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Doctor  作者: 槇 慎一
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1 王子様との出会い



 私立宝院学園。


 幼稚園からずっと同じ学校、ずっと同じお友達。


 初等部からたくさんのお友達が増えた。


 中等部からも増えるし、高等部からも増える。そのこと自体は楽しみだった。しかし、「勉強ができる頭のいい子が入ってくる」ということがわかると、単純に喜べないくらいには、バカではなかった。


 初等部に入り、お友達は増えても親友と呼べるようなお友達はいなかった。ヴァイオリンの練習ばかりだから。もっとも、それは私だけじゃない。皆それぞれ塾やお稽古事でいっぱいだった。

 学校は、親の目から逃れられる正式な逃げ場だった。よく、ニュースや親の誰かの噂話で不登校の話題になるけれど、私は家にいたくないから学校に行くだけ。学校に行きたくなくても家にいたいなんて、羨ましいとさえ思う。


 静かにため息をつく。


 医師の父親と、自分に無関心な母親。少し歳の離れた姉と、一つ年下の弟がいる。姉はピアノを、私はヴァイオリンを習わされた。


 母親は私に無関心だけど、義務的に世話はしてくれるし、表面的には教育熱心だ。ただ、私のことが好きじゃないんだろう。私のヴァイオリンの練習を毎日毎日見てくれたけど、やりたいなんて言ったこともない。ヴァイオリンの音階練習は、もう記憶にない頃からの習慣だった。姉のピアノの練習をさんざん聴かされていたから、音感があったのかもしれない。


 ヴァイオリンの小石川ミヤ子先生は、お祖母ちゃんくらいの年齢で大学の先生。厳しいけれど、それは不思議にあたたかさを感じるものだった。学校の先生とも違う。うまくいえないけれど、私を見ていてくれた。頑張ると褒めてくれたし、難しくて出来ないときも、目を離さずに、出来るまで見ていてくれた。あたりまえ?

 でも、母親は練習を見てくれてはいても、見られているとか、見張られているとか、監視されているような気がしてならなかった。

 だから、小石川先生のことが好きだった。小石川先生の言うことは全部聞いた。課題がたくさんありすぎて、全部正確に覚えきれないこともある。でも、母親が一言一句全てを逐一ノートに書いてあるから、全部やっていった。

 

 初等部四年生になったある時、小石川先生が母親に聞いた。


「専門に進むおつもりはありますか?」


 母親は私の方も見ずに答えた。


「とんでもありませんわ。本人がどうしてもと言うならば、考えなくもありませんが」

 

 小石川先生は、

「私が主催している弦楽アンサンブルがあるのですが、そちらに参加してみませんか?専門を目指す生徒もいますし、ソロでは出来ない曲を扱います。まずは見学にいらしてみて」

と、私を見て優しく微笑んだ。




 その弦楽アンサンブルの演奏会の前日の練習を見学に行った。普段の練習は月に二回。いつもは午前中だけだけど、演奏会前日だから一日練習で、各自お昼ご飯を持参してのカリキュラムが組まれているらしい。私は、母親に連れられて午後の練習を見学することになった。


 もう夏。

 暑い。外の気温にも車の冷房にもうんざりする。

「背中にヴァイオリンを背負うのが暑い……」

ぼそっと呟いてみたら、母親は黙ってヴァイオリンを持ってくれた。わかってる。私は可愛くないのだ。でも、母親は知らない場所に行ったり、新しい知り合いが増えるのが楽しみなのだ。そこから仲の良いママ友とかいうのをつくって、ランチしたりお茶したり、おしゃべりして情報交換するのが楽しいのだ。なんか……羨ましいような、羨ましくないような。


 見えてきたそれらしき建物から、数人の男子が飛び出してきた。私にも弟がいるからわかる。男子ってコドモだよな…………。もう飛び出してこないだろうと、私はその建物の入口から入ろうとしたその時、何かにぶつかった。よろめきそうになったものの、次の瞬間には、何か優しいものに抱きしめられていた。顔を上げると、ではなく顔を下げると、可愛らしい顔をした男の子が、私を倒れさせないようにギュッと抱きしめて、踏ん張っていた。




 王子様だ!




 

 王子様は、私がびっくりして落としてしまった手提げ鞄を拾い、埃を払って私の手に握らせてくれた。王子様の手が汚れる!

 それなのに王子様は「ごめんなさい」とあやまり、私は「ありがとう」と言った。なんか違う。


 パタパタ……と女の人が走ってきた。

「ごめんなさい。お怪我はありませんでしたか?息子が本当にごめんなさい」

 あ、この王子様のお母さんか。ケガなんて、どこにも、全然。ちょっとびっくりしただけ。


「どうぞお気になさらず。優しい男の子さんね」

と母親が言った。母親は、初めて見学に来たこと、小石川先生を探してご挨拶したいとそのお母さんに言った。そのお母さんは、小石川先生のいらっしゃる控え室の場所を説明してくれて、私達はそちらに行った。

 あの王子様は、小学校一年生くらいだった。小さいのに、三年生の弟よりお兄さんに見えた。


 


 控え室で母親が小石川先生に挨拶し、いつものように恭しく差し入れを渡す。

「どうぞ、先生方で召し上がってくださいな。暑くなりましたから、ちょっと涼し気のあるものですの。お絞りもありますから」

「まあ、いつもすみません。どうぞお気遣いなくね」

「では、見学させていただきますわ。失礼いたします」


 控え室から出ると、さっきの王子様とお母さんがいた。

 

「あら、さっきの紳士君。優しくしてくれて、王子様みたいだったわ~、ね、莉華?」


 嫌な言い方だった。初対面だから、それほどでもないけれど。もっと気に入らない人だったら、同じ台詞に怨念がこめられるのを私は知っている。そのお母さんは頭を下げていた。私の方がそのお母さんに謝りたかった。


 小石川先生が来て言った。


「仁、どうしたの?かおりさんも暗い顔をしちゃって。莉華ちゃんと知り合い?」

「いいえ、それでは見学させていただきます。失礼いたします」

 母親はそう言って、私を無言で促してその場を離れた。



 ちょうどお昼の休憩だったらしい。


 女の子達が、お弁当を出して食べながら楽しそうにおしゃべりしていた。私もまたここに来たい。学校とは違うお友達、音楽の仲間、そして王子様………。まだ練習も見ていないのに、そう思ったから、私は小石川先生に楽譜をもらいに行った。小石川先生は、私が一人で楽譜をもらいに来たことにとても喜んでいたようだった。


「あたくしの可愛い弟子なの。とってもお上手なのよ」

と、他の先生方に笑顔で言っていた。私は、いつも厳しい先生がそんなふうに言ってくれて驚いたけれど、初めて褒められたようで、とても嬉しかった。


 

 午後の練習が始まった。

 チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』からだった。


 私は、渡された楽譜と明日の演奏会のプログラムを見ながら、練習を聴くことにした。


 さぁ、いよいよ始まるかと思ったら、男の子が叫んだ。

「先生ー!仁がいない!外にもいなかったし。午前中はいたのに!」

「あぁ…………。残念だが、仁は今回出られなくなった。お前は仁の席……2プルトの表に席を移動しろ。前日だし、他は席そのままな。2プルト裏は空けておけ」


 「えええ~!?」「なんだよそれ」「仁、どうしたの?」 先生の指示は、そんな声という声にかき消された。


「マサノリ、プルト表になっても譜めくりするのかよ」

「普通は裏がめくるのに、表でも譜めくり!」

「表でも譜めくり!表でも譜めくり!」

「うるさい!何だよ、仁~俺を残してどこ行ったんだよ~!」


 男子は本当にコドモだなと思った。が、先生が調弦の合図をした途端、嘘のようにピタリと鎮まり、真剣に音をあわせた。


 指揮棒が上がる。先生の呼吸、指揮棒の先が動いた瞬間から、美しいヴィブラートの音色が広い会場いっぱいに鳴り響いた。


「お母さん、私ここに入りたい」

 自分から言った。


 これまでだったら、母親が聞いてから、母親が入ってもいいかどうか判断してから私に聞いていた。


 私には選択権がなかったから。

 でも、言いたかった。


 この美しい音の中に、私も入りたかった。







 







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