表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Doctor  作者: 槇 慎一
8/16

8 王子様に永遠のさよならを


 まだ生きてる。


 目覚めた時に、よくそんなことを思う。


 私は何回か、カッターで自分を傷つけたことがある。

 ほんの少しだと、そんなに痛くないし、このくらいだと、あのくらい痛くて、このくらい血が出るかも、どのくらい時間が経てば血が止まるかも知ってる。


 メンデルスゾーンの演奏会、よかったな。

 私は、せめて最後にバッハを弾きたい。


 何の最後かって…………。

 




 ついにバレた。


 母親は、生理用品の減りをチェックしていた。

 もちろん、最初は普通に聞かれただけだった。

 普通に聞かれたのだから、普通に返せばよかったのだ。


 けれど、こちらは普通に返すことができなかった。


 母親が、私に何か聞いたみたいだけど、過去最高に激昂していて、もう何だか覚えていない。


 せめて最後に仁君に会いたい……とそれだけ呟いたのが悪かった。


 母親は「仁君」が誰だかわかったし、「相手」が仁君だと思ったみたいだった。違うのに、私は訂正出来なかった。違うのに、違うと言わなければいけないのに!ちゃんと言わなきゃと思うのに、声が出なかった。泣きたいのに、涙も出なかった。何故!何故!


 母親は、自殺の心配をしたのだろう。私は部屋で一人になることも出来なくなった。


 幸か不幸か、直ぐに病院に連れて行かれて、一日だけ学校を休んだ。もともと健康だから、特に何もなかった。あの麻酔のまま、そのまま還れない場所に行けたらよかったのに。


 もみ消しも隠蔽も得意であろう母親に、助けられたのだろうか…………。




 小石川先生のレッスンに、久しぶりに母親が付いてきた。


 私のレッスンが終わる頃、次の生徒さんが来た。


 仁君と槇慎一さん、あの時に車で送ってくれた男の人だった。やっぱり似ている。親子なんだ。


 小石川先生が彼等に申し訳なさそうに言った。


「佐山さんが、仁の保護者様にお話があるとかで……」

「はい、何でしょうか」


 おじい様が堂々と答えた。私は下を向いて小さくなっている他なかった。母親は、気味の悪い笑みを浮かべていることだろう。


「実は、……大変申し上げにくいのですが、仁君とのお付き合いで、莉華が……その、お相手に責任を取って頂かなければならない事態になりまして、そのお話をと思いましたの」


「仁、本当なの?」


 小石川先生に畳み掛けるように言われ、仁君は表情を曇らせ、困っていた。仁君は額に手をあてるでもなく、何も言わなかった。


 ごめんなさい、ごめんなさい、仁君じゃありません。

 私は必死でそう言いたかったのに、口を開けても声が出なかった。



 おじい様が立ち上がった。


「すみません。現在は事情があってわが家で預かっているので私から、よろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ。何を仰るおつもりなのかしら?」


 母親が高圧的に言ったが、おじい様は真っ直ぐに私に聞いた。


「莉華ちゃん、僕は君が嘘を言う子だと思っていない。車で送った時に僕に話してくれたことは、嘘だったの?」



 ごめんなさい、ごめんなさい……。

 ごめんなさい、ごめんなさい…………。



「何のことですの?……莉華?どういうこと?」


「莉華ちゃんが話してくれたこと、僕は嘘だとは思っていない。仁にどうなってほしいの?コンクール前に動揺させようとでも思ったの?こんなことがあった後、仁は莉華ちゃんのことをどう思うか、考えたのかな?」


 私はハッとした。コンクール前?

 あ!全日本学生ヴァイオリンコンクールの本選の時期だ。本選前?あっ……だからご両親はメンデルスゾーンの演奏会を!


「……ごめんなさい!付き合っていたのは、仁君じゃありません」


 やっとそれだけ言えた。


 

 もう会えないと思っていた仁君に会いたかったのは、こんなのじゃない。仁君、ごめんなさい、ごめんなさい。許してなんて、言えない。しかも、コンクール前に…………。


 私を許さなくていいから。

 ごめんなさい、ごめんなさい……。



 仁君は外へ飛び出して行った。


 お父さんとおじい様に、せめてもの謝罪をしなければ。


「……ごめんなさい。仁君にはずっと相手にしてもらえなかったから、別の人に構ってもらってたの。それでも、仁君のことが好きで、別の人に慰めてもらっているうちに、だんだん断れなくなって、できちゃって……あの日、本当は仁君と結ばれたかったんです」


 最低だ。


 ごめんなさい、ごめんなさい……。

 ごめんなさい、ごめんなさい…………。


 私はもう、生きている資格もありません。

 







 冬。

 ヴァイオリンコンクール本選で、小石川門下の小学四年生が一位というニュースが伝わった。


 あの時の、ほっとした気持ちは、まだ覚えている。

 人を傷つけた痛みも。

 

 宝院学園オーケストラ部の定期演奏会でメンデルスゾーンのコンチェルトを弾いた私は、持てる全てを出して懺悔の演奏となった。


 事情を知るわけもない皆に絶賛されても、笑顔で礼を言うわけにはいかなかった。


 聴きにきてくれた小石川先生だけは、 

「何かあったら、あたくしのところにいらっしゃいね」

と仰った。 


 返事をすることは出来なかった。









 時が過ぎ、それももう、何年も前の話となった。



 私は無駄に生きていた。
















評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ