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Doctor  作者: 槇 慎一
10/16

10 王子様に会いたくて


 浪人してからの医学部受験は、長く、孤独で、辛かった。

 そんな一言ではとても表せないけれど、現役時代よりも自分の意思で勉強した一年になったことは大きかった。


 何より、生きていくと決めたことが。



 正直、現役で合格するとも思えなかったけど、一年受験勉強をして、判定と手応えが上がらないことも辛かった。


 判定なんて当てにならないなんて言うけれど、A判定でも油断しちゃいけないとか、そういう意味なのだと思う。B判定でも受かるなんて思っていない。結局、A判定には一度も届かないまま受験日を迎えることになった。A判定にも、合格にも、見えるようで常に霞んでいるような、遠い世界だった。



 3月末。

 合格を持ち帰れないまま退寮して、久しぶりに家に帰った。父親も母親も、まるでわかっていたような雰囲気だった。責められもしなかったし、期待されてもいないし、慰められもしなかった。


 姉は大学を卒業して家を出ており、一つ歳下の弟は、医学部に合格していた。弟の合格祝いは、私が帰って来る前に済ませてあるのだろう。弟は昔から可愛がられていた。わが家ではこれが普通だった。


 私は部屋でヘッドフォンを耳にあて、藤原かおりさんのCDを聴き、そのまま眠りについた。こんなに安らかな気持ちで眠れることが、幸せだった。


 繰り上げ合格の知らせもなく、私はほとんど部屋から出ないまま勉強する毎日になった。そして一日の最後には、いつものCDを聴いて眠った。


 もう、やることはわかってるから、予備校ではなく家で勉強することにした。休憩に、ヴァイオリンを取り出して弾いてみたりした。音階とバッハを弾いては、また勉強に戻った。



 生きていくと決めたのに、生きているだけだった。それでも、母親が用意してくれる食事は、寮より美味しかったし、もう見張られている感じも、監視されている感じもしなかった。ただ、ずっと望んでいた筈のその感じは、嬉しいよりも何故か寂しかった。想像していたより、ずっと虚しいものだった。何か言ってほしいわけではない。見ていてほしいわけでもないのに。



 やっぱり生きていくのは大変だと思った。

 生きていくと決めたのに。




 春はいつのまにか夏になり、暑さに慣れた頃には、家の中にさえ秋の気配を感じるようになった。


 生きているだけで、取り巻く季節は変わっていったのに、私は実感が伴っていかなかった。心がついて行かなかった。




 


 ある夜。

 小石川先生から電話があった。今どうしているのか聞かれた。


 モスクワのコンクールの後、仁君に伝言を頼んで会えるように繋いでくれたのも小石川先生だったのに、そっちの報告もしていなかった。


「すみません。医学部は残念ながらダメでした。今は寮を出て家で勉強しています。仁君に伝言していただいたことも、ありがとうございました」


「お声が聞けて安心したわ。今度、仁が大学でレッスンを受けるから、都合がついたら聴きにきたらどうかと思って。多分チケットは必要ないと思うけれど、何かあったらあたくしの名前を言って通してもらってちょうだいな」


「ありがとうございます」


 私は日時と時間をメモした。




 王子様に会える……。

 久しぶりに生きている実感があった。仁君の音も聴きたい。


 私はその日までのノルマを粛々とこなした。



 母親に、

「小石川先生に、勉強にいらっしゃいって呼ばれたから」

と、外出を仄めかした。止められても、なんとかお願いして行くつもりだったけれど、意外にも反対されたりはしなかった。


 小石川先生が教えていらっしゃるという大学に行くのは初めてだったし、『音大』というところも初めてだった。


 住んでいる場所からは、少し離れたところだった。

 今までの生活圏とは異なる場所。その沿線も、乗る電車も初めてだった。駅を降りてからは、そんなに遠くなかったから迷わなかった。


 『音大』は防音してあるらしいけれど、それでもあちこちの建物から練習やレッスンの音がした。それも、ピアノや弦楽器はもちろん、金管楽器や歌声もそこここから聴こえてきた。

  

 その音質と熱量は、中高時代の部活動とは全然違った。

 あたりまえか。

 私は公開レッスンの会場となる、学内の音楽ホールを探して、受付の列に並んだ。若い女の子がいっぱいで、賑やかだった。


 開場時刻になった。

 人がなだれ込むようにホールの中に吸い込まれていった。アイドルのコンサートってこんな感じだろうか…………あっという間に、ほぼ満席状態になった。


 圧倒されて、後ろの席まで行って空席を探した。

 賑やかすぎて、何処が空席なのかわからない。

 

 後ろのドアから静かに客席に入ってきた女性を見て、思わず声が出た。

「藤原、かおりさん……」


 聞こえてしまったのだろうか。その人は、少し驚いたように私を見た。いつもいつも、毎日必ず聴いているCDの写真は、演奏中の弾き姿だったし、正面からみたのは、見慣れない顔だった。あ、見たことがある。メンデルスゾーンの演奏会でのお辞儀姿と、そのチラシを思い出した。まるで恋する少女のような可愛らしいお顔だった。こんなに近くでお目にかかることができるなんて……。


 彼女は、一番後ろの中央に二つ空いている座席を指し、「どうぞ」と言ってくれた。よく聞こえなかったけれど、多分そういうことだろう。


 先に座っていた人達に頭を下げながら中央まで進み、彼女は私の隣に座った。


 開演前とはいえ、客席の中はそこまで明るいわけではない。  

 

 私のことなんて、覚えていないだろう。それに、私がどんなにあなたを心の支えにしていたか、知らないだろう。


 私は沈黙し、ただただ幸せをかみしめていた。


 小石川先生に教えてもらった催し物は、演奏会ではなく、公開レッスンだった。皆に「レッスン」を見せてくれるってことなのだろう。


 開演前に、そのパンフレットを見た。


 全日本学生ヴァイオリンコンクール小学生部門優勝、モスクワヴァイオリンコンクール13歳以下の部門での優勝、それからこの音楽大学附属音楽教室の特待生として学んでいることが、これまでに指導を受けた巨匠と思われるヴァイオリニストの名前が、小石川ミヤ子先生のお名前と共に書かれていた。


 現在中学二年生、か…………。

 



 客席のライトが暗くなり、ステージが明るくなった。

 ざわざわしていた客席が、サッと静かになった。


 大きなグランドピアノの前に歩いてきた仁君は、相変わらず細くて、その後に現れた長身のピアニストは、きっとお父様だ。


 演奏が始まった。


 シベリウスのコンチェルトだった。


 規則的に落ちてくる正確なリズムを刻むピアノの伴奏。

 三小節後、細く細く、しかしはっきりと聴こえてくる、存在感のある音。この音色だけでも、来てよかったと思ったくらい。


 藤原かおりさんと槇慎一さんのご夫婦がメンデルスゾーンのコンサートをしたのは、仁君がメンデルスゾーンのコンチェルトを勉強するのに関連して行われたのだろう。


 あの時、私は高校一年生で、高校生部門のコンクールの課題曲はシベリウスだった。小石川先生はコンクールの出場を勧めてくださったけど、私は出なかった。

 手も小さく身長が低い私にはあまりにも不利だし、そんな言い訳をしたくなるほど自信がなかった。当然ながら、高校生は皆フルサイズのヴァイオリン。手が大きい方が有利だ。入賞とか、順位じゃなく、ステージでソロを弾くのが怖かった。それに、部活動でソロを弾くのとは、全く違う重みを感じていた。


 曲目自体もスケールが大きく、音楽的にも技巧的にも難曲だ。


 それを中学二年生の仁君が、こんなに堂々と…………。


 一瞬だけパソコンのニュースで流れたあの映像、モスクワで弾いていたバッハとは違う。あの時の印象を思い出す。あれ以上の凄味があった。


 分野は違えど、私は受験勉強をこれだけ頑張っただろうかと思うと、とても比べてはいけない気持ちになった。


 槇慎一さんのピアノも素晴らしかった。複雑なリズム、奔放なメロディを歌い上げるソリストに決して引っ張られることもなく、手綱を引くでもなく、まさにお手本の如く正確な伴奏。淡々としているだけでもない、オーケストレーションを意識した音づかい。

 この曲は私も少し勉強したからわかる。ピアノ伴奏の楽譜の通りではない。オーケストラのスコアが完全に頭に入っている伴奏だった。あれはソリストが安心して弾けるだろうなと羨ましくなった。

 

 羨ましい?…………私は自分で不思議な気持ちになった。「練習」でなく、「伴奏」に乗せて弾きたいと思ったことが久しぶりだった。



 全楽章通すと、そこからはレッスンだった。

 

 一目で外国人とわかる男性が、仁君に拍手をしながらステージに現れた。

 槇慎一さんは、さっとステージ袖からマイクを二本持ってきて、一つを教授に渡した。


 レッスンはほぼ伴奏無しで、教授は細かい弾き方や、様々な音色のアイデアを出しては仁君に試させていた。ロシア語なのだろう。仁君が既に出来ていることでも、勉強中の聴衆の為に仁君を使って良い例、悪い例などを説明していた。槇さんは、会場のお客様にわかるよう、もう一つのマイクで一つ一つ通訳し、解説していた。


 仁君は通訳を通さず、教授に質問をしたり確認したりしながらレッスンを受けていたようだった。すごいな…………。



 濃密な時間だった。

 私の体のどこかで、血が騒ぎだすような気持ちだった。


 私もまたレッスンに行きたい。

 いや、受験生だしな…………。









 終わってからも、しばらく呆然として立ち上がれないでいた。

「莉華ちゃん?」

 隣の藤原かおりさんに話しかけられた。


「はい、佐山莉華です」

「やっぱり、そうだったのね。あの、……仁の母です」


「はい、お久しぶりです」

「今、夫からメールが来て、莉華ちゃんに時間があるなら、家に来てって」


 はい?わけがわからない。


「えっ?」

「あ、あの、仁が、夫にそう言って、夫が私にメールをしたの。私と一緒に、家で待っててくれないかって」


 そういうことか。


「あ、時間は大丈夫です」

「よかった。すぐ、近くだから」



 あれ?仁君の家って、前にお邪魔したあのマンションは、全然この近くじゃないよね?引っ越したのかな?


 私は藤原かおりさんについて行った。


 それは、本当にすぐ近くだった。














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