その3「返品詐欺」
返品詐欺――それは、近年ECサイトを悩ませる悪質な手口のひとつである。インターネットショッピングが一般化した現代、クリックひとつで商品が自宅に届く便利さが当たり前となった。しかし、その裏側で悪意を持った人々が巧妙な方法で利益を得る仕組みを構築している。
具体的には、購入した商品を別の商品、あるいは全く異なる物にすり替えて返品する手口が代表的だ。例えば、高価なガジェットを購入し、中身を安物や壊れた商品に入れ替えた上で返品を行うケース。さらに、最近では、返送される箱の中身が空だったり、不要品が詰め込まれていたりすることも少なくない。
この手口は、返品される商品の検品を怠っており、重量だけチェックするEC事業者に問題があるという指摘もある。そして、返品された商品は元の箱にそのまま棚に入れられ、同じ注文があった際に発送されるという。返品詐欺は、ECサイト側が被害を受けるだけでなく、正直な利用者に影響を及ぼす可能性もある。
返品詐欺が発覚した場合、ECサイト側は調査を進めるが、膨大な入出荷データの分析が必要であり、その過程は困難を極める。多くの場合、詐欺行為を行ったユーザーは匿名性を盾にし、特定が難しい。さらに、悪質なケースでは他人名義や偽の住所を使用しており、追跡は容易ではない。この現状は、EC業界全体にとって頭を悩ませる大きな問題となっている。
■ 序章
佐藤涼は23歳の大学生で、都内のワンルームマンションに一人で暮らしている。彼はアルバイトをしながら忙しい毎日を送っており、ネットショッピングは生活の一部だった。食料品以外のほとんどを業界大手のECzonや他のECサイトで購入し、自宅に届けてもらっていた。その便利さが、タイパを気にする彼にとっては欠かせないものとなっている。
その日、涼はいつも通りECzonを開き、いくつかの日用品を注文した。新しいシャンプー、歯ブラシ、そして少し奮発して選んだスタイリッシュなペンケース。どれも手軽な価格で購入できる商品だった。
「まあ、明後日には届くだろうな」
配送予定日を確認しながら、涼はその便利さに改めて感心していた。スマートフォンのアプリで操作を終えた後、涼は画面を閉じ、いつもの日常へと戻った。アルバイト先のカフェでの仕事、大学での講義やレポート作成といった、忙しいながらも退屈な日々が続く。
2日後、配送予定日通りに涼の部屋に荷物が届いた。期待に胸を膨らませながら箱を開けると、そこには注文した商品ではなく、大量の位牌が詰め込まれていた。
「な、なんだこれ!?」
涼は箱の中身を見て言葉を失った。古びた位牌には見覚えのない名前が刻まれており、その量と異様さに強い不快感と恐怖を覚える。位牌の材質も様々で、黒檀や白檀など、本物としか思えないものが所狭しと詰め込まれていた。
「何の冗談だよ、これ…」
驚きと困惑の中で箱を閉じ、少し落ち着こうと深呼吸をした。涼は一旦リビングに腰を下ろし、スマートフォンを手に取った。配送ミスか何かだろうと思いつつも、こんな異常な状況は初めてだった。
「いや、落ち着け…。まずは連絡しよう」
涼はすぐにEczonのカスタマーサポートに問い合わせた。電話番号を押す指が震えていることに気づき、自分の動揺を再確認する。カスタマーサポートとの通話が繋がり、事情を説明すると、相手のオペレーターは明らかに困惑しつつも丁寧に謝罪した。
「申し訳ございません。すぐに調査を進めますので、返品の手続きをお願いします」
「調査とか…。こんなこと、普通あり得ないでしょ!?位牌なんて、どう考えてもおかしいでしょ!」
涼は強い口調で抗議するが、オペレーターは冷静に対応し、返品の詳細を伝えるに留まった。その言葉の平坦さが、かえって事態の異常さを際立たせる。
通話を終えた涼は、位牌の入った箱を再びじっと見つめた。箱は薄暗い部屋の中で、不気味な存在感を放っているように感じられた。
「どうして、こんなものが送られてきたんだ…?」
涼は恐怖を振り払うように、無理やり気を紛らわせるためにテレビをつけた。しかし、画面に映るバラエティ番組の明るい光景は、彼の心を少しも落ち着かせてはくれなかった。
時間が経つにつれ、涼は次第に位牌の存在を無視するよう努め始めた。しかし、何か得体の知れない不安が部屋中に広がっているようで、まともに物事を考えられない。
■ 第1章 被害者
ただ座っていると位牌のことを思い出してしまうので、涼はオペレーターの指示に従って返品手続きを進めた。配送業者の訪問日時を調整し、箱を準備して玄関の隅に置く。しかし、位牌が詰まった箱はそこに存在しているだけで、部屋全体に不気味な雰囲気を漂わせているように感じられた。
「とにかく早く片付けたい…」
涼は独り言をつぶやきながら、何とか気を紛らわせようとしたが、ふとした拍子に視線が箱に吸い寄せられる。その度に胸の奥がざわざわするような不快感が押し寄せてきた。
気持ちを切り替えようとスマートフォンを手に取り、SNSで似たような事例がないか調べ始めた。検索バーに「位牌 届いた」「間違い配送」と入力して結果を表示すると、涼の目の前に驚くべき情報が飛び込んできた。
「こんなものが届いたんだけど…誰か同じ経験した人いる?」
「返品しようとしたけど、気味が悪すぎて手が震える」
他にも、「どうして位牌なんかが届くんだ」「誰がこんな悪趣味なことを?」といった投稿が次々と表示される。そこには涼と同じように、注文した商品が位牌にすり替わって届いたという被害者たちの体験談が綴られていた。
涼は一つ一つの投稿を読み進めた。投稿に添付された写真を見ると、それらの位牌はまさに涼の元に届いたものと酷似していた。これほど多くの人々が同じ経験をしているという事実に背筋が冷たくなる。
さらにいくつかの投稿には、返品手続き後に別の荷物が届いたが、その中身も不気味なものだったという内容が書かれていた。それを目にした涼は、思わずスマートフォンを置き、深く息をついた。
「これって単なる配送ミスじゃないのか?」
彼の呟きには、わずかな戸惑いと恐怖が滲んでいた。それが悪意のある計画なのか、偶然の産物なのかはわからなかったが、自分が今、不気味な連鎖の中にいることだけは確信していた。
■ 第2章 調査とその結末
EC事業者にとって、このような異常な返品被害はかつてない問題だった。佐藤涼がカスタマーサポートに連絡を入れる前後から、同様のクレームが複数寄せられており、社内でも事態の深刻さが認識され始めていた。
担当者が迅速に調査を進める中で、返品された位牌の送り主を追跡する試みが行われた。調査の結果、これらの位牌は全て同じ宅配業者の集配センターに直接持ち込まれたものであり、そこに記録された返品主の住所が浮かび上がった。
事業者内部で議論の末、この住所の確認を警察に依頼することが決定された。調査部門はすぐに警察に被害届を提出し、この奇妙な案件に協力を求めることとなった。
—
被害届の出された翌週、東京都内某所。その住所に警察官二名が向かった。制服に身を包んだ若い巡査とベテランの警部補が、指定された場所へと足を運ぶ。ナビゲーションアプリの指示通りに車を走らせると、やがて彼らは目の前に広がる空き地に辿り着いた。
「ここが、住所のはずなんですが」
若い巡査が地図と周囲を見比べながら呟いた。その土地は完全に荒れ果てており、雑草が腰の高さまで伸びている。人が住んでいる形跡はどこにもない。
「こんなところに荷物を送る人間がいるわけがないな」
警部補は腕を組み、周囲を見渡した。かつて何かが建っていたような基礎部分のコンクリートが僅かに見えるが、それもひび割れと苔に覆われ、長らく放置されているのは間違いない。
「この住所、どう考えても偽装だな。おそらく別の場所から送ってるんだろう」
二人は念のため近隣住民に聞き込みを行った。しかし、この土地が長い間空き地であること以外、何の情報も得られなかった。
「手がかりは完全にゼロか…」
警部補は深いため息をつき、頭を掻いた。調査報告書には「住所に異常なし」とだけ記されることとなった。
一方、EC事業者では、今回の位牌事件に関与した可能性のある顧客アカウントをすべて凍結する措置が取られた。また、今後の再発防止策として、返品手続きの厳格化が進められることとなった。その後、このような異常な返品被害が再び発生することはなかったと言われている。
しかし、これらの対応が完了しても、肝心の位牌がどこから来たのか、その背景や意図については何一つ解明されなかった。EC事業者の担当者たちの間でも、この事件は一種の都市伝説として語られるようになっていった。
—
数日後、佐藤涼のもとに再配送された商品が届いた。段ボールを目の前にした涼は、恐る恐る箱を開ける。中には注文通りのシャンプー、歯ブラシ、そしてペンケースが丁寧に梱包されていた。
「ちゃんと届いた…」
思わず安堵のため息をつく涼。しかし、その一方で、次にまた荷物を頼んだとき、再び位牌が送られてくるのではないかという不安が頭をよぎる。箱の中身を確認するたびに、あの光景が脳裏によみがえってしまうだろう。
「次も大丈夫だよな…」
涼は自分に言い聞かせるように呟いたが、その声はどこか力なく響いた。