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Doctor  作者: 槇 慎一
2/16

2 王子様のいないアンサンブル


 アンサンブルの練習は、とても素晴らしかった。


 なのに先生方は、

「何だ何だ、午前中の方が良かったぞ。さては、昼休憩に遊びすぎて疲れたのか?」

と不思議顔。

「…………先生、違います……」

 男子一同、生気がなかった。


 先生は意味がわかったらしい。

「その件については、今は話せない。一応他の曲も通すぞ」


 プログラムの順番どおりに通した。細かい注意や確認もしていたが、そのためにやり直したりはしなかった。ほとんど完璧に仕上がっていたし。



「予定よりだいぶ早いが、出来てるから終わりにする。今日はよく休んで、明日は遅刻しないように。解散!」

「ありがとうございました」


 

 何だかちょっと拍子抜けした。

 あ……母親はもっとそう思うだろうな。

「なあにこれ。せっかく練習を聴きに来たのに。死んだような演奏だったわね。まぁ、折角小石川先生が紹介くださったし?レベルは高いみたいだから、入ってもいいけど。何しろ、一般には募集していないみたいだしね」


 お願いだから、他のお母さん達や先生に聞こえないところで言ってほしい。思っても言わないでほしい。それより、そんなふうに思わないでよ…………。素敵な仲間と素晴らしい音楽、それで充分じゃない。

 私はうんざりしたけれど、それは母親に対してだ。演奏も音楽も素敵だったから、すごくよかった。本当は、あの王子様がいたらもっとよかったんだけどな。





 弦楽アンサンブル演奏会当日。


 それでも母親は抜かりなく、昨日知り合った先生方やお母さん達に挨拶をしまくり、

「佐山でございます。宝院学園に通ってますの。どうぞよろしくお願い致します」

と、私を紹介した。


 本番の演奏は、流石に素晴らしかった。昨日だってよかったけれど、本番はそれ以上だった。私も次の演奏会には一緒に弾いてみたい。王子様がいてもいなくても。


 私は、帰宅してからプログラムをゆっくり眺めた。今日は会えなかった演奏者の名前を。


「藤原 仁」


 じん、君……ていうのかな。

 小石川先生に習っているんだろうか。個人レッスンだから、会ったこともない。前後になることもなかった。

 小石川先生のレッスンは、時間が決まっていない。レッスン開始時間だけが決まっていて、私が練習してあるところまでレッスンしてくれて、次のところのポイントやコツをほんのちょっと教えてもらったら終わり。二時間で終わる時もあれば、四時間以上かかる時もある。だから、一日に一人しか教えていないっぽかった。

 不思議なことに、母親はその方法に文句を言わなかった。「お得」とでも思っているのだろう。お姉ちゃんのピアノの家庭教師のレッスンとはだいぶ違った。


 あ…………もしかして私に期待してる?

 それも面倒だな、と思った。

 でも、私がテキストを進めるにつれて、母親はわからなくなっていったようだった。その、わからないことが私にわかられないために口を出さないのだとわかった。

 

 綺麗な音で淀みなく弾いていれば、サードポジションで弾くべきところをうっかりファーストポジションで弾いてしまっても、母親にはわからないみたいだった。見ていればわかるものを、表面的なことしか見ないから。


 感じの悪い母親の娘だし、自分で可愛くないことは自覚していた。


 アンサンブル演奏会の後のレッスンで、小石川先生から新曲の楽譜を手渡された。パソコンでプリントされた、四枚の楽譜。第二ヴァイオリンと書いてある。小石川先生の筆跡で、弓のアップダウンや、何線の何ポジションを使うかも書かれている。


 三楽章形式、二短調。4分の4拍子。1楽章はチャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』に似ている曲。切なさと悲しみの曲だった。2楽章は『アンダンテ・カンタービレ』みたいなゆるやかに歌う曲。3楽章は『ヴァイオリンコンチェルト』の終楽章みたいな明るい曲だった。きっとチャイコフスキーの曲だろう。


 音源を聴かなくても、楽譜を見ただけでもわかる。私はこの曲が好きだ。もう、母親に監視されなくても練習する。練習をしていれば、母親も口を出さない。真剣にさらっているか、適当な音を出しているだけか、母親もバカじゃないからわかるだろう。私もバカじゃないから、きちんと練習するし。


 いつものように、カール・フレッシュの音階を丁寧に何周でもさらう。もういいよってくらいにしつこく。それくらい、音階を完璧に弾くのは難しかった。それからエチュード、アンサンブルの曲、それにこの曲……題名がない曲。誰が作曲した、何の曲なんだろう。先生に聞いてみよう。表紙を見せてもらえばいいのかもしれない。





 今日のヴァイオリンのレッスンは夕方16時からと言われていた。


 家から学校は電車でいくつか先でまあまあ近いけれど、小石川先生のお宅はその先の先にある。こんな日は、母親がヴァイオリンと楽譜を持って学校まで車で迎えに来る。


 今日は5時間の日だから16時にはギリギリ間に合うかどうかくらいの計算だった。その日時を指定された時、一応母親も、先生にお伺いを立てる。


「最善を尽くします。学校から急いで向かいますとしか申し上げられませんがよろしいでしょうか」


「えぇ、大丈夫よ。急がなくていいから、学校が終わり次第、気をつけていらしてくださいな」


 小石川先生は優しかった。 





 16時。間に合った。

 母親の時間配分は、憎い程完璧だ。心を落ち着けて呼び鈴を鳴らす。


「どうぞ。お入りになって」


 解錠されて中に入ると、玄関には見慣れない女の人の靴と男の子の靴があった。レッスンの前後に他の生徒さんに会うのは初めてだった。


 レッスン室にいたのは、あの王子様とお母さんだった。私は嬉しくて、思わず母親に何か言いたかった。


 王子様のお母さんは、母親に頭を下げた。


「その節は大変申し訳ありませんでした」


 母親は、 

「いいえ~、優しい男の子さんで。あの後お帰りになってしまったみたいね。アンサンブルのお兄さんたちが午前中よりも午後に元気がなくなってしまって、いつもの雰囲気とは違うって先生方に仰られてしまったわ。どんな雰囲気なのか見学に行ったのに。ねぇ~莉華」

と言った。


 何て、感じが悪いのか。我が母親ながらがっかりした。


 小石川先生は、母親に座るよう促しながら私に言った。


「莉華ちゃん。楽器を出して頂戴。この前渡した曲は弾いてみてくれた?」


「はい。第二ヴァイオリンと書かれた楽譜ですね?練習させましたわ」


 私が答えようとしても、いつも母親が先に答える。


 小石川先生は、王子様に座って待っているようにとソファを指した。





 私は、調弦をして譜面台に楽譜を置いた。第二ヴァイオリンと書かれた楽譜を。


 前回のレッスンで楽譜を渡され、初めて見ていただく曲は、緊張する。


 最後まで通した後、小石川先生はいくつかの注意をし、やってみせて、私に弾かせた。あ、そうだったんだと理解して、確かにそうかもと直して、殊更正確に弾いた。


「仁、莉華ちゃんと一緒に弾きなさい。かおりさん、ピアノを弾いてくださる?」

「はい」


 王子様とお母さんは同時に返事をして、演奏の準備をした。

 小石川先生は、ヴァイオリンの私達とピアニストとの合図ができるように、譜面台の位置と高さを調整してくださった。



 準備が整った。ピアノ前奏のあと、第二ヴァイオリンの私から入る。美しい前奏に、うっとり聴き惚れそうな音だった。

 のまれちゃいけない。伴奏をよく聴いて、自分の中の拍を合わせてしっかり弾く。アンサンブルは途中で落ちたら二度と入ることができない。一瞬も気を抜けない。私の主題の後、王子様の第一ヴァイオリンパートが入ってきた。その音質と迫力は、少年とは思えない演奏だった。それに、オーケストラの音や弦楽器の音色と調和するような美しい音色の、心を込めて奏でられるピアノ。


 初めで、こんな…………。私は必死だった自分、やり遂げた自分に、感激、感動した。


 演奏後、小石川先生は、

「とても良かった。何かの時に演奏できるといいわね」

と言った。


 母親が、

「これは、誰の何という曲なんですか?」

と聞いた。





 沈黙の後、言葉を発したのは王子様だった。


「僕が創りました。名前はありません」


 え、王子様がつくった曲?



「演奏してくれて、ありがとうございました。先生、ありがとうございました」


 王子様は、楽器を片付けて外に出てしまった。

 王子様のお母さんは、小石川先生と私達に挨拶をして王子様を追った。



「まだ楽器の大きさも合わないし、いつか発表したいから、大切に取っておいてくださいな」


 その小石川先生の言葉に、

「第一ヴァイオリンのパート譜と、伴奏譜ももらえませんか?」

と、夢中で口から言葉が出ていた。


「もちろんいいわよ。ちょっと待っててね」

 小石川先生は、微笑みながら別の部屋に行った。


 その曲も、仁君も、それきりだった。
















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