第壱話「七不思議誘拐事件~起~」
なろう作品として、そして一次創作としても処女作となります。
いつまで続くか分かりませんが、どうぞよろしくお願いします。
少年は走る。その幼い顔に焦燥を浮かべ、息を切らせて、ただ暗い廊下を力の限り全速力で疾走する。
時々背後を振り返っては、まだ走る。姿は見えない。だが油断はできず、スピードを落とすことはできない。
一緒に来ていた友達は、皆はぐれてしまった。今頼れるのは、もはや自分のみだ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。肝試しに参加してしまったことを、少年は心底後悔していた。
階段を駆け下り、忍び込むために使った窓へと一直線に進む。
とにかくここから逃げなきゃ。はぐれた皆は大人を呼んできてから助けてもらおう。
窓の前まであと僅か。ようやく一息つけると思っていた少年に、絶望は窓のある廊下の曲がり角から訪れた。
コツ……コツ……コツ……。
少年はぞっとして足を止める。
「そ、そんな……ここまで来たのに……」
足音はだんだん大きくなる。曲がり角の向こうから、不気味な気配が濃くなり始めた。
今はもう六月。季節は殆ど夏に近い。だが少年は全身、真冬に半袖で外に出た時のように鳥肌を立てていた。全身には冷や汗が滴り、梅雨の蒸し暑さなど嘘のような肌寒さが恐怖と共に全身へと広がっていく。
「た、助けて……」
少年は逃げ道を探して辺りを見回す。左手には閉じられた窓。しかし開けるのに手こずっている間にあいつに捕まるかもしれない。
逆に右手を見るとトイレがある。
そうだ、あいつはまだこっちに気付いていないはず。トイレに隠れてやり過ごせば、多分逃げられる。
足音を潜めながらも急いでトイレに駆け込むと、一番奥の個室へと隠れて鍵をかける。
ホッと胸を撫で下ろそうとしたとした時だった。
コツ……コツ……コツ……
足音がトイレの前へと近づいてくるのが聞こえ、思わず息を呑む。少年はそのまま息を殺し、音で外の様子を窺った。
足音はトイレの前までやってきて……そこで止まった。
嫌な予感に震える少年の耳に、まるで地の底から響いてくるようにエコーのかかった、低い声が聞こえてきた。
「埃だらけの廊下に……トイレへと続く足跡……。そこかぁ~?」
(気付かれた!)
心臓は早鐘を打つように鳴り、思わず悲鳴を上げそうなのを口を押えることで何とか押し留める。
だが、足音はこちらへと近づき、大きくなる。トイレの中へと入ってきたのだ。
そして少年はしまった、と気付く。個室に隠れ、鍵をかけてしまえば、もう逃げ道はない。つまり、自分から閉じ込められる道を選んでしまったのだ。
ギィィ……。
「ここじゃない……」
今、少年が隠れている個室の右から三番目……一番トイレの入り口に近い個室のドアがゆっくりと開けられた音がした。
ヤバい、これじゃあ一発でバレる!
ギィィ……。
「ここでもない……」
怯える少年の恐怖心を煽るかのように、隣の個室のドアが開けられる。
わざとらしくゆっくりと開けている辺り、意地が悪い。
(もうダメだ……誰か!)
天に祈る少年を嘲笑うかのように、足音はもう目の前までやってきた。
その時だった。少年の襟首を誰かが強い力で引っ張った。
「ッ!?」
少年が振り返ると、そこには───
「チッ……」
それは誰もいない個室の中を見て舌打ちした。獲物はここにいると確信していたのに、見事にハズレだったからだ。
やがてそれはその場を去る。獲物はまだのこっている、と口角を吊り上げながら。
××××
和賀市落雁町。昔ながらの伝統や建築物が多く残るこの街の裏手に存在する暗い小路地を抜けた先には、屋根から壁までラセットブラウンの大きな洋館が存在する。古めかしいが手入れの行き届いた洋館のアーチがかけられた門際には『雛霰探偵事務所』と筆で達筆に書かれた看板が下げられていた。
「大変です先生!大変ですよ!」
息を切らし、今にも躓きそうになりながら、小豆色の髪を短めのポニーテールにした女性が、洋館の扉を開いて駆け込んで行く。
彼女の名は大福寺杏子。飲食店で働きながら、この探偵事務所の助手を務めている。
ドアノッカー付きの玄関を開けて中に入り、玄関脇にある居間へと駆け込む大福寺。
「先生!大変なんです!」
「大福寺くん、そんなに慌ててどうしたんだい?時代劇の八五郎じゃあるまいし」
家主の黒い長髪を後頭部で括り、黒いスーツを着崩した背の高い男は、読んでいた書物に栞を挟んでテーブルに置くとソファーから起き上がる。
「雛霰先生!事件ですよ事件!母校で教師やってる友達のからの依頼なんですけど……」
「そう言ってこの前持ち込んだ事件、妖怪も幽霊も関係ないものばっかりだったじゃないか。特に『夫婦仲が冷えきってるので浮気調査を』とか私関係ないよね?他所の案件だよねぇ!?」
彼女が言いきらないうちにズバッと切って捨てる雛霰と呼ばれた男。溜息混じりだったのを見ると心底面倒だったのが窺える。
「今回は!本物らしいんですよ!昨日の夜、肝試しに行った子供達がそのまま帰って来ないらしいんです」
その一言を聞いた途端、彼の表情が引き締まった。
雛霰は達磨のように勢いよく立ち上がり、スーツの襟を正しながら彼女に尋ねる。
「肝試しなら本物絡みの可能性が高い。大福寺くん、その話詳しく聞かせてくれ」
××××
事件が起きたのは昨夜未明。町内の小学校の生徒7人が、旧校舎へ肝試しに忍び込んだらしいんです。
ところが翌朝、子どもが家に帰っていないと親からの電話があり、学校の教師の間で騒ぎになりました。
そんな中、肝試しに行った生徒の一人である紀平くんが泣きながら職員室へと駆け込んで来た。
泣きじゃくり、怯える紀平君は担任に事情を聞かれ、肝試しをしようと友達に誘われ、夜中に家をこっそり抜け出した事を明かしたそうです。
「なるほど。それで、この事件が妖怪絡みだと思った理由は?」
「それが、紀平くんに更に詳しい話を聞こうとすると……」
他の生徒は何処に行ったのか聞かれた時、彼はこう答えたそうです。
『オバケが……オバケが追いかけてくる!!』
「オバケ、か……。学校は霊が集まりやすい場所だ。何が居ても不思議はない。相手が妖怪か幽霊かはまだ分からないが、子どもを神隠しする辺り何かあるな」
そう言うと先生は事務机の引き出しを開け、折り畳みルーペを始めとした探偵道具を懐へと仕舞っていく。暇で暇で仕方ない、という顔でゴロゴロしていたさっきまでの姿とは別人のようだ。久しぶりのまともな仕事に、先生のスイッチが入ったらしい。
「大福寺くん、現場まで案内してくれ。どうやら私の出番らしい」
「はい!雛霰探偵事務所、出動ですね!」
私もデスク脇に置かれた道具入りのバッグを肩にかける。
探偵事務所を出ると私達は、目的地へと向けて出発した。
××××
落雁町立 落雁小学校
裏道を使い、三十分くらいかけてやって来た旧校舎付近は既に何台ものパトカーが停車し、何十人もの警察官が行き来し、黄色いテープが張り巡らされて封鎖されていた。
「あちゃー、先を越されたか。子ども達の捜索に人手を割ける分ありがたいけど、こりゃ現場を探索するのに許可を得る手間が掛かりそうだ……」
「仕方ないですよ。先生の事務所、街中なのにケータイの電波届かないんですから、直接呼びに行くのに時間かかっちゃいますし」
「ホント、そこをどうにか出来ないものか……」
あちゃー、と額に手を当てながら雛霰は空を仰ぐ。
雛霰寺和先生の職業は怪奇現象専門の探偵。これまで奇怪な事件をいくつも解決してきたんだけど、怪奇現象を信じようとしない、頭のお堅い警察の人達からは胡散臭がられ、あまり信頼されていないのだ。
つまり、現場に立ち入る許可を取るだけでもかなりの時間がかかる。先生と二人、どうしたものかと考えを巡らせていると、私達の方に一人の男が近づいて来た。
「あ、先生!来ていらしたんですか!」
「団子刑事、丁度良い所に!」
黄土色のコートに白いワイシャツ、紺のネクタイという典型的な警部ファッションに、がっちりとした体格。先生と同年代の刑事さんは、そう呼ばれると一瞬がくりと肩を落として訂正する。
「だからそのあだ名で呼ぶのやめてくださいよ!」
彼は三識団五郎。警察内部では数少ない先生の理解者だ。雛霰が解決した事件の報告書を纏めるのは大体彼の仕事らしいのだが、それに文句一つ言わず事件解決に協力してくれる、できた刑事である。
「三識警部!ご無沙汰してます」
「こんにちは大福寺さん。今日はバイト休みなのかい?」
「はい。友達の教え子が事件に巻き込まれたって聞いて、急いで休みを貰ってきました」
「なるほど。ってことは先生、事件のあらましは聞いてるんですね?」
「ああ。三識警部、現場の立ち入り許可と捜査の経過報告、それから唯一戻ってきた紀平君に直接、話を聞かせてくれないか?」
「ええ、構いませんよ。正直、私も先生に相談しようかと思ってましたから」
先生の、傍から聞けば無理のある頼みを三識警部は二つ返事で承諾すると、そのまま二人を連れて新校舎の方へと歩き出した。
「ところで大福寺くん、この旧校舎には七不思議とかあるのかい?」
不意に、先生が旧校舎の方を見つめながら尋ねる。うーん、どうだっただろうか。怪談とかあんまり興味なかったので記憶にはほとんど残っていないが、聞き覚えがないわけではない。ちょっと小学校の頃の記憶を紐解いてみる。
「えっと……確か、クラスで時々話題になっていたような気がします」
「確かって、自分の母校の事なのに覚えていないのかい?」
「だって怖いじゃないですか!当時の私は怖い話に興味持ちたくなかったですし、覚えようとも思いませんでしたよ」
はあ、と呆れたような溜息を吐く先生。はいはい、ビビりで悪かったですよー。
「依頼主……君の友達なら覚えていそうかい?」
「うーん……多分、覚えてると思いますよ。でもなんで七不思議なんか気にしてるんです?」
「ちょっと気になってね」
「まさか学校の七不思議の中に今回の星が潜んでいる、とかそういう事ですかい?」
三識警部も話に割り込んでくる。なるほど、学校だからまず七不思議が真っ先に疑われるのか。
しかし、雛霰先生は首を横に振った。
「いや、別にそうとは限らない。憶測だけでものを言うのは先入観に囚われるきっかけになりかねないし、彼らにも失礼だ。ただ、単純に興味があってね」
「興味ですか?七不思議なんてどこの学校も似たようなもんじゃないんですか?」
三識警部が首を傾げる。
「いや、確かに共通する話もあるが詳細が異なるパターンもあるし、地域によって全く異なる七不思議なんかもあるんだ。だからこの学校の七不思議はどうなのか気になってね」
「へえ、違うんですね。私、てっきりどこもほとんど同じなんじゃないかとばかり思ってました」
「学校によっては七つじゃない場合もあるらしいけどね。なんなら、同じ七不思議のエピソードを地域別で比べて解説しても……」
「いえ、お断りしておきます。先生、余談で解説始めると長くなるので」
「俺も今は遠慮しときますよ」
えー、と子どものようにブー垂れる先生。仕事中は簡潔に説明してくれるのだが、余談になると長くなってしまう。まるで大学教授だ。授業の如く続くので、解説を始める前に中断させないと話を聞いているだけで軽く一時間が過ぎてしまうのは先生の困った癖かもしれない。
そうこうしているうちに、そろそろ本校舎の入り口が近づいてきた。いったい、今回の事件には何が待っているのだろうか?
××××
通された部屋では栗色の髪で白いブラウスを着た女性教師と、黒いTシャツを着た小学六年生くらいの男の子が座っていた。
「クリちゃん、大丈夫?」
「大ちゃん!」
私が声をかけると、教師の女性が椅子から立ち、私達の方へと歩み寄る。
甘栗真倫。私の小学校の頃からの友達で、今は母校で教師をしている。私が探偵助手の仕事をしていると聞いて、私に電話をかけてきたのだ。
「ところで、そちらの人が……」
「はじめまして。妖怪探偵の雛霰寺和です。依頼主はあなたですね?」
胸ポケットから名刺を取り出して渡す先生。黒いスーツに長い黒髪、そして整った顔立ちなので中々様になっている。
「ど、どうも……」
クリちゃんの怪訝な表情から妖怪探偵、という肩書きに困惑してるのが見て取れる。
「大丈夫、先生は信用できる人だって私が保証するから」
「大ちゃんが言うなら信用するけど……でも、本当に子どもの言うことですし、まさか本当にオバケが出たなんてそんな……」
「いや、子どもの言うことだって無下には出来ませんよ。紀平くんに話を聞きたいのですが、大丈夫ですか?」
俯いたまま座っている少年を見やりながら先生が聞くと、クリちゃんは遠慮がちに頷いた。
「ご両親が来てくれたお陰か、今朝に比べれば落ち着きましたが……何を聞いても『オバケが出た』の一点張りなんです」
「ご安心ください。私がオバケの正体を突き止めますから」
そう言うと先生は、紀平くんの向かいに座る。私もその隣に椅子を置いて座ると、まず先生が口を開いた。
「紀平くんってのは君のことだよね?」
「おじさん…誰?」
うっ、と先生が一瞬唸る。おじさん呼ばわりが身に染みたんだろうなぁ。
「お兄さんは探偵。君の友達を見つけて、オバケの正体を突き止める為にやって来たんだ」
「探偵…って、本物の!?」
「ああ。その中でもお兄さんは、幽霊や妖怪の絡んでいる事件を専門にした探偵なんだよ」
「じゃあ、僕の話も信じてくれる?」
「勿論だとも。さあ、何があったのか話してごらん」
雛霰先生は紀平君に柔らかな笑みを向ける。その顔を見た紀平君は、ぽつぽつと真夜中に体験した恐ろしい体験を語り始めた。
長くなりそうなので分けることにしました。まずは事件を「起こす」ことから。
雛霰さんと大福寺さんの出会いなんかは、また事件簿の別の頁で。