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Doctor  作者: 槇 慎一
12/16

12 王子様の部屋


「ただいま」

 仁君が帰ってきた。

 やっぱりここがおうちなんだ。


 ステージでは白いシャツ姿だった仁君はシルバーのヴァイオリンケースを片方の肩に掛け、デニムにダボダボのパーカーで、フードを被っていた。さっきまでの仁君と全然違うことに、何だか可笑しかった。


 フードを上げると、サラサラの髪が落ちてきた。静電気すごそう………。


「あ、莉華。いてくれてよかった。言うまでもないけど……僕の両親。品川に……、父方の祖父母がいて、品川の上の階には、母方の祖父母もいる」


 紹介してくれた。


「こんにちは。お邪魔しています」

 私は皆に頭を下げた。


 かおりさんは、仁君にも紅茶を出した。

「折角だけど、熱くて飲めない。ごめん。莉華、どうぞ」


 私は紅茶を頂いた。

 とっても美味しかった。

 珍しい紅茶なのか、わからない。

 きっと丁寧に入れてくれたのだろう。


「どうだった?」

 仁君は槇さんに聞いた。

「いい聴衆で、いい雰囲気だったな。かおり、解説の速さや量はどうだった?」

 槇さんがかおりさんに聞いた。

「うん、マイクだし、よく聞こえた。だからか、ヴァイオリンの音が相対的に小さく感じるから、本当は、もう少し小さい部屋で、マイク無しでできる部屋の方がいいのかなって。響きすぎると、技術的なことが判別しにくいところも、あったような……莉華ちゃんは?」


 まさかの私?


「えっ?私は、あの、公開レッスンというものを初めて聞いたので、私はあんな先生に習えないし、仁君みたいに弾けないし、ちょっと雲の上の話だったけど……でも、またあったら、また行きたいと、思いました」


 槇さんも、かおりさんにも、聞いてくれて、優しかった。私はそんな優しさの渦中にいることが、どうにも気恥ずかしかった。



 仁君が、

「上に連れて行っていい?」

とご両親に聞いた。上って?品川の?


「どうぞ」

 槇さんは静かに微笑んだ。


「莉華、こっち」

 

 仁君はもう一度ヴァイオリンケースを肩に掛け、玄関を出てエレベーターに乗り、最上階のボタンを押した。



 最上階は、ドアがいくつかあった。

 中に入ると一階とは雰囲気が違い、シンプルなワンルームだった。グランドピアノとベッドがある。

 ミニキッチンがあって、カウンターの椅子を勧められた。


 仁君は、冷蔵庫からアイスコーヒーを出して、一気に飲み干した。仁君はカウンターを挟んだキッチンに、もたれかかった。そうだよね、疲れてるよね。


「ここは、音大の教員住宅で、一階に両親が住んでる。僕はそこで産まれ育ったんだけど……小学一年生から品川に住んでて……家が二つあるみたいな……今はここに住んでる。母が音楽教室の講師になったから、一部屋追加してくれたんだ」


 あぁ、なるほど。


「莉華の家はどこなの?」

「○○線の、●●●●」


「勉強、どう?」

「うん…………」


 私はステージでの仁君の姿を思い出すと、とても頑張ってるなんて報告はできなかった。

 

「無理に言わなくていいよ。僕は音大附属の音楽教室の特待生として、大学で小石川先生や他の先生のレッスンを受けたり、今日みたいに海外から先生が来た時に公開レッスン生として指導研究の対象となってる。だから、高校にはこのまま普通科に進学する。受験もないし。成績を維持できればだけど」


 そうなんだ……。


「モスクワで……自分を試してみたかった。莉華も、自分を試してみろよ。真剣に。音楽には、進まないの?今日、他にどう思った?」


「うん、久しぶりに、伴奏のある曲を弾きたいなって思った。そんな風に思ったの、久しぶりすぎて、ちょっと戸惑うくらい」

 

「やりなよ」

「そうだね……」


「真剣に言ってる。莉華は、音楽が好きだろ?」


 驚いた。ちょっと怒ってるみたいだった。

 まるで、「僕が好きだろ?」って聞かれたみたいで、それでも、私は何て答えたらいいかわからなかった。好き、うん。それは、もちろん…………。


 仁君はカウンターの奥にもたれたまま、しばらく私を見ていた。

「駅まで送るよ」

と言ってまたフードを被って玄関に向かった。


「○○線に乗り換えるなら、地下鉄から乗れば?」

と、私が知らない方角に歩きだした。私はそのままついて行った。 


 歩いている間、

「ここ、大学の女子寮」

と仁君が言った。音大にも女子寮があるんだ、と思った。本当だ。○○音楽学園○○音楽大学女子寮と書いてある。


「ここに入れば、近いのに」

とも言った。


 えっ?

 それは、期待してくれてるってこと?

 信じられなかった。


「莉華が医者になっても、僕は病院に行かないよ?具合悪くなんか、ならないからな」

 

 何それ。怒ったみたいな口調に、私はちょっと可笑しくなった。でも、二人の空気が、まるで幼い頃に戻ったみたいだった。あの、小石川先生のお宅で必死になって弾いた、ダブルソリストの演奏をしたときみたいに。



 地下鉄の駅は、そんなに遠くなかった。

 改札は、電車の音が大きく聞こえて、「じゃあね」と言ったタイミングで電車が来たりして、それにかき消された。


 本当は名残惜しくて、そんなこと言いたくなかったから、聞こえなかったみたいな仁君に、次のチャンス……電車の音が聞こえなくなるタイミングを測っていた。

 

「来週末、文化祭あるけど、来る?」

「うん!」


 びっくりした。そんなこと言ってくれるなんて。


「……そういう、莉華の、笑った顔が見たかった」


 やだ、私、ろくな顔してなかった。そうだよね。笑うことなんて、ずっとなかった。いつからだろう。


「文化祭なんて、久しぶりすぎる。どこなの?」

「◎◎◎線の◉◉◉駅にある、教育大学附属○○中学。つまらないかもしれないけど、10時から、研究発表するんだ」


 今まで、仁君の学校のことも知らなかった。国立の学校だったんだ。


「ありがとう!行くね!」

 私は、自然に会話できるようになって嬉しかった。


 私達は、お互いに笑顔で見つめ合うことが出来た。

 一瞬ね。


 改札を通って、ホームに走った。走ったのも久しぶりだった。


 嬉しくて、どんな顔したらいいか困った。


 仁君は、笑顔ってほどじゃなかったけれど。

 少年時代のままの、可愛らしい顔をしていた。
















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