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Doctor  作者: 槇 慎一
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16 王子様の未来予想図


 春。

 桜が咲いた、格別の春になった。

 桜を見たのは、久しぶりだった。


 私は、買い替えてもらった天使のような楽器でヴァイオリン演奏科に合格し、特待生として奨学金が貰えることになった。

 医学部を目指していたくらいだ。学科はもちろん、他の科目も満点だっただろう。ヴァイオリンだけは、同じ歳ならぬ、同じ学年でどのくらいの立ち位置になのかわからなったけれど、まさか一位とは…………。頑張ってよかった。


 藤原先生は、私が合格したことで大学の講師となり、これからも私の副科ピアノの担当になってくれるらしい。これも、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。


 それに両親が、大学の女子寮に住んでもいいと言ってくれて、携帯電話も買ってくれた。


 いつからか締め付けが緩くなった背景に、何があったのかは知らない。私がわかっているということが、言わなくても母親に伝わっただろう。女って嫌だなと思ったけれど、仕方ない。大学病院とクリニックで忙しい父親とすれ違い、寂しかったのだろうか。いろいろあるんだなとしか言えない。何も言うつもりもない。





 出発する日。

 ほとんどの荷物は、もう寮に送ってある。

「どうして、私を音大に行かせてくれたの?」

 私は母親に聞いてみた。


「経済的に問題ないし、莉華は音楽が好きなんだなって、ずっと思ってたの。お姉ちゃんは、音楽があまり好きじゃなさそうだったから余計に。基礎練習をきちんとする莉華のこと、すごいなって思ってたのよ。それにね、あの子にも言われちゃったのよ。『姉ちゃんはメンタルヤバい。オレが医学部目指すから、姉ちゃんは音楽に行かせてやって。男子部でもめっちゃ人気だったんだぜ。でも、どんな奴より、あのヴァイオリン少年がいいよ。断言する。アイツがいたから、姉ちゃんは立ち上がったんだ』って。だから…………元気でね」 


 弟がそんなことを……。


 夢みたい。

 こんなに清々しい気持ちで家を出る日が来るなんて!

 こんなにわくわくした気持ちで電車に乗る日が来るなんて!


 入寮の手続きもできた。

 ルームメイトと簡単に挨拶をした。これから仲良くしていくのも楽しみだ。

 簡単な荷物整理もできた。

 




 私は、晴れて……仁君に会いに行った。


 待ち合わせは、大学の正門。

 彼はもう来ていた。

 私服の仁君は、中学生にはとても見えない。

 明らかにプチプラな服なのに格好いいなんて、ずるい。


「莉華、合格おめでとう」

「仁君のおかげ。ありがとう」


 仁君に促されて、近くの公園に来た。

 公園というほど広くないけれど、ブランコが二つあるだけの、やっぱり公園なのだろう。


「ここ。いつか話した、僕が産まれてから毎日散歩した公園なんだ」

「わぁ、ここなんだ?走り回るのには物足りなくてスイミング行ったっていう?確かに、あの仁君なら走るところないね!」

 私は笑った。懐かしい。


 初めて会った日に、アンサンブルの会場から勢いよく走り出してきた仁君。あの瞬発力とエネルギーに、ふっ飛ばされるかと思ったっけ……。

 

「そう。よく覚えてたね。莉華……合格後は、何か目標がある?」 

「え?ううん、そんな。今までいっぱいいっぱいだったし」

 

「じゃあ、提案してやる。稼げる演奏家になれ。弾ける人は皆間違いなく、『弾ければ稼げる』って言うからな。いつか言ってたろ。稼げるかどうかの話で言えば、雇われていたら稼げない。意識して過ごして。よかったら、かおりと組んで演奏してほしい。かおりの音楽、好きだろ?かおりの伴奏と天使の楽器で、所謂演奏活動をしてもいいし、莉華の得意な音階の楽譜を出版するとか、教材DVDつくるとか。莉華、可愛いから。あと、かおりの母は絵が上手い。テキストに挿し絵を描いてもらうとか」


「なにそのステキ企画!それに、どんだけ『かおり』推しなのよ?」


「悪い、ちょっと特別な存在だから切り離せない。あきらめて」


「私も大好きだから……のむよ」


「それに、天使の楽器と悪魔の楽器で組んでもいい。小石川先生の言葉だけど、『慎一は公式伴奏者タイプ、一位だけを狙う伴奏者ならかおり』って。慎一の伴奏は、かおりとは全く違うベクトルで最高だから、曲毎に試してみてさ。きっと協力してくれる。四人でいろいろな組み合わせして比較してもらうのも面白い」


「キャー!贅沢の極地!」


 仁君は続けた。


「僕は演奏も勿論するけど、学習塾を経営する先輩から、数学講師に誘われてる。結構上の先輩で……僕が小学生だった時に高校生だった先輩なんだけど、講師の実績は既に申し分ない。あ、制服はその先輩にもらったんだ。なんか気に入られててさ、将来一緒に仕事しようってずっと言われてたんだ。今立ち上げ準備にかかってるから、夢物語なんかじゃないからな。だから、大学入試レベルの勉強は続ける。成績もまあまあだから。あの学校、半分くらいは東大行くし。あ、なんなら莉華もやる?宝院学園で医学部目指してたなら、オールマイティーいけるだろ」


「わかった!忘れないように勉強も復習しとく!研究発表もウケてたもんね。仕事って音楽だけじゃないんだね」


「そうだな、副業っていうか一つに絞ることはない。父は、講師しながら高級ホテルのレストランとバーでピアノ弾いたりもしてるけど、若い頃はモデルもしてたって言ってた。父のことは尊敬してるし、父の記録をぬりかえてみたい。その時は……一緒に行こう。チャイコフスキーコンクールとかさ」


「すごい計画!あと私…………一度でいいから仁君と同じ学年になってみたかったな。無理だけど」


「なれるよ。僕は大学には行かない。四年後、一緒に一年生だろ。社会人の」


 そこ! 

 本当に?

 6つ上ってこと、ずっと気にしてた。


「大学に、行かないの?」


「うん。そもそも大学に行くことを考えたことがない。母も出てないし。音大でレッスン受けられるし、それに僕は特待生を狙える程、全科目イイコでなんていられない。勉強なんて、如何様にもできる。だから…………留年するなよ」


「うん」


 私は、その考え方に感心して、返事をした。


「莉華。卒業したら、僕の家族の一員に…………『藤原莉華』になってくれ」


 仁君の真剣な瞳に、驚いた。




 


 仁君は自分のマフラーを外し、そのマフラーで私の頭を包むようにして、体ごと持っていかれた。近い近い近い近い。


「莉華を予約したいんだ。返事して?」

 

 悩むことなんてない。


「…………はい」


「莉華の音程、莉華の意志のある音が好きだ。正確で、安心する。ずっと、変わらないで。僕が……外したら、その音で正してほしい」


 屈み込むようにしてゆっくりと近づいてきた、綺麗な顔。

 

 わずかに感じる吐息。





 初めての『仁君からのキス』は、触れてるか触れてないか、ほとんど触れていない、フラジオレットのようなキスだった。


 マフラーがあたたかくて、心の芯まで幸せになった。


 ありがとう。

 生きてて、よかった。





















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