鍾乳洞
友達が怪物に食われた。
磯には鍾乳洞があり、そこには曰くがあった。入ったら二度と出られない。ありきたりな話だ。
それでも地元の子は怖がって近づかなかった。友達と貝殻を集めているとき、その鍾乳洞の前に自分たちと同じ年頃の子供がうずくまっていた。脛に血が滲んでおり、どうやら足に怪我をしている。
「どうしたの」
私が聞くと、その子は顔を上げた。妙に平坦な顔をした、男の子だ。粗末な着物を着ている。
「弟とはぐれた。ずっと出てこない。僕はここまで来られたけど、転んで怪我をしてしまった」
起伏のない表情で言った。まるでお面だ。内心不気味に思った。けれど友達は安請け合いをした。
「あたしたちが捜してきてあげる」
彼女がそう言うと、男の子はやはり扁平な表情で「ありがとう」と言った。
二人で足を踏み入れた鍾乳洞は暗かった。天井のつらら石が生え並び、水滴が絶えず滴っている。まるで涎を垂らした獣の口に入った気分だ。足元の岩は丸みを帯びており、大きく侵食された中央は海水で満たされていた。
お互いに手を繋いで足を滑らせないように気をつけた。大きな声ではぐれたという子に呼びかけた。鍾乳洞の内部に反響して、こだました。
さらに奥深く入りこんでいくと入り口の日差しが遠のいて、ますます暗闇に包まれた。お互いの姿がよく見えなくなり、握った手の感触だけが頼りだった。
何度か声を張り上げても、自分たちの声が返ってくるだけだった。天井から垂れる雫の音が、静寂を際立たせた。
「一度戻ろう。大人に知らせないと、私たちじゃ見つからないよ」
そう提案した。返事がない。
訝しんで握った友達の手を辿った。肘までしかなかった。力なく彼女の片腕が垂れて、絡めた指がすり抜けて足元に落ちた。
私は呆然とした。その頭上で咀嚼音が聞こえた。何かがいる。目線を上げると、異形の輪郭が薄っすらと見えた。自分とは比較にならないほど巨大で、イソギンチャクに似た触手が頭部らしい箇所から生えている。
黒々とした口が開いた。丸い形をしており、どうやら周縁には無数に牙が生え揃っている。
友達を失った実感より先に、足が勝手に動いた。怪物に背を向けて逃げ出した。頭の中は混乱に陥っており、ただ直感だけがあった。
騙された。私たちは餌だったのだ。
足元の岩は滑りやすく、走りにくかった。ただ思いの他、怪物は鈍重だった。おそらくは鍾乳洞の暗がりに潜み、死角から獲物を襲うのだろう。巨体をくねらせ、つらら石を砕きながら迫ってくる。
鍾乳洞の入り口から差す光を目指して、私は必死に走った。暗闇に目が慣れて、太陽の光が久しい。その目前で、私は足を滑らせて転倒した。
起き上がろうとして、怪物が間近に迫っているのに気づいた。振り返ると刺々しい牙が私を噛み砕こうとしており、もう助からないと目を瞑った。
友達と同じ運命は辿る直前で、耳障りな奇声が鍾乳洞に響き渡った。無残な死は訪れず、恐る恐る目を開けた。どうやら鳴き声を上げているのはあの怪物で、宙に持ち上げられて藻掻いていた。
その横腹に食らいついていたのは、人の首に見えた。ただし尋常ではないほど巨大で、私を追っていた怪物でさえ矮小に思えるほどだった。
目を見開く私を、顔面が見た。芋虫に似た獲物の体に歯を食いこませて、扁平な表情が笑って見えた。
身をくねらせる怪物を咥えたまま、その首は鍾乳洞の奥へと消えた。