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Doctor  作者: 槇 慎一
14/16

14 王子様と急行電車


 今日は一日出かけると母親に言って出てきたから、多少時間がある。

 仁君の帰りを待つために、外に出た。

 藤原先生は先に帰った。今度会うのは来週。ピアノとソルフェージュのレッスンでだ。


 藤原先生に、

「楽譜以外に必要な持ち物はありますか?」

と聞いたら、

「特に何も準備しなくて大丈夫です。元気なお顔を見せてね」

と、マリア様のような台詞と微笑みで別れた。




 仁君と待ち合わせしたのは、この学校の最寄り駅の反対側にあるというケーキ屋さんだった。

 見るからに女子高生が好きそうな、ラブリーなお店だった。雰囲気だけでも何だか懐かしい。私なんて、お友達と行ったこともないのに。でも、仁君の学校帰りにこんなところでお茶できるなんて!


 私はコーヒーを注文して、問題集を開いた。


 音大の推薦入試はもう期間がなさすぎるし、そもそも現役生のものだった。現役どころか二浪ですし。しかも秋です。もうすぐ冬です。明日から頑張ろう。


 ヴァイオリンの受験曲、ピアノの受験曲は決まった。学科は問題ない。ソルフェージュはこれから。楽典は藤原先生にも質問できるだろうけど、まずは自分で見てみよう。まるっきり知らないことだらけって訳でもない。逆に、知らないこと、知らないところをチェックして、入試問題がどのように出題されるか……。私は勉強しながら待った。


 軽やかなメロディが鳴り、入口の自動扉が開いた。

「莉華」


 顔を上げると、ハァハァと仁君が息を切らしてこっちにきた。

「ごめん。実はここ、先生と女子に見つかると面倒なんだ」


 仁君は、私のコーヒーの伝票をサッと掴み、入口の近くにあった小さな焼き菓子のギフトを二つ取ってレジに行った。



 少年かと思ったけど、格好いいなと、嬉しくなった。


 仁君はレジで会計をして学生服を脱いで畳み、焼き菓子の包みの一つと共に、鞄にしまった。


 仁君の家と反対方向の電車に乗った。

「今日はそっちの近くまで送るよ」


 嬉しかった。

 なのに、何故か言葉が出てこなかった。


「莉華?」

「え?あ……何?」


「あまり面白くなかっただろ、ごめん」

「ううん、普段の仁君が見たかったから、嬉しかった」


「マリア様みたいだな」


 私はまた何かを思い出しそうになった。


「今日って、僕のこと親に言ってある?家まで送って平気?」


「本当に?……ありがとう……仁君のことは……」


 何て言って出かけてきたんだっけ……。


 ターミナル駅で乗り換えて、私の家の最寄り駅まで電車に乗った。いつもなら急行は混むけれど、今日は休日ダイヤだから空いていた。始発から乗っても、座ることはできなかったけど。


 仁君は、私より完全に背が高い。聞く時、話す時、こちらに少し屈むようにしてくるのが、すっごくすっごくドキドキした。そうしないと、必要以上に大きめに喋らないといけないからだって、わかってるけどでも!


「莉華?僕に言うことないの?」 

「えっ?」


「音大、受験するんでしょ?ピアノとソルフェージュを母に習うって聞いたよ」

「あぁ、そっちか!」


「他にもあるの?」


 しまった!

 でも、でもでも自分でもわかっていないのに………。


 仁君は私に密着しそうなくらい、詰め寄ってきた。

 白いシャツ姿で、肌の温度が近く感じる。


「さっ、寒くないの?」

「寒くないし……これ着て莉華に会いたくないんだ」


 額に手をあてて、不機嫌そうにして呟いた。


「あと、四年は着なきゃならないけど。これも小さくなったら、いい加減今度は大きいの買ってもらうかな……ごめん。独り言だった」


 あ、アレを言えばいいかと私はいいタイミングでそれを口にした。


「ううん。あのね、私、ヴァイオリン、小さめのに買い替えてもらえるかも……」


「へえ、気に入るヤツだといいね」


「仁君のは?」


「僕のは祖父の父?父の祖父に貰ったものらしい。僕が一歳にならない時に、ヴァイオリンに興味を示したから、父が父の祖父にねだったらしい。悪魔みたいな音がするだろ」


 私は思わず笑った。

 仁君が、私を見つめている。


「莉華のママに、つきあってるって言っていい?」

「え?」


「莉華に、嘘つかせたくないんだ。ちゃんと、認めてもらってつきあいたい。『袖の下』も用意したんだけど、ダメかな。小遣いに限度があって」


 仁君は、焼き菓子の包みを見せつけた。

 私の母親に……。

 どうしよう、嬉しい。


「莉華、僕の前で、いつもそういう顔して。僕がいない時にも、泣いたりしないで」


 そんな真面目な言葉に、私は涙がこぼれてきそうだった。


「バカ、泣くなよ……莉華の可愛い顔、好きなんだから……ほら、着いたし」


 私は必死で顔を上げた。各駅に乗ればよかった。

 駅のトイレで化粧を直した。


 母親は、何て言うだろうか。

 仁君は、何て言うつもりなんだろう。


 駅を出て、家に行く道を仁君と二人で歩いた。いつも憂鬱な『家への道』が、とても不思議な気持ちだった。幸せだけど怖い、そんな気持ちでもあった。


「このクリニックが、お父さんの。家はこの裏」


 そんなに大きなクリニックじゃないけど、そこそこ評判は良い。きっと弟が継ぐだろう。

 ぐるりと周って「ここ」と家を指した。

 仁君は門の手前で待ってると言うので、母親に出てきてもらおうと、一人家に入った。


 あれ?


 ……いないみたいだった。父親はいつも病院だし、弟もサークルか何かだし。そういえば、母親の予定なんて知らなかった。いつも夕食を作って待ち伏せされてたから、意外だった。そういうこともあるか。


 門のところに戻ると、丁度母親が帰ってきたところだった。


 私にはわかってしまった。何故かわかる。服装とか、メイクとか、そんなんじゃない。



 男だ……。





 同時に、そんな母親の娘であることが、たまらなく嫌だった。仁君にはそこまでわからないにしても。 


 母親は、仁君のことが誰だかわかったみたいだった。


「藤原仁です。今日、莉華さんに文化祭に来てもらっていました。音大を受験すると聞きました。同じ門下として、音楽家として、大切な相手として、つきあっていきたいと思っています。これ、学校の近くの、女子に人気のお菓子です」


 母親は何も言わずに最後まで聞いてくれて、ケーキ屋さんで買った、小さな焼き菓子の包みも受け取った。


 私は、仁君に感謝の気持ちでいっぱいだった。私の母親のことキライって言ってたのに、私に嘘をつかせないために、誠意を込めて言ってくれた。


「わかったわ。莉華を送ってくれて、ありがとう」


 母親はそう言って、家に入った。すれ違いざま、確かに感じた。家のものじゃないソープか何かの香り……。


 それに今の、お母さんが言ったの?信じられなかった。自分に負い目があったから優しくなったのだろうか。それでもいい。何であれ、仁君に優しい言葉をかけてくれたことが、私は嬉しかった。



 冷たい風が吹いた。もう夕方から夜になるのが早い。気温も下がる。ここは東京とは温度が違う。東京がどれだけ暖かいか、寮生活したから知ってる。仁君には逆な筈。


「ありがとう。もう、寒いから、着て」


 門扉の外に取り残された私達は、この展開にお互いにほっとしただろう。私は、仁君の鞄から学生服を取り出した。弾みで、焼き菓子の包みが落ちてしまった。しまった!


 二人同じタイミングで、膝を落とした。


「ごめんなさい!藤原先生に、でしょ?」


 私は、丁寧に拾い上げ、砂を払い、大切に鞄に戻した。それから、学生服を仁君の肩にかけるようにした。着せてあげるってのも変だけど、とにかくもう絶対に寒いから。

 

 仁君は、私が着せるままに袖を通した。少し色褪せた、着古された学生服…………。首元のホックは、ちょっと近すぎてできそうにない。そうでなくても、近い近い近い近い。仁君は、ボタンを留めなかった。


 少しだけ、ほんの一瞬、私は仁君の学生服の中に入ったみたいになった。やっぱり、少年じゃない男の子の感じがした。


 どちらからともなく立ち上がった。

 また、仁君の顔が高いところになった。



「莉華、また元気な顔を見せて」

「うん」


 私は嬉しくて幸せで、仁君を見上げ、笑顔で答えた。 


 仁君は私の髪を掬って、それから頬に触れた。


 まるで、ヴァイオリンの口笛と呼ばれるフラジオレットをするように。

 かすかに……指先で触れただけだった。


「またね」



 あたたかい、指先の感触。


「うん、またね」


 『次』の日時は決まっていない。

 でも、きっと………。


 その言葉は、とても甘い響きで、とても嬉しかった。













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