村上春樹 『ノルウェーの森』
講談社(講談社文庫) ジャンル:純文学 青春小説 初版発行: 1987年 著者: 村上春樹 映画化有り
『あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分のあいだにしかるべき距離を置くこと 。』
世界中で人気のある村上春樹の作品のなかでも、もっとも売上部数が多い本作、『ノルウェーの森』をいまごろ読みました。うん、そうだね。一言で言って、「あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにする」作品だね。
基本伊坂幸太郎さんの作品でも語られているように、寓意がありそうで寓意がないのかもしれない、そんな作品が村上春樹の作品です。意味なんてなくても読者が勝手に意味を深読みして広げてくれるから、村上春樹作品は哲学的! と語られるんでしょうね~。
と、書きましたが決してけなしているわけではありません。「あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること」←この一節が語っている通り、深刻に考えることないってことです。意味深なことがたくさん書かれていますが、そう深読みすることはないんですよ。
書かれていることは書かれたままの意味だし、書かれていないことは作者があえて書かなかったのではなく、書かなかっただけだということです。深く物事を考えることは大切ですが、精神を病むまで考えすぎてはいけないということ。
この物語にも精神を病んだ人が沢山登場します。おかしいっていう表現は変だけど、ちょっと狂った人が沢山。ていうか、狂った人しか登場しません。
物語のはじまりは主人公、「僕」ことワタナベ・トオルくんが大学時代を回想するというかたちで進んで行きます。このワタナベくんは村上春樹さん本人だという考え方があるそうですね。つまりこの、『ノルウェーの森』は村上春樹の自伝的小説なのだとか。
自殺した友人の恋人、直子にワタナベくんは恋をするという形式で物語が進んで行きます。はじめに言っておきますがこの物語は、純愛小説ではありません。ワタナベくんは直子ことが好きだけど、他に十人近い女性と性的関係を持ちます。そしてとにかく性描写が多いいです。性描写が苦手な人にはオススメできません。
そして彼女(直子)はワタナベくんと親しくなりはじめたちょうどそのときに、京都にあるという特殊な精神治療の施設に何も言わずに入ってしまうのです。そこで彼女は規則正しい、規則正しすぎるほど規則正しい生活をレイコさんという人と共同で送っています。
直子が施設で療養しているころ、ワタナベくんは緑という女性と親しくなります。この緑さんもかなり変わった人で、一言でいえば〈変態〉ですね。この緑と直子の交流で『生』と『死』を表現しているのだと言われています。緑が生で直子が死です。
一応純文学というジャンルですので、エンターテイメント的な血沸き胸躍るストーリー展開があるわけではありません。ただワタナベくんを通して色々な心に傷を負った、ちょっと変わった人たちと交流して成長していくというだけの青春小説です。
何故か読んでいるときはそうは思わなかったのですが、読了してから悲しい気持ちになる作品だと私は思いましたね。どうしてなんでしょう? 何故か悲しい気持ちになります。
作中で沢山の人が亡くなるんですよ。亡くなった理由も正確には書かれません。それが悲しいんですよね。殺されたとか、人生に絶望しただとか、人生に疲れただとかそんな明確な理由があるわけではなく、ちょっと異常ないびつな人たちが何故か心を病んでしまって、パッと死んでしまうんですよね……。
太宰治の人間失格とはまた違った、生きるのに不器用な人々ばかりが登場するのです。人間失格の大庭葉蔵はどうしようもなく弱い人だったんですよ。大庭の心境はよ~く分かります。息を吸っているだけでどうしようもなくなく、辛くなることがあるんですよね。
人間失格の大庭葉蔵がいった、「生れて、すみません」っていう言葉がどうしようもなく心に響くものがあるんですよね。どうして自分は生きているんだろうって考えてしまうときがあるんですよね。それは楽しいときほど強く私の場合は感じてしまうんですよ。
人間失格とはまた違った人間の弱さがこの作品からは伝わってきます。今回はこれで切り上げさせてもらいます。なんか今回の紹介すっごく、「暗くて、すいません」なんて。こんなことを書きましたが、決して心を病んでいるわけではありません。ただ紹介として書いただけですので、心配しないでください!
つまりこの作品を読んで感じて欲しいことは、病むほど深く考えては駄目だということです。
あ、最後にノルウェーの森というタイトルですが、ノルウェーの森に行くわけではありません。ただ作中でビートルズのノルウェーの森が歌われるだけです。その他にも沢山の音楽が作中では登場します。ありがとうございました。




