その2「ブラックチェーン」
■ 序章: 不可解なメタデータ
田辺洋一は、目の前のコードに浮かび上がる奇妙な数字列をしばらく見つめていた。無数のトランザクションログが並ぶブロックチェーンのデータ。その中に、通常の取引内容とは無関係な文字列が埋め込まれていた。
彼は、ブロックチェーンのデータ解析を専門に請け負うフリーランスのプログラマーだ。表向きの仕事は、クライアントの資産管理を効率化するためのデータ解析だったが、ときどき趣味の延長でデータの「パターン探し」を行っていた。ブロックチェーン上には、目的不明のメタデータや隠されたメッセージが紛れ込んでいることがある。そのほとんどはジョークや無害な落書きのようなものだが、この文字列はそれらとは明らかに異なっていた。
「日付だな……」
田辺は声に出してみた。メタデータの一部に、規則的な形式の数字が含まれていることに気づいた。20110311──2011年3月11日。日本中の誰もが忘れることのない日付だった。だが、このトランザクションが記録されたのは、そのずっと後の2019年だった。この日付が、わざわざブロックチェーンに刻まれている理由はわからない。
さらに調べていくと、同様の形式で他の日付も見つかった。それらもすべて、過去に大きな出来事が起きた日と一致していた。20080915──リーマンショックの引き金となったリーマン・ブラザーズの破綻。20010426──チェルノブイリ原発事故の発生日。どのデータも、過去の重大な出来事と結びついているように思えた。
「偶然なのか?」
彼の頭には疑問が浮かんだ。ブロックチェーンは基本的に公開されており、誰でもデータを書き込むことができる。過去の出来事を記録すること自体は技術的に難しいことではない。しかし、これだけの規則性があるのは単なる遊びや偶然では説明がつかないように思えた。
田辺はコーヒーカップを手に取り、一口飲み込んだ。ぬるくなった液体が口内に広がる。時間を忘れて作業していると、こうなるのはいつものことだった。
「ちょっと突っ込んで調べてみるか……」
彼は思い立ち、メタデータをさらに解析するためのスクリプトを書き始めた。この数字列がどのアドレスから送信されたのか、そのアドレスが他にどのようなトランザクションを行っているのかを追跡するためだ。
数時間後、解析結果が画面に表示された。これらのトランザクションはすべて同じアドレスから送信されていた。そして、そのアドレスは、過去10年間で数百もの取引を行っていることが分かった。通常、アドレスの持ち主は複数のアドレスを使い分けるものだが、このアドレスは一貫して使用されており、取引のパターンも一貫性があった。
さらに興味深いのは、このアドレスが記録しているトランザクションの一部に、「未来の日付」が含まれていることだった。それはまだ訪れていないはずの年月日──例えば、20250315や20300210のような形式だった。
「未来の出来事を暗示している……?」
田辺は思わずつぶやいた。このメタデータには何かありそうだ。そこで、この謎を解明するために大学時代からの友人で暗号学者の高橋に連絡を取ることにした。彼自身では解析の限界があり、より高度な知識が必要だと感じたからだ。
「面白い話があるんだ。ちょっと協力してほしい」
チャット越しの高橋は最初こそ怪訝そうだったが、田辺が見つけたデータの話を簡単に説明すると、興味を示した。
「そういうのってたいていジョークか遊びだろうけど……メタデータの中身が本当に予測データだとしたら、面白そうだな。いいよ、データのアドレスを教えてくれ」
アドレスを送った田辺は、これから始まる調査の先に何が待っているのか、まだ想像すらできていなかった。画面には未解読のメタデータがまだいくつも並んでいる。田辺はそれを見つめ、もう一度コーヒーを口に含んだ。
■ 第一章: 調査の発端
高橋は手際よくノートPCを操作しながら、田辺の指定したブロックデータを解析していた。彼の研究室は機材と書籍で散らかっているが、デスクだけは異様に整然としている。大学の研究者である高橋は、暗号アルゴリズムの専門家として定評があり、ブロックチェーン技術にも詳しい。田辺の頼みを快諾したのは、単なる興味本位ではなく、技術者としての好奇心が刺激されたからだった。
「このメタデータ、暗号化されているな。S/MIMEに似ているから、鍵暗号かな」
田辺はキーボードを叩きながらつぶやいた。
「S/MIME?どういうことだ?」
「メールで使われる一般的な鍵暗号だよ。基本的に秘密鍵を持っている人じゃないと、復号化はできない。お互い鍵を交換し合って、秘密のデータをやり取りできる」
「それをメタデータに適用している、と…」
「後、この形式は前に見たブラックチェーン技術を使っているかも知れない」
「ブラックチェーン?」
「ああ、ブロックチェーンを利用して、非公開の情報を分散化しながら共有する仕組みだ。真偽の不透明なデータを無作為にばらまくやり方で、本当のデータを隠すらしい。木の葉を隠すなら森ってわけ。当初から隠すのが目的だから、かなり怪しい用途に使われる可能性がある。例えば、犯罪組織が内部情報を暗号化して共有するとかね」
田辺はその話に不安を覚えた。ブロックチェーンの技術は透明性が強みだが、それを逆手に取って隠蔽の道具にしているということだ。目の前で平然と犯罪取引が行われるというのは、薄ら寒いものがある。
「このメタデータも、その『ブラックチェーン』技術を使ってる可能性があるってことか?」
「そうだ。ただし、これが犯罪行為に関与しているかどうかはわからない。でも、意図的に作られたものだというのは確かだ」
いずれにしても、と高橋は続けた。
「このメタデータを見るためには、秘密鍵がないとどうにもならないな。量子コンピュータならともかく、ちょっとしたサーバーでも数百年は計算が必要かも知れない」
「ブラックチェーンだとしたら、鍵を持っている人は複数いるってことだよな。そうしないと秘密のデータを送り合えない」
「そうだな。それに複数のブロックが組み合わさっている可能性もある。ブラックチェーンについて調べてみるよ」
■ 第二章: 鍵を手に入れる手順
ある日、田辺が高橋の研究室にやってきた。手には厚みのある印刷された資料が握られていた。
「これ、見つけたんだ。公開されていた論文の一部だけど、ブラックチェーンについて書かれている」
高橋は資料を受け取り、素早く目を通した。
「なるほど……ブラックチェーンは通常のブロックチェーンと異なり、特定の条件を満たすことで隠れた情報にアクセスできる仕組みを持っているらしいな」
田辺は頷いた。
「注目したのは、送金時のメタデータだ。この論文によれば、メタデータに特定の形式の情報を仕込むことで、ブラックチェーン内の隠しデータにアクセスするための鍵になるって書いてある」
「メタデータ……なるほど。つまり、送金自体ではなく、その際に送る情報が重要ということか」
高橋はそう言うと、手元のノートに書き込みを始めた。論文には、隠しデータへのアクセスに必要な条件が詳細に記載されていた。この部分は実際の運用時にはカスタマイズされるもののようだ。
「これなら送金額は関係ないな。少額で十分だ」
高橋は安堵の表情を浮かべた。仮想通貨は総じて高額になっており、有名なビットコインは1BTCで1,500万円を超えている。
「この仕組みがあるなら、鍵を手に入れるのは意外と簡単かもしれない」
「でもさ、高橋。これを設計した人たちはどういう意図でこんなことを仕込んだんだろう?」
田辺は疑問を口にした。高橋はしばらく考え込んだ後、口を開いた。
「まだ分からないが、少なくともこれを作った人間は、全てを隠すつもりはなかった。むしろ、誰かがこの仕組みに気づいてアクセスしてくれるのを期待していたように思える」
二人は論文に記載された条件に基づき、実験的に送金を試みることにした。田辺のウォレットから、指定されたアドレスに少額の暗号資産を送金する。その際、メタデータには論文に記載されていた通り、鍵生成の条件を満たす文字列を仕込んだ。送金が完了し、しばらく経った後、田辺のウォレットに返信データが返ってきた。
「来たぞ」
田辺がモニターを指さす。
「確認してみよう」
高橋は受け取った返信データを開き、内容を解析し始めた。論文の通り、データにはブラックチェーン内の隠しデータにアクセスするために必要だと思われる鍵データが暗号化された状態で含まれていた。このデータの復号に必要なのは、先ほど送信した文字列の元データだ。
「つまり、送金時の情報がそのまま暗号化解除のためのパスワードになるってことか」
高橋は論文の設計思想に感心したようだった。そして、無事に復号化が成功し、鍵が表示された。
「さて、何が出るかな…」
鍵を使い、ブラックチェーンの隠しデータ層にアクセスを試みた二人。田辺が手元の端末でコマンドを入力すると、隠されたデータが次々と画面に表示された。
「これが……隠しデータ?」
田辺は表示された内容を見つめながら呟いた。そこには日付とともに簡潔なフレーズが並んでいた(カッコ内は日本語訳)。
・ 2008-09-15: The great tower that is falling, the silence that echoes(堕ちゆく巨塔、響き渡る沈黙)
・ 2016-06-23: A lone figure standing at the end of a divided road(分かたれた道の先に立つ孤影)
・ 2020-03-11: The shadow that closes the window, the endless plague(窓を閉ざす影、果てなき疫病)
・ 2025-01-15: The town where the winter sun sets, the gears that stop(冬の陽が沈む街、止まる歯車)
・ 2025-04-09: The sound of the earth splitting, the tower collapsing(大地を裂く音、倒れゆく塔)
・ 2026-05-18: Eyes that rise to the heavens, an unknown gate(天空に昇る瞳、知られざる門)
高橋は静かに言った。
「これは……予言めいたメッセージだな」
田辺は画面を凝視しながら答えた。
「過去のデータは現実のものと似ているように見えるな。たとえば2008年09月15日はリーマンショックのあった日だし、2016年06月23日はブリグジットが決まった日だ」
「2020年03月11日は…コロナか。確かにそれっぽいが、問題は未来の日付だな」
■ 終章: メッセージの正体
ブラックチェーンの隠しデータにアクセスした田辺と高橋は、その正確さと不気味さに驚愕していた。過去の重大な出来事を詩的に表現した記録、そして未来の日付に対応する曖昧な予言。しかし、それだけでは終わらなかった。
さらに調査を進める中で、田辺はある奇妙な事実に気づいた。同じアドレスから、日付が記載されていないトランザクションデータも存在するのだ。
「これ、ただのブロックデータじゃないのか?」
高橋は最初そう考えたが、田辺は首を振った。
「違う。これにもメタデータが埋め込まれている。ただし、暗号化されているから内容がわからない」
「解読できるか試してみよう」
高橋が復号の準備を始めた。復号作業はこれまでと同じように順調に進むと思われた。しかし、今回のメッセージは異様なまでに複雑な暗号化が施されており、解読には時間がかかった。
「この形式、手が込んでいる……」
高橋はそう呟きながら、復号ツールの設定を何度も調整した。数時間後、ようやく復号が完了した。画面に表示されたメッセージを見て、二人は言葉を失った。それは、不気味で意味深な文章だった。
『観測する者は観測される』
「……これ、誰に向けたメッセージなんだ?」