萩原浩 『二千七百年の夏と冬』
双葉社(双葉文庫) ジャンル:歴史 著者:萩原浩
縄文時代っていつのこと? ぽくぽくぽく、チーン! ハッキリしていません。
「なんだよ! それ、ハッキリしろよ!」
待って、そんなクレーム私に言わないで、専門家じゃないんだから。
「だけど、縄文時代は縄文人がいた時代だから、縄文時代なんだろ?」
と、思われたあなた様! ちょっと考えてみてください、縄文時代の次は弥生人の時代、弥生時代ですよ。だったら、縄文時代から弥生時代に変わったら、縄文人はパッと絶滅した、ということですか?
違いますよね。弥生時代になっても、縄文人はいたのです。つまり、縄文人の分布が後退したと思われる時期を境に弥生時代になったのです(私の憶測)。
そんなあやふやな、教科書の閉じられた時代、縄文時代を扱った作品が今回紹介する。
「二千七百年の夏と冬」です。ちなみに上下巻の紹介をします。学校では縄文時代や弥生時代はそんなに教えてくれませんからね。だた、稲作が始まったと貝塚があったんだろ、くらいです(たぶん)。
そんな学校では教えられない、時代をまぁ~とにかく、作者の荻原浩氏は挑戦していますよ。こんな資料、文献もない時代をよく書けたものだ、感心感心。ん? 「上から目線はやめろ」そ、そうですね。ごめんなさい、上から目線でした。尊敬に値する人物です! ん? それも上から目線ぽい? だったら何と言えばいい。
2011年、東日本大震災の爪痕が残る関東のあるダム工事現場で、縄文人の骨が発見されました。その縄文人骨の傍らにはもう一人の人骨が同時に見つかりました。調べていくにつれ、その人骨は弥生人の(現代感覚で)少女であることが分かったのです。
弥生人女性と縄文人男性は手をつないだまま、発見されたのです。
そんな、発見現場に女性新聞記者、佐藤香椰が取材に来ます。物語はこの香椰視点と縄文人男性ウルク視点で進められます。時代は遡り縄文時代へ。
ウルクはピナイという村で生まれ育ちます。そんなウルク少年の最近の悩みは虫歯が痛むことでした。一方そのころ、香椰も虫歯に悩まされていたことがありました。
縄文人男性も虫歯に悩まされていたのか、と同情する香椰。昔に虫歯なんてなったら、治療するすべもないし、考えただけで恐ろしいですよね(ブルブル)。治療できないなら強引に抜くしかありません。はい! 縄文時代には抜き歯の文化があったそうです。成人した証に、歯を抜くんですよ。どうして抜くの! 麻酔もないのに! おっそろし~。
で、ウルクはその抜き歯のときに、虫歯も一緒に抜いてもらおうと考えるのですが、いざ抜き歯が行われると、あまりの激痛にもう一本抜いてくれ、などとは到底言い出せませんでした。
誰だっていえないと思います。考えただけで恐ろしい。
抜き歯が終わったらもう成人です。お嫁さんをいつでももらえるようになりました。ウルクには思いを寄せる女の子がいるのです。しかし、その子はまだ抜き歯をしていないため、結婚することはできません。
一方そのころ、香椰は愛した男を思い出していました。
ん? そうして過去形かって、それは香椰が愛した男は死んでしまったのです。戦場カメラマンでした。不遇の事故だったそうです。
香椰は死んでしまった恋人のことが忘れられずに、恋人との回想シーンが入ります。
話はウルクに戻り、縄文時代の文化描写がしっかりと描かれ、のちに色々あって弟が病気で倒れてしまうのです。で、ウルクはコーミーを探しに森に入ります。コーミーとは米です。そうです、稲作が始まった弥生時代が絡んできますね、ここで。米を持っているのは弥生人ですから、下巻のお話ですね。
ウルクは米を探し森を彷徨っていると、クムゥと出会ってしまうのです。それも! ただのクムゥじゃありませんよ、キンクムゥです! 凄いですよね。どうして、キンクムゥが関東の森にいるんだ、って思うでしょ。え? クムゥってなんだって、くまです、熊。
キンクムゥとはヒグマです。驚きですよね。ヒグマが関東の森にいるなんて。
キングの熊だからキンクムゥ、と思っていたのですが、金の熊だからキンクムゥなのだとか。
だけど、昔は日本列島にヒグマが生息していたらしいです。
ウルクはキンクムゥを怒らせてしまって、追われる羽目になります。キンクムゥを村にまで連れてきて、しまってウルクは村を追放されることに。
しかし、米を持って帰ってくれば、再び村の一員にしてくれる、といわれウルクは米を探しを始めるのです。
キンクムゥに追われた、ウルクの運命は? 手をつないだまま、出土した縄文人男性と弥生人女性はどうして、死んだのか? 下巻では綺麗に伏線が回収され、読みきった感が半端ではありません。
この作品は外国人差別と環境問題を扱った作品でもあります。
私が一番心に響いた言葉は香椰の恋人がいった。
「この世界のすべての国が先進国のような暮らしをしたら、地球は滅びるよ」
みたいな、セリフです。ちゃんと引用したわけではないので、正確ではありませんが意味は同じです。
縄文時代と弥生時代の狭間を生きた、人々の物語。




