医療分野でも、画像診断の精度を高めるために超解像度が利用されている。これらの具体例からも分かるように、超解像度は単なる趣味や娯楽を超え、実社会のさまざまな分野で革新をもたらしている。
この技術が「誰でも使える」ツールとして提供されるようになった背景には、大手テクノロジー企業の存在がある。GoogleやAdobeなど、AI技術の研究に力を入れる企業が、一般向けのソフトウェアやサービスを開発した。これにより、超解像度は専門家だけのものではなくなり、一般消費者が手軽に利用できるものへと変貌を遂げている。
ユーザーがアプリをダウンロードし、画像を選択して数クリックするだけで、驚くほど鮮明な画像が生成される。その手軽さは、多くの人々にとって魅力的であり、SNSやブログ、個人のアルバム作りなど、さまざまな場面で利用されている。
■ 序章:佐藤大輝の趣味
佐藤大輝は30歳の平凡なサラリーマンだ。都内の中堅企業で営業職として働き、毎日9時から18時まで忙しく働いている。職場では特に目立つ存在ではなく、適度に周囲と付き合いながらも、自分の世界を大事にするタイプだ。休日はほとんど外出せず、自宅で静かに過ごすのが彼のルーティンとなっている。
そんな佐藤には、ここ数年続けている小さな趣味があった。それは、好きな芸能人の写真を集めることだ。推しているのは「相沢玲奈」という若手女優で、ドラマや映画で活躍している彼女の透明感のある美しさに惹かれたのがきっかけだった。玲奈の出演作をチェックするのはもちろん、彼女のSNSアカウントも欠かさずフォローしている。
「玲奈さんの写真を見てると、心が癒されるんだよな」
彼は自分の趣味について、友人や職場の同僚に話したことはない。周囲に理解されるとは思えないし、自分の小さな楽しみをあえて共有する必要も感じていなかった。ただ、玲奈の写真を集め、それを見返す時間は、彼にとって何よりも大切な息抜きだった。
ある休日、佐藤は久しぶりにOnstagramを開いた。玲奈が最近投稿した写真がタイムラインに流れてきている。撮影地はどうやら海辺らしく、波打ち際で微笑む玲奈の姿が写っていた。その写真は、玲奈の魅力を存分に引き出している一枚だった。
「良い写真だから、印刷して飾ろうかな」
佐藤は写真をダウンロードし、プリンターで印刷してみた。しかし、スマートフォンで見るには十分な画質でも、大きく印刷すると粗が目立ち、満足のいく仕上がりにはならなかった。
「これじゃ飾るにはちょっとな…」と呟きながら、どうにか良い感じに仕上げる方法がないか考えた。そこで思い出したのが、最近話題になっている超解像度技術だ。以前、SNSで誰かが使っていたのを見て興味を持ち、自分のPCにも同じツールをインストールしていたのだ。ただ、その時は試す機会がなく、そのまま放置していた。
佐藤は超解像ツールを起動した。使い方は至って簡単で、画像をドラッグ&ドロップするだけで処理が始まる。数分後、彼の目の前には元の画像とは比べ物にならないほど鮮明な玲奈の姿が映し出されていた。
「すごいな、これ。本当にこんなに綺麗になるのか!」
彼は感心しながら、さらに他の写真も試してみることにした。Onstagramを遡り、過去の投稿からいくつかの写真を選んでダウンロードし、一つ一つ加工していく。その作業は予想以上に楽しく、彼は時間を忘れて夢中になった。
こうして彼の休日は、玲奈の写真を加工し、その美しさに見入る時間であっという間に過ぎていった。
■ 第1章:影
佐藤が最初に気づいたのは、超解像処理を施した写真に現れた奇妙な影だった。それは玲奈の背後、ぼんやりとした部分に現れていた。元の写真を確認してみると、そこには何も写っていない。最初は気のせいかと思ったが、次の写真でも同じような影が見えた。
「何だろう、これ…?」
影ははっきりとした形を持たず、ただ薄い霧のように漂っている。しかし、注意深く見ると、それは人の輪郭に見えなくもなかった。佐藤は少し不安になりながらも、別の写真を処理して確認することにした。
次々と加工を進める中で、影はどの写真にも現れることがわかった。特に最近の投稿写真に多く、4ヶ月以上前の写真には存在しない。佐藤はその事実に気づき、背筋がぞくりとした。
「こんなの、ただの偶然だよな…?」
佐藤はその影の正体を探ろうと、さらに細かい分析を試みた。影の部分を拡大し、明るさやコントラストを調整しても、輪郭はぼやけたままだ。影は何となく人の顔や手足のようにも見えるが、やはり細部は歪んでいる。
「これ、誰かのいたずらか?」
だが、玲奈の写真が加工されている可能性は低い。SNS上で共有される写真は多くの目に触れるため、加工されていればすぐに気付かれるはずだ。それに、影が現れるのは佐藤が超解像度処理を施したときだけで、元の写真には何もない。
彼は試しに、影の部分だけを切り抜き、単独で超解像度処理を繰り返した。その結果、影はますます具体的な形になり、明らかに人だと思える顔が浮かび上がるようになった。髪の毛の輪郭、目鼻立ちのぼんやりとした印象がはっきりし始め、佐藤の中に不安が膨らんでいく。
■ 第2章:影の正体
影が気になって仕方がない佐藤は、さらなる超解像度処理を試みた。影の部分だけを何度も処理し、明るさや彩度を調整していくうちに、それは次第に具体的な形を帯びてきた。そして、ついに現れたのは人の顔だった。
「やっぱり、これ…人の顔だよな…」
その顔は女性のもので、ぼんやりとしていながらも目や鼻、口が見て取れる。目は笑っているようにも、泣いているようにも見えた。佐藤としては、その人をどこかで見たことがあるような気がするものの、誰なのかは思い出せない。
「この顔、誰なんだ?」
佐藤は画像を保存し、画像検索を試してみることにした。検索結果にはいくつかの類似画像が表示され、その中の一つに名前が添えられていた。「早川美咲」という名前だった。
「ああ、早川美咲だ!」
早川美咲、それは人気のあるグラビアアイドルで、佐藤も何度か写真を見たことがあった。あった、というのは彼女がすでにこの世の存在ではないことを意味している。約3ヶ月前、彼女は自殺していた。死因は不明で、遺書も特に見つかっていない。当時は、その突然の死にファンや業界関係者に衝撃を与えた。
佐藤が早川美咲に関する記事を調べてみると、早川美咲と相沢玲奈が親友であったことが一部で報じられていることに気づいた。二人はSNS上で頻繁に交流しており、一緒に食事している写真をアップしたこともあった。佐藤もそうした写真を見て、早川美咲が頭の片隅にあったのだ。
「玲奈さんと早川さんが親友だった…? これ、偶然なのか…?」
佐藤は震える手でマウスを握りながら、さらに調べるべきか迷った。だが、画面に映る影の顔と生前の早川美咲の写真を見比べると、不気味なほどに一致しているように思えた。これは自分の思い込みだろうか。
気味の悪さが全身を覆い尽くすような感覚に襲われ、佐藤は気分が悪くなってきた。思わず生唾を飲み込んだところで、一瞬冷静になれた。
「もうやめよう。これ以上は良くない」
そう自分に言い聞かせながら、佐藤は超解像度ツールを閉じ、パソコンの電源を落とした。超解像度処理を行ったすべての写真を削除し、プリントした写真もゴミ箱に捨てた。
だが、その影の顔と早川美咲の名前は、彼の頭の中からしばらく離れようとはしなかった。