その1「マナマナ事件」
■ 序章 デジタルの闇に消えた少女
あなたは2018年に起こったマナマナ事件を覚えているだろうか。
2018年8月10日、東京の郊外に位置する無機質なマンションの一室で、若い女性が命を落とした。彼女の名は夏川真奈。ファンからは親しみを込めて「マナマナ」と呼ばれていた。彼女は地方を拠点とするアイドルグループ『ルミナスウィング』の一員だった。テレビに出るような有名人ではなかったが、地元のイベントでは小さな存在感を放っていた。地方の小さなイベントや、インターネット配信の端役に登場する程度の“ちょっとしたアイドル”で、グループ内では『清楚担当』として控えめながらも愛される存在だった。
彼女の活動を知る者は限られていた。SNSのフォロワー数はわずか数千人程度。地方の熱心なファンが投稿に「いいね」を押す光景は見慣れたものだったが、一般人の目にはほとんど触れなかった。
地元のイベントに出演する際も、観客の数はまばらだったが、透明感のある黒髪と小柄な体型が目を引き、一部の熱心なファンには“儚い美しさ”と称された。それでも彼女は笑顔を絶やさず、精一杯のパフォーマンスを披露していた。その姿に心を打たれたファンたちは、わずかながらも応援を続けていた。
しかし、業界の内情は厳しかった。所属事務所は小規模で、まともなマネージャーも付かない。スケジュールの連絡すら曖昧なことが多く、彼女自身がすべての予定を管理する必要があった。報酬は微々たるもので、生活費を稼ぐために深夜のコンビニでアルバイトをしていたという噂もあった。
そんな状況でも、彼女はインターネット配信を通じて夢を追い続けていた。カメラの前では明るく振る舞い、応援メッセージには丁寧に返信していた。その純粋な姿勢が一部のファンを魅了し、次第に“地下アイドル”としての地位を確立しつつあった。
だが、2018年8月10日、すべてが終わった。
ニュース報道によれば、深夜のマンションのバルコニーから転落死したとされる。現場には遺書は見つからず、衣服の乱れも確認されなかったため、警察は「事件性はない」との判断を下し、報道も簡潔な記事で済まされた。所属事務所からの公式声明もわずか一行。「夏川真奈は不慮の事故により逝去いたしました。」それだけだった。
ファンたちは突然の訃報に混乱した。なぜ?何が起きた?情報は一切与えられず、ただ彼女が“いなくなった”事実だけが残された。熱狂的なファンですら最初は深い悲しみに沈んだが、日々の忙しさの中で徐々に日常に戻っていった。
ここまではマナマナの自殺事件としての公式の記録である。そして、ここから先はデジタル怪異譚『マナマナ事件』として知られる不可解な出来事の記録である。
■ 第1章 不可解な投稿の再開
本章は、夏川真奈の公式Onstagramに関する出来事を時系列順に記録したものである。以下の記録で、事件の不可解さが徐々に明らかになっていく様子が分かるだろう。
□ 2018年8月29日
2018年8月29日、夏川真奈の公式Onstagramに一件の新しい投稿が表示された。彼女がこの世を去ってからわずか19日後のことである。
投稿されたのは、彼女が笑顔でアイスクリームを手に持ち、夏の日差しの中で微笑む写真だった。キャプションには「今日はアイスが美味しかった!」と、何気ない日常の喜びを綴るようなメッセージが添えられていた。突然の投稿にファンは驚き、SNSはすぐに騒然となった。
アイドルの公式Onstagramアカウントは通常、個人ではなく事務所によって管理されているのが一般的だ。投稿内容は慎重に管理され、本人が直接関与するケースは少ないため、事務所側の発表に注目が集まった。自然と多くのファンは、企業のSNS運営に詳しい者が指摘する“スケジュール投稿”の可能性を考えた。
スケジュール投稿とは、事前に設定された日時に自動で投稿が行われる仕組みで、企業や芸能事務所がよく用いる手法である。多くのファンは「運営のスケジュール投稿ミスだろう」と考えたが、一部のコメントでは「亡くなったアイドルへの敬意が欠けている」として運営の管理体制を非難する声も上がった。
まもなく、所属事務所は公式に声明を発表した。「すべてのスケジュール投稿はすでに終了しております。今回の投稿に関する情報は現在調査中です。」その冷静な文面はファンの不安を余計に煽る結果となった。
□ 2018年9月6日
2018年9月6日、再び夏川真奈の公式Onstagramに新しい投稿が現れた。今度は公園のベンチに座り、風に吹かれる髪を直す彼女の姿が写っていた。キャプションには「今日は少し風が強かったね!」と軽やかな言葉が添えられていた。
投稿は再びファンの間で議論を巻き起こしたが、前回の動揺とは異なり、コメント欄には彼女が今も存在していると信じたいファンたちの想いが溢れた。だが一方で、投稿の奇妙さに対する疑念も広がっていった。「マナマナは天国から見守ってくれているんだね」「きっとどこかで笑っている」と互いに慰め合うコメントが続々と投稿された。
□ インタビュー: 当時のファンの証言
「真奈ちゃんの投稿が続いていた時は、混乱よりも安心感が勝っていました」と語るのは、熱心なファンだった山下沙織さん(仮名)である。「まるで彼女が生きているみたいで、心の支えになっていました。コメント欄で知らない人とも思い出を語り合えて、すごく救われた気がします。」
こうした声は他のファンからも多く聞かれ、投稿が続くことへの不可解さと、それを受け入れることで得られる心の癒しが交錯していた。
□ 犯人捜しの始まり
一方、ネット上では真奈の投稿が続く原因を突き止めようとする動きが活発化していた。某掲示板やソーシャルメディアでは、“運営の内部リーク説”や“ハッキング説”が飛び交い、「真相を知る者」を名乗る怪しげなアカウントも登場した。
「運営が隠している何かがあるに違いない」「過去の投稿の中に暗号が隠されている」など、投稿のキャプションや写真に隠された手がかりを探す“犯人捜し”が一部のユーザーの間で加熱していった。中には、夜通し掲示板に張り付いて情報を収集する者や、画像解析ソフトを使って投稿内容を精査する者も現れた。
「何かがおかしい」という疑念は、コミュニティ全体に広がり、事件は次第にただの都市伝説以上の存在感を持ち始めた。真奈の存在がデジタル世界で生き続けているかのような幻想は、多くの人々の心に静かに広がっていった。
■ 第2章 異常の深化
この章では、夏川真奈の公式Onstagramに投稿された写真やメッセージが、時間の経過とともに不気味さが増す様子をお伝えする。それに合わせて、ファンや世間の反応も変化していく様子を紹介する。
□ 2018年9月20日
夏川真奈の公式Onstagramに、またしても新しい投稿が行われた。彼女が清涼飲料を手に持ち、笑顔でカメラに向かっている姿が映し出されている。キャプションには「これ新発売だよ!オススメ!」と軽いトーンで綴られていた。特に変な部分はなく、アイドルらしいコラボレーション製品の紹介写真に見える。
問題は、その商品が彼女の死後、2018年9月18日に発売された商品だったことだ。
ファンたちは最初こそ「撮影は生前に行われたもので、ただ投稿が遅れただけだろう」と推測していた。しかし、飲料のパッケージデザインはその年のトレンドに沿ったもので、彼女が亡くなった当時にはまだ存在していなかった可能性が高かった。
SNS上では徐々に「これ、どう説明するんだ?」という声が上がり始めた。「過去の写真の使い回しではないか?」と考えるファンもいれば、「こんなの偶然のはずがない」と陰謀説を唱える者も現れた。当時のAIによる画像生成はまだ十分な品質に達しておらず、AIによるものだという声は多くなかったようだ。
□ 2018年10月5日
次に投稿されたのは、祭りの1カットだった。真奈が和装姿で笑顔を浮かべ、屋台の前でポーズを取る写真だ。背景にはその年のイベントポスターがはっきりと映っており、「2018年10月1日〜10月7日開催」と記載されていた。
「どうしてこんな写真があるの?」
ファンたちは困惑し、SNSは再び炎上した。キャプションには「久々の地元。秋祭り、楽しかった!」と、イベント参加を示唆するような一言が添えられていた。
■ ファンたちの反応の変化
SNSでは新たな説が広まり始めた。「運営が生前の写真を使っているだけでは?」という現実的な考察と、「もしかして彼女は今もどこかで生きている?」という期待が交錯した。
ここでは、幾つかのグループに分けて、その主張を取り上げたい。
□ 運営陰謀説
某巨大掲示板では「運営が何かを隠している」とするスレッドが立ち上がり、連日数千件もの書き込みが続いた。「スポンサー絡みのキャンペーンではないか」「過去の写真をわざと新しいもののように見せているのでは?」といった議論が交わされた。
一部の熱心な考察者たちは、投稿された写真の背景や小物、表示されている日付などを徹底的に分析し、詳細なレポートを公開する考察ブログが登場した。「光の反射角度が季節と合わない」「ポスターのフォントがその時期のものではない」といった考察が次々と提出された。
□ 生存説
同時に、「彼女は今も生きている」という生存説も勢いを増した。YouTuberたちがこぞって考察動画を投稿し、「真奈ちゃんはどこかで生きている!?」という衝撃的なタイトルの動画がバズった。動画の再生数は数十万回に達し、コメント欄では「真奈ちゃんが戻ってきた証拠だ!」と熱狂するファンの声が相次いだ。
さらにSNSでは、「次の投稿ではどこに現れるのか?」と期待を込めた投稿が多く見られ、ファンたちは新たな投稿を心待ちにするようになった。
「真奈ちゃんが戻ってきたんだ!」という喜びの声もあれば、「この投稿は絶対におかしい」「運営の悪質なマーケティングではないか」という批判も増えていった。
次第に、真奈の投稿はただのファン同士の話題ではなく、世間一般の興味を引くものへと変わっていった。
■ 最終章 消えない存在
□ 2018年11月8日
これがマナマナアカウントの最終投稿である。その写真には雨の中の駅前らしき風景が映し出されていた。赤い傘を深く被った人物が立ち尽くしているが、顔は見えなかった。キャプションには、ただ一言、
「待ってる」
と書かれていた。誰が誰を待っているのか、すべては謎のままである。
□ 2018年11月9日
2018年11月9日、Onstagram運営はついに夏川真奈の公式アカウントを凍結した。公式声明によれば、「多くの利用者からの通報を受け、内部調査の結果、運営上の懸念が確認されたため、アカウントを凍結した」とされる。しかし詳細な理由は明かされず、疑念は深まるばかりだった。
ファンたちはこのニュースに深い失望を抱いた。「真奈ちゃんの存在を感じられる唯一の場所だったのに」と嘆く声がSNSにあふれた。一部のファンは抗議の署名運動を開始し、「アカウントの復活を求める」オンラインキャンペーンを立ち上げたが、運営からの反応は一切なかった。
「どうしてここまで放置していたのか?」という批判も多かった。約3ヶ月間、不気味な投稿が続いたにもかかわらず、Onstagram運営は何の対応も取らず、事態が世間に広く知れ渡った後になってようやく動いたことが非難された。
「運営の対応が遅すぎる」と批判する記事がインターネットニュースやオピニオンサイトで次々と掲載され、各種メディアもこの話題を取り上げた。あるジャーナリストは、「公式の説明は曖昧で、真相が隠されている可能性がある」とコメントした。
2024年10月現在、真奈のアカウントは完全に凍結されておりアクセスはできない。
しかし、凍結が発表された後も、一部のファンはSNS上で「彼女の通知がまだ届いている」「夜中に通知音が鳴り、真奈の投稿だと思った」といった体験談が噂として広まった。ただし、証拠となるスクリーンショットを求める声に応えた投稿は確認できず、ただの愉快犯だという声もある。
□ 噂の拡散と終焉
アカウント凍結後も、彼女にまつわる噂はしばらくの間、ネット上で広がり続けた。一部のファンは「プロデューサーとの秘密の関係」があったのではないかと囁き、彼女が自殺した理由を探る者たちもいた。
秋祭りの写真が投稿された際、その背景の風景がプロデューサーの地元に酷似していると指摘された。この話題はすぐにSNSや考察ブログで盛り上がり、現地でインタビューするYouTuberや、掘り下げるブロガーが続出した。
さらに、最後の投稿に写っていた駅前の風景が、プロデューサーが現在も住んでいるとされるマンションの近くではないか、という憶測も飛び交った。ただし、これも確認された事実ではなく、単なる噂話の域を出ることはなかった。
そして、時が経つにつれて事件への関心は徐々に薄れていった。ネット上での議論は次第に他の話題に取って代わられ、当時の騒動を覚えている人も今では少なくなった。
今もなお、考察ブログの一部には「マナマナ事件」を追うアーカイブ記事が残されているが、それらも更新は途絶え、過去の奇妙な出来事として記録されるだけになった。
それでも、今もまれにSNSで「夜中に通知音が鳴った」という投稿が散見される。誰かが真奈のアカウントの復活を期待しているのか、それとも単なる都市伝説の続編を求める者たちの仕業なのかはわからない。
最終的に、夏川真奈の公式Onstagramアカウントは完全に削除された。しかし、その余韻はデジタルの海に深く沈み、消えることのない“何か”として語り継がれている。
<完>