フランツ・カフカ 『変身』
新潮社(新潮文庫) 【純文学】 初版発行: 1915年 著者:フランツ・カフカ 訳者:高橋義孝
私が紹介するのもおこがましいかもしれませんが、読まれなければ意味がないと思い紹介することにしました。
色々な解釈があると思いますが、私の解釈で紹介していきます。教科書でも紹介されているから、読んだことがある人も多いいと思います。
読んだことがない人も短い話だから読み易く、古典の中では気軽に読めるオススメの作品です。タイトルで分かりますが、そうです、カフカの『変身』を紹介します!。
ではフランツ・カフカとはどういった人物だったのかウイキペディアから引用させてもらいます。
【フランツ・カフカ(Franz Kafka, ときにチェコ語: František Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)は、出生地に即せば現在のチェコ出身のドイツ語作家。プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆、どこかユーモラスで浮ついたような孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させる[1]ような独特の小説作品を残した。その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成り、純粋な創作はその少なからぬ点数が未完であることで知られている。
生前は『変身』など数冊の著書がごく限られた範囲で知られるのみだったが、死後中絶された長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が友人マックス・ブロートによって発表されて再発見・再評価をうけ、特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている[2]。】
はい、『絶望名人カフカの人生論』という本が出ているほど、カフカは絶望上手でした。またの名を絶望王と、言われているかは知りませんが、私はそう思っています。
あらすじ
【ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹な巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか……。謎は究明されないまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常が過ぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は様ざまな解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。】
私が持っている新潮文庫のあらすじから引用させてもらいました。この新潮文庫は高橋義孝さんが翻訳しています。
あらすじには巨大な虫と翻訳されていましたが、翻訳する人が違えば巨大な毒虫と翻訳されている変身もあるのです。
ファンの中には色んな翻訳の変身を集めている人もいるとか、いないとか。皆様は何かコレクションしている物ってありますか?。これを読んでいる方の中にも、もしかしたらレア本を集めている方もいるかもしれませんね。
ザムザがどんな虫になったのか、は分かりませんが甲虫ともムカデ? みたいな虫とも言われています。ちなみに私はGをイメージして読んでました。
Gが苦手な方は別の虫をイメージしてください。あ、虫じゃなくてもいんですよ、カフカは虫と書いたけど、色々な解釈がある作品ですからね。実際には虫を描写していた訳ではない、という解釈です。
カフカはこの変身に挿絵を付けることを許さなかったそうです。つまり、ザムザは物語上、虫ということになっていますが、色々な意味を込めているのではないでしょうか?。どうです、虫じゃないかも知れない、と思いになりますか?。
ザムザは家族を養うため、仕事一筋の男でした。虫になる前は家族から、頼りにされていたのに、虫になって家に籠るようになったら手のひらを返したように、気持ち悪るがられ忌み嫌われてしまいます。
家族は気味悪がって、近寄りもしない。唯一妹だけがご飯を持っていきます。だけど、妹もいやいやですよ!。酷いですよね、人間は見た目がすべてなんですか!。
そしてザムザが虫になったことで今まで、ザムザに養われていた家族は自分たちの力でお金を稼ぎ独立します。養られる側から、養う側になったのです。
私の解釈では今まで家族を養っていても、病気や怪我で働けなくなり家に籠るようになると、グレーゴル家の人たちみたいに、虫のような扱いをするということではないでしょうか、それが今まで養っていてくれた人でも。
つまり恩を仇で返すと言う表現が一番しっくりきますね。
そもそも虫とは何なのか? 読む人によって色々な解釈のできるお話だと思います。虫になったザムザはどうなってしまうのでしょうか? 衝撃の結末をご自身でお確かめ下さい。
世界文学最高傑作一つ読まないなんてもったいない!。




